■呪いの子

35:終着した世界で


 アルバスとレギュラスは、気づけばまたホグワーツに立っていた。だが、今は時間が違う。ついさっきは深夜だったというのに、今は太陽の昇る昼だ。

「ここはいつの時代? 戻ってきたの?」
「分からない。でも、とにかく言えることは、彼女を止めないといけない」
「私を止める? どうやって止めるつもりだ? もうたくさんだ」

 デルフィーは、二人のすぐ側に立っていた。徐に掲げた逆転時計を、忌々しげに呪文を放つ。時計は破裂して易々と粉々になった。

「ハリエット・ポッターを使って世界を暗くするというチャンスはお前達が台無しにしてくれたようだ。しかし、レギュラス、お前が正しいかもしれないな――予言は回避できるかもしれないし、破れるかもしれない。一つ確かに言えるのは、お前達みたいな面倒で無能力な奴らを使うのはもうたくさんだということだ」

 デルフィーは箒も無しに宙に舞い上がり、満足そうに高笑いしながらたちまち遠ざかっていく。少年達は一瞬唖然とし、それから後を追おうとするが、到底追いつけない。向こうは空を飛び、こちらは走っているのだから。

「駄目だ……駄目だ、こんなことって……」

 レギュラスは地面に膝を突き、逆転時計の破片をかき集めようとした。だが、それはもはやただの残骸でしかなかった。

「逆転時計が……破壊された?」
「めちゃめちゃだ。僕たちはここから動けない。この時間から動けない。僕たちがどの時間にいるにせよ、あいつが何を計画しているにせよ」

 アルバスは必死になって辺りを見回した。

「ホグワーツは同じ姿みたいだ。でも、僕たちは姿を見られてはいけない。ここから離れよう」
「アルバス、デルフィーを止めないと」
「分かってる――でも、どうやって?」

 二人は途方に暮れて顔を見合わせた。


*****


 顔見知りの多いホグワーツから離れ、アルバスとレギュラスは、マグル界のアビモー駅に来ていた。駅長から少し離れた場所で、二人は不安そうにコソコソ話をする。

「僕たちのどっちかが、あの人に話しかけるべきだと思わないか?」
「よし、じゃあ僕が行くよ」

 レギュラスはやる気満々で歩きかけた。すんでの所でアルバスが彼の腕を捕まえる。

「待って。なんて話すつもりだい?」
「え? 『駅長さん、こんにちは! 今日は良い天気ですね。ちょんと質問があるんですけど、今は西暦何年ですか? あと、シルバーブロンドの空飛ぶ魔女がここを通り過ぎませんでしたか』って――」
「レグ……あの人はマグルなんだぞ」

 アルバスは天を仰いだ。引き留めて良かったと心から思った。

「……お母さん達、心配してるだろうな」

 レギュラスが不意にポツリと呟いた。アルバスもその寂しげな口調につい釣られる。

「僕たちが意図的にこんなことをやったって思われたらどうしよう。きっと父さんはそう考える」
「そんなことないよ。昨夜仲直りしたって言ってたじゃないか」
「そんなこと一言も言ってないよ! ただ、父さんのことがちょっと分かった気がするって言っただけだよ」
「君と伯父さんのことは理解に苦しむよ」
「そりゃなかなか理解できないよ。父さんはかなり複雑だから」
「……えーっと、アルバス? 僕が言うのもなんだけど……君、それ本気で言ってるの? ハリー伯父さんだけが複雑で、君はそうじゃないって言うの?」

 決まり悪くなってアルバスは斜め上を向いた。レギュラスにこんなことを言われるなんて心外だ。だが、躊躇いなく頷けないのもまた事実。

「とにかく、現状だけを考えよう」

 珍しくレギュラスが真剣な顔になった。

「まず僕たちには杖がない。箒もない。僕たちの時代に帰る手段もない。あるのは知恵と――ああ、でも僕には知性の欠片もないらしいから期待しないで――うん、アルバスの知恵だけだ。君の知恵だけで、デルフィーを阻止しないといけないんだ」
「ないない尽くしじゃないか」
「おめだち、オールド・リーキー列車、遅れでんの、知ってっか?」

 突然、強いスコットランド訛りで駅長が話しかけてきた。彼は時刻表を指しだした。

「おめさんだち、オールド・リーキー列車のごと待ってんだらば、遅れでんのわがってだ方がいいべ。この路線は今工事中だ。修正された時刻表だべ」

 反射的にそれを受け取り、アルバスは時刻表に見入った。みるみる彼の表情が変わる。

「……今僕らがどこにいるか分かった」
「すごいや。今の言葉が理解できたの?」
「日付を見てよ。時刻表の」

 言われるがまま、レギュラスは読んだ。

「一九八一年の十月三十日、ハロウィーンの前の日だ。でも、それが――ああ!」

 レギュラスは思い当たって顔を曇らせた。

「僕たちのお祖父ちゃん達が亡くなった年だ。赤ん坊のお母さん達が襲われた日……ヴォルデモートの呪いが彼自身に跳ね返った瞬間。デルフィーは予言を実現しようとしてるんじゃない――防ごうとしてるんだ、僕があんなこと言ったから!」
「『闇の帝王を打ち破る力を持った者が近づいている……』」

 アルバスは思い出しながら言った。

「『七つ目の月が死ぬとき、帝王に三度抗った者たちに生まれる……』」
「デルフィーは、予言を破るつもりだ。僕が予言の論理自体が怪しいって言ったから――」
「あと二十四時間で、赤ん坊のハリー・ポッターを殺そうとしたヴォルデモートの呪いが自分自身を呪う。デルフィーはそれを止めさせようとしている。ハリー・ポッターを、彼女が殺すつもりだ。ゴドリックの谷に行かなくちゃ!」


*****


 二人は、何とかゴドリックの谷間でやって来た。こじんまりした村は、賑やかで美しい。

「ここがゴドリックの谷?」

 アルバスは独り言のように呟いた。

「伯父さんは一度も連れてきてくれなかったの?」
「いや、何度かそうしようとしたけど、僕が断った。レグは?」
「僕はあるよ。一年に一度、皆でお祖父ちゃん達のお墓参りをするんだ」

 レギュラスは胸を張った。

「じゃあ僕が説明してあげるよ。まずはあれが教会だ、聖ジェローム教会」

 彼の指差した方向に、教会が見えてきた。

「壮大だね」
「あっちにはお母さん、ハリー伯父さん、お祖父ちゃん達の像があるんだよ」
「父さんの銅像があるの?」
「赤ちゃんの頃のだけどね。そしてこっちが、ジェームズとリリー、そしてお母さんと伯父さんの家――」

 レギュラスは指差した格好のまま固まった。若く魅力的な男女が、赤ん坊を乗せた乳母車を押しながらその家から出てきたのだ。思わず二人の方に近づいていこうとするレギュラスを、アルバスは慌てて止めた。

「レグ、あの人達は僕たちを見てはいけない。もうこれ以上『時』を乱してはいけないんだ。今回こそしちゃ駄目なんだ」
「でも……」

 見ている間に、若い夫婦はどんどんこちらに近づいてくる。二人は慌ててベンチの陰に身を寄せた。

「ジェームズ、いい加減二階でハリーを箒に乗せるのは止めて。ハリエットとぶつかったら大変でしょう」
「いや、僕も気をつけてるつもりなんだけどね。ハリーの飛行技術は本当に素晴らしい。僕の手をすり抜けて二階へ行ってしまうんだ。将来は偉大なクィディッチ選手になるぞ!」
「またそんな子供みたいなこと言って……」

 美しく、優しそうな赤毛の女性は呆れたようにため息をついた。お母さんの若い頃を見ているようだ、とレギュラスは思った。

「ハリエットは、きっとリリーみたいな美人に育つ! 心優しく、まるで聖母のような女の子になるに決まってる!」
「ああ、もう、ちょっと静かにして。ハリエットが起きちゃったわ」

 赤い髪の女の子が、乳母車の中でゆっくり動き始めた。ハシバミ色の瞳を眩しそうに細めながら、小さな手を母親へと伸ばす。

「ままあ……」
「良い子ね。パパがうるさくてごめんなさいね」

 妻の愚痴にもジェームズは意に介さず、懐からウサギのぬいぐるみを取り出した。つぶらな瞳のウサギはひとりでに腕を伸ばし、ハリエットの手を握る。

「ほうら、ハリエット。ウサギさんだぞ」
「ぱーぱ」

 ハリエットが笑うと、ウサギもにっこり笑った。ジェームズはそのままハリエットにぬいぐるみを渡した。ハリエットはハリーと自分との間にウサギを横たわらせ、一緒に仲良く眠ろうとした。

「どうして持ってきたの? マグルに見られたら大変じゃない!」

 リリーは小声でジェームズに詰め寄った。ジェームズはどこ吹く風で肩をすくめる。

「ハリエットはこのぬいぐるみがお気に入りだからね。ぐずったら出そうと思ってたんだ。ほら、ハリエットは私があやしてるから、リリーはゆっくりしてると良い」
「全くもう」

 なおもブツブツ言いながら、リリーはそれでもジェームズと肩を並べながら歩いた。乳母車はジェームズが押し、時々子供達を覗き込んでは、幸せ一杯だという顔で笑っている。

 二人はやがてアルバス達の二つ先のベンチにたどり着く。

「おや、ハリーも目を覚ましたのかい?」

 ベンチに腰掛け、ジェームズは乳母車を覗き込んだ。ハリーは毛布の中でジタバタし、何とかして乳母車から脱出しようとしている。

「悪い子だなあ。また逃げだそうとしてるのかい?」

 ジェームズは懐からタバコを取りだし、ふかして見せた。器用に煙で輪を作り、宙にポッと送り出す。ハリーはキャッキャッと笑い声を上げた。

「ジェームズ、あなた分かってる? それしてるときのあなた、最高に間抜けな顔をしてるわよ」
「ハリーが喜んでくれるならそれで充分だよ」

 ジェームズは笑ってふかし続ける。リリーは呆れたように、でも嬉しそうに微笑む。

「そうね。最高に間抜けで、最高な父親だわ」
「リリー……!」

 ジェームズとリリーは微笑み合った。そのすぐ側には、煙を掴もうと手を伸ばす男の子と、ぬいぐるみと一緒に穏やかに眠りにつく女の子がいる。

「……平和だ」

 アルバスは小さく呟いた。

「デルフィーはまだ来てないんだ。僕たちは間に合った」
「それじゃ、これからどうする? デルフィーは手強いよ。何か準備しないと」
「そうだね、肝心な所を考えてなかった。さあどうしよう。どうやって父さん達を守ろうか?」
「お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに危険を知らせる?」
「子供達が育つのを見届けられないだろうって教えるのか?」
「でも、お祖母ちゃんは強い人だ。大丈夫だよ」

 アルバスは辛そうな顔で首を振った。

「でも、駄目なんだ、どうしても。お祖母ちゃんはヴォルデモートに子供達の命乞いをしないといけないし、子供達が死ぬかもしれないと思うことも必要なんだ」
「ダンブルドアだ。ダンブルドア先生はまだ生きてる。あの人を巻き込もう。僕がスネイプ先生と一緒にやったことをやるんだ」
「僕の父さんが生き残るって、ダンブルドアに知られてしまう危険を冒すのか? レグ、本当に駄目なんだ。君がスネイプ先生と接触しても異変が起こらなかったのは、君が別の未来の中にいたからだ。今の僕たちはそうじゃない。ここは過去の世界だ。時を弄ったら、未来ではもっとたくさんの問題が起こるかもしれないんだ」
「じゃあ、僕たち――未来に伝言を送らなきゃ。そうだ――そうだ!」

 レギュラスは急に大きな声を上げた。

「未来には、逆転時計がもう一つあるじゃないか! それも五分間なんて制限のない本物が! お祖父様が持ってた逆転時計だ!」
「でも、僕たちにはタイムトラベルできるふくろうはいない。どうやって伝言を送るって言うんだ?」
「記憶を送ろう」

 名案が思い浮かんだとばかり、レギュラスはパッと表情を明るくした。

「憂いの篩みたいに、赤ん坊の後ろから覗き込んで、伝言を送るんだ。まさにそれを受け取るべき時に、お母さん達がその記憶を思い出すように。まあ、うまくいかないかもしれないけど……でも、赤ん坊の後ろから覗いて、繰り返し叫ぶんだ。助けて、助けて、助けてって」
「赤ん坊がトラウマになるぞ」
「ほんの少しね。僕たちが危機に瀕していることを知って、お母さん達は突然思い出すかもしれない。赤ん坊の頃、自分に向かって叫んでる顔を――」
「助けてって?」

 レギュラスは真面目な顔でアルバスを見た。

「良いアイデアじゃない?」
「君のアイデアの中でも最低の部類に入るよ」

 話し合いが頓挫してしまったとき、どこからか小さなくしゃみのような音が響いた。若い夫婦の方からだ。

「大変だ! ハリーがくしゃみをした!」
「くしゃみくらいするわよ。でも心配ね。寒いのかしら」
「もう一枚毛布を持ってくる!」

 慌ただしくジェームズは家の中に飛んでいき、そしてあっという間に戻ってきた。

「ありがとう」

 ジェームズから毛布を受け取り、リリーはハリー、ハリエットの上から優しく毛布を掛けた。ハリエットはすやすや眠ってされるがままだし、ハリーは二重の毛布を更に嫌がったが、上手なリリーにより肩まで毛布に包まることになった。アルバスはそれをじっと見つめている。

「赤ちゃん用の毛布だ。父さんがいつも言ってた――母親からもらったものはこれだけだって。見てよ、お祖母ちゃんの優しい顔。父さんに教えてあげたいな」
「僕もお母さんに教えてあげたいな。お祖父ちゃんはシリウスお爺ちゃんみたいに面白い人だし、愛情深い。お祖母ちゃんは、お母さんにそっくりで、強そうな人だ」
「物理的な意味じゃないよね?」
「精神的な意味に決まってるじゃないか」

 アルバスのからかいの言葉もレギュラスはろくに耳に入ってきていないようだった。アルバスはふと気づく。

「レグ――父さんは今でもあの毛布を持ってる」
「……あの毛布に伝言を残そうってこと? 駄目だよ、今書き込みをしたら、どんなに小さい文字でも、君の父さんが読む『時』が早すぎることになる」
「愛の妙薬について何か知ってる?」

 唐突にアルバスが尋ねた。

「僕は、父さんと学期が始まる前の晩に口論した。僕は毛布を投げ飛ばして、ロンおじさんがくれた愛の妙薬の瓶に当たって、薬が毛布一面に広がった。それ以来、母さんは父さんを部屋に入れてないし、何も触らせなかった。たまたま僕はその事実を知ってる」
「うん」
「それで、まもなく父さん達の時間帯でも僕たちの時間帯でもハロウィーンの夜がやってくる。父さんが僕に言ったけど、ハロウィーンの夜には必ずハリエット叔母さんと集まるんだって。毛布を取り出して」

 アルバスは考え込むレギュラスを縋る思いで見つめた。レギュラスは魔法薬学が大好きだ。それが得意に繋がるかはさておき――アルバスよりも圧倒的に魔法薬についての知識が豊富なのは確かだ。

「愛の妙薬は――いろいろだけど、主に真珠でできてる」
「真珠の粉に反応する薬品は?」
「えーっと、デミガイズのチンク液と真珠の粉が合わさると……燃える、と言われてる」
「それで、デミなんとかのなんとか液って言うのは見えるの?」
「デミガイズのチンク液だよ」
「何でもいいよ!」
「見えないよ」

 レギュラスはちょっとふて腐れて答えた。

「それなら、毛布にデミなんとか液で書き込めば、そしたら愛の妙薬に触れるまでは反応は起きない。僕の部屋、現在だ。後は探すだけだ。どこにあるかな……デミなんとかは」

 アルバスは立ち上がった。そしてキョロキョロ辺りを見回す。

「もう時間がない。ひとまず近くの魔法使いの家から杖を二、三本盗むしかないよ。魔法薬を作らなきゃ」
「でも、どれが魔法使いの家かは分からないよ。あ、でも、僕、一人だけ知ってるかもしれない。バチルダ・バグショット――」

 レギュラスはやけになってバチルダ・バグショットの家の戸に手をかけた。ドアは勢いよく開いた。

「……僕、君のこと尊敬する」
「アルバスにそんなこと言われるなんて! 照れるじゃないか」
「行こう。君には魔法薬も作ってもらわなきゃ。もう組み分け帽子に知性の欠片もないなんて言わせるな!」