■呪いの子

11:元死喰い人


 三年生になって初めての『闇の魔術に対する防衛術』は、ボガートを退治する授業だった。ネビルからこの授業のことを聞いていたレギュラス達は、『ボガートとは何か』というルーピンの問いに完璧に答えることができたし、加点も貰った。レギュラスはほくほく顔だった。

 だが、レギュラスの機嫌もそこまでだった。自分たちの番が来る前に、あるグリフィンドール生のボガートがヴォルデモートに変化したのである。

 もちろん彼はヴォルデモートを見たことがなかったので、あくまで想像上の存在でしかなかったが、しかし、鼻がなく、見るからに禍々しい雰囲気を持つ背の高い男に、その場の誰もが『例のあの人』を彷彿とさせた。

 教室は阿鼻叫喚となったが、ルーピンがサッと前に踊り出、『リディクラス』を唱えることで、事なきを得た。

「すまない……私の考えが足りなかった。もう二十年も経つから、もうヴォルデモートに怯える子はいないと思ったんだ」

 臆することなくルーピンが口にした『ヴォルデモート』の名前に、少数の生徒が身震いする。

「だが、君たちの考えは正しい。あの人は恐ろしい闇の魔法使いだった。にもかかわらず、時が経つにつれ、その恐怖心が失われていく、なんてことはあってはならない。第二の『例のあの人』が出てくることは避けなければならないんだ。恐怖心は、いつまでも持ち続けなければならない」

 もうボガート退治どころではなかったので、そのまま授業はお開きになった。ボガートはルーピンのトランクに詰められ、厳重に鍵をされた。

 レギュラスとアルバスが教室を出て廊下を歩いていると、後ろから数人の生徒にぶつかられる。

「ボガートの順番が来なくて良かったな。お前達が何を怖がってるのか興味があったのに」
「どうせスネイプだろう。嫌われてるし」
「スネイプ先生は僕らのこと嫌いじゃないよ」
「レグ、無視だ。言い返したっていいことない」

 アルバスはレギュラスのローブを引っ張った。レギュラスは人の悪意に疎い所があるので、アルバスは手綱取りに必死だった。

「いい気なもんだよな。死喰い人の子がいる限り、僕らはいつまでも怖いままだってのに」

 レギュラスの顔が強ばる。アルバスは早く彼をこの場から連れ去りたかったが、もう時既に遅かった。

「俺のボガートは、きっとお前の父親になるだろうな」

 その時、レギュラスがカッと目を見開いた。気がついたときには、彼は目の前のグリフィンドール生に飛びかかっていた。アルバスは慌ててレギュラスを止めにかかるが、それよりも早く、誰かに顔を殴られる。反射的にアルバスは殴り返した。ついで、レギュラスに馬乗りになっている生徒にタックルをする。

「止めろ! 止めるんだ!」

 気づくと、周りには人だかりができていた。ルーピンがアルバスとグリフィンドール生を引き剥がした。右頬がジンジン痛んだが、しかしアルバスは毅然として背筋を伸ばしていた。

「一体何があったんだ? アルバス、説明できるかい?」
「こいつが急に殴りかかってきたんです!」

 グリフィンドール生がレギュラスを指差した。アルバスはカッとなって言い返す。

「先に仕掛けたのはお前達の方だ! レグのことも、おじさんのことも馬鹿にした!」
「アルバス――」
「あいつらは、いつも僕たちに突っかかってくるんです! レグのことは、いつもいつも死喰い人の子だって馬鹿にしてきて、レグがどれだけ傷ついてるか――!」
「何事かね?」

 地を這うような低い声に、アルバスは口をつぐんだ。今一番会いたくない人物の声だった。

「セブルス、いや、何でもないよ。ちょっと生徒が小競り合いを起こしただけだ。ここは私が収めるから――」
「我輩の目に狂いがなければ、小競り合いを起こしたのは我が寮の生徒のように見えるが?」
「そうだね。だが、その相手は私の寮生だ。私が話を聞くから、君は――」
「我輩の寮生だ。君が首を突っ込むことはない。ポッター、マルフォイ、研究室まで来い」

 スネイプはローブを翻した。グリフィンドール生はクスクスと忍び笑いを漏らす。自寮のスリザリン生にもかかわらず、スネイプがアルバスとレギュラスに対して厳しいのは周知の事実だった。

「先生――」
「……すまない。力になれなさそうだ……」

 哀れみの声でルーピンに助けを求めたが、ルーピンは力なく首を振った。二人は項垂れてスネイプの後についていく。

 唯一の救いは、いつも優しいルーピンが、小競り合いを起こしたグリフィンドール生に、厳しく接しているのを見ることができたことくらいだ。

 スネイプの研究室は、ジメジメとした暗い場所だった。スネイプに言われるがまま、気もそぞろに椅子に腰を下ろす。

「スリザリン二十点減点」

 そして唐突に言い渡された減点に、アルバスは一時茫然とした。

「そんな! 悪いのは向こうなのに!」
「だが、先に手を出したのはお前達の方だ。真実がどうであれ、その事実だけが残る」

 アルバスは悔しそうに唇を噛みしめ、そしてすぐにまくし立てるようにして、スネイプに告げ口した。今まで、あのグリフィンドール生達にどんなことを言われてきたか、難癖をつけられたか、馬鹿にされてきたか――。

 冷たいスネイプにも、人間の情というものがあるのではないか――そんな一抹の希望を抱いてのことだ。

 しかし、全てを伝え終えた後も、スネイプの表情は変わらなかった。アルバスは落胆した。

「それでも、やはりあなたは僕たちが悪いと仰いますか?」
「いや」
「そうですよね――って、え?」
「だが、どんなに否定したとしても、お前達がハリー・ポッター、そしてドラコ・マルフォイの息子であることに代わりはない。一生その事実と付き合っていくことになるのに、今からいちいちそんな輩を相手にしたところで無駄骨にしかならん」
「では、黙って耐えろと?」

 アルバスはわなわなと震えた。やはり、スネイプに人の情はないのだと思った。

「皆から馬鹿にされて、失敗を笑われて、仲間はずれにされて、遠巻きにされて。ホグワーツなんか大嫌いだ!」
「アルバス、もういいよ」

 レギュラスは小さな声で言った。

「僕が我慢すれば良かっただけなのに、君も減点されてごめんね」
「僕だってずっとやり返したいって思ってたんだから、なんてことない!」
「でも……でも、本当に許せなかったんだ。僕が悪口を言われるのは良い。でも、お父さんのことは……」

 レギュラスの声は尻すぼみに小さくなっていく。

「なんであんなひどいことが言えるの? お父さんは、なりたくて死喰い人になった訳じゃない……。僕だって、お父さんとお母さんを人質にされたら、死喰い人になるしかないもの……」

 レギュラスがポロリと涙をこぼした。しかしそれに気づくと、慌てて拭い取る。

「僕だってこんな状況なんだ。お父さん達は、きっともっと辛い目に遭ってる。そう思ったら、悲しくなっただけだよ」
「――スネイプ先生も、同じようなことは言われないんですか?」

 かける言葉が見つからなくて、アルバスはスネイプを見上げた。

「先生なら、レグの気持ちが分かるんじゃないんですか? 二重スパイとして頑張ってたのに、元死喰い人だって言われないんですか?」

 スネイプは躊躇ったよう視線を外した。

「我輩の場合は――戦いの後目を覚ましたときには、もうすでに二重スパイをしていたということが世間に知れ渡っていた。そのおかげで、裁判も滞りなく進み、無罪を言い渡された。それでもなお、突っかかってくる輩はいる。大抵一睨みでねじ伏せるが」
「僕らにはあなたのような凄みはないんです」

 冗談とも本気ともつかない顔で、アルバスは答えた。スネイプは顔を顰める。

「ならば、身につけるのみだ。他人にとやかく言われないくらいの魔法使いになれ。自分たちのことを気にして息子の成績が落ちる方が両親も悲しむだろう」
「…………」
「もういい。行け」
「罰則はないんですか?」
「やりたいのか?」

 意外に思って尋ねると、スネイプが聞き返してきた。アルバスは慌てて首を振る。

「もう行け。夕食を食べ損ねるぞ」
「……ありがとうございました」

 二人はぺこりと頭を下げ、研究室を出た。だが、このまま大広間に行く元気はなくて、二人はそのままブラブラする。

 アルバスは、黙ったまま考え込んでいた。先ほどのスネイプの言葉――。他人にとやかく言われないくらいの魔法使いになるには、一体何年かかることだろう。自分たちは、今この状況を何とかしたいのだ。悠長に待っていられない。

 今すぐ、この状況を根底から覆すような何かがあれば――。

「そうだ、デルフィーだよ!」

 唐突にアルバスが叫んだ。レギュラスは驚いて隣を見る。

「デルフィー?」
「うん! デルフィー、週刊魔女の記者だって言ってただろう? 彼女に、叔母さんとおじさんのことを書いて貰うんだ。なれそめとか、二人の間にあった出来事とか、いろいろ」
「そんなことをして何になるの?」
「分からない? 僕たちは、ドラコおじさんが悪い人じゃないって知ってる。なりたくて死喰い人になったわけじゃないことも。両親を盾にとられて、仕方なく死喰い人になって、でも、やっぱり叔母さんのためにヴォルデモートを裏切ったこと……。でも、皆は知らない。だから悪く言うんだ。だったら、全部知ってもらえばいい。僕らが知ってること全部、ちゃんと記事にして貰うんだ。皆におじさんは悪い人じゃないっていうのを知らしめるんだ!」
「でも、お父さんのことは蛙チョコのカードに載ってるよ? 皆知ってるんじゃないの?」
「情報が足りないんだよ!」

 アルバスはもどかしくなって語気を強くした。

「叔母さんのためにヴォルデモートを裏切ったってことしか分からないじゃないか。具体的に何をどうしたのか記事にして、信憑性を増すんだ」
「どうやってデルフィーに接触するの? 僕たち、デルフィーの名前くらいしか知らないよ」
「彼女は週刊魔女の記者だ。週刊魔女にふくろう便を送ればいい」

 レギュラスは、パチパチと瞬きをしてアルバスを見つめた。

「……僕、君に一生ついていくよ」
「よせよ」

 アルバスは苦笑いした。まだ何も行動は起こしてないが、何となく先の見通しがついたような気がした。