■アフターストーリー

05:屋敷で二人


 ハリーの復学問題が解決したと思ったら、今度はドラコだった。

 ドラコには、ハリーと並行して、ホグワーツに復学するのかどうかを手紙で尋ねていた。やきもきして返事を待っていたハリエットは、ウィルビーが携えた返事を見て愕然とした。嫌な予感が当たったのだ。

 ハリエットは、すぐに会って話したいとドラコにまた手紙を送ったが、返事には申し訳なさそうにノーと書かれていた。やはり、まだ人の目のある場所に行くわけにはいかないとのことだ。ただ、ハリエットの方も、何としてでもドラコと話がしたかったので、だったらブラック邸に来れば良いと方向性を切り替えた。ハリエットも、もともとそのつもりだった。ダイアゴン横丁よりは自宅の方がよっぽど落ち着いて話ができるし、人の視線を気にすることもない。

 二度目の手紙では、ようやく了承の返事を受け取り、ハリエットはホッとした。そして肝心の日取りは、ハリーもシリウスもいない日になった。別段、ハリエットがそう画策したわけではない。二人が屋敷にいることの方が珍しかったし、二人がいたらいたで、ドラコとゆっくり話もできないのではと思ったので、むしろ良かったと思った。――ようやくと、ハリエットは最近、どうやらシリウスがドラコのことを好いてはいないようだと気づき始めていた。ハリエットがドラコの話を始めると、顔には出さないが、声色がひどく不機嫌なものになるからだ。

 そんなこんなで、約束の日、ドラコはクリーチャーの付き添い姿現しでブラック邸にやって来た。何故だかドラコはぴっしりと礼儀正しい格好をし、かつ手土産も持参してきていた。緊張した顔で開口一番に『ミスター・ブラックは?』と尋ねた。不在だと答えると、ホッとしたような、困惑したような顔になった。

「いつ戻ってくるんだ?」
「夜かしら。いつも遅いの」
「ハリーは?」
「ハリーもシリウスと一緒よ。ほら、騎士団の活動を手伝ってるって言ったでしょう?」
「…………」

 途端にドラコはソワソワと落ち着きがなくなった。不自然に視線を合わさず、初めてブラック邸に来たと言わんばかりに、あちこちに視線を這わせる。ただ、クリーチャーが『お召し物を』と話しかけた途端、急に大人しくなった。黙って暑そうな上着を脱いで彼に渡す。コロコロとドラコの様子が変わるので、ハリエットはどこか体調でも悪いのだろうかと心配になった。

 とはいえ、久しぶりに会ったというのに、挨拶も何もなくシリウスやハリーのことばかり聞かれるのは若干不服だ。

 少しだけむくれながら、ハリエットはドラコを屋敷に引き入れた。ハリエットは当然のように自分の部屋へ案内しようとしたが、ドラコには頑として断られた。彼曰く、お茶が飲みたいと。

 お茶なら私の部屋でも飲めるわと答えたが、それでもドラコは譲らなかった。なぜか厨房で話をすることになった。

 クリーチャーに紅茶を入れて貰い、二人は向かい合って座る。

「それで、ドラコ」

 そして開口一番、ハリエットは一番聞きたかったことを口にした。

「本当にホグワーツに復学はしないの?」
「……ああ」
「どうして?」
「僕は……ふさわしくないだろう」

 想像していた通りの返事が返ってきて、ハリエットは悲しくなった。

「あなたは無罪よ。それどころか、私達と一緒に戦ってくれたんだから、賞賛されるべきよ。誰にも文句は言わせないわ」
「でも、誰か一人でも不満に思う時点で、僕に復学の道は残されていない」
「どうしてそんな風に思うの?」

 次第に腹立たしくなってきて、ハリエットは膝の上で拳を握った。

「自信一杯だった頃のあなたはどこに行ったの? 今のあなたはらしくないわ。この一年で、すっかり大人しくなっちゃったもの」

 今のドラコは、嫌いではない。悪口は言わないし、礼儀正しいし、何よりよく笑うようになった。だが、一方で、昔のドラコが懐かしいと思うこともある。偉そうで嫌味で自信満々で――嫌味なところはなくていいとは思うが――溌剌と口喧嘩していたあの頃が少し懐かしい。

「私はまた一緒にホグワーツに通いたいわ」

 ハリエットは寂しそうに下を向いた。

「寮は違うけど、ドラコがいてくれたら、今まで以上にホグワーツが楽しくなると思うの。もちろん、ドラコが何か他にやりたいことがあるのなら別だけど……」

 思い切って、ハリエットはドラコの手を握った。

「あなたはどうしたいの? 周りがどんな風に思うかじゃなくて、ドラコはホグワーツに通いたいの?」
「…………」

 ドラコは長い間何も答えなかった。自分の中の何かと葛藤しているようだった。その時点で答えは出ていると思ったが、ハリエットは辛抱強く待った。

「……通いたい」

 そしてようやく答えが出たとき、ハリエットは満面の笑みを浮かべた。

「じゃあ通いましょう! ホグワーツはどんな人でも大歓迎だわ。たとえ自分に自信がない人でもね」
「だが……」
「でももだっても禁止よ。もしそれ以上何か言うつもりなら、私、マクゴナガル先生に手紙を書くわ。ドラコがうじうじうるさいって。先生なら吠えメールを送ってまでドラコをホグワーツに通わせようとするでしょうね」

 容易にその光景が想像できたのか、ドラコは渋い顔になった。ハリエットはコロコロ笑う。

「一緒にホグワーツに行きましょう。今までで一番楽しい一年になるはずだわ」

 やがて、ドラコは首を縦に振った。ハリエットはホッとして表情を緩ませる。

「そうと決まれば、ダイアゴン横丁に行かないと! 教科書のリストが送られてきたら、一緒に買い物に行かない?」
「いや、でもあそこは人が多いから」
「でも、教科書は必要でしょう? 人の目を避けたいのなら、ほら、前みたいに魔法で髪色を変えれば良いわ。それだけでも随分雰囲気は変わるもの」
「そうだな……。考えておく」

 ドラコがそう答えたことで、この会話は一旦幕を閉じた。ホグワーツという話題が終わった所で、ハリエットはソワソワしだした。

「何だか……緊張するわ」

 思いも寄らない言葉に、ドラコは目を瞬かせる。そのことに気づいたハリエットは、言い訳するかのように早口で付け足した。

「だって、あんなに毎日一緒にいたのに、しばらく離れてただけで、急に何を話せば良いか分からなくなるんだもの」

 四六時中一緒にいたのだから、毎日毎日飽きることなくいろんな話をしたはずだが、しかし、今のハリエットにはそれを思い出すだけの余裕がなかった。

 ドラコからはむしろ余裕しか感じられなくて、ハリエットは恨ましげに彼を見た。だが、綺麗な微笑を浮かべたドラコと目が合い、困惑する。

「僕は、君と一緒にいられるだけで嬉しい」

 そうして呟かれた言葉に、ハリエットは唐突に立ち上がった。俯き、その表情は見えない。

 何か気に障るようなことでも言ってしまっただろうか、とドラコが不安に思う中、彼女は徐に歩き出し、ドラコの隣に腰を下ろした。

「……どうか――」

 したか? と最後まで言えないまま、ドラコは全身を強ばらせることになった。ハリエットが頭を自分の肩に預けてきたからだ。

 ドラコの心臓は一瞬で早鐘を打つ。随分前から状況を把握していた頭が、今の事態を再分析していた。

 シリウス・ブラックとハリーは夜になるまで帰ってこない。クリーチャーもどこかに姿を消している。ここは厨房、今は二人きり。

 むせかえるような甘い匂いに背を押され、ドラコはハリエットの肩に腕を回した。彼女が自ら隣に来てくれたからには何もせずに帰したくなくて、ドラコは艶やかな赤髪に指を滑らせ、唇を落とす。ハリエットは驚いたようにもじもじと身じろぎした。

 こっちを向いてくれないだろうか、とドラコが思った矢先、ハリエットが僅かに顔を上げた。恥ずかしげに臥せられた目に、ドラコは彼女も同じ気持ちなのだと理解した。

 彼女の頤に手をかけ、ドラコは真正面からハリエットを見つめる。

 透き通るような綺麗な瞳だと思った。芳しい香りの赤髪も、ほんのり色づいた頬も、ドラコを誘惑するような赤い唇も、何もかもが愛おしい。

 引き寄せられるようにしてドラコが彼女に顔を近づけると、チン! とこの場にそぐわない高い音が響き渡った。ハリエットとドラコは文字通り飛び上がった。そのすぐ後、申し訳なさそうな顔をしてクリーチャーが姿現しをする。

「ドラコ様がいらっしゃるとのことで、タルトを焼いておりました……」
「ありがとう、クリーチャー」

 髪色と同じくらい真っ赤な顔をしながらハリエットは言った。

「それで甘い匂いがしていたのね」
「お茶の時間にしましょうか?」
「ぜひ」

 それからの二人は、至って健全な時間を過ごした。お茶の時間が終わると、邪魔者は退散しますとでも言い足そうな顔をしてクリーチャーは姿くらましをしたが、後ろめたいことをしていたという自覚はあったため、もうこのブラック邸で先程の続きをやろうという気概は起こらなかった。

 ドラコは、どこか物足りなさそうな顔をしながら、しもべ妖精の姿くらましで帰って行った。彼を見送るハリエットの方も、同じような顔をしながら、しょんぼりして彼を見送った。


*****


 ドラコの来訪から数日後、ハリーとハリエットの、十八回目の誕生日がやって来た。

 三人は、その日は朝からお出かけしていた。シリウスが、かねてから双子が行きたがっていた遊園地へ連れて行ってくれたからだ。

 幼少の頃より憧れていた遊園地に、ハリーとハリエットのテンションは振り切れていた。あれに乗りたい、これに乗りたいと散々シリウスを連れ回し、そして思う存分遊園地を堪能した。

 イギリスでも有数のその遊園地はなかなかの人混みで、一つのアトラクションに乗るにはかなりの時間を有したが、シリウスと一緒にいられるのであれば、退屈なんてことはない。

 マグル界では、ハリー達三人は有名人ではないが、しかし、ハリエットがナンパされ、バジリスクの睨みと違わぬ殺意を孕んだシリウスの視線によって男達は蹴散らされ、かと思えば、今度はシリウスが女性に声をかけられ、双子がヤキモチを焼いて彼にまとわりつき、何だ子持ちかとすごすごと引き下がられたりした。

 素敵な一日を過ごし、ブラック邸に戻ってくると、双子の誕生日を祝うため、パーティーの参加者達がぞろぞろやって来ている所だった。

 ウィーズリー家にハーマイオニー、ネビルにルーナ、ルーピン家やオリバンダーも招待していた。残念ながらドラコは来ていなかった。まだ自らを謹慎に処しているのだ。

 だが、それでも充分ハリエットは幸せだった。年を重ねるごとに、毎年、こんなに幸せな誕生日はないと上書きされていくのだ。そのことが嬉しくて嬉しくて堪らない。

 パーティーは夜遅くまで尾を引き、さすがに真夜中を越えるという時間になって、ようやく皆煙突飛行ネットワークでそれぞれの家へ帰っていった。モリーの目をかいくぐり、ロンはしこたまお酒を口にしていたため、彼が一番千鳥足だった。ろれつの回っていない舌で『隠れ穴!』と叫んでいたため、二年生の自分たちと同じようなことにならないか、ハリエットはひどく心配だった。

 おやすみの挨拶をして、ハリエットも自室に引っ込んだ。パーティーで全て開け終えたプレゼントを一つ一つ丁重にしまい、そして最後に一つ残った小さな箱をテーブルの上に置く。

 ブルーの包装をされたその箱は、ハーマイオニーからのプレゼントだった。一人になったら開けて欲しいと手渡され、ハリエットは今の今まで開けられずにいたのだ。

 包装を解くと、中から繊細なガラス瓶が出てきた。中には淡いブルーの液体がひたひたと閉じ込められている。

 ハリエットは、ハーマイオニーからの手紙を開いた。
『ハリエット、お誕生日おめでとう! 今年の誕生日は何にしようかって悩んでたんだけど、丁度日刊予言者新聞の隅に広告が載ってて、気になって注文してみたの。『夢見薬』って言って、いろんな夢が見られる魔法薬ですって。私も一つ買ってみたんだけど、とても幸せな夢を見たわ。ハリエットも一度試してみて。どうか安らかな夢が見られますように』
「ハーマイオニー……」

 ありがとう、とハリエットは呟いた。そしてもう一度ガラス瓶と、一緒に入っていた説明書きを読み込む。

 今や就寝前の欠かせない習慣になっていたハーブティーに数滴『夢見薬』を落し、ハリエットは啜った。ハーブティーの味を損なうことなく、どこかさっぱりとした後味が残る。

 全て飲み終えたハリエットは、ドキドキしながらベッドに横になった。フォークスが心配そうに鳴いたが、ハリエットは安心させるように微笑みを返す。

 この時間、眠るのが怖いと思うのが常だったが、しかし、今日ばかりは、期待に頬を紅潮させながら、ハリエットは目を瞑った。