■呪いの子

13:大きな波紋


 結局、ハリエットからのきちんとした承諾を得られないまま、記事は完成してしまった。レギュラスは、あれから一度もハリエットに言い出せずにいた。

 アルバスが帰った後、ハリエットは、不自然なほど記事についての話題を口にしなかった。デルフィーに記事を頼むことになった経緯すらも聞かずに、まるでなかったことのようにされていたのだ。

 まるで、こちらからは何も聞かないから、私のことについても何も聞かないでと言っているかのように。

 レギュラスは、初めて母のことが分からなくなった。もし記事のことを口にすれば、自分の知らない母がもっと出てくるのではないかと思って、レギュラスもついいつも通りを装ってしまった。そしてそのまま、決断せねばならないときがやって来てしまった。

「結局、お母さんにちゃんとした承諾はもらってないけど――」
「大丈夫だよ」

 アルバスはなぜか自信ありげに言った。

「だって、これを読んで君の両親を悪く言う奴がいると思うかい? 本当によくできてるよ」
「……いるかもしれない」
「でもそれは少数だ」

 週刊魔女から記事が出されるのは、冬休み明け、一ヶ月後となった。なんてことないただの平日だ。それでも、アルバス達は期待に胸を膨らませる。

 当日の朝がやってきたとき、あまりにもたくさんのふくろうが大広間に飛び込んできた。どのフクウロも、飼い主を探すのではなく、彼らの遥か頭上を旋回し、ポトリ、ポトリと雑誌を落としていく。突然の事態に教師は立ち上がったが、逆に生徒の方は大興奮である。一体ふくろうが届けたかったのは何なのかと押し合いへし合い雑誌を覗き見る。

「いよいよだ」

 レギュラスは不安で一層顔を青白くさせていた。

「皆何て言うだろう? 逆効果だったらどうしよう?」
「信じるんだ」

 同じくアルバスも今にも死にそうな顔をしていた。今更ながら、自分たちのしでかしたことがとんでもないことなのだと気づき始めていた。
『なぜマルフォイ家嫡男がヴォルデモート卿を裏切るに至ったか?』
『ハリエット・ポッターとドラコ・マルフォイの間に何があったのか?』
 興奮した生徒が、表題を囁きながらレギュラスの方をチラチラと見る。読み終わった生徒の後ろから新たに腕が二本、三本、四本と出てきて、次から次へと雑誌を奪い取る。

「レグ……」

 不安そうな面持ちでアリエスが近寄ってきた。気の弱い妹は、意地悪なことを言ってくるスリザリンのテーブルには普段何があっても近づかないのだが、今日こそは違うらしい。

「これ、何なのかしら? お父さんたちのことが書かれてるけど……」
「僕たちが計画したんだ」

 アルバスが気を奮い立たせてニヤリと笑った。

「結構イカすでしょ?」
「これは一体どういうことだ?」

 そんなアルバスの前に、バサリと雑誌が置かれる。顔を上げずともわかる。――スネイプだ。

「お前たちの仕業か?」
「知り合いの記者に頼んで、記事を書いてもらったんです」

 スネイプは一瞬口をつぐみ、呆れたように深々とため息をつく。

「全くお前は……父親と似たようなことをしでかして」
「僕は父さんと違う!」
「全く同じことをしているではないか!」

 スネイプは雑誌を叩いた。

「これは、お前の両親も承諾済みのことか?」

 途端にアルバスは言い淀んだ。チラリと不安そうにレギュラスを見る。レギュラスは怯えたまま首を横に振った。

 スネイプは憤怒の表情で二人の首根っこを掴み、そのまま大広間を出た。ざわめく生徒と教師を残し、彼は適当な空き教室に二人を放り込み、壁際まで追い詰める。

「暴走するのは勝手だが、他人の領域に土足で踏み込んで荒らし、それを白日のもとに晒すとはどういうことだ?」
「他人じゃない! 叔母さん達のことが心配で、僕たちは――」
「傷口を抉るような真似になるとは思わないのか?」

 スネイプは囁くようにして言った。

「過去を掘り起こされて、誰がいい顔をする? 馴れ初めを聞くのは、家族の中だけでやってもらいたいものだ。それをこんな大事にして、どうするつもりだ?」
「大事にして何が悪いんですか?」

 アルバスは反抗的にスネイプを睨みつけた。

「これでおじさんが悪い人じゃないってことが明らかになる! 叔母さんを服従の呪文にかけたとか、叔母さんが死喰い人だとか、そんな噂だってなくなる!」
「他にどうすれば良かったんですか?」

 レギュラスもおろおろをスネイプを見る。

「僕たち、こうするのが一番良いって思ったんです。だから――」
「もうこんなことは止めるのだ」
「止めません」

 アルバスがツンを顎を上げた。

「最後までやりきります。皆だって続きが気になるはずです。最後まで書かないと、おじさんが悪い人じゃないってことが分からないままだ」
「それでいい――掘り起こすな、過去の傷を」

 スネイプは苛立ったようにその場を歩き回った。

「これを機に、世間の目が二人に向く。今後、二人の一挙一動が注目されるのだ。この記事には書かれないだろう過去のことまで暴かれる。その時に二人がどんな思いをするか分からないのか?」
「でも、これを読めば、大半の人が味方になってくれるはずです! 今までのは全部根も葉もない噂だって分かってくれる!」
「考えが甘い!」

 スネイプの怒鳴り声は教室中に響いた。しかしもうアルバスは怯えなかった。大広間を出るときに見た光景――好奇心と、好意的な視線が多くあるのを今更ながらに思い出したからだ。

「スリザリン五十点減点」

 スネイプは冷え冷えとした声を落とした。

「雑誌を余すことなく回収しろ。それがお前たちへの罰則だ」
「別にいいですよ」

 アルバスは肩をすくめた。

「父さん達も似たようなことをしたのは知ってます。ドローレス・アンブリッジが怒ってその雑誌を読むなって命令したことも。でも、規制すればするほど皆は読みたくなった」

 アルバスはレギュラスの腕を引いて教室の扉へ向かった。そして扉に手をかけて言う。

「先生のおかげで、明日には肖像画でさえ叔母さん達のことを全て知ることになると思います」
「一冊残らず回収するのだ」

 再びスネイプは言った。アルバスたちは軽く頭を下げて教室を出ていった。


*****


 雑誌の回収はおそらく滞りなくすんだ。アルバス達が大広間に戻ると、既に雑誌の回収は先生達によってなされていたからだ。だが、手元に集まった雑誌を見てアルバスはレギュラスと苦笑しあった。デルフィーに頼んだ部数とに明らかな差があったからだ。

 それからは、レギュラスはてんてこ舞いな生活を送ることになった。好奇心の塊の生徒たちが、しきりに話しかけてきて、しきりに続きを聞きたがったからだ。

 ちなみに、記事は前編、中編、後編とあり、今回はハリエット達が三年生までの出来事だ。ハリー・ポッターに次いで絶大な人気を誇るシリウス・ブラックの脱獄事件も絡めているため、生徒達はここで一気に引き込まれたようだ。

 とにかく、記事を読んだ生徒は『頑張れよ』とよく分からない鼓舞をレギュラスにしていくこともあった。相変わらずからかわれることもあったが、今やレギュラスは何も怖くなかった。両親のために何かできているという実感があったし、何より全てがいい方向に向かっていると信じることができたからだ。

 ただ、気がかりなのは家から山のように手紙が送られてくることだ。そのほとんどはもちろん記事についてを問う内容で、特にドラコからは厳しく説明を求められた。事前にアルバスと示し合わせていたため、『詳しくはイースター休暇のときに話す』とだけしたためた。

 まだ吠えメールが来なかっただけ良かったかもしれない。ハリエットやドラコにそんな気性はないが、シリウスとなると話は別だ。シリウスは、普段レギュラスやアリエスに糖蜜ヌガーのように甘々に甘やかしてくれるが、怒ったときは怖い。いつもは饒舌なのに、途端に無口になるので、普段とのギャップの差にレギュラスは一層縮こまることになるのだ。

 だからこそ――自分たちから言い出したこととはいえ――イースター休暇が近づくにつれ、レギュラス達は気が重たくなっていった。家に帰れば、怒った家族が出迎えるに決まっている。自分たちのしたことに後悔はないが、しかし怒られたり悲しまれたりするのや嫌だった。

「僕はこれから家族会議だよ」

 ホグワーツ特急のアナウンスが、キングズ・クロス駅に到着したことを告げた。

「アルバスも、迷惑かけてごめんね」
「いいや、僕が言い出したことだからね。それに、今は清々しい気持ちなんだ。ようやくおじさん達も偏見の目から解放されるって」
「アルバスとデルフィーには感謝してもしきれないよ。今度またお礼させて。僕にできることなら何でもするよ」
「蛙チョコカードが欲しいって言っても?」

 アルバスは悪戯っぽく尋ねた。レギュラスは口をパクパクさせ、まるでこの世の終わりのような顔をした。

「う……う……うん。もちろんだよ。ぜひもらって欲しいよ」

 ゆうに一分は悩み、ようやくレギュラスはそう言った。アルバスはクスクス笑う。

「冗談だよ。君の宝物を取り上げるようなひどい奴じゃないよ、僕は」
「でも、僕にとっては家族の方が大切な宝物なんだ。アルバスが蛙チョコカードの魅力に目覚めてくれて嬉しいよ……大切にしてね」

 レギュラスはその場でトランクを開け、中からアルバムを取り出した。これに慌てるのはアルバスの方だ。

「いや――ちょっ――! 大丈夫だって! 何にもいらないよ! やりたくてやったことだ! そのカードは君の――」

 不意にレギュラスは視線を上げ、ニヤリと笑った。からかわれたのだと思ったときにはもう遅かった。レギュラスはカラカラと小気味よく笑っていた。

「いつも僕をからかう罰だ」
「まさかレグに騙されるなんて……」

 アルバスは心から悔しそうな顔をしたが、同時に感慨深くもあった。天然で武装して周りをいつも疲弊させるレギュラスが、まさかこんな高度な技を身につけるなんて――。

 レギュラスのおかげで少しだけ元気が湧いたアルバスは、ギュッとトランクを握りしめ、ホームへと降り立った。

 九と四分の三番線を壁を抜けたところで、すぐに人だかりが目についた。

 言わずもがな、ハリー・ポッターたち有名人を囲う人々である。ただ、驚いたのは、闇の魔法使いヴォルデモートを倒したハリー・ポッター以上に、今日はマルフォイ夫婦が囲まれていたことである。

 人混みをかき分ける勇気もなく、ただただ二人がその場に立ち尽くしていると、先にハリーが子供たちに気づいた。唇を引き結び、人の波を縫ってアルバスへ近づいてくる。

「行くぞ」

 挨拶も何もない素っ気ない言葉に、アルバスは少しだけ恐れをなした。不安そうにレギュラスはを振り返れば、彼もまた心配そうにこちらを見つめている。

 ハリーはそのままアルバスの腕を引っ張った。ジェームズもいなければ、ジニーもリリーもいない。

「レグは?」
「レギュラスはドラコから話がある」

 それを聞いてアルバスは早速挫けそうになった。首謀者として、てっきりアルバスとレギュラス、二人一緒に話を聞かれると思っていたのに、まさか一人一人別々に、なんてのは思いもよらなかった。

 長年の慣れか、ハリーは握手を求めてくる人達をスイスイと躱す。キングズ・クロス駅にを出た後は、付き添い姿くらましでも漏れ鍋でもなく、ロンドンの街を早足に歩き始めた。

「家に帰るんじゃないの?」
「今からマグルのカフェに行く。漏れ鍋だと目立って仕方がないからな」

 言いながら、ハリーはとあるカフェの扉を押し開いた。ガラス張りのカフェで、外からも中からも見通しやすいカフェだ。――マグル界でも油断できない、闇祓いとしての経験がこういった場所を選ばせているのだろうかとアルバスはぼんやり思った。 
 迷いなくハリーが奥へ進むと、観葉植物の近くにポツリと女性が座っていた。

「デルフィー!」
「ハロー……」

 デルフィーはいつもの挨拶をしたが、その顔色は少し悪い。アルバスは申し訳なくなった。

「どうしてデルフィーがここに?」
「その理由はお前が一番よく分かってるだろう」

 ハリーは椅子に座りもせず言った。デルフィーが肩をすくめて二人に着席を勧めたので、一旦は話が中断される。

「どうしてあんなことをした?」

 ハリーはおざなりに飲み物を注文した後、またすぐに話を再開させた。

「自分が何をしたのか分かっているのか?」
「僕の話を聞きもせずに怒るの?」
「だからこうやって話し合いの場を作ったんじゃないか」
「レグがずっと苦しんでたんだ」

 アルバスはハリーの目を見ずに言った。

「死喰い人の子供だとか、継承者の子供だとか。でも、それは全部仕方なかったことじゃないか。レグは自分が悪口を言われるよりも、叔母さんやおじさんの悪口を言われる方が辛かったんだ」
「だからあんなことをしたのか? 二人が悪い人じゃないと?」
「皆は詳しいことを何も知らないじゃないか。だからあんな酷いことが言えるんだ。もし事実が明らかになれば、もう悪口を言われることはなくなる」
「許可なく勝手に記事を出したことは謝るわ。でも、私も二人と同じ気持ちなのよ。事実は事実として公表しないと。隠すから皆が勝手に都合のいいように想像するんだわ」

 デルフィーも割って入った。この加勢に自信を取り戻し、アルバスは真っ直ぐ父親を見た。

「僕は自分のしたことに後悔はないよ。デルフィーが力になってくれて本当にありがたいと思う」
「お前たちの気持ちは分かる。マクゴナガル教授やハリエットからもホグワーツでのことを聞いた。……だが、このやり方はいただけない。ハリエットとドラコのためを思ってやってくれたのは分かった。でも、もっと他にやりようがあったはずだ。こんな大事じゃなくて――」
「じゃあ他にどういうやり方があったの? 皆は何もして来なかったじゃないか! 父さんだって、叔母さんが辛い思いをしてるのに、何もしてないじゃないか! 英雄だって言われてるのに、叔母さん達を守ることもできないの!?」

 ハリーは黙ってアルバスを見つめた。その瞳の中には、様々な感情が溢れているように見えた。

「――私も、何も思わなかった訳ではない。だが、ゴシップに応えれば、かえって煽ることになりかねない。ハリエット達のためにも、私達のためにも、魔法省は関わらないようにしなければならないんだ」
「そんなのただの言い訳だよ」

 アルバスは吐き捨てるようにして言った。

「父さんは自分の評判が下がるのが嫌なんだ。だから叔母さんのことも助けないんだ」
「私も、あなたは少し冷たいと思うわ。妹さん達のためにも――」
「お言葉だが、マダム・オルガ」

 ハリーは顔を顰めてデルフィーを見た。

「これは私達家族の問題だ。口を挟まないでほしい」
「でも――」
「今日ここに来てもらったのは、もう二度と息子たちに近づかないでくれと言いたかったんだ。記事についても、今後一切掲載はなしだ」
「でも、こんな所で掲載を取りやめにしたら、皆は余計怪しむし、勘ぐるわ。やるなら最後までやらないと」
「これ以上大事になるくらいなら大賛成だ」

 ハリーは苛立たしげに髪をかき上げた。

「マダム・オルガ。これ以上私達の周りをうろちょろするなら、週刊魔女に圧力をかけることも厭わない」
「そんな!」
「父さん!」

 アルバスはテーブルの上に乗り出した。激しく父を睨みつける。

「僕がデルフィーに頼んだんだ。そんな言い方ってないよ!」
「ならお前が丁重に断るんだ。自分の考えが浅はかだったと」
「どうして叔母さんのこと記事にしちゃ駄目なの!? 理由を教えてよ! 父さんは取材だってたくさん受けてるじゃないか!」

 アルバスの剣幕に、ハリーは小さくため息をついた。

「……私とハリエットは、あまり記者に良い思い出がない。昔、リータ・スキーターに散々なことを書かれたと言っただろう」
「でも、父さんは喜んで取材を受けてるのに」
「私は喜んで取材を受けたことなど一度もないよ」
「じゃあ、どうして魔法界に父さんに関する本は十冊も二十冊もあるの? 父さんが取材でどう受け答えしたとか、どんな風な暮らしをしてるとか、どうして僕は学校で同級生にからかわれないといけないの?」
「――義務で取材を受けているだけだ。お前は気にするな。やっかむ子達については、無視すれば良い」
「義務? 取材を受ける義務って何? 有名人だから、取材も嫌々受けないといけないの?」

 アルバスは息を吸い込んだ。

「僕はデルフィーのこと信頼してるよ。父さんが記者を嫌いなのは勝手だけど、僕たちはちゃんと考えてデルフィーに頼んだんだ」
「ハリエットが嫌だと言っても、それでも記事を出すのか?」
「……そんなの分からないじゃないか」
「ハリエットは嫌だと言うぞ。必ず」

 ハリーはまるで脅すように息子を見た。

「私は、お前達よりもハリエットのことをよく分かっている」

 アルバスはムッとして眉を顰めた。胸の中を黒い感情が渦巻く。今はまだその正体が分からない。

「……僕のことは分からないのに、叔母さんのことなら分かるんだね」
「――アルバス」

 躊躇ったようにハリーは声を絞り出す。

「私は――私だって、お前のことを分かりたいと思ってる」
「じゃあ僕の好きにさせてよ」

 アルバスはすぐに返したが、ハリーは押し黙る。そのまま、何の返答も返ってこなかった。