■番外編 ***が死んだ世界で

03:反逆者の戦い



*ハリエットの拉致が防がれた時間軸 死の秘宝『最期の戦い』*


 死喰い人の呪文から逃げ惑う生徒たちの中でも、ロンとハーマイオニー、ジニーの三人は集中的に狙われた。つい先ほど明朗とヴォルデモートが命令したことが所以だろう。自分たちを捕らえ、そして始末すれば、ヴォルデモートから褒められるとでも思っているのだ。

 マクゴナガルの命令により、しもべ妖精達は次々に近くの生徒と共に姿くらましをし始めた。杖を向けるはずだった対象がいなくなれば、それは他の者へと向かう。ロン達を囲む死喰い人の数は増えていき、そして壁際に追い詰められた。

 どちらが有利かは、一目瞭然だった。肌を掠める呪文が気力を奪っていく。緑の線香が視界の隅でちらつくたび、隣の彼に、彼女に当たったのではないかと気が気でない。一時の気も休まらない時間が続く。

 甲高い声でベラトリックスが勝利の雄叫びを上げた。ロンは怯んだ。誰がやられたのだろうか? あの女に、今、誰が――。

 その時、けたたましい音が鳴り響き、目の前の死喰い人の壁にポッカリと小さな穴が開く。そこから弾丸のように飛び出してきたのは――クリーチャーだった。

 ロンは咄嗟に彼に向かって手を伸ばした。左手でジニーの手を強く引き、ハーマイオニーと共に、クリーチャーの手に捕まる――。

 ぐにゃりと視界が歪んだ。次の瞬間には、三人はどこか山奥に立っていた。先程の喧噪とはほど遠い、静かで薄暗い場所だ。

「どうしてあなたが――ハリエットは!」

 いつものハーマイオニーらしくなく、彼女は険しい表情でクリーチャーに詰め寄った。ここがどこか、安全な場所なのか、まずはそうした所を確認すべきだと一番に考えるはずの彼女が、一番取り乱していた。

「ハリエット様は――あなた方を助けることを選ばれました!」

 ハーマイオニーの気迫にも屈せず、クリーチャーは叫び返した。

「クリーチャーは、ご主人様の命令が絶対です! ですが、ご主人様は亡くなられました! 今はハリエット様がご主人様です! クリーチャーは、ご主人様の命に従って、この命を以てあなた方を守る所存です!」

 ハーマイオニーは胸を打たれ、言葉に詰まった。よろよろと後ずさり、その場に膝をつく。ジニーのすすり泣く声が鬱蒼とした森に響いていた。

「ここはどこだ?」

 ロンは小さく尋ねた。自分がしっかりしなければと思った。

「ディーンの森です。ここ以外思いつきませんでした……」
「充分だよ。他の皆はどうしてるか分かるか? 僕ら、戦うことに必死で状況を把握することもできなくて……」
「知らない方が良いと思います」

 クリーチャーはすぐに答えた。ロンは首を振る。

「知らなければならない。僕たちは諦めない。あいつの息の根を止めるため、味方がどれだけいるのか把握しないといけない」

 クリーチャーはなおも渋っていたが、やがて観念して口を開いた。

「マクゴナガル様が亡くなられました」

 ハーマイオニーがヒュッと息をのんだ。嗚咽を堪えようとするが、それは適わず、苦しげな息が漏れ出る。

「スラグホーン様、それに、トンクス様も。ルーピン様も、死喰い人に囲まれた後、見えなくなりました――」
「待って、待って――」

 次々に出てくる犠牲者に、ジニーの頭は追いつかなかった。顔は涙でぐちゃぐちゃで、手で雑に耳を押さえるが、それでもクリーチャーの高い声は飛び込んでくる――。

「フレッド様と、ジョージ様も――」
「待って!」

 ジニーの金切り声が空気を切り裂いた。クリーチャーは気圧されたように口を噤む。

「まさか――まさか、そんな……嘘でしょう? 嘘だと言って!」

 血走った目でジニーはクリーチャーに詰め寄る。クリーチャーはおろおろしたまま視線を伏せた。ジニーは絶望の表情を浮かべる。

「あああっ! いやっ! そんなのいやっ、フレッド、ジョージ!」

 ジニーは力任せに何度も地面を叩いた。死喰い人が憎い。ヴォルデモートが憎い。にもかかわらず、敵も討てないことが悔しくて堪らない。

「いや……いや、こんなの、誰か夢だと言って……」
「ジニー……」

 涙を流しながら、ハーマイオニーは優しくジニーを抱き締めた。ロンは片手で顔を覆い、二人から顔を逸らすようにしている。

 しばらくは、誰も動けなかった。死んだように気配を殺す森の中で、ジニーの嘆きの声がいつまでもいつまでも響いていた。


*****


 あの戦いの後、誰と誰が生き延び、そして今もなお逃げ回っているのか、ロン達は把握できずにいた。そもそも連絡手段がない。自分たちもまた死喰い人の捜査網から逃れるようにして逃げ隠れする中で、ろくに知り合いと接触することすらできないのだから。

 そんなとき、三人に唯一情報を、希望を与えてくれたのは、リー・ジョーダンが不定期に行う『ポッターズウオッチ』だった。彼もまた追われる身ではあるが、うまく捜索の手を掻い潜り、放送しているらしかった。相棒のフレッドとジョージがいなくなり、落ち込むかと思いきや、リーは放送では全くそんな様子を見せなかった。極めて明るい声で、ヴォルデモートに抵抗し続ける反逆者達を励まし続けるのだ。そんな彼は、ロン達三人にとっても希望の星だった。

「さあ、今夜もやって参りました。ポッターズウオッチのお時間です」

 心なしか、リーの第一声は震えていた。

「ラジオをお聞きの皆様に、謹んでお知らせいたします」

 いつものように、リーは自分が知り得た犠牲者の名を上げ、そして一分間の黙祷を行った。この時ばかりは、ジニーも嘆くのを止め、静かに犠牲者のために悼む。

「さて、『例のあの人』の動きですが、彼は最近新しい魔法界の構築へと力を入れ始めたようです。魔法省の重鎮には死喰い人を当て、家族を人質に取り、従順にさせた魔法使いには、魔法界が元のように機能するようにあくせく働かせています。ただ、一方で、なおも続くのがマグル生まれへの淘汰。魔法省の記録からマグル生まれを洗い出し、捕まえ、そして拷問するという何とも胸くそ悪い所業を行っております」

 リーは一旦言葉を切り、そしてまた話し始めた。

「今の魔法界は疑心暗鬼が蔓延っています。隣に住むあの人が死喰い人と繋がっているかもしれない、同僚があの人のスパイかもしれない――そんな風に思ってしまうのも仕方ありません。そういうことをやりかねない奴らです。ですが、皆さん、こういう時にこそ団結力です。こういうときにこそ、互いを信じ、助け合っていくべき時なのです。ハリー・ポッターは、私達に何を教えてくれましたか? 私達に、生きる希望を与えてくれたのではないですか――」

 突然リーの声が途切れた。次に彼が話し始めたとき、荒い息がマイクに直接ぶつかっていた。実況や放送に慣れた彼らしくない行動だった。

「皆さん、一つ――一つ、私からお知らせがあります。個人的なお知らせです。レイピア、ローデント――いや、違う。フレッドとジョージについて」

 不意にもたらされた二つの名に、ロン達三人はハッとして顔を上げる。

「二人は私の親友でした。とてもとても大切な……。ですが、その二人はホグワーツの戦いで亡くなりました。弟と、妹を守ったのです。立派な死に様でした。私は誇りに思います」

 嗚咽が漏れ出る。それが誰のものか、もはや分からなかった。

「二人の夢は、悪戯専門店を経営することでした。ダイアゴン横丁に出店して、その夢は叶ったはずですが――それでも心残りだったはずです。もっともっと、自分たちの悪戯グッズで、皆を笑わせたかったはずです」

 リーは懸命に明るい声を出そうとしていたが、震えていたは、その努力も空回りするばかりだった。

「私の夢は――これといって確固たるものではなかったのですが、放送をしたいと思っていました。ホグワーツでもクィディッチの実況を任され、そこで一気にやりがいを感じたのです。クィディッチが好きなことも相まって熱が入りすぎ、マクゴナガル先生には、何度やり過ぎだと怒られたことか……」

 リーは軽く笑った。その後、少し鼻を啜る音が聞こえる。

「こんな世の中になってしまいましたが、それでも私に『ポッターズウオッチ』をやらないかと持ちかけてくれたフレッドとジョージには感謝してもしきれません。二人は私にやるべきことを残してくれたんです。こんな世の中でまだなおもがいて生きる皆を鼓舞し、情報を伝え、そして私自身、生きる気力を見失わないよう……」

 もはやリーは完全に泣いていた。だが、その声色には決意が漲っている。

「皆さん、今夜を最後に、ポッターズウオッチは放送できなくなります。ですが、諦めないでください。まだ魔法界は持ち直せます。諦めない限り、未来はまだ私達のものです。『金色に犠牲者現る』――このことを忘れないでください。決してあの人に屈してはいけません。私達は、どんな形であれ、あの人に抵抗し続けなければ――」
「アバダ ケダブラ!」

 無情の声が鳴り響く。死喰い人が現れたのかと、ロンは立ち上がり、ハーマイオニーは杖をテントの外へ向けた。だが、近くに人の気配はない。声は、ラジオから聞こえていた。

「とんだ時間の無駄遣いだったな」
「誰だ? こいつを使って反逆者を呼び寄せ、一網打尽にしようって言い出したのは」

 その声を皮切りに、ラジオはプツンと途切れた。後はザーザーと耳障りな音が響くのみだ。三人は、しばらくその場から動けなかった。


*****


 近くの川で取ってきた魚をハーマイオニーが捌く傍ら、ロンはガリオン金貨を手で弄んでいた。くるくると手先で器用に回し、ぼうっとそれを眺める。

 金貨の向こう側では、ジニーが膝を立てて顔を埋めている。ロンにもその光景は見えていた。だが、ロンは何の声もかけない。もはや彼女が何の反応も示さないのは分かりきっていることだった。

「あっ」

 その時、金貨が熱くなった。ロンは驚いて金貨を取り落とす。

「ロン、食事はまだ先よ。慌てないで――」
「違うんだ、ハーマイオニー。金貨が熱くなった。偽のガリオン金貨だ。DAのために、君が作った――」

 ハーマイオニーがゆっくりと振り返る。彼女はじっとロンの手の中のガリオン金貨を見つめていた。

「なぜ――急に? 何か書かれてる?」
「数字が。でも……うーん、分からないな。日付にしてはあり得ない数字だ」
「貸して」

 ロンから金貨を受け取り、ハーマイオニーは目を細めて金貨を見つめた。そしてハッと息を呑む。

「郵便番号だわ、これ」
「郵便番号? どこだ?」
「ホグズミード村のすぐ近く……誰の家かしら」
「そもそも、誰がこんなことを?」
「情報を共有したいのかもしれないわ。それか、DAの誰かが、仲間を集いたいのかも」

 ロンは険しい表情で金貨を見下ろす。

「――でも、罠かもしれない。DAの誰かが捕まったのかも」
「『金色に犠牲者現る』」

 真剣な表情でハーマイオニーが呟いた。

「リーの言葉を覚えてる? リーが言っていたのはこのことかもしれないわ。この郵便番号の魔法使いが、次に死喰い人に襲われるのかも――」
「パーシーだ!」

 ロンは目を輝かせて叫んだ。

「パーシーは、新設の部署所属になった――家系図からマグルの血が入ってる魔法使いを洗い出す部署だ。そしてあぶり出された魔法使いは、次の犠牲者になる――」
「リーは上手くパーシーと接触できたのね?」
「それか、魔法省で働いてるDAの誰かとだ! ったく、リーの奴! こんな置き土産を残すなんて――」
「こうしちゃいられないわ。今すぐここに駆けつけないと!」

 ハーマイオニーは立ち上がった。だが、すぐに不安そうにジニーを振り返る。

「ジニー……ジニー、私達、少し出掛けてくるわ。ここで待っていてくれる?」

 ハーマイオニーはジニーと目線を合わせようとしたが、ジニーは虚ろにどこか一点を見つめていた。ハーマイオニーは息を吐き出して、今度はクリーチャーを見た。

「クリーチャー、ジニーのこと守ってあげて。危険があったら、すぐに逃げて」
「かしこまりました」

 クリーチャーは頭を下げる。ロンとハーマイオニーはそれに頷き、二人一緒に姿くらましをした。


*****


「グレンジャーが現れた! 警戒しろ! 油断するな!」

 『グレンジャー』の名に、死喰い人の間には一斉に緊張感が走る。油断なく杖を構え、そして一分の隙もなく緊張の糸を張り詰めさせたが――突如、一人の死喰い人が悲鳴を上げて倒れる。それに動揺した他の死喰い人が慌てて逃げ出すが、もう後の祭りだ。『グレンジャー』により、彼らはあっという間に一網打尽にされた。

「さすがはグレンジャー。今日も見事な手腕だ」

 どこからともなくロン・ウィーズリーが現れた。彼は肩をすくめて近くの死喰い人から杖を奪う。

「死喰い人から恐れられる存在なんて、ヴォルデモートと君くらいなんじゃないか?」
「からかわないで」

 髪を短く切り、女戦士のような出で立ちでハーマイオニーが現れる。彼女もまた、近くの死喰い人から杖を奪い取った。

「全く、誰が『グレンジャー』なんて言い出したの? そりゃ間違ってはいないけど……怪物みたいに恐れられるのはごめんよ」
「死喰い人の襲撃の現場に、それこそ怪物みたいに怖い顔して突撃していくんだから、そりゃ恐れられるさ。納得いかないのは僕の方だよ。僕だって死喰い人はそれなりにやっつけてるのに、どうして『ウィーズリー』って恐れられないんだ?」
「さあね」

 ハーマイオニーはどうにでもなれと肩をすくめた。

「ほら、早く帰りましょ。ジニーとクリーチャーが待ってるわ」
「待て」

 急にロンが真面目な声で呼び止めた。

「金貨が熱い。また襲撃だ」
「今度はどこなの?」
「ここから近いぞ。すぐに姿現しできる場所だ……」
「こんな夜更けに襲撃? 何だか嫌な予感がするわ。早く行きましょう」

 ロンとハーマイオニーは、息ピッタリに姿くらましした。そして次の瞬間には、こじんまりとした家が建ち並ぶ、薄暗い路地に立っていた。すぐに近くに身を寄せ、辺りを油断なく警戒しながら、目的地へと急ぐ。

「……まるで誰も住んでないみたい。魔法界もすっかり様変わりしたわ。今や堂々としてるのは、死喰い人くらい――」
「ハーマイオニー!」

 急にロンが鋭い声を上げ、ハーマイオニーはピタリと声を止めた。ロンが指差す先――そこには、禍々しい闇の印が上がっていた。

「あっ――あっ」
「遅かった」

 ロンは走り出した。そしてしばらくしてたどり着いた先――目的地は、もはやもぬけの殻だった。死喰い人の姿すらない。死喰い人は滞りなく襲撃を終え、そしてその結果を『ご主人様』に報告に行ったのだ。

「なんてこと……」

 優しい色合いをしたその家は、見るも無惨に荒らされていた。家は跡形もなく破壊され、庭は爆発でも起こったかのように地面がえぐれていた。

 こんなことをしても仕方がないとは思っていても、もしかしたら生存者がいるのではと、ハーマイオニーは力なく瓦礫の中を進む。

 不意に何かに足を取られ、ハーマイオニーは転びかけた。屈み、それを拾い上げる。正体は写真立てだった。

「待って、そんな――駄目よ――」
「どうした?」

 動揺したハーマイオニーの声に、ロンはいち早く駆けつけた。そして一緒に写真立てを覗き込み、息を呑む。

「ここはトンクスの家よ……」

 ハーマイオニーはロンの肩に顔を埋めた。写真立てには、こっちに向かって手を振るルーピンとトンクス、そして母親の腕の中ですやすやと眠るテッドがいた。二人ともとても幸せそうだ。少なくともこの頃は、自分たちが幼いテッドを残して死ぬ未来など想像もしていなかったはずだ。――残酷なことに、テッドすらも命を奪われるなどと。

「そんな、そんな――」

 ハーマイオニーは声を上げて泣いた。ただ平凡に過ごしたかっただけなのに、ただ家族で幸せに過ごしたかっただけなのに――そんな些細な幸せですら夢見れない今の魔法界に、不条理としか言えない今の世の中に、ハーマイオニーは時折どうしようもないやるせなさを感じ、どうにかなってしまいそうだった。

「ハーマイオニー……」

 ロンには、かける言葉も見つからなかった。ただ黙ってハーマイオニーの肩を抱く。やりきれなくて見上げた夜空には、一片の星も浮かんでいない。

 その時、ロンの目が何かを捕らえた。唯一夜空を照らす月が何かに遮られたのが見えたのだ。

「あれは――ふくろうだ。こっちに飛んでくる」

 ロンはハーマイオニーの肩を叩いた。ハーマイオニーは涙を拭いて顔を上げる。

 ロンが伸ばした腕に降り立ったふくろうは、随分とひどい有様だった。羽はボサボサで、身体はひどく痩せ細っている。今にも倒れてしまいそうだ。ハーマイオニーは慌てて水を飲ませてやり、ロンはふくろうの足に結びつけられた手紙を紐解いた。
『ロン、ハーマイオニー、ジニー』
 封筒には、三人の名が書かれていた。

「誰の字だろう?」
「ロン、早く開いて」

 ロンは頷き、封を切る。中に入っていたのは、たった一枚きりの便せんだった。
『私はアンドロメダ・トンクス――ニンファドーラ・トンクスの母親よ』
「アンドロメダ……この人って、まさか」
「テッドのことを見ていた人だ。ほら、トンクスも言ってた。アンドロメダは、テッドとここで暮らしてたんだ」
「じゃあ、テッドは……?」

 ハーマイオニーは勢い込んで手紙に目を落とした。
『私達は今マグル界にいるわ。もうすぐ海外に行くつもり。もうイギリスには戻るつもりはないの。

 あなた達に無事を知らせようか随分迷ったわ。ふくろう便が上手くあなた達の元にたどり着くかも分からなかったし、途中で死喰い人に見つかるかも分からない……。でも、誰か一人でも知っていて欲しかったの。テッド・ルーピンが――ドーラとリーマスの息子が、ちゃんとこの世に存在していることを』
 口元を手で押さえ、ハーマイオニーは目から涙を溢れ出させた。ロンは彼女の頭に手を当て、自分の肩口にと引き寄せる。
『二人が死んだ後、私達は息を殺すようにして家に隠れ住んでいたの。でも、あるとき急にしもべ妖精がやって来て――今すぐ逃げろと言われたの。この家はもうすぐ死喰い人に襲われるから、マグル界に逃げろと。……最初こそ、信じて良いものか分からなかったわ。でも、そのしもべ妖精を使って私達を殺すこともできただろうし――そうしなかったのは、誰かが私達を助けようとしているんじゃないかと思って、信じることにしたの。

 私達の家が本当に襲われたかどうかは定かではないわ。でも、私の姉――ベラトリックス・レストレンジは過激で執念深い純血主義よ。ブラック家の血筋にマグルの血や狼人間の血が混じっていることが許せず――私達を殺しに来ることは想定していた。でも、どこへ逃げれば良いか分からなくて――それに、マグルのお金も持ってないわ――途方に暮れていたの。常識も何もない私と赤ん坊だけで、どうやってマグル界で暮らしていこうかと。

 驚いたことに、しもべ妖精はマグルのお金を持っていたわ。それに、マグルに溶け込めるよう、普通の服も渡してくれた。私達は、彼女に、そして彼女を遣いに出してくれたその主人に感謝しかないわ。

 私は、彼女にご主人の名前を聞いたけど、頑なに答えてくれなかった。ただ、彼女、自分のことを『トニー』と呼んでいたわ。トニー――そのしもべ妖精は、トニーと言うのよ。

 あなた達なら、もしかしたらトニーのことを知ってるかもしれないと思って、手紙を出すことに決めたの。トニーは、消息を知らせるなら、あなた達三人だけにしろと言っていたから。――ロン、ハーマイオニー、ジニー、もしそのトニーというしもべ妖精に会うことがあったら、お礼を言って欲しいの。もちろん、その主人にも。

 三人とは、もう会うこともないでしょうね。結局、ドーラから話を聞くだけで、一度も会ったことはないけど――でも不思議ね。今はとても三人のことが近くに感じられるの。ドーラの大切な仲間で、リーマスの大切な教え子で、ハリーの大切な親友達。テッドと私は、これからも諦めずに生きていくわ。だからあなた達も……。あの人に対抗して頑張ってるあなた達に、何の力もなれないことが不甲斐なくて仕方ないけど……私は、いつまでもあなた達の無事を祈っているわ』
「ああ……本当に……」

 ハーマイオニーはロンの肩にぐりぐりと頭を押しつけた。みるみる己の服が湿っていくのを、ロンは気づかない振りをした。

「本当に良かった」

 その代わりに、彼女の言葉を引き継いだ。

「このくそったれな世の中にも、まだ希望はあるんだ」


*****


「ああっ、あああああっ!」

 見慣れない森へと姿現しをするなり、ハーマイオニーはその場に泣き崩れた。彼女をここまで連れてきたロンは、そんな彼女を泣きそうな顔で見つめた後、すぐに近くに保護呪文をかけていく。クリーチャーは声もなく涙を流しながら、ハーマイオニーのすぐ側で項垂れていた。

「ハーマイオニー」

 呪文をかけ終え、ロンが戻ってきた。そんな彼に、ハーマイオニーはグシャグシャになった顔で縋り付く。

「ロン――ロン! 私――私がいけないの! 私がジニーをちゃんと見ていれば――」
「君のせいじゃない」

 ロンは力なく首を振る。それでもハーマイオニーは顔を歪め、ズルズルとその場に崩れ落ちる。

「ごめんなさい! ごめんなさい、ロン! 私――私……ああああっ」

 ハーマイオニーは声を上げてむせび泣いた。絶望を乗せるその声に、ロンは再び首を振った。その衝撃で、瞳からは涙が零れた。

「僕が悪いんだ……僕が無理矢理連れてきたから……。ジニーは、きっとあの場所で死にたかったんだ。フレッドとジョージが、自分のために死ぬことを望んでいなかった。シリウスみたいに、ハリーの敵を取りたかったんだ。生き延びるよりも、あそこでハリーと共に……眠りにつきたかったんだと思う」

 ハーマイオニーは一層嘆きの声を強めた。その声は枯れることなく、夜が明けるまで続いた。


*****


「私……」

 久しぶりに出したハーマイオニーの声は、ひどく掠れていた。夜は明け、厚い雲の隙間からは、時折太陽が姿を覗かせている。ハーマイオニーはロンの肩に力なくもたれていた。

「私、ジニーをハリーと一緒に眠らせてあげたいわ。二人の亡骸はないけど……」

 ハーマイオニーは声を詰まらせながら、ビーズバッグから何かを取りだした。

「これは……」
「ハリーのトレーナーよ」

 笑おうとしているようだったが、ハーマイオニーの微笑みは失敗していた。

「旅をしていたときのものがまだ残っていたの。それに、これはジニーの靴下。……靴下しか――残らなかったけど――」

 再びハーマイオニーは涙をこぼした。ロンはハーマイオニーの頭を撫でた。

「ホグワーツに行こう」
「えっ」

 ハーマイオニーは驚いたように顔を上げる。悪戯っぽく笑うロンが目に飛び込んできた。

「ハリーとジニーはあそこで成長したし、あそこで思いを通わせた。二人が眠るのに、ピッタリの場所だと思う」
「……ええ、私もそう思うわ。クリーチャー?」
「はい」

 クリーチャーは頷き、すぐに手を伸ばした。ロンとハーマイオニーはその手に掴み――そして、姿くらましをした。


*****


 授業中だったことがまだ幸いした。だが、普段の二人ならば、せめて夜に訪れるくらいの判断力はあったはずなのに――ロンとハーマイオニー、そしてクリーチャーは、冷静でなかった。ただひとえにハリーとジニーを一緒に弔うことしか考えていなかった。

「スネイプ……!」

 ハリーが敬意を表していたアルバス・ダンブルドア――二人の墓は、彼のすぐ近くに作ろうと歩いていた所だった、セブルス・スネイプと遭遇したのは。

 ロンとハーマイオニーはすぐに杖を構えた。その瞳には闘志が宿り、今すぐにでも杖先からは緑の閃光が飛び出しそうな気配だ。――だが、一向に呪文は出て来ない。スネイプが、杖すら構えずに無表情で二人を見つめ返すからだ。

「こんな所にのこのこ現れて、自暴自棄になったのか? それとも、自分たちは捕まるわけがないと勘違いしておいでかな?」
「何が言いたい?」

 ハッと気づいたときにはもう遅かった。空が蠢き、そして自分達に黒いものがゆらり、ゆらりと飛びかかってくるところだった。

 吸魂鬼だ。反逆者を捕らえるために、ホグワーツには吸魂鬼が配置されたのだ。

「エクスペクト パトローナム!」

 ハーマイオニーが杖を振るう。だが、杖先からは銀色の靄しか出ない。ハーマイオニーは愕然とする。

「エクスペクト パトローナム!」

 ロンも後に続いた。だが、結果は同じだった。二人の脳裏にはジニーの最期が焼き付いて離れなかった。

「パトローナスも呼べないとは、『反逆者』が笑わせてくれる――エクスペクト パトローナム」

 スネイプの杖先から、美しい銀の牝鹿が飛び出した。牝鹿は優雅にその場を飛び回り、次々に吸魂鬼を追っ払っていく。

「我輩の研究室へ行け。まだ死にたくないのならば」

 冷たく言い捨て、スネイプはローブを翻してダンブルドアの墓の方へと歩いていく。

 ハーマイオニーはギュッとクリーチャーの腕を掴んでその後ろ姿を見送る。逃げようと思えば、逃げられる。だが、どうしてか、裏切り者のスネイプのことが気にかかって仕方がない。

「スネイプ! 今のパトローナスは何なのですか!?」

 甲高く、耳障りな女の声がする。ホグワーツ校長の座にのさばっている、ピンクのガマガエルのような女のそれだ。

「忌々しい吸魂鬼めが、我輩を反逆者と間違えましたので、追っ払っただけのこと」

 スネイプが単調に言い訳する声がする。ロンはハーマイオニーを見た。

「どうする? 僕は罠が待ち構えているに一票」
「私は――」

 一度言葉を切り、それから、ハーマイオニーは何かを決意した表情で顔を上げた。


*****


「信じられないわ!」

 勢いよく扉を開けて早々、ハーマイオニーは声高々に叫び、そしてつかつかテーブルへと歩み寄ったかと思うと、バンと卓上に新聞を叩き付けた。ロンは飛び上がって驚き、スネイプは僅かに眉を上げただけだった。

「一体どうしたんだよ、ハーマイオニー?」
「これを見て!」

 忌々しげにハーマイオニーが指差したのは、日刊預言者新聞の一面大見出し。そこにはデカデカと『ドラコ・マルフォイとハリー・ポッターの妹、婚約する』と書かれていた。

「な――なっ――」

 ロンはあんぐり口を開けたまま、それ以降閉じることができなくなってしまった。ハーマイオニーは次から次へとこみ上げてくる怒りに頭を掻きむしる。

「信じられない――あいつ、マルフォイ! ハリエットのことをなんだと思ってるの!? 政治の道具としか思ってないんだわ! ハリエットと結婚すれば、魔法界の隠れ反逆者達を大人しくできると思って!」
「それに――何だよこれ! ハリエットが死喰い人だって!?」
「こっちなんかもっと最悪よ! 『ハリエット・ポッターは継承者で、穢れた血を一掃するために、かつて秘密の部屋も己の意思で開いた』――あのスキーター! 女狐! あの事件のせいで、ハリエットがどんなに苦しんだか知らないくせに!」

 とどまることを知らないハーマイオニーの怒りは、次にスネイプへと向けられた。

「セブルス、そもそもどうしてこの新聞を持ってきてくれなかったのよ! 情報収集はあなたの役目でしょう!?」
「この記事を見せれば君たちがそういう反応をすることは目に見えていた。面倒に思っただけだ」
「何ですって!? ハリエットが、好きでもない奴と――ハリーとシリウスを殺した奴の仲間と結婚させられるって言うのよ!? そんなの、怒らない方がおかしいわ!」

 ハーマイオニーは乱暴に椅子に腰掛け、そして杖を握った。杖先は新聞に向けられたが、そこから炎が飛び出すことはなく、そのままハーマイオニーは再び杖を置いた。気づけばその右手が、新聞の、悲しげに俯くハリエットを撫でていた。

「ちっとも幸せそうじゃないわ……」
「やつれてる。僕たちが生きてるってことを知れば、どんなに喜ぶだろうな……」
「ロン、そんなことをするのは我輩が許さん」
「分かってる。ただ……言ってみただけさ」


*****


「スコーピウス・レギュラス・マルフォイ」

 ロンは不機嫌そうにその名を口にした。

「あいつの噂はよく聞く。クィディッチのシーカーで負け無し、勉強だってよくできる。首席だと。女にもモテモテらしいな。だが、性格が終わってる。性根が腐ってるんだ」
「ロン、スコーピウスはハリエットの息子でもあるのよ。そのくらいで――」
「ああ、確かにハリエットの息子ではあるよ。血は繋がってる。でも、ハリエットは可愛く思えないだろうな。何せ、憎たらしい夫と瓜二つなんだから」
「仮にも『サソリ王』に大層な言い草だな」

 唇の端を歪め、スネイプが口を挟んだ。ロンの不機嫌は今度は彼に向く。

「セブルスは奴がお気に入りなのか? マルフォイの息子だもんな。きっと授業でもあいつを甘々に甘やかしてるんだろう」

 吐き捨てるようにしてロンは続けた。

「血の舞踏会だって、あいつの命令でマグル生まれが何人も殺されてるそうじゃないか。最低な野郎だよ。ああ、奴の将来が楽しみだ」
「あの子は臆病な子だ」

 スネイプは呟くように言った。

「そしておそらく……優しい」
「優しいだって?」

 ロンはピンと眉を跳ね上げてスネイプを見た。驚きや呆れよりも何よりも、スネイプの頭を心配する気持ちが勝った。

「セブルス、ついに頭がおかしくなったのか?」
「君に言われたくないな」

 言い返しつつも、スネイプはどこか遠い目をした。

「あの子は『サソリ王』を演じようとしているのだ。その性根は父親よりもむしろ母親に似ている。血の舞踏会に関しても、自分が主催を取っているように見せかけているだけで、一度も参加したことはない。きっと誰よりも舞踏会のことを心苦しく思っているのだろう」
「何を根拠にそんなことが言えるんだ?」
「君もあの子と話せば分かるだろう。――きっとハリエット・ポッターのことを思い出すはずだ」


*****


「ついに二人だけになっちゃったわね」

 ハーマイオニーはロンにもたれるようにして座っていた。今が深夜で、目の前には月があって――なんて光景があれば、ロマンチックもひとしおな状況だろうが、しかし二人がいるのはスネイプの研究室の地下。かび臭いこじんまりとした部屋で、ロマンチックとはほど遠い場所だ。窓すらない。ロンとハーマイオニーは、ここ一年ずっとこの場所に籠もりきりだった。地上には吸魂鬼が蔓延り、二人が顔を出すだけで『キス』をしようと襲いかかってくることだろう。

「ヴォルデモートに対抗するDAメンバーは、この世でもう私達二人きり……。たくさんの人たちが亡くなったわ。後悔してもしきれない。あの時ああしてれば、こうしてればって考えばかり頭に浮かんでくる。ぐっすり眠れたのは何年前のことかしら」

 この薄暗い地下で、訃報を聞くことしかできない状況は、ハーマイオニーの心身を追い詰めていた。

「クーデターにも何度失敗したことか……。いつまで経ってもナギニが殺せないどころか、オーグリーまで台頭してきた。魔法界は今やどっぷり闇に浸かっているわ」
「ああ、分かってる。最低な世界だ」
「ねえ、ロン。どうすれば良かったのかしら。どうすれば――私達は幸せになれたのかしら?」

 ロンが答える前に、ハーマイオニーは薄く笑った。無意識のうちに口から飛び出した疑問に呆れてしまったのだ。

「『グレンジャー』が情けない姿を見せてしまったわね」

 そうして彼女はそのまま身体に力を入れて立ち上がろうとした。だが、すんででロンがそれを抑える。

「僕の前では意地を張らなくたっていいさ。僕の情けなさは、君が一番よく知ってる。だろ? お互い様さ」
「セブルスもよく分かってると思うわ」
「それは言わないでくれよ」

 ハーマイオニーは再びロンの肩に頭を置いた。ロンは優しく微笑み、彼女の頭を撫でる。

「私……」
「なんだい?」

 この現状を打破できる何かがあれば、悪魔にだって喜んで手を貸すだろう、とハーマイオニーは思った。問題は、その『何か』がこの世に存在するかも分からないことだ。

「何でもない……」

 いつまでこの闇は続くのだろう。もう手探りで闇雲に進むのは懲り懲りだった。もう二人――いや、三人しかいないのだ。互いを信頼できる仲間は。

「ハリー……ハリエット……」

 ハーマイオニーは目を瞑り、懐かしい親友の名を口にした。もう随分と二人の名は口にしていなかった。にもかかわらず、その名は随分と口に、声に馴染んだ。懐かしくなってハーマイオニーは何度も口ずさむ。込み上げてくる想いと共に、何かが目から溢れ出したが、もはやハーマイオニーはそのどちらも止めることはできなかった。ロンも無理に止めさせるようなことはせず、彼女の心の赴くままにさせた。