■呪いの子

33:影のような女


 朝方、ヘドウィグに叩き起こされたハリエットとドラコは、彼女が携えたハリーからの手紙を読んで血相を変えた。それによると、ハリーは再び夢を見、アルバスとレギュラスが寝室を抜け出したのが分かったという。ハリーの夢は一度当たっているし、何だか胸騒ぎもする。

 年を重ね、動きが鈍くなったヘドウィグを家で休ませたまま、二人は慌ててホグワーツへ駆けつける。

 スリザリンの談話室まで行くと、丁度そこでハリーとジニー、そしてマクゴナガルと落ち合った。

「レグとアルバスは? 本当にいないの?」
「いない。もぬけの殻だ」
「そんな……一体どこに?」
「先生方を集めて、ホグワーツ中を捜索しましょう」
「助かります」

 マクゴナガルは厳しい顔で出て行ったが、ホグワーツに二人がいないことは、この場の皆、薄らと理解していた。

「忍びの地図は?」
「どこだったか――ああ、ロンに預けたままだ」

 四人は急いでロンの自宅へ向かった。だが、自宅はもぬけの殻だった。おそらく魔法省に出勤したのだろうと、足早にハーマイオニーのオフィスに押しかけると、やたらと顔の距離が近いロンとハーマイオニーがいた。二人はパッと離れた。

「ハリーにハリエット……それにジニーとドラコも。一体どうしたの?」
「夢を見た。また悪夢が始まった……というより、まだ終わっていなかったんだ」
「アルバスがいないの、また」
「レグもよ。マクゴナガル教授に学校中を捜索してもらったのに、二人ともいないの」
「闇祓い達をすぐに集めるわ。そして――」

 ハーマイオニーはすぐに険しい顔になったが、ロンはきょとんとしながら彼女の肩を叩く。

「いや、そんなことしなくていい。大丈夫だ。僕は昨日の夜、二人を見てる。何も問題ない」
「どこで見たの!?」

 五人が一斉にロンを見た。ロンは少し呆気にとられるが、何とかいつもの調子を取り戻す。

「僕は――ま、君たちもよくすることだろうけど――ホグズミードでネビルとファイアウィスキーを引っかけていた。それで、帰り道――相当遅かった。かなり遅い時間で、僕はどの煙突を使って帰るかを考えていた。一杯飲んだ後はあまり狭い煙突はよろしくないし、曲がりくねったのも――」
「ロン、早く要点を言いなさい。さもないとコウモリ鼻糞の呪いをかけるわよ」

 ジニーが怖い顔でポケットに手を突っ込んだ。ロンはゴクリと喉を鳴らす。

「二人は逃げ出したんじゃない――安らぎの時を過ごしていたんだ――年上のガールフレンドもいた」
「年上のガールフレンド?」

 ハリーは訝しげに聞き返し、ハリエットはぽっかりと口を開けてドラコと顔を見合わせた。レギュラスはもう十四だ。そろそろ好きな人くらいできる年頃だろうが、無邪気な笑顔で抱きついてくるレギュラスとガールフレンドがあまりうまく結びつかない。

「しかもいかす美人だ――豪華なシルバー・ヘアで、屋根の上に一緒にいるのを見た。ふくろう小屋の近くで、レギュラスが二人の周りをうろうろしていた。あいつは空気が読めなくて駄目だ――」
「失礼な。レグがお邪魔虫だったとでも言うのか?」
「まさにその通り」

 気分を害したドラコとは裏腹に、ロンはニヤリと笑う。

「僕の愛の妙薬がうまく効いているのを見るのは気分が良かった。今度レギュラスにもプレゼントしてやるからそう拗ねるな。お子ちゃまなレギュラスには持て余す代物かもしれないけどな」
「お前の魔法薬の腕前で作ったものをレグに渡すのは止めてもらいたい。それに愛の妙薬だと? 学生時代それでひどい目にあったのを覚えてないのか?」
「あれのおかげで私はラベンダーと別れられたし、可愛い奥さんへの気持ちにも気づいた。まさに愛の妙薬様々だよ」

 ロンがうっとりとハーマイオニーに顔を近づければ、ハーマイオニーはツンと澄まして彼の頬をつねった。

「髪は――シルバーとブルー?」

 ハリエットは呑気な会話に割って入ってロンに詰め寄った。

「ああ、そうさ。シルバーとブルーだ」
「デルフィーニ・オルガよ」

 ハリエットは血の気を失った顔でポツリと呟いた。

「二人には近づくなと私は彼女に釘を刺したし、アルバスにもそう伝えたはずなのに」

 ハリーは静かに首を振った。

「週刊魔女に行こう。デルフィーを探すんだ」


*****


 ハリーとハーマイオニーの存在は大きかった。部外者ではあるが、その肩書きで皆は恐れおののき、所長自ら対応してくれたからだ。だが、そこで得られた情報は芳しくなかった。むしろ、目の前が暗闇に覆われたかのようだった。

「デルフィーニ・オルガ? そんな記者はいません」
「今更しらを切るのは止めてもらいたい」

 イライラを堪え、ハリーはできるだけ柔らかい声を出すように努めたが、そのせいで肝心の言葉にまで頭が追いつかないようだった。

「確かに私は雑誌を回収するようきつくお願いはした。デルフィーを辞めさせたのはトカゲの尻尾切りのつもりだったのだろうが……私はそんなことを望んでいた訳ではない。雑誌を回収しようともしなかったあなた達の印象は今後どうあっても上がることはないだろう」

 所長はへなへなと眉を下げた。怖い顔をした母親、父親に囲まれ、すっかり威厳をなくしている。

「だが、今は状況が違う。息子達の身が危ないかもしれないんだ。これまでのことは一旦全て忘れようと思う。大人しく答えてくれ――デルフィーはどこだ? 一時はここで働いていたんだ、家の場所くらい知っている者もいるだろう」
「本当に……何のことやら見当もつきません」

 だが、ハリーの詰問にも、所長は困ったように首を振るばかりだ。

「じゃあ、あの記事は誰が書いたと言うんだ! ハリエットとドラコの記事は!」
「あれは、リータ・スキーターが書いたものです」

 今度はハリー達の方が呆気にとられる番だった。思いも寄らない名前に、しばし茫然とする。

「スキーター?」
「でたらめよ。スキーターが人を持ち上げるような記事を喜々として書く訳がないわ。あの女はゴシップの方が大好物じゃない」
「ですが、事実そうなのです。ある日リータ・スキーターが特ダネを持ってきたと記事を見せてきて……何でも、あなた方の息子さんに話を聞いたとか」
「リータ・スキーターには気をつけろと口を酸っぱく言ってきたんだ。あの子達がスキーターと接触する訳がない」

 そもそも、デルフィーが週刊魔女に在籍していなかったというのも疑問の一つだった。

 ハリーは一度、確かに週刊魔女でデルフィーに会ったという。だが、所長に見せてもらった職員の記録を見ても、デルフィー二・オルガという女性はおらず、魔法省に問い合わせても、同じことだった。彼女はまさしく影のように形がない。

「リータ・スキーターは今どこに?」
「あいつに会うのか?」

 ハリーの言葉に、ロンがうんざりした顔になった。

「今あいつに会えば、大好物の甘い樹液を目の前に垂らすようなもんだぜ。むしゃぶりつくして、木の皮まで食べ尽くすに決まってる」
「でも、手がかりはスキーターしかいない。デルフィーの居場所を聞くんだ」

 だが、案内された部屋に、スキーターの姿はなかった。スキーターは、週刊魔女お抱えの記者ではないので、今も特ダネを探して飛び回っているそうだ。

 スキーターの部屋は、オーク材の化粧板が張られた簡素な部屋だった。大きなトランクと数枚のローブが居住まい悪そうに立てかけられている。ろくに私物もないので、スキーターの居場所もデルフィーの正体も分からなかった。

「二人はきっと結託してたんだわ。協力者だったのよ」

 ジニーは部屋の中を見回しながら言った。

「まずハリエットとドラコの記事を書いて二人に注目を浴びせて、その後で突き落とす。スキーターのやりそうなことよ」
「でも、あの女は回りくどいことは嫌いよ。目の前の餌にはすぐ飛びつくスキーターが、数ヶ月もかけて記事を出し惜しみする訳がない――ただ、協力者だったという点には私も同意よ。きっと、デルフィーの方がスキーターよりも一枚上手だったんでしょう。ただ、そうなると――デルフィーが、ハリエットとドラコに悪意を持っていたことは否めなくなるわ」

 すうっと背筋が冷たくなる気がした。ハリエットは知らず知らず唇を噛みしめる。

「デルフィーは、あなた達の家に来たことはあるの?」
「記事が出る前に、一度」
「ボガートを忍ばせるには絶好の機会ね」
「でも、家に来たのは冬休みの一度きりよ。それ以来デルフィーは来てないわ」
「あなた達が知らないだけかもしれないわ。一度家に呼んだんだもの、二度、三度とレギュラスが呼んでもおかしくない」

 ハリエットは落ち着かない様子で両手を握りしめた。

 ハリエットにとって、ボガートの事件はただの悪戯では済まされない出来事だ。何度か会っただけだが、少なくともデルフィーは、分別のある大人に見えた。そんな彼女がハリエットにボガートをけしかけたのだとしたら――見えてくるのは純粋な悪意だけだ。

「じゃあ、デルフィーが二人をさらったの?」
「分からない。少なくとも、自ら二人がデルフィーに会いに行かなければ、デルフィーがホグワーツから二人を連れ出すことは不可能よ。その先は分からないけどね」

 あなた達にとてつもない心配をかけたあの子達が、昨日の今日で家出するとは考えられないし、とも彼女は付け足した。

 ハーマイオニーのフォローでも、ハリエットは不安を拭いきれずにいる。家出だと言われた方がまだマシだったかもしれない。少なくとも、二人の周りには明確な悪意を持った人はいないのだから。

「スペシアリスレベリオ! 化けの皮、剥がれよ!」

 唐突にドラコが叫び、杖を振るった。皆が一斉にドラコを振り返る。

「デルフィーを見つけ次第、問い詰めればいい。だが、今は子供達が先決だ。何も分からないのだから、この部屋が何かを暴露してくれるのを期待するほかない」

 ドラコはハリエットの肩に手を置いた。ハリエットは小さく頷いた。

「どこかに何か隠してないかしら。殺風景な部屋だわ」
「板壁だ、板壁に何か隠してあるかもしれないぞ」
「もしくはベッドだ」

 ドラコはベッドを、ジニーはランプを調べ、残りの者たちは壁を調べ始めた。

 ジニーが石油ランプのガラスの筒を外した。その瞬間、息を吐くような音に続き、人の声のようなシューッという音が聞こえてくる。全員が声のする方を振り向いた。

「今のは何?」
「これは蛇語だ」

 ハリーは困惑しながら言った。

「ヴォルデモートが死んでからは、蛇語を理解することができなくなっていたが……」
「――なのに今は分かる。以前は傷跡も痛まなかったわよね?」

 ハリーとハーマイオニーの会話に、今更ながら皆がゾッとする。ハリーは徐に口を開いた。

「こう言ってる。『オーグリーよ、よく来た』。部屋に開け、と言う必要があるんだと思う……」
「ハリー、できる?」

 ハリーは目を閉じ、蛇語を話した。その途端、部屋の様子が変わり始め、次第に暗く、陰鬱な雰囲気になっていく。壁の上に、たくさんのヘビがくねっている絵が浮かび上がってくる。

 絵の上には、発光する文字で、予言が記されている。
『英雄の妹の意志が挫かれ、時間が逆戻りし、見えない子供達がその父親達を殺すとき――闇の帝王が戻るであろう』
「これはなんだ?」
「予言だわ。新しい予言……」
「レギュラスの話を聞くに、『英雄の妹』というのはハリエットを指すとしか考えられないわね」
「時間が逆戻りするとき――デルフィーは逆転時計を持ってるんだ。そうだろ?」

 全員が顔を曇らせた。

「きっとそうだわ」
「でも、どうしてアルバスとレギュラスが必要なんだ?」
「私が父親だからだ」

 ハリーが表情を強ばらせたまま答える。

「彼女は何者だ? この予言になぜ執着してるんだ?」
「答えを見つけたと思うわ」

 ドラコの問いには、ジニーが答えた。皆が彼女を振り返る。

 ジニーは上を指差していた。皆の顔が一層曇り、恐怖を浮かべる。
『私は闇を蘇らせる。私の父を取り戻す』
「まさか、彼女が……」
「そんなことが、一体――可能なの?」
「ヴォルデモートに娘がいた?」

 全員が文字を見上げたまま蒼白になっている。

「いや――いや、まさか、それだけはあり得ない」

 茫然としてハリーは呟いたが、ハリエットには分かっていた。今なお自分にとって最悪な記憶を植え付けるあの女が、デルフィーの母親なのだと。