■アフターストーリー

04:未来を見据えて


 スネイプが目を覚ましたという情報は、シリウスほど新聞の大見出しにはならず、かといって彼をよく知る者の間では瞬く間に伝播していった。ホグワーツの内外問わず、彼に複雑な心境を持つ者は多い。魔法薬学では幾度となく彼に嫌な思いをさせられ、今学期ではヴォルデモートのしもべとしてホグワーツを支配し、落ちるところまで落ちたかと思いきや、その実、ずっとダンブルドアのスパイとして暗躍していたということが明らかになったのだ。戸惑うなと言う方が無理というもの。

 闇祓いは、一足先にスネイプから話を聞きに行ったようだ。朗報だったのは、スネイプの話とハリー、ハリエット達の証言に齟齬はなく、直に彼が無罪になるだろうという点だ。トンクスが言うには、スネイプはピンピンしていて、今にも退院しそうに見えたということだが、やはり自分の目で確かめなければ信じられないし、直接話もしたい。

 この話を聞いたとき、途端にソワソワしだした双子を見て、シリウスは見舞いに行くかとポツリと言った。その時のシリウスは、非常に、本当に渋い顔をしていた。自分の口から『見舞い』という言葉が飛び出すのも嫌そうだったが、『いや、でも一応ハリー達を守ってくれたんだし』という複雑すぎる感情が巡り巡って彼にこういう表情をさせているらしかった。

 まだスネイプは本調子じゃないかもしれないと謎の気遣いを見せて、シリウス達はそれから二日後に聖マンゴ病院を訪れた。

 あれから時間的余裕はあったが、スネイプと会ったときにどんな話をすればいいかは、全くもって考えていなかった。だからこそ、病室の前で三人は途方に暮れる。

「先に行ってくれ」

 絶対に一番に病室に入りたくないシリウスは、そんなことを言い出した。あくまで自分は双子の付き添いなだけで、自分自身にスネイプを見舞う気は微塵もないというのが建前らしい。

「えっ、シリウスが先に行ってよ」

 そう返したのはハリーだ。

 スネイプに感謝はしている。自分たち双子のために、二重スパイという危険な所業まで引き受けたのだ。ハリーにあるのは感謝と申し訳なさと、途方もないむず痒さだ。いざスネイプと対面するとなると、途端にどんな顔をすればいいのか分からない。

「じゃあハリエット。君が行ってくれ」
「わっ、私?」

 ハリエットはまごついた。スネイプと話がしたいのは事実だ。ただ、何を話せばいいのだろう? 感謝を伝えたとしても、スネイプは素直に受け取るだろうか。そんな様がちっとも思い浮かばないハリエットは、扉の前で臆していた。

「病室の前でゴチャゴチャと騒ぎ立てて、君たちは常識というものを知らないのかね?」

 稀に聞く低い声に、三人は綺麗に揃って振り返った。背後には、眉間に皺を寄せ、患者服という見慣れない格好をしたスネイプが立っていた。いつも真っ黒なコウモリのようなローブばかり着ているので、爽やかな水色に顔が引きつりそうになる。

「す、スネイプ先生……」
「我輩は今は『先生』ではない、ミス・ポッター。そんなことも言われなければ分からないのかね?」
「嫌味は健全なようだな」

 シリウスは冗談とも本気ともとれる声色で言った。スネイプは顔色一つ変えない。

「先ほど常識を解いてやったにもかかわらず、君たちはまだ退かないつもりか? 病人を立たせたまま見舞うとは、君たちの常識は随分と荒療治だな」

 今度こそ三人は扉の前から身を退けた。ハリエットがススッと扉を開けると、まるで王様のように堂々とスネイプは病室に入っていった。シリウスは百味ビーンズのゲテモノ味を引き当てたような顔つきだった。

 室内は、スネイプにはあまり似つかわしくない明るい部屋だった。大きな窓から入ってくる陽光を浴びた彼は、今が夢なんじゃないかと思わせてくれる。

 彼のすぐ側には、大輪の花を飾った花瓶もあり、鼻腔をくすぐる芳しい香りは、三人をムズムズさせた。

「お、お怪我の具合はいかがですか?」

 病室に入ってからというもの、誰一人として口を開こうとしないので、沈黙に耐えきれなかったハリエットが口火を切った。

「良好だ。一週間後には退院できるだろう」
「それは良かったです」

 再び沈黙が支配する。ハリーは意を決して顔を上げた。

「スネイプ先生、僕たちを助けてくれてありがとうございました」

 スネイプは何も答えない。ハリーは構わず続けた。

「あなたのおかげで、僕たちはここにいます。あなたがいなければ、魔法界だってどうなっていたか分かりません。二重スパイをやり遂げたあなたに、本当に……心から尊敬と感謝をしてるんです」
「何を過大評価しているのかは分からないが、我輩は自分のためにしたまでだ。己のためにしてくれたなどと、随分と自惚れた考えをするのだな」
「ハリーがここまで言っているのに、こういうときくらい静かになれないのか!」

 堪らずシリウスが口を挟んだ。スネイプは嘲笑を浮かべてシリウスを見る。

「その言葉、そっくりそのままお返ししよう。ようやく日の目を見れて生き生きしているようだが、ブラック、病室では静かにしてくれんかね? ここは我輩の病室だ」

 シリウスはうっと詰まる。まるでいつかの口論の続きを見ているかのようだ。

 犬猿の仲の二人を同じ空間にいさせれば、やがて大喧嘩に発展してしまいそうな雰囲気を感じ取り、ハリエットは、シリウスを連れ出すことにした。ハリーだって積もる話もあるのだ。彼の後で、自分もスネイプと二人きりにさせて貰おうと思った。

 しばらく中庭に出てシリウスの頭を冷やそうと思ったのだが、それは予想以上に効果てきめんで、シリウスはむしろ大人しくなりすぎた。

 彼も彼で、スネイプに感謝していることは間違いないようだ。だが、長年の確執と、スネイプの方も一筋縄ではいかない性格をしているのも相まって、顔を合わせれば互いに反発してしまう。

 せめてどちらか一方が海のように広大で寛容な心を持てば何かが違ったのだろうが、それを求めるのはこの二人には無理というもの。

 シリウスの元気を取り戻そうとしていると、やがてハリーが交代しにやって来た。ハリーはシリウスの様子を見て全てを理解したようで、『シリウスは任せてよ』と言ってハリエットを送り出した。

 ハリエットが再び病室に戻ると、スネイプはベッドに横たわっていた。その顔には疲れが見え隠れしていて、ハリエットは申し訳なく思った。

「長々と居座ってすみません。私も、直接お礼を言いたくて……」
「礼を言うのは我輩の方だ」

 思いも寄らない言葉に、ハリエットはまじまじとスネイプを見つめた。スネイプは、その黒い瞳でハリエットを見つめ返した。

「ミス・ポッター……不死鳥を遣わしてくれたことに礼を言おう」

 そのことか、とハリエットは少し視線を下げる。

「私は、何も……。フォークスがやってくれたんです」
「不死鳥は主の想いに応える。君が欠片でも我輩を助けたいと思ったが故のことだろう」

 それでも、ハリエットは納得がいかなかった。実際にスネイプを助けたのはフォークスだ。ハリエットはただヴォルデモートに捕まっていただけで。

「君は、リリーによく似ている」
「えっ」

 ハリエットは思わず顔を上げた。思っていたよりも優しい顔でスネイプが待ち構えていた。

「外見ではない。リリーのように分かりやすくはないが、内に秘めたる勇気は並大抵のものではない。ポッターも……母親に似ている。内面は」

 慌ててスネイプは付け足した。ハリエットは顔がほころんでいくのを感じた。

「スネイプ先生から、初めて母のことを聞きました。もっと聞きたいです」
「それについては、我輩よりも適任がいるだろう。同じ寮だったのだから」
「でも、入学前から一緒にいたのはスネイプ先生ですよね? 母とどんな風に遊んでいたのか……いつか、聞かせていただけると嬉しいです」
「……考えておこう」

 スネイプがふいっと顔を背けたので、ハリエットはもうお暇することにした。ハリー達を呼んできます、とハリエットは扉を開けた。

「我輩も、君たちの後見人にあれこれと偉そうなことは言えまい……」

 病室を出て行くとき、スネイプは小さく呟いたが、ハリエットには、その意味はよく分からなかった。

 その後、最後に三人まとめて、スネイプに挨拶をした。その際、またもシリウスとスネイプの間には火花が散ったが、そこにはもうかつての憎悪はなく、ただただ『嫌い』という感情があるのみだ。それが良いことか悪いことかはさておき――嫌味を言うスネイプは、どことなく生き生きとして見えたので、入院患者である彼にとっては、少なくともシリウスの見舞いは元気の薬だったかもしれないとハリエット達は思うことにした。

 スネイプが目を覚ましたことで、ハリー達の証言と照らし合わされ、無実が確定すると、日刊予言者新聞からある記事が出されることになる。

 『陰の立役者、セブルス・スネイプが生涯をかけて愛した人』という題で書き殴られたその記事には、もちろんハリー達の母リリー・ポッターのことが書かれており、それを読んだスネイプがハリー――己の愛を暴露した張本人――に対して今まで以上に当たりがきつくなってしまうのは、また別の話である。


*****


 その日、シリウスとハリーは騎士団の活動を休む気満々だったので、久しぶりに三人水入らずで遊べることになった。聖マンゴ病院を出てすぐロンドンに行き、映画やゲームセンター、ショッピングを楽しんだ。少し疲れたと思ったら、唐突にハーマイオニーのお宅にも顔を出した。アポも無しに、とハーマイオニーは呆れた顔をしていたが、グレンジャー夫妻には喜ばれた。元脱獄囚の肩書きである冤罪のシリウス・ブラックに、彼らは少しだけおっかなびっくりに対応していたが、やがて彼の大らかでユーモアある対応に父親と意気投合したようで、一緒になってハーマイオニーをからかい、ハーマイオニーにまとめて怒られていた。

 夫妻はぜひ夕食を一緒にどうか、とまで誘ってくれたが、三人は辞退した。さすがに急に三人も夕食の席が増えるのは忍びない。それに、クリーチャーが屋敷で待っている。

 遅くなる前に屋敷に帰り、三人は久しぶりに一緒に夕食を食べた。そこではいつものように騎士団の活動が話題に上がったが、ハリエットは、思い切ってハリーに尋ねた。

「ハリーも手紙読んだでしょう? ホグワーツ復学の。ハリーはどんな風に考えてるの?」
「うーん……」

 ハリーは至極難しい顔をした。

「闇祓いにならないかというお誘いが来てるんだ。キングズリーから。今はまだ死喰い人もあちこちにいるし、人手が足りない。ただ、誰でもいいというわけではない。ハリーの実力は申し分ないし、即戦力にもなるから、ぜひにということだ」
「悩んでるんだ」

 シリウスの言葉を引き継いで、ハリーが言った。

「すごく魅力的なお誘いだよ。闇祓いは簡単になれるわけじゃないし、僕は勉強よりも実践の方が好きだし」

 そう言うハリーは、既に闇祓いの方に傾いているようだ。何となくそんな気がしていたハリエットは、少しだけ寂しく思った。ハリーとあと一年ホグワーツで過ごせればどれだけ楽しいだろうと思うが、しかし、自分のそんな我が儘で、ハリーの将来を閉ざすわけにはいかない。

「ただ、わたしも一個人として感想を言わせてもらうと、もったいないとは思うな」
「そうよね……。闇祓いは、ただでさえ狭き門だって言うし」
「ああ、いや、わたしが言ってるのはそっちじゃない」

 ハリー、ハリエット両方の目がシリウスに向いた。

「ホグワーツの話だ。輝かしい青春は今この時しかない。わたしは、誰がなんと言おうと、ホグワーツで楽しい青春を過ごせたと思っている」

 そう口にするシリウスの顔は、少しだけ寂しそうだった。かつての友人は、ルーピン以外、もう手の届かない場所にいる。

「勉強するにしろ、悪戯をするにしろ、校則違反をするにしろ……友達がいるから何だって楽しくなるんだ。辛いことだって乗り越えられる。わたしは、そんなに焦らなくてもいいと思う。確かに君たちは成人になったが、ホグワーツを卒業したら、いよいよ大人として見られるようになる。特にハリー、君は魔法界を救った英雄として、常に周囲の注意を惹きつけるようになる。記者や、お偉いさんや、もちろん普通の魔法使いだって。ホグワーツであれば、そういった煩わしさからも多少は逃れられるだろう」
「でも、早い内に死喰い人を捕まえないと。時間が経つにつれ、外国に逃亡する死喰い人もいるかも」
「ハリー、闇祓いはそれほど人手不足というわけではない」

 どことなくシリウスは胸を反らしたように見えた。

「特に、わたしが入るからには百人力だろうな」
「……えっ?」

 ハリーとハリエットは、全く同じ顔で固まった。シリウスはニヤリと笑う。

「わたしも闇祓いにならないかと誘われてるんだ」
「おめでとう!!」

 ふわふわとした心地で双子は心から祝った。彼ほど闇祓いが似合う人もいないだろう。闇祓いは危険な仕事なので、心配や不安は常につきまとうだろうが、それでもシリウスが望む道が開けているのが嬉しい。

「実はリーマスも誘われている。騎士団の活動が実を結んだようだ」
「ルーピン先生も!? そんな、すごくおめでたい話だわ……!」
「だから、そんなに急いで闇祓いにならないとと焦る必要はないんだ」

 シリウスは一つ咳払いをした。少し話が逸れたと思ったようだ。

「君ほどの名声を持つ魔法省が逃すわけがない。君は来年になったとしても、ぜひ闇祓いにという声がかかるよ。もちろん、その実力だってある」
「…………」

 信頼を置くシリウスの言葉に、ハリーはかなり揺れているようだった。シリウスと共に闇祓いになるというのも魅力的だし、かといって、ホグワーツで過ごすのは、この機会を逃すともう二度と手に入らないものだろう。

「それに」

 シリウスは急に真面目な顔を崩し、ニヤッと笑った。

「ジニーと同級生として勉強できるんだぞ。この機会を逃す手はない」
「シリウス!」

 途端に怒りだしたハリーを見て、シリウスは軽快に笑い出した。

「まだ時間はあるんだ。たくさん悩んで考えるんだ。わたしは、君の決めたことだったら何でも応援するよ」

 シリウスがそう締めくくり、この話は終わりになった。ハリエットも、シリウスの意見に大いに賛成だったので、それ以上は何も言わなかった。

 ただ、一週間後、ハリーから、復学することにすると言われたときは、諸手を挙げて喜んだ。これで、一年間はまたハリーと一緒にホグワーツで過ごすことができるのだ。

 若干照れくさそうにするハリーを見て、シリウスは言わずにはいられなかった。

「さすがのハリーも、ジニーという誘惑には抗えなかったか……」
「シリウス! 本当に怒るよ!」

 今日もグリモールド・プレイス十二番地は平和だった。