■呪いの子
03:父親の妹
パンパンッ! と何かが小さく爆発するような音を聞いたとき、アルバスはしくじったと思った。初めて一人で煙突飛行ネットワークを使おうと思っていたのに、自分はこんなことも一人でできないのかと、半ば落胆の気持ちもあった。
だが、煤を払って前を見ると、パアッと輝かんばかりの笑みを浮かべるレギュラスが立っている。アルバスは目を白黒させた。
「いらっしゃい、アルバス!」
「レグ……今の音は?」
「クラッカーだよ! びっくりした?」
そう言うアルバスの手には、確かにクラッカーが握られている。
「全く、アルバスったら来るの遅いよ! もう一時間もずっと待ってたんだからね!?」
「だって、あんまり早く行くと迷惑になると思ったから……出迎えてくれるんなら、何時に来るか聞いてくれれば良かったのに」
「それじゃサプライズの意味がないよ!」
最もなことを言って膨れるレギュラスに、クスクスと笑いをこぼすのはハリエット・マルフォイである。
「レグったら、そんなこと言ったら可哀想でしょう? それに、そんなことばかり言ってたらアルバスと遊ぶ時間がどんどん減っちゃうわ」
「それは嫌だ!」
レギュラスは素直に叫び、もじもじとアルバスを見た。
「あの……アルバス、いらっしゃい」
「うん」
さっきも聞いたよ、とはアルバスは言わなかった。
「クラッカーからチェスが出てきたんだ。後で一緒に遊ばない?」
「いいよ」
どうにも二人の間に流れる空気はぎこちない。ホグワーツとは違って、二人きりではないからだろうか。
「二人共、緊張してるの?」
「まさか! お母さん……紹介するよ。アルバス・ポッターだ」
「ええ」
ハリエットも、甥なのだから知ってるわとは言わなかった。
「いらっしゃい、アルバス。久しぶりに会うわね。一年ぶりかしら? 確か、前に会ったのは夏くらいだったから……」
「多分そうだと思います」
アルバスもぎこちなく答えた。もう何度も会ってるし、叔母なのだから緊張することはないと思うのだが、父の妹だと思うと、どうにも肩に力が入った。
「三日間ゆっくりしていってね。アリエスもいるし、少し騒がしいかもしれないけど」
「僕の家よりは大丈夫だと思います」
「それもそうね」
ハリエットは苦笑をこぼした。思わずといった様子でこぼれるその笑みはレギュラスによく似ていて、アルバスは少しホッとした。
「アルバス、私は叔母なんだから、敬語を使わなくてもいいのよ。どうか普通にしてちょうだい」
「あの……うん、わかった」
アルバスは戸惑いながらも頷いた。まだぎこちなさは残るが、ここに滞在するうちに慣れるかもしれない。
ふと、美しい鳥の鳴き声がして、アルバスは何の気なしにそちらに目をやった。すると、途端に視界に紅が飛び込んできて、彼は目を丸くする。
どうして今まで気づかなかったのだろうか。大きな天然木でしつらえた止まり木には、美しい真紅の鳥がいた。
「うわー、本当に不死鳥がいる!」
「お母さんは嘘つかないよ」
「ううん、違う、違う。僕、ロンおじさんの冗談だと思ってたんだ」
アルバスは興奮してハリエットと不死鳥とを見比べた。
「触ってもいい?」
「どうぞ」
ハリエットが答えると、アルバスは恐る恐る不死鳥を撫でた。真紅の鳥はうっとりと目を瞑る。
「うわあ……あったかい……すごい」
「フォークスって言うのよ」
「フォークス……格好いい名前だ」
アルバスがあんまり長い時間をかけてフォークスを構うので、焦れたのはレギュラスの方だ。
「アルバス、僕の部屋に行こうよ! 一年でずいぶん集まった蛙チョコのカード・コレクションを見せてあげる! ようやくリーマスのカードもゲットしたんだ!」
鼻の穴を膨らませながら、レギュラスはグイグイアルバスの手を引っ張った。
「シリウスお爺ちゃんったら、これみよがしに僕にカードを見せびらかしてくるんだよ! 知ってる? お爺ちゃん、お母さんのカードを山ほど持ってるんだ。ハリー伯父さん並にレアなのに……。これが財力の差だよ」
レギュラスは何かを悟ったような顔で呟いた。
アルバスが連れて来られたのは、三階にある部屋だ。アルバスの部屋よりも小さいが、中は様々なもので乱雑していた。
「ほら、これ見てよ。集まったのはここにファイリングして、余ったのは箱の中にしまってあるんだ」
アルバスは引き出しの中から分厚いアルバムとハニーデュークスの大きい空き箱を床の上に置いた。二人は向かい合って腰を下ろす。
「ファイリングはお母さんが手伝ってくれた。油断してるとアリエスが持ってっちゃうから、必ず鍵をかけてるんだ」
アルバスは興味津々にペラリとアルバムとめくる。何かを収集する趣味はなかったが、有名人や身近な知り合いが、客観的な説明文付きのカードとなっているのを見るのはなかなかに興味深かった。
「カードにこんなに種類があるなんて思わなかったよ」
「だよね。第二次魔法戦争以降、そこで活躍した人たちがたくさんカードになったみたい」
レギュラスは箱からもカードを取り出した。
「時々グリフィンドールが羨ましくなるよ。グリフィンドールでは、寮内でカードの交換会があるらしいんだ。僕も参加したいけど、スリザリンだから……」
「ジェームズに頼めばいいじゃないか」
「ジェームズは駄目だよ。手数料を取られる。頼んだが最後、絶対悪戯に加担させられるんだから。僕、これ以上先生に目をつけられたくないよ」
――君じゃなくて、僕が目をつけられてるんだ。
喉元まで出かかった言葉を、アルバスは必死に堪えた。
カードに集中してる振りをして、暗い考えを追いやろうとしていると、ふと小さな物音が耳についた。アルバスは振り返り――そして、危うく悲鳴を上げかけた。小さく開いた扉の隙間から、亡霊のように少女がこちらを見つめていた。
「アリエス?」
「こんにちは……」
鈴が鳴るような高い声でアリエスが挨拶をした。レギュラスも振り返る。
「アリエス、起きてたの? まだ寝てるのかと思ってた」
レギュラスが手をこまねく。大人しくアリエスはすぐ側までやってきた。
「うるさいから起きちゃった」
「ごめんね、騒がしくて」
「ううん、レグの声しか聞こえなかったわ」
「だって、アルバスが家に来たんだもん!」
『レグの声はいつもうるさいわ』というアリエスの非難の声はほとんど聞こえていないようだった。
「ねえ、リリーは? リリーは来てないの?」
「リリーはお留守番だよ」
「一緒に遊びたかったのに……」
途端にアリエスはしょんぼりした。アルバスは慌てて続ける。
「今度うちにおいでよ。母さんがレグを呼べってうるさいんだ。アリエスも来れば良い」
「本当? いいの?」
「もちろんだよ」
「ありがとう!」
パアッとアリエスは顔を綻ばせた。レギュラスも嬉しそうに笑う。
「アルバスの家に行くのは久しぶりだね! うわー、楽しみだなあ。次の夏休みまでは待てないから、冬休みはどうだい?」
「そうだね。冬は父さん達も忙しいし……」
「忙しいの? じゃあ止めた方が良い?」
「ううん、忙しいからいいんだよ」
「ねえ、二人は何してるの? 私も混ぜて」
忙しいのに来ても大丈夫だと言う、その意味を問おうとしたとき、レギュラスよりも先にアリエスが口を開いた。彼女はにこにことアルバスの隣に座る。
「アルバスにカードを見せてるんだ。アリエスもコレクションしてるだろ? 見せたらどうだい?」
「ええ、持ってくるわ!」
座ったばかりなのに、アリエスはすぐに立ち上がり、パタパタと部屋を出て行った。アルバスは別に、それほど蛙チョコのカードが好きなわけではないが、どうやらこの兄妹は、アルバスにコレクションを見せたくて堪らないようだ。
「持ってきたわ! アルバス、見て! 私もたくさん集めてるのよ!」
「僕の所から持って行くことが集めてるって言うのなら、そうだね、その通りだよ」
珍しいレギュラスの嫌味だが、アリエスは聞こえない振りをした。普段はのほほんとしている兄妹だが、カードに関しては遠慮なく火花を散らす間柄らしい。
「お母さんが一緒にまとめてくれたの。可愛いでしょう?」
アリエスのアルバムは、女の子らしく色とりどりのシールでまとめられていた。それを見れば、アリエスが誰を好きかは一目瞭然だった。ハリエットやドラコのカードにはたくさんハートのシールがペタペタ貼られていたし、シリウスには犬のシール、ハリーやロン、ハーマイオニーには、キラキラ光る魔法がかけられていた。あまりにも煌びやかなので、時折こちらを覗くカードの人物達は、眩しそうに目を細めている。
カードの下には、アリエスの字で彼女なりの説明書きもなされていた。たとえば、ハリエットだとしたら『大好きなお母さん!』、ドラコは『格好いいお父さん!』、シリウスは『楽しいお爺ちゃん!』、ハリーは『優しい伯父さん!』などなど――。
ハーマイオニーの『とっても頭が良い!』はともかく、ロンが『面白いおじさん!』と称されているのには、アルバスも思わず噴き出してしまった。
思いのほか二人のアルバムを見るのは楽しくて、あっという間に時間は過ぎ去った。気づけばお昼になっていて、三人はハリエットに呼ばれた。クリーチャーが腕を振るった料理ができあがったのだ。
ジェームズという問題児がいないマルフォイ家の食卓は、今までと打って変わって穏やかに過ごせるだろう――そう思っていたアルバスは、見事に裏切られることになった。
まず、レギュラスがとことんお喋りだった。アルバスと一緒にいるときでさえ、その口は留まることを知らないのに、家族の前では一層舌が回るのだ――長男は騒がしいお喋りだというのは、どの家も共通なのだろうかと本気で思ったくらいだ。レギュラスの、本気とも冗談とも取れる発言に、ハリエットとアリエスは常時クスクスと笑っていて、アルバスはごく自然と肩の力を抜いていた。
昼食を終えた後は、クリーチャーが焼いたクッキーを摘まみながら、軽くお茶をした。その頃には、アルバスはすっかりマルフォイ家に馴染んでいた。
「二人とも、午後は何して遊ぶの? 買い物でも行く?」
「どうする? アルバス」
アルバスはしばらく考え込んだ。
「うーん、買い物か……」
「箒は乗らないの?」
アリエスは身を乗り出した。
「レグ、ホグワーツで箒を習ってるんでしょ? 私、レグの後ろに乗ってみたいわ」
「まだ二人乗りは危険よ」
「箒は……うん……いいかな」
上の空にレギュラスは言葉を濁した。チラチラ視線をアルバスに送っている。――アルバスが箒を苦に思っていることを気にしているのだ。
アルバスはしばらく悩んだが、意を決してハリエットを見た。
「叔母さん……箒が苦手だったっていうのは本当?」
ハリエットは驚いたように瞬きをした。
「本当だけど……誰から聞いたの? ハリー?」
ハリエットの声色からは、気分を害した様子は見られなかったが、それでもアルバスは申し訳なさそうな顔になる。まずいことを聞いてしまった気分だ。
「マダム・フーチから……」
「ああ、なるほど、フーチ先生ね」
ハリエットは途端に懐かしさに破顔した。マダム・フーチの名に、思い出が湧き水のように溢れて来たのだ。
「そう、私、本当に箒が苦手だったの。同級生の子が箒から振り落とされるのを見るわ、今度は逆に自分が箒から宙吊りになるわで、あまりにも怖くなって、一メートルくらいしか飛べなかったの」
「箒ってそんなに怖いの?」
アリエスがぶるぶる震えながら尋ねた。ハリエットは慌てて首を振る。
「楽しい人にはもちろん楽しいわ! 私は、たまたま不運が重なって、箒を苦手に思っちゃっただけ。周りにはハリーに教えてもらったらどうかって言われたけど、ハリーはクィディッチの練習で忙しそうだったし……それに」
ハリエットは恥ずかしそうに笑った。
「ちょっとだけ、嫌だったのよね。群を抜いて上手なハリーと自分が比べられるの。私のせいでハリーが馬鹿にされるのも嫌だったし。だから、ドラコに――お父さんに教えてもらうことにしたの」
「グリフィンドールとスリザリンなのに?」
横からひょこっとレギュラスが顔を出した。ハリエットは首を傾げた。
「寮はあまり気にしてなかったわ。誰かにこっそり教えてもらおうって必死だったから。周りにバレたくなかったの」
「……僕も、うまくなれるかな」
思わずとアルバスが呟いた言葉は、その場の誰もが拾い上げた。ハリエットは笑顔で頷く。
「もちろんよ。飛んでみたいって気持ちがあれば、ちゃんと飛べるようになるわ。――そうだ、もし嫌じゃなかったら、明日シリウスと遊んであげて。最近運動不足だってボヤいてたの」
「お爺ちゃん、箒上手なの?」
「上手よ。おまけに身体を持て余してるから、きっととことん付き合わされると思うけど」
「お父さんは? お父さんは明日休みだよね? 一緒に遊んでくれるかな?」
アルバスに便乗して、レギュラスも尋ねた。
「特に何も聞いてないから、頼んだら遊んでくれるんじゃないかしら」
「やったあ!」
レギュラスは拳を握った。アリエスはつまらなさそうに兄を見た。
「私も箒に乗りたいわ……」
「お爺ちゃんか、お父さんの箒だったらいいわ。レグのは駄目よ。まだ危ないから」
「ええ、分かったわ!」
母親から了承を得、途端にアリエスは喜色を浮かべた。パチパチと手を叩く。
「じゃあ、今日は箒に乗らないのね? 私、今から買い物に行かないといけないんだけど、お留守番できる?」
「できるわ!」
アリエスは元気一杯に手を挙げた。いつもはいち早く一緒に行くと答えるアリエスだが、今日は兄たちと共に家に残って遊ぶことの方が魅力的のようだ。
「大丈夫だとは思うけど、危ないことはしちゃ駄目よ。お利口さんにしていてね」
「ええ!」
アリエスが元気よく返事をしたので、ハリエットはクリーチャーに後を頼むと、屋敷を出て姿くらましをした。