■呪いの子 小話

03:父と夫の狭間で



*呪いの子本編前 ブラック邸にて*


 目を覚まして一番に視界に飛び込んでくるのは、天井か、もしくは妻の寝顔のどちらかなことが多いが、今日はそのどれも違った。自分の幼い頃に瓜二つの寝顔が目の前にあったのだ。

 そもそも、ドラコが目を覚ましたのも、ドンと何かに蹴られた衝動のせいだ。毛布を捲らずとも、息子の寝相のせいだということが容易に窺える。

 息子を起こさないようにして起きあがれば、彼の向こう側に娘の姿も見て取れた。――ここは夫婦二人の寝室だったはずだが、一体この状況はどういうことだろう?

 起こすのも忍びないので、子供二人に毛布をしっかりかけ直して、ドラコは忍び足にリビングへ向かった。いつもならまだ寝ているはずが、妻のハリエットはもう着替えて朝食の準備をしている。

「おはよう。もう起きたのね?」
「ああ、おはよう――どうして子供達が寝室に?」
「今日が何の日か覚えてる?」

 ポカンとしたまましばしドラコは考える。何かの記念日だっただろうか? もし子供達に関わることであれば大失態だ。

 徐々に焦りが出てきて押し黙るドラコに、ハリエットはクスクス笑い出した。

「そんなに真剣にならないでも大丈夫よ。今日はあなたの誕生日でしょう?」
「ああ! そうか! 最近夜勤続きだったから日付の感覚が狂ってた」
「お父さんに一番におめでとうを言うんだって、朝一に起こして欲しいって頼まれたの。――やっぱり寝てる?」
「ぐっすり。さっきもレグの寝相で起きた」

 じゃあそろそろ寝室に戻った方がいいか、とそわそわし始めたドラコにハリエットは微笑んだ。

「本当は私もお祝いを言いたい所けど――子供達のために我慢するわね」
「ああ……ありがとう」
「まだ何も言ってないのに」

 ハリエットの笑い声に恥ずかしくなって、ドラコはすぐに退散した。寝室に戻ると、出てきたときと同じような体勢の子供達がいる。

 その幸せそうな寝顔を見ていると、つい微笑ましくなっていつまでも見ていたい気分にさせられる。この世のどんな危険からも守ってあげたいと思うし、幸福な人生を歩んで欲しいとも思う。そう思っているのはおそらく自分だけでなく、ハリエット、シリウス共々過保護な部分はあるので、少し箱入りに育てすぎたかと思うものの、いずれは子供達も親元から離れてホグワーツに行くことになる。そこで多くのことを学び、影響を受け、成長していくはずだ――自分のように。

 寝言か、むにゃむにゃと小さく口を動かす子供達を見ながらそうっとベッドの端に腰掛ける。

 子供の頃は誕生日が来るのが待ち遠しかったものだ。お祝いの言葉をもらうよりも、プレゼントが目当てだったというのも大きい。だが、成長するにつれ、そこに照れくささが混じるようになった。もう誕生日なんかで喜ぶような年ではないという気持ちもあったし、何より祝ってくれる人が変わってきてそれはより強くなった。

 恋人や友人に祝ってもらう誕生日――今思えば、気恥ずかしさに素直になれず、ろくにお礼も言えていなかったような気がする。とはいえ、誕生日にかこつけて変なものを送りつけてくるウィーズリー家の相手に忙しかったので、それも致し方ないと言えるが。

 家族を持った今となっては、誕生日が来る度にくすぐったい気持ちになる。普段は当たり前に感じているこの日々も、今日という日が特別だからか、改めて自分の幸せを噛みしめることができる。

「うーん……」

 不意にレギュラスが寝返りを打った。起きたのか、と身構えるが、また彼は深く寝息を立て始めた。

 一度起きたことがバレたら拗ねてしまうかもしれない。そう思い直してドラコはまたいそいそとベッドに潜り込む。ベッドが軋んだからか、レギュラスがもう一度寝返りを打つ。子供体温のおかげか、ベッドの中はぬくぬくと温かかった。ほどよい温もりだ。次第にドラコはうとうとと瞼を下げていく。

 今日は休日だ。もう一眠りくらい、してもいいかもしれない――。


*****


 コソコソとした話し声に、ドラコは次第に意識を覚醒させていった。

「お父さん、まだねてるよ?」
「でも私、おなか空いたわ」

 子供達の声だ、と薄目を開ければ、もう時計の針は昼近くを指していた。どうやら、思いがけず寝すぎてしまったようだ。朝食を食べ損ねてしまったらしい子供達はしょんぼりしている。

「お父さんは仕事でつかれてるんだよ」
「でも、しんじゃったりしてない? ぜんぜん起きないわ」
「まさか!」

 ドラコはびっくりして目を開けそうになった。死にはしてない!

「…………」

 まさかと否定したレギュラスも、少し不安になってきたようだ。急に静かになったと思ったら、ベッドに上がり込んで恐る恐るドラコに近づいてくる。

「お、お父さん、死んでる……?」
「…………」

 まれに見る速度でドラコの頭は回転した。どうするのが正解なのか。寝たふりを続けるか、それとも――。

「う、うーん……」

 わざとらしく寝息を漏らして、ドラコはゆっくり目を開けた。努めて驚いた表情を顔に張り付かせる。

「レグ……アリエス? こんな所でどうしたんだ?」
「お父さん、生きてた!」

 パアッと笑みを浮かべて二人の子供は喜んだ。今日の目的が別の所にあることなどすっかり忘れている。

「おはよう」
「おはよう――ああ、違うよ! そうじゃなくて!」

 レギュラスはゴホンと咳払いした。アリエスと二人並んで笑顔でドラコを見上げる。

「お父さん、お誕生日おめでとう!」
「おめでとう、お父さん!」

 腹の下辺りがくすぐられているような感覚だ。ドラコは微笑んだ。

「ありがとう」
「僕達、一番におめでとうを言うためにずっとここにいたんだよ」
「でもぜんぜん起きないからこわかったわ」
「夜勤続きだったから悪いことをした。お腹空いただろう?」
「ううん、そんなこと!」
「おなか空いちゃった……」

 見栄を張るレギュラスとは対照的に素直なアリエス。どちらも一様に可愛くて、自分は大層な親馬鹿だとドラコはしみじみ感じた。

「でもね、お母さんがご飯だってさっき呼んでたよ」
「今日のお昼はチキンパイですって!」

 子供達に両側から手を取られ、ドラコは慌ただしくリビングにまた到着した。

 ハリエットとクリーチャーが出迎えたが、シリウスの姿がない。レギュラスはキョロキョロ見回した。

「お爺ちゃんは?」
「今日はお仕事よ」
「今日はお父さんのお誕生パーティーなのに?」
「夜には帰ってくるわ。早上がりみたいよ」

 ハリエットの言葉にレギュラスはようやく安心した様子を見せた。アリエスはうずうずとドラコの手を引っ張る。

「私、クリーチャーと一緒にケーキを作る約束なのよ」

 ケーキはサプライズのはずだったのだが、父に聞いてもらいたいがためにアリエスは無邪気に口を滑らせている。

「僕はお父さんの杖をみがくんだよ」

 確かそれもサプライズだったのだが――クリーチャーは食器の準備をしながらも喉元までせり上がったそれを堪えた。

 今日はドラコの誕生日にあわせてハリエットもお休みをとっていたので、久しぶりに四人でお出かけをした。『お父さんの行きたい所へ行こう!』で始まったお出かけも、最終的には子供達が楽しめる場所へ行くのはご愛嬌だ。子供達が喜ぶ所にドラコは行きたいのだから。

 夕方になると家に戻り、シリウスの帰りを待って誕生日パーティーを始めた。五人が揃う夕食の席は久しぶりだ。いつも大人三人のうち誰かが仕事で抜けることが多いので、レギュラスもアリエスも大層ご満悦だった。

 食後にはケーキとワインで乾杯した。子供達はちゃっちゃとケーキを食べ終わり、お待ちかねのプレゼントタイムだ。

 特段ドラコはそこまで待ち遠しかった訳ではないのだが、渡す側としてレギュラスとアリエスが早くその時が来ないかとそわそわしていたというのもあるし、父宛に届いたプレゼントが見てみたいというのもあったのだろう。一旦は家族内でドラコにプレゼントを渡し終えたあとで、レギュラスはなおも自分の傍をウロウロしていたので、見かねてドラコが声をかけた。

「どうかしたのか?」
「うーん、あのね……お父さんのプレゼント開けていい?」
「ん? ああ、それは構わない」
「良いの!? やった!」
「その代わり、知らない人のは駄目だ。こっちなら良い」

 ドラコは軽く杖を一振りしてプレゼントの山を二つに分けた。右側が知り合いのもので、左側が仕事関係のものであったり、それほど交流のない人からのプレゼントだ。ヴォルデモート亡き後、死喰い人の数も随分減ったとは言え、まだ油断は禁物だ。プレゼントと見せかけて危険なものを送ってきている可能性がある。

 レギュラスは嬉しそうに右の山に駆け寄り、遅れてアリエスもついていった。

「私も開けていい?」
「良いよ」

 わあっと歓声を上げて子供達はプレゼントを開け始めた。自分宛のものじゃなくても、開封すること自体が楽しくて仕方がないようだ。ハリーやハーマイオニー、ジニーやネビル、スネイプやルーピンなどたくさんの人からプレゼントが届いている。一つ一つドラコに手渡ししていきながら、レギュラスはウィーズリー家からのプレゼントに行き着いた。

「これ、ロンおじさんからだよ! どんなプレゼントだろう――」

 ロン、という名前にピクリとドラコが反応する。ロン、ロン――?

「駄目だ、レグ!」

 咄嗟に叫んだドラコだが、時既に遅し。レギュラスは片手サイズの小箱を開け、中からモクモク出てくる黄色い煙に顔を覆われている所だった。

「レグ!」

 慌てて駆け寄ったドラコはふらつくレギュラスの身体を支えた。動悸を確認し、目や喉に異常がないか念入りに調べた。

「大丈夫か? 気分の悪い所は?」
「ウ、ウン! 大丈夫ダヨ!」

 パチパチと瞬きしながら答えたレギュラス。見た目にはおかしい所はない――が、声がおかしかった。

「アレ? 僕ノ声オカシクナッチャッタ!」

 レギュラスの声は、異様に高くなっていた。まるでしもべ妖精のようなキーキー声だ。

「クリーチャートオ揃イダ!」

 レギュラスは奇妙な声のことを気に入ったようだが、大人達はそうはいかない。ロンが危険なものをプレゼントするわけはないが、しかしそれが子供に対してもそう言えるとは限らない。今だってレギュラスが煙に覆われたときは生きた心地がしなかった。

「レグ、可愛い声してるわ」
「モウ煙ハ出テ来ナイノカナ? アリエスモオ揃イニナレタノニ」
「ロンおじさんにおねがいしたら私も同じようにしてもらえるかしら?」
「もちろんだとも! 可愛いアリエスお嬢ちゃんのためならね」
「おじさん!」

 煙突飛行でいつの間にかブラック邸にやって来たのか、ロンはアリエスを軽々と持ち上げた。アリエスは喜んで歓声を上げる。

「ロンオジサン! 僕モヤッテ!」
「でも、なんでレギュラスが引っかかってるんだ? ドラコのお間抜けな姿を見る気満々でやって来たのに……」
「ロン、詳しく話を聞かせてもらおう」

 険しい表情をするドラコに、ロンは気にした様子もなくカラカラ笑った。

「別に大した話じゃないさ。声高鳴るガス。私がアイデアを出してジョージが開発したんだ。どうせなら仕掛けがいのある奴の方が良いだろう? カレンダーを見たら、丁度ドラコの誕生日が近いと来た! これを使わない奴はいない」
「レグに何かあったらどうするつもりだったんだ!」
「まさかレギュラスが開けるとは思わなかったんだよ。子供にだって影響はないから安心してくれ」
「でも、どうしてタイミング良く? ハーマイオニーも来るの?」
「いや、ハーマイオニーは今日は残業だ。私は今か今かとプレゼントが開封されるのを待ってたんだ。仕掛けが作動したら私に知らせが入るようにしていたのさ。いち早くドラコをからかえるようにね」
「今更ながらお前がフレッドとジョージの弟だと思った」

 ジトリと睨み付ける視線にもロンはものともしなかった。

「お褒めにあずかり光栄なことだ」
「ロン、一緒にワインを飲んでいかない? まだたくさんあるのよ」
「それは嬉しいなあ。良いの?」
「もちろんだとも。そうだ、ハリーやジニーも呼ぼうか? ハーマイオニーも、残業が終わったらこっちに来れないか聞いてみよう」

 シリウスはすぐさま守護霊の呪文で伝言を送り、知り合いを呼び集めた。ハーマイオニー以外は非番だったようで、皆が駆けつけてちょっとした宴会になった。

 久しぶりに友人に会えた喜びで、ハリエットもドラコも少しお酒を飲み過ぎてしまった。主役たるドラコなんかは皆に酒を勧められて足がふらつくくらいだ。ブラック邸は階段が多いので、就寝時間になるとハリエットが寝室までドラコを連れて行った。

「飲み過ぎよ。レグ達がびっくりしてたわ」
「ハリーが勧めるから……」
「断らなかったのはあなたでしょう?」

 ドラコをベッドに座らせ、ハリエットはドレッサーの前に腰掛け髪をブラッシングし始めた。――と、後ろからドラコが腕を回して抱きついてきてハリエットはどうにも動けなくなる。

「まだ言われてない」
「何が?」
「おめでとう」

 一瞬の間を置いてハリエットは笑い出した。

「言われたいの? 子供みたい」
「たまたま今思い出しただけだ」

 酔いが覚めたのか、恥ずかしそうに離れようとするドラコを、ハリエットは立ち上がって逆に引き留めた。

「拗ねないで」
「別に拗ねてなんか……」
「おめでとう」

 耳元で囁いた後、ハリエットは伸び上がってキスをした。ドラコもすぐに目を細めてハリエットの後頭部に手を当て、角度を変えて深いキスをする。

 吐息に熱がこもってきた所で、どちらからともなくそのままベッドに倒れ込んだ。

「ねえ、ドラコ」
「なんだ?」
「あなたに出会えて良かった」
「――僕も」

 背中に腕を回してドラコはハリエットを抱きしめた。誰よりも幸せな気分でハリエットは目を積むる。

 社会に出てから『私』と言うようになったドラコだが、二人きりになると時折無自覚の『僕』が出てくるのが可愛く思えて仕方なかった。ハリエットは一層ドラコにぎゅっと抱きつく。

「確か、君は明日休みだろう?」
「でもドラコは仕事でしょう?」
「朝はちょっと寝すぎたくらいなんだ。だから、少しくらい夜更ししても――」

 遠回しにお誘いをかけるドラコに、ハリエットはキスをして返事をした。彼も了承と取ったのだろう、キスをしながらドラコがハリエットのシャツに手をかけた所で。

「お父さん、お母さん」

 控えめな息子の声が響いて二人は飛び上がった。咄嗟に身を起こせば、入り口にレギュラスとアリエスが立っているではないか!

 慌てて自分達の服装を確認して、すぐさま胸をなで下ろす。どちらも服はまだ乱れていない――息は乱れているが。

「今日一緒に寝てもいい?」

 レギュラスとアリエスは不安そうに手を繋いでいた。まだ小さいアリエスは、夜に古いブラック邸内を歩くことを苦手としている。それなのにここまで来たのはひとえにレギュラスが今口にした目的を果たすためだろう。

「駄目?」

 なかなか返事が返ってこないのでレギュラスはへにゃりと眉を下げ、アリエスは悲しそうに下を向く。ハリエットは苦笑してドラコを見た。

「大丈夫? お父さん・・・・?」
「――大丈夫だよ、私は」

 あ、父親に戻った。

 これがツボに入って、ハリエットはその後しばらく笑いを止めることができなかった。