■呪いの子

38:少年達の企み


 とある寒い冬の時期、二人の少年は、毎日のように漏れ鍋に入り浸っていた。冬休みだからこそその所業は許されるのだろうが、しかし、なけなしのお小遣いをはたいてバタービールを一本だけ注文し、何時間も居座る様からは、違和感しかない。店主のトムは気の良い男なので――しかも二人の子供の両親とは知り合いだ――少年達の行動は咎められることはなかった。

 何が楽しいのか、彼らは毎日顔を突き合わせ、すぐ側まで行かなければ聞こえないほどの声量で話をしている。毎日毎日、何をそんなに話すことがあるのかと呆れるくらいだ。

 とはいえ、ほとんどの者が彼らのその会話内容には興味を持たない。いや、『彼ら自身』には大いに興味がある。だが、年端もいかない子供の会話には、さして興味は湧かないのが普通だ――。

 『彼ら自身』は、彼らが思っている以上に有名なので、二人のこの日課は当然のように噂になった。家族は呆れて、『毎日漏れ鍋で何をしてるんだ?』とか、『折角帰ってきたんだから、私達ともお話しましょう?』とか、『クィディッチをするってお爺ちゃんと約束しただろう!』とか、いろいろなことを言われたが、少年達は意に介さない。朝起きれば彼らは姿を消していて、朝早くから漏れ鍋に陣取っているのだから、家族も呆れるばかりだ。

 今日も今日とて騒がしい漏れ鍋。喧噪の中、小さな羽音があったとしても、誰も何も気づかない。

 ――と、唐突にかくれん防止器が鳴り始めた。客の視線が集まる中、レギュラスは慌ててローブのポケットにそれを押し込む。

「全く、お父さんも変なものをくれるよ。こんなの、へ――へ――ヘボじゃないか。いつも場違いなときに鳴るばっかりだ」
「同感だね。父親ってのは、総じて変なプレゼントしかしない。父さんなんか、古びた毛布だよ? 誰が欲しいと思うんだろう」

 すっかり底をついたジョッキを、アルバスはテーブルの隅にグイッと押しのけた。

「ところで、何の話だっけ?」
「ハリー伯父さんと君がまた喧嘩したって話」
「ああ、そうだった。あの人、僕になんて言ったと思う? 『お前は年々スリザリン生らしくなっていく。嫌味っぽくて、暗くて、意地悪。どうしてグリフィンドールじゃないんだ』って。父さんはスリザリンへの偏見がひどい。スリザリンに入ったアルバス・セブルス・ポッターなんか、息子じゃないんだ」
「そりゃひどいよ! そんな……そんなことを言う父親なんて!」
「魔法界にとっては素晴らしい英雄でも、僕にとっては素晴らしい父親でも何でもなかったって訳さ。……君の所は?」
「へ?」
「君も家出してきたって言ったじゃないか」
「あ、あう……僕は……その」

 レギュラスは周りの目を窺うように声を潜めた。

「あの……えっと……『お前には知性の欠片もない』って……どうしてレイブンクローじゃないんだって」
「……そりゃひどい。レグにレイブンクローの性質を求めるなんて!」
「僕はスリザリンに入りたくて入ったのに、レイブンクローは嫌だよ……別にレイブンクローが嫌いな訳じゃないけど……」
「その上、君、勘当を言い渡されたんだろう? もう家に帰ってくるなって」

 レギュラスは泣きそうな顔になった。うじうじと下を向く。

「うん……うん……僕、嫌われたみたい」
「最低だ」

 アルバスは低い声で言い捨てた。レギュラスはビクッと肩を揺らす。

「でも、レグ。おかげで良いことを思いついたよ」
「良いこと?」
「うん」

 頷いて、アルバスはローブのポケットから小さなガラスの広口瓶を取りだした。中には怪しい粉末が二センチほど積もっている。

「これを使うんだ……」
「これは……何?」

 ゴクリとレギュラスは喉を鳴らす。アルバスがちょいちょいと手招くと、レギュラスがテーブル越しに身を乗り出した。

「これはね――ああ、待って。羽音がうるさいや」

 テーブルに止まったコガネムシを、アルバスはいとも容易く捕まえた。そして小瓶に押し込み、コルクで蓋をする。

「アスフォデルの球根の粉末さ」

 流れるような手つきだった。アルバスは自分の所業に頓着もせず答えた。

「君も何の材料か分かるだろう? これで父さん達に安らぎの水薬を作れば良い。二人とも最近は仕事でお疲れ気味だ。なに、君の魔法薬の腕前さえあれば、あっという間に作れる」
「それは良い考えだ!」

 レギュラスはパッと笑みを浮かべて手を叩いた。テーブルに置かれたガラス瓶の中で、大きな太ったコガネムシはジタバタと醜く暴れている。

「じゃあ、やることはやったし、そろそろ家に帰るかい?」
「そうだね、これから行く所もあるし……」

 言いながら、どんどんレギュラスの顔は暗くなっていく。

「もうすぐ冬休みも終わりかあ。お爺ちゃん達とクィディッチする約束してたのに」
「すっかり手間取らされたよ。嫌だな、まだ魔法薬学の課題が残ってる」
「僕なんか、魔法薬学以外のほとんどの課題が残ってるよ」

 レギュラスがため息をつくと同時に、ガラス瓶がゴトンと倒れた。コガネムシが瓶から逃げだそうともがいた末の出来事だ。

 アルバスはニヤリと笑ってレギュラスに視線を戻す。

「じゃあ良いこと教えてあげるよ。変身術の課題が何だったか覚えてる?」
「うーん」

 それすら覚えてないのか、レギュラスは首を傾げた。アルバスはニヤニヤしたままだ。

「アニメーガスだよ」
「ああ、そうだったね」
「レポートのヒントを教えてあげる。今世紀、魔法省の登録簿に載ってるのは七人だけだ」
「七人しかいないの?」

 レギュラスは驚いて聞き返した。アルバスは曖昧に微笑んだ。

「でも、それはあくまで『登録されてる』アニメーガスの数だ。実際の所はどうだろう? 自分の望んだアニメーガスでなかったり、犯罪に使おうと企む人たちは、登録なんてしようと思うはずもない。実際は、かなりの魔法使い、魔女がアニメーガスのはずだよ。自分から登録に行かない限り、バレることはないんだから、当たり前だよね。――僕はね、アニメーガス状態の魔女が、ガラス瓶の中で生活するっていう内容のレポートを書こうと思うんだ」
「随分と悪趣味だね」
「じゃあ君はどういうのを書きたいの?」
「うーん……僕は……やっぱり」

 レギュラスはチラリとガラス瓶を見やる。

「未登録アニメーガス、ついに発覚! っていうレポートを書きたいかな」
「そのままじゃないか!」

 アルバスはケラケラ笑った。ガラス瓶を抱え、立ち上がる。

「じゃあ、そのレポートをちゃんと書けるよう、今から魔法省に行かなくちゃ」

 ぶんぶん羽音を鳴らし、コガネムシが暴れ回る。触覚の周りの模様が、誰かの眼鏡にそっくりだ。

「この瓶にはね、『割れない呪文』をかけてるんだ。君にとっては、身に覚えのありまくる呪文かな」

 羽音が止む。コガネムシは大人しくなった。

「父さん達にはこのこと内緒だったけど、唯一ハーマイオニーおばさんには協力してもらったんだ。呪文の練習にも付き合ってもらったよ。本当は自分が捕まえたい所だけど、次は僕たちの番だからって」

 レギュラスもガラス瓶を覗き込む。その瞳には激しい怒りが燃えている。

「よくもお父さんとお母さんを苦しめたな? 次は君が苦しむ番だ! 自分の記事のせいで苦しんできた人たちのことを思って、アズカバンで反省するんだ!」

 ガラス瓶を乱暴に引っつかみ、少年達は漏れ鍋を出た。いつもは夕方まで粘るのに、と店主のトムは物珍しそうにそれを見送る。

 レギュラスは店の外で杖腕を上げた。あっという間に目の前に夜の騎士バスが現れる。中から徐に車掌のスタン・シャンパイクが現れた。

「ナイト・バスがお迎えに来ました。お望みの場所までお連れします」

 スタンの定例文句に頷き、二人は声を合わせた。

「魔法省へ!」

 その声は、実に自信たっぷりで、清々しく、そして生き生きとしていた。

 そして道中、二人はうんとコガネムシに聞かせてあげた。彼女か知りたくて堪らなかったポッター家とマルフォイ家の内情について。

「お生憎様、僕はもう父さんと仲直りしたよ。冬休み、クィディッチを教えてもらうって約束を僕が破っちゃったから、ちょっと拗ねてるみたいだけど、でも、事情を話したらきっと分かってくれる」
「僕だって、勘当なんかされてない! 家族皆仲良しだよ。週に一度は手紙でやり取りするんだから!」

 レギュラスは興奮のあまり鼻を膨らませ、そしてアルバスを見た。

「そうだ! 冬休み最終日、皆でクィディッチをしようよ! この人のせいで冬休みが潰れたけど、ちゃんと楽しまなきゃ!」
「でも、レグ、君は宿題を片付けないとだろう?」
「うっ……で、でも、お母さんに言ったら何とかなるかもしれない……お母さんは、学生時代ハリー伯父さんの宿題も手伝ってたって言ってたし……」
「うわあ、父さん、叔母さんに宿題手伝わせてたの? ちょっと……意外……」
「アルバス、ちょっと手伝ってよ。夜、両面鏡でヘルプを送るから、ちょちょいと君の知恵で――」
「お爺ちゃんはそういうことのために鏡を僕らにくれたんじゃないよ」
「蛙チョコあげるからさ……」
「君と一緒にしないで欲しいな。僕はお菓子なんかでは釣られない」
「じゃあ、お母さんから聞いたハリー伯父さんの話をしてあげるから……」
「えっ!」
「こういうのには食いつくんだね?」
「別にそういう訳じゃ……父さんはあんまり昔話をしないから」
「君からねだれば良いじゃないか。ハリー伯父さんも待ってるよ」
「そ、そうかな……」

 何だか甘ったるくなってきた空気に、コガネムシは暴れるが、ハーマイオニー直伝の『割れない呪文』は破れない。

「そういえば、この前早速例の本を読んだよ」
「本当!? どうだった?」
「正直、あの人の記事よりも良かった」

 聞き捨てならない台詞に、コガネムシは動きを止めた。

「だって、あの人のとは違って、ちゃんとした証人がいるんだもんね?」
「父さんにロン伯父さん、お母さんにお爺ちゃん、ナルシッサさんにロングボトム先生、フレッド伯父さん、ジョージ伯父さん、ルーピン先生、オリバンダーさん、アバーフォースさん、それにスネイプ……先生まで」
「あまりにも豪華な証人達だよね。それに何より、執筆者が魔法大臣!」

 レギュラスはうっとりとため息をついた。

 スキーターによる中傷記事が出てから、心ない批判を浴びることになったマルフォイ一家だが、それは、魔法大臣ハーマイオニーによる、ハリエットとドラコの歴史とも言える本が出版されたことで、徐々に収束しつつあった。ハーマイオニーが筆を執ったのは、彼女なりの推測と論理があったからだ。
『最初のハリエット達の記事は、確かに内容はしっかりしてるけど、証言者もいないし、それに、中途半端のまま終わったから、その後のスキーターの記事のせいで埋もれてしまってるわ。ただ、スキーターの記事が出たことによって――癪ではあるけど――もう私達に後ろ暗いことは何もない。だって、ルシウス・マルフォイがハリエットにリドルの日記を与えたことは、もう皆知っていることなんだもの。それなら、その事実を踏まえた上で――ちゃんとした証言もあわせて――改めて今本を出版すべきだと思うの。それによって、父親のしたことによって、ドラコがどう感じたか、なぜハリエットを助けようとしたのか、その行動に納得がいくようになる。より説得力が増すはずよ。今こそ、二人が拉致の後もどう魔法界を生き延びていたのか知ってもらうの』
「ハーマイオニーおばさんには頭が上がらないよ」

 しみじみというレギュラスに、アルバスはにっこり微笑んだ。

「本当に読み応えのある本だったね。手に汗握る展開だった。やっぱり見所は拉致の後の展開だもんね!」
「でも、あの……ちょっとやり過ぎ感は否めないけどね?」

 レギュラスは控えめに声を上げた。

「お母さん、少し困ってたよ。『どうしてもハリエットと結婚したいならわたしを倒してからにしろ!』なんて台詞はお爺ちゃんは言ってないし、自分を巡ってハリー伯父さんとお父さんは一騎打ちなんてしてないし、ましてや『親友としてハリエットを簡単に渡せない!』ってロンおじさんとお父さんがチェス勝負したなんて知らないし、『どちらがよりハリエットのことを知ってるか勝負よ!』ってハーマイオニーおばさんがお父さんに宣言したなんて聞いたこともないって……」
「そうだったんだ?」
「そうだよ。フレッドおじさんとジョージおじさんにこっそり逢い引きの手はずを整えてもらったこともないし、ルーピン先生に『シリウスには内緒にしておいてあげる』って言われたこともないし、アバーフォースさんに『俺の店で何いちゃついてやがる!』なんて叫ばれたことはないし、オリバンダーさんに『あなた達の杖は、恋人杖と呼ばれるもので……』なんて言われたこともない。ましてやスネイプ先生に『ドラコをよろしく頼む』なんて言われたこともないって」
「ふうん、本当に?」

 アルバスはさして気にした様子もなくのほほんと相づちを打つ。内容が面白ければ、第三者としてはこの反応が普通なのかもしれない。

 他にも、ハリエットが『ちょっとやり過ぎね』と称する箇所は山ほどあった。脚色のしすぎで、もはや全く別の人の話になっていたのだ。とはいえ、ロマンス有り余るこの話の方が、世の魔女たちには大受けだったのもまた事実だ。

 ――あなたはどうしてドラコなの?

 その台詞が魔女達の心に響き、身体を震わせたのは言うまでもない。ハリエットはというと、その台詞に心当たりがありすぎて違う意味で震えた。同じマグル生まれの魔法使い、魔女ならば、一度は耳にしたことのある台詞だろう……。なぜそんな大作の台詞を引っ張ってきたのか、ハリエットは羞恥と恐れ多さで未だ聞くに聞けない。

 本の出版は、ハリエットの周囲にも影響を与えた。特に、本当の出来事を知っているはずのモリーでさえ、本を読み終えたとき、涙を浮かべながら『二人の結婚式に出られた私はなんて幸せなんでしょう!』と言い始める始末。

 ハリエットとドラコは、ハーマイオニーに任せきりだったことをこの時ほど後悔した瞬間はないという。

「とにかく、まあ、今は平和だってことでしょ?」

 アルバスは適当にまとめた。あまりに雑なまとめ方だが、間違ってはいない。

「……うん、そうだね。皆、お父さんとお母さんに好意的になってきたんだ」
「じゃあ、後は悪者が捕まるだけか。この幸せをぶち壊さないよう、誰かさんにはしばらくアズカバンに入っていてもらわないと」

 瓶の中のコガネムシは震えた。いつかの悪夢の再来だと――いや、あの時以上だ。この少年二人は、容赦も情けもなく、ただただちっぽけなアニメーガスのコガネムシがアズカバンに入ることを望んでいるのだ。

 コガネムシは必死に羽ばたいて説得を試みたが、もはや言葉も話せないアニメーガスでは、アルバスとレギュラスには届かない。

「何か言いたいことでもあるの?」
「誰かを傷つける記事しか書いてこなかった君が?」
「被害者は、君に文句を言いたくてもできなかった」
「ただ黙って泣き寝入りするしかできなかったんだよ」
「その無力さと悔しさを、君もアズカバンで味わうんだ」

 アルバスが冷たく言い放つと、ようやくコガネムシは大人しくなった。

 ナイト・バスがようやく止まったのを感じ、アルバス達は立ちあがった。ガラス瓶を引っつかみ、元気よくバスから降り立つ。

「さあ、レグ、行こう。一仕事終えた後の母さんのご飯はきっとおいしいはずだ」
「――バタービールはしばらく飲みたくないけどね」

 そんな会話をしながら、アルバスとレギュラスは、仲良く魔法省へと向かった。

呪いの子 完結