■呪いの子

09:記者の女性


 漏れ鍋について早々、皆はバラバラに別れることになった。ジニーはジェームズとリリー、アリエスを連れ、シリウスはアルバスとレギュラスを連れ、そしてハリエットはハリーに声をかけた。

「ハリー、少し話をしましょう?」

 ハリーは少しだけ嫌そうな顔をした。何を言われるのか、長年の勘で分かるらしい。しかしハリエットは彼を離さなかった。

「私達はここで少し休憩してるわ。皆も用事が終わったらここへ戻ってきて。アリエス、ジニーの言うことをよく聞くのよ。レグ、勝手に誰かについていかないようにね」

 皆が出て行くと、ハリエットはバタービールを二本注文し、隅の席に陣取ったハリーの元に戻ってきた。ハリーは奥側の席に座り、誰が店の中に入ってきても見えるようにした。

「ハリー……アルバスのことで悩んでるのね?」
「見ていれば分かるだろう?」

 ハリーは疲れたようにため息をついた。

「アルは、家で箒の話をされるのを嫌がる。一緒に箒に乗ろうと誘っても、見向きもしない」
「どうして箒が嫌なのか、アルバスに聞いた?」
「箒のほの字も言えないくらいなのに、どうやって聞けと?」

 ハリエットはバタービールを一口飲んだ。

「この前、アルバスが私に聞いてきたの。一年生のとき、箒が下手だったのは本当かって」
「アルの奴……」
「からかうために聞いてきたんじゃないわ。ハリーと比較されて悲しくなかったのかとか、負担に思わなかったのかとか聞かれたの。……親が二人共箒が上手だったから、アルバスは余計劣等感を抱いたのかもしれないわ」

 ハリエットは黙り込むハリーを見つめた。

「アルバスも、箒が嫌いなわけじゃないわ。クィディッチも楽しそうにしてた。でも、あなた達の家となると、話が別なんだわ。気恥ずかしいって言うのもあるだろうし、何より皆クィディッチが上手だから……。だから、いきなり皆で、なんてのはハードルが高いと思うわ。まずは、ハリーとアルバス、二人だけで練習してみるとか」
「私は嫌われてる」

 ハリーは短く答えた。ハリエットは眉を下げる。

「態度だけが全てじゃないわ。素直に甘えられないだけよ」
「ハリエットは、アルが普段私にどんな態度で接してるか知らないんだ!」

 急にハリーが声を荒げ、ハリエットは目を瞬かせた。我に返ったハリーは辺りを見回しながら、声を潜める。

「私だって人間だ、傷つくときもある……」
「でも、一度二人で話さなきゃ、ずっとこのままだわ。私からもアルバスに言ってみるから、ハリーも――」
「……君は昔からそうだ。何もかもお見通しのようなことを言う」

 ハリーは肩をすくめた。

「時々、まるで聖母のようだと思うことがある。最後の最後で君だけがスネイプを信じ、ドラコの本質を見抜いた。――君には普通の人には見えない所が見えるんだろう。私にはきっと一生分からないだろうけどね」
「……何が言いたいの?」
「君には、息子と仲良くするなんて簡単なこと、どうして私にはできないんだと思っているんだろう」
「……そんなこと思ってないわ」

 ハリエットは眉を顰めた。しかしハリーは気にせず続ける。

「君は正しいよ。今まで間違えたことなんてない。癇癪を起こした私を宥めるのは、いつも君の役目だった。面倒だったろう? イライラを周りに当たり散らす兄がいて」
「ハリー、あなた疲れてるの?」

 ハリエットは困惑よりも先に心配が勝った。

「今日は何だか変よ」
「生憎と、私はいつもこんな調子だ」

 ハリーは一点を見つめたまま言った。

「いつも自分に自信がない。親を知らないのに、どんな風に接していけばいいんだ? 君には正しいことが分かるのに、私には分からない……」
「……私だって分からないことだらけよ……」

 ハリエットは小さく呟いた。ハリーは顔を上げなかった。


*****


 ハリエットの代わりに、シリウスにチェスセットを買ってもらったレギュラスはご満悦だった。ニコニコと胸に抱き締めながら、アルバスを見やる。

「アルバスは何か欲しいものないの? 買ってもらえるんだよ」
「うん、僕は今のところ何も思い浮かばないかな……」
「思いついたら言うんだぞ。何でも買ってあげるからな」

 三人は、手持ち無沙汰にダイアゴン横丁を練り歩いている内に、アイスクリームでも食べようという話になった。

 アイスクリームといえば、フローリシュ・フォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーである。三人はすぐにそこへ向かった。

 事前にアイスクリームを食べないかと誘っていたためか、そこにはジニー達四人の姿もあった。アリエスはリリーとお喋りをしながらゆっくりアイスを食べ、とっくの昔に食べ終えたジェームズはつまらなさそうな顔をしている。

「あ、シリウス!」

 ジェームズはシリウスを見つけると、パッと喜色を浮かべて立ち上がった。

「丁度良かった! シリウス、今年のクリスマスプレゼントにゴーグルを買ってよ! ママったら、ここをピクリとも動かないんだ」
「しょうがないでしょう。リリー達もいるんだから」
「ねえ、シリウス、いいでしょう? 僕にゴーグルを買ってよ。ママの代わりに」
「仕方ないなあ」

 孫にはすっかり甘いお爺ちゃんと化したシリウスは、ジェームズに引っ張られながらクィディッチ専門店へ入っていく。後に取り残されたアルバスとレギュラスは、ジニーに手招きされる。

「二人は何のアイスが食べたい? 好きなものを選びなさい」
「皆でアイスを食べるんなら、お母さん達も呼んでくる?」

 レギュラスは首を傾げた。

「皆で食べた方がおいしいし、折角来たんだから……」
「ええ、でも、ハリー達はしばらく二人きりで話したいと思うから……」
「じゃあ、僕、お母さん達にアイスを届けるよ」

 邪気のないレギュラスの笑みに、ジニーは苦笑した。

「ええ、そうね。二人もきっと喜ぶわ。アル、レギュラスと一緒にアイスを届けてくれる?」
「うん……」
「二人だけで行けるわね? 変な人について行っちゃ駄目よ」
「大丈夫だよ」

 レギュラス達は、一旦アイスを二つだけ買った。ハリーとハリエットの分だ。自分たちの分は、戻ってきてから食べるつもりだった。

 漏れ鍋へ向かう途中、お目付役であるシリウスがいない分、様々な店に興味を示して歩いた。特にレギュラスが気になったのは、魔法界の有名人達をグッズにした露店である。

「わあっ、僕、カード以外にこんなにグッズが出てるなんて知らなかった!」

 タペストリーやマグカップ、インク壺など、儲けるためには手段を選んでられないといった風に、様々なグッズに手を出している露店だった。特にヴォルデモートを倒したハリーや、ハンサムなシリウスは人気らしく、その数も他の比ではない。

「シリウスお爺ちゃん、このタペストリーをクリスマスプレゼントにあげたら喜ぶかな?」
「自分の顔のタペストリーはいらないと思うよ」

 アルバスが冷静に突っ込んだ。

「でも、ハリエット叔母さんのなら喜ぶと思う」

 アルバスは、その隣のタペストリーを指差した。そこには、優しく微笑んだハリエットのタペストリーが飾られていた。

「お母さんだ! そうだね、お母さんのタペストリーなら喜ぶよ! 僕、買うよ」

 シリウスのことだ、もう持っている可能性もあったが、今のこの有頂天のレギュラスに、アルバスは水を差す気にはなれなかった。

「アルバス、ちょっとアイス持ってて――って、あれ?」

 レギュラスはローブのポケットをまさぐり、身体のあちこちを叩き――固まった。

「ない、ない! 僕、確かに出掛ける前ここに財布を入れておいたのに……」

 レギュラスは泣きそうな顔になってアルバスを見た。

「ずっと貯めてたお小遣いなのに――」
「君のお小遣いは、この財布かな?」

 明朗とした声が響き、二人は揃って振り返った。

「ハロー」

 レギュラスの財布をヒラヒラさせていたのは、二十歳を少し過ぎたくらいの、意志が強そうな、ちょっと風変わりな女性だった。青みがかったシルバーブロンドで、整った顔立ちをしている。

「それ、僕のだ!」
「君のポケットからスルッと落ちるのを見かけてね、慌てて追い掛けてきたのよ」
「ありがとう……」

 レギュラスは照れくさそうに財布を受け取った。

「私、デルフィーニ。デルフィーって呼んで。君たちは?」
「レギュラス・マルフォイ」
「アルバス……」

 デルフィーは、二人の紹介を聞くと、興奮で目を瞬かせた。

「やっぱりね! 見覚えがあるからそうだと思ったわ。君はハリエット・ポッターの息子で、そして君は、アルバス・ポッター。ハリーは君のお父さんね! 二人が一緒にいるところに会えるなんて、ちょっと『すごーい』ことじゃない?」
「どうして分かったの? お母さん達の知り合い?」
「ううん。私、記者やってるから、ちょっと人よりも物覚えが良かっただけよ。それに、今やこの魔法界で君達のことを知らない人なんていないしね」
「僕たちが望んだことじゃないけどね」

 アルバスは小さく返す。デルフィーは首を傾げた。

「あ、私今気に触ること言った? 学校じゃ、皆私のことをこう言ってたわ。デルフィーが口を出すと、傷口が広がるばかりだって」
「僕の名前のことだって、皆勝手なことを言うよ」
「……親戚は選べないわ。君の気持ち、私少し分かるかも」

 アルバスは顔を上げてマジマジとデルフィーを見た。会ったばかりなのに、どうして彼女はこちらを見透かすようなことを言うのだろうか。

「さあ、君たちは何を買うつもりだったの? 自分へのご褒美かな?」
「ううん、違うよ。お爺ちゃんにタペストリー買おうと思って」

 レギュラスは、店主に言ってハリエットのタペストリーを包んで貰った。嬉しそうに受け取りながら言う。

「お爺ちゃんはお母さんのことが大好きなんだ。きっと喜んでくれるよ」
「あなたもお母さんのこと大好きなのね」

 優しくタペストリーを抱き締める姿からデルフィーは言った。レギュラスは何度も頷く。

「もちろん! とっても優しいんだ」
「君たちは、今二人だけで買い物に来てるの?」
「ううん、お母さん達と一緒だよ」
「別れて買い物をしてるの?」
「うん。僕たち、今から漏れ鍋にいるお母さん達にアイスを届けるんだ」

 ちょっと溶け始めているアイスを見て、レギュラスは慌てた。

「じゃあね、デルフィー。僕ら、もう行かないと」
「あ、ちょっと待って」

 デルフィーはローブのポケットから杖を取り出し、一振りした。溶けていたアイスがみるみる元の形を取り戻していく。

「折角のアイスだもの、溶けちゃったらもったいないわ」
「ありがとう!」
「ついでに冷却呪文もかけたから、私も一緒について行くわ。二人みたいな有名人をほっぽっちゃったら、誰かに誘拐されそうなんだもの」
「僕、変な人についてったりしないよ?」
「無理矢理君達をさらおうとする人がいるかもしれないでしょ?」

 デルフィーは笑ってアルバス達を先導した。二人は素直に感謝することにした。

「ごめんね、デルフィー。どこかに行く所だったんでしょ?」
「ううん、大丈夫。実は私も丁度漏れ鍋に行く予定だったから」

 デルフィーのおかげで、道中退屈することなく漏れ鍋へたどり着いた。彼女は冗談が好きらしく、二人とよく馬が合った。

 パブに入ると、始め、なかなかハリー達の姿が見つからず、もしかしてもうここにはいないのではと思わせられたが、よくよく細かく探し回ると、二人はパブの一番奥の席に身を隠すようにして座っていた。二人の前にあるバタービールはとっくに底をついており、どこか疲れたような雰囲気が漂っている。

「お母さん、伯父さん」

 レギュラスが声をかけると、二人は揃って振り向いた。

「アイスを持ってきたよ」
「ありがとう」

 アイスを受け取ったハリーは、目線を上げ、二人の後ろにいる女性に目を留めた。

「レギュラス、その人は?」
「デルフィーだよ。僕が財布落としたのを拾ってくれたんだ」
「ハロー、私、デルフィーニ・オルガよ。会えて嬉しいわ。ミスター・ハリー・ポッター、ミセス・ハリエット・マルフォイ」

 デルフィーはハリーに右手を差しだした。ハリーは少し躊躇ったものの、握手をした。

「私、記者をしてるの。もし縁があったら取材をさせて欲しいわ」
「生憎、今はプライベートでね。またにしてもらえると助かるよ」
「あ、それはもちろん分かってるわ! 家族団らんを邪魔する権利は誰にだってないもの。ええ、分かってる。ただ、ちょっと今のうちに名前を売っておこうと思っただけ」
「父さんは有名人だから、ちょっと敏感になってるんだ」

 意地悪く言うアルバスに、レギュラスは背中が冷たくなるのを感じた。慌てて明る過ぎるくらいの声を上げる。

「と、とにかく、デルフィー、ここまでありがとう! おかげで僕、ホグワーツ特急の車内販売でお菓子を我慢せずに済むよ! 何か用があったんだよね? またね!」
「ええ、もう行くわね。また縁があればお会いしましょ」

 ヒラヒラと手を振って、デルフィーは去って行った。レギュラスはホッと息を吐き、皆に向き直る。

 空気が固まっていた。こういうとき、レギュラスはどうすれば良いのか分からなかった。大抵こういう状況では、母が取りなしてくれることが多いのだが――。

 そして視線を上げたレギュラスはポカンとした。ハリエットが、強ばった表情のまま固まっていた。血の気を失った顔は真っ青で、とにかく顔色が悪い。

「お母さん?」

 レギュラスが声をかけると、ハリエットはハッと我に返った。ハリーも妹の様子に気づいたようで、心配そうに眉が寄せられる。

「どうかしたのか? 顔色が悪い」
「大丈夫、私も疲れてるだけだわ」

 ハリエットは愛想笑いを浮かべてジョッキを傾けた。もうとっくにバタービールは飲み干していて、しかしそのことにも気づかずに、ハリエットはまたテーブルにジョッキを置いた。

「ハリエット」

 ハリーは妹の背中を撫でた。ハリエットは声を詰まらせ、俯いた。

「……あの人、似てるの」
「誰に?」
「……ベラトリックス・レストレンジ」

 聞き取れないほどの声量で囁かれたその名前に、ハリーもまた凍り付いた。レギュラスとアルバスは顔を見合わせる。二人には聞き慣れない名前だった。

「ハリエット……気のせいだ。マジマジと見たわけではないが、髪の色も違うし、雰囲気だって……」
「ええ、分かってる。分かってるわ。だから疲れてるって言ったでしょ?」

 ハリエットは額に手を当てたまま、早口で言った。

「ちょっと疲れてただけなの……」

 自分に言い聞かせるかのように、ハリエットは何度も呟いた。