■呪いの子

31:それぞれの夜


 ホグワーツ校長室は、溢れんばかりの人で一杯だった。八人の大人は所狭しと校長室の壁際に身を固め、申し訳なさそうな顔をしたアルバスとレギュラスは部屋の中央に立っている。二人の前には、怒れるマクゴナガルが立っていた。

「確認しましょう。あなた達はホグワーツ特急から許可も得ずに飛び降り、魔法省に侵入して盗みを働き、それを勝手に使って時間を変え、それで自らをも消してしまったと――」
「確かに、あまりいい話では無いみたいです」

 アルバスが控えめに相づちを打ったが、今のマクゴナガルには意味をなさなかった。

「そして、レギュラスとアリエス・マルフォイを消してしまったことに対する対応は、自分たちがしたことをなかったことにすることだった……。しかしこれに懲りるどころか、三度目に過去へ介入した結果、二人どころか、大勢の人が失われ、自分の父親まで殺してしまった――そのせいで、魔法界始まって以来の闇の魔法使いを復活させ、闇の魔術の新しい時代を招じ入れてしまった。……あなた達二人は、自分たちがどんなにおろかだったか、お気づきですか?」
「はい、校長先生」

 レギュラスは項垂れた。アルバスは一瞬躊躇い、父親を見る。

「はい」
「ミネルバ、一言良いか――」

 シリウスは堪らず声を上げたが、マクゴナガルは厳しい顔で首を振る。

「よろしくありません。あなた方が保護者として何をしようと、それはあなた方の問題です。しかしここは私の学校で、この子達は私の生徒ですから、どういう罰則を科すかは、私が選ぶことです」
「妥当ですな」

 悔しそうに引き下がるシリウスを横目に、スネイプは頷いた。

「本来ならあなた達を退校処分にすべきなのでしょうが」

 マクゴナガルはハリエットをチラリと見た。

「いろいろ考え合わせますと、二人を私の保護の下に置いておく方が安全だと思います。外出禁止です。今学年一杯禁止だと考えてよろしい。クリスマス休暇は無しです。ホグズミード行きも二度と無いと思いなさい。これはほんの手始めです」
「左様。嘆かわしいことに、問題を起こしたのは我が寮生だ。校長、我輩も罰則を課してもよろしいですかな?」
「良いでしょう」

 眉間の皺を僅かに緩め、スネイプは口角を上げた。まるで玩具をもらった子供のようだ。

 この時ほど、自らがスリザリンだったことを後悔したときはないかもしれないと、レギュラスとアルバスは震え上がった。二人の肩に手を置き、シリウスはスネイプを睨み付けて威嚇したが、『寮監』の名の下にシリウスの攻撃は霧散した。

「ただし、ほどほどに頼みますよ。やり方は間違っていたにせよ、たちの悪い噂を無くそうとした意図は気高いものです。それに、あなた達は勇敢だったようですね、レギュラス、それにアルバス、あなたも。ただし、教訓は――あなたのお父様でさえ、時には聞き入れなかったことですが――勇敢さは愚かさを帳消しにしてくれないということです。常に考えることです。何が可能かを考えるのです。ヴォルデモートに支配された世界は――」
「ぞっとする世界です」

 レギュラスが静かに答えた。

「ええ、そうでしょう。あなた達二人は向こう見ずでした。この世界は……何人もの人が多大な犠牲を払って築き上げ、維持してきたものなのです」
「はい、先生」
「行きなさい。逆転時計を探して持ってくるのです」


*****


 ハリーとアルバスは、ホグワーツの無数にある空き教室の一室にいた。とっくに消灯時間は過ぎており、教室の外には何の気配もない。

 アルバスはそわそわと教室の中を見回し、ハリーはというと、しきりに口を開け閉めしていた。どこから――何から話したものかと考えあぐねているのだ。

「アルバス」

 ハリーの第一声は少し枯れていた。

「私がお前に言ったあのことは――許せないことだった。お前に忘れてくれとは言えないが、私はお前にとってもっと良い父親になるように努力する」

 アルバスは黙ったままだ。ハリーは緊張の面持ちで続けた。

「私は……アルバス・セブルス・ポッター、お前の父親であることが怖くて堪らないんだ」

 ようやくアルバスが顔を上げた。ハリーは小さく笑ってみせる。

「何の手がかりもなく進まなければならない。普通は基準となる自分の父親がいる――それを模範とするか、反面教師にするかだ。私には、私達には何もなかった――ほとんどなかった。だから私は学習中なんだ。いいね? 私は持てる力を全部注いで努力する――お前にとって良い父親になれるように」

 アルバスは躊躇いがちに頷いた。

「僕も良い息子になれるように努力するよ。父さん、僕はジェームズじゃない。父さんやジェームズのようには絶対になれないけど――」
「ジェームズは私に似てはいないよ」
「違うの?」
「ジェームズは何でも簡単にやってのける。私が子供の頃は、いつもジタバタしていた」
「僕もだ。それじゃ、父さんは……僕が……父さんに似てるって?」

 ハリーは笑みを深くした。今息子とこんな話ができていることが嬉しくて堪らなかった。

「子供達の中で、お前は一番父さんに似ている。だが、実は、お前は母さんの方にもっと似ている。大胆で、激しくて、ひょうきんだ――そういう所が好きなんだ。そういう所が、お前をとても素晴らしい息子にしていると思う」

 心の奥底から何か熱いものが込み上げてきて、アルバスはもう何も言えなかった。下を向いた顔は暑くてたまらなかった。

「アルバス、お前が脱走したおかげで、お前の心が分かった。スリザリンでもグリフィンドールでも関係ない。お前にどんなレッテルが貼られようと、お前の心が善良だと。友達のために、誰かのために動ける子だ。ただ……これだけは分かって欲しい。お前は、お前達は、私達をとても心配させたんだ。母さんはお前の部屋を、家を出たときと同じにしておいた――知ってるか? 父さんを入れてくれないんだ。誰も入れようとしない――お前は母さんをどんなに怖がらせたか――父さんもだ」

 ハリーは改めてアルバスと向き直った。

「もう私達に心配をかけないと誓ってくれるな? 何かあったら、私達に相談するんだ。いいな?」
「分かったよ、父さん」

 アルバスは素直に頷いた。眼鏡の奥の、明るいグリーンの瞳が自分にだけ向けられる。アルバスはそれがくすぐったくて、下を向いて何度も頷いた。


*****


 ハリエットとドラコ、そしてレギュラスの三人は、スリザリン寮にやって来ていた。逆転時計はまだ見つからないが、消灯時間を過ぎてしまったので、そのままハリエット達は息子を寝室まで送り届けに来たのだ。

 ベッドに横になると、毛布を掛けられ、疲れたでしょうと頭を撫でられ、優しく微笑まれ。

 レギュラスは感極まって涙をこぼした。

「ごめん……ごめんなさい……心配かけて」
「レグ……」

 ハリエットはハンカチでレギュラスの涙を拭ったが、涙は次から次へと溢れてくる。

「僕、お父さんとお母さんのことが心配であんなことして……でも、やっちゃいけないことだった。過去は変えちゃいけなかったし、皆に心配をかけるべきじゃなかった」
「お前の気持ちはとても嬉しかった。記事のことも、今回のことも、全て私達を心配しての行動だ……」

 ドラコは息子の頭を撫でた。

「ただ、私達は――自分の噂よりも、お前が傷つくような目に遭うことが何より怖い。お前を失うことの方が怖い。それは分かるな?」

 レギュラスはこくりと頷いた。ハリエットは泣きそうな顔で微笑み、息子の額にキスをした。

「レグ、本当に無事に帰って来てくれて良かった……」
「でも……でも、お母さん」
「どうしたの?」
「僕、一度目の世界では……秘密の部屋が開かれなかった世界では、お父さんとお母さんは、とても幸せに暮らしてたって聞いたんだ。僕たちは生まれなかったけど……二人ともちゃんと結婚して、子供もいて、魔法界も平和で……僕たちがいなければ、中傷記事も出てなかった。嫌な噂もない。お父さんとお母さんは……」

 レギュラスの震え声は、尻すぼみに消えていく。ハリエットの顔から笑みが消え、悲しげな表情になった。

「私達にとって何が幸せか――それをレグに決めつけられるのは、少し不服よ」

 レギュラスは怯えたように母親を見上げた。

「今の私には、レグとアリエス、ドラコとシリウス、そしてクリーチャー。五人が私の大切な家族なの。確かに、私が継承者でなかった世界では、私達はまた別の形で幸せに生きているのかもしれない。でも、継承者でもなければ、ドラコとの関わりもなかった世界の私は、それはもう、今の私とは全くの別人だわ。ここでの私の幸福と、その世界での私の幸せ、それを比べられても困るもの」
「レグ」

 おろおろとするばかりの息子に、ドラコは堪らず声をかけた。

「分かりにくいかもしれないが、お母さんは今怒ってるんだ。自分の幸せを、他でもないレグに否定されたような気がして」
「……でも……」
「レグ」

 ハリエットも少し溜飲を下げ、レギュラスの手を握った。

「あなたが純粋に私達のことを大切に思ってくれているのは分かってるわ。でもね、レギュラスとアリエス――二人は私達の大切な宝物よ。私、今とっても幸せなの。だから自分の存在を否定しないで」
「……うん……ごめんなさい……」
「さあ、もうおやすみの時間よ。明日も朝から逆転時計を探さないといけないんだから。レグ、おやすみなさい」
「おやすみなさい……」

 レギュラスはもごもごと挨拶をした。父親によく似た眉はへにゃりと垂れ下がり、彼は不安そうな顔を毛布を目の下まで引っ張り上げることで隠した。