■アフターストーリー

07:新学期に向け


 ホグワーツ最後の新学期が幕を開けるほんの二日前、ハリエットは、ドラコとダイアゴン横丁に行く約束を取り付けていた。彼は最後まで渋っていたが、ハリエットに押し切られる形で承諾したのだ。教科書を買うためには絶対にダイアゴン横丁に行かなければならないのだから、と。ずるい約束の取り付けだとは思ったが、ハリエットはデートに浮かれていたために気にしないことにした。

 ハリーやロン、ハーマイオニーにも、皆で教科書を買いに行こうとそれぞれから言われてはいたが、折角なんだから恋人とデートすればいいでしょう、とハリエットはうそぶいた。三人が一緒になって誘ってくれば、おそらくどうしてそんなことを言い出すんだと逆に問い詰められたことだろうが、ロンとハーマイオニーからは手紙、ハリーからは直接と、それぞれに言われていたので、今回の計画は実行に移すことができた。

 ロンには、折角なんだからハーマイオニーと二人で行きなさいと、ハーマイオニーにはロンと行けばと、ハリーにはジニーを誘えと、涙ぐましい努力でそれぞれをせっついた。もしかしたらハーマイオニーにはバレているかもしれないが、この夏、ドラコとは滅多に会えなかったので、大目に見てもらおうと思っていた。自分もなかなか狡猾な誰かさんに似てきたかもしれないと、ハリエットは嬉しくなった。

 当日、例によって、ハリーとシリウスは朝から家にいなかったので、ハリエットはのびのびと身支度をすることができた。気合いを入れて準備をしているだけで、誰に会うんだとか、夜には帰ってこいだとか、小うるさいシリウスをあしらわなくて済むので、非常に気が楽だった。

 ハリエットは散々迷った挙げ句、シリウスに買ってもらった若草色のワンピースに、少しだけヒールのあるパンプスを履き、髪はまとめてポニーテールにした。ワンピースは、細部に暖色系の花々が刺繍されており、ハリエットも気に入っている服の内の一つだ――ドラコに合わせて、少しだけスリザリンカラーを意識したのは内緒だ。

 帽子を被っていこうか最後まで悩んだが、結局止めにした。日刊予言者新聞によって、顔は知られているようだが、ハリーほど大した功績はないのだ。今までハリーやシリウスといたから自分も握手を求められたのであって、一人の時は見向きもされないだろうと思ってのことだ。

 煙突飛行ネットワークを使って、ハリエットは漏れ鍋まで移動した。早めにつきすぎてしまったので、ギリーウォーターを飲んで待つことにした。本当はバタービールを頼みたかったのだが、待ち合わせの時、一人でジョッキを傾けている姿を万が一にもドラコに見られるのは嫌だと思ったからだ。

 ハリエットはやたらとソワソワしながら待ち人を待った。その途中、声をかけてくる人は何人かいたが、皆友好的で、いい人達ばかりだった。ハリーによろしくと、顔も名前も知らない人――おそらくハリーも知らない相手だろう――に言われたときは、苦笑いを浮かべるしかなかった。

 懐かしいことに、ホグワーツ生ともばったり会うことがあった。ディーンは他寮生のマグル生まれと一緒に来ていたし、他にもちらほらマグル生まれと二言三言言葉を交わした。皆、復学のために教科書を買いに来たのだという。学用品を購入するタイミングは、皆似たり寄ったりなので、もしかしたら他にも誰かと会えるかもしれないとワクワクしたし、どうやら今年のホグワーツも賑やかになりそうで、ハリエットは嬉しくなった。

「ハリエット」

 暖炉の方ばかり見ていたハリエットは、後ろからの気配に全く気づかなかった。振り返れば、約一月振りのドラコがいた。てっきり煙突飛行でやってくるとばかり思っていたので、ハリエットは拍子抜けした。

「おはよう。久しぶりね。車で来たの?」
「いや、しもべ妖精の姿くらましで。煙突飛行は混むと思ったから」

 目の前でドラコが話すのを見つめながら、ハリエットは嬉しくなって目を細めた。約一ヶ月ぶりだ。もしかしたら身長も少し伸びた気がする。

「髪、上げてるんだな」
「変かしら?」

 ハリエットは反射的に髪に触れた。最近は滅多に髪をまとめることはなかったので、涼しいのは良いが、少し首元がスースーした。

「いや。珍しいと思って」
「今日はちょっと暑かったから」

 ハリエットははにかんで下を向いた。

 ドラコは滅多に褒めてくることはない。だが、こうして気づいてくれるだけで、ハリエットにしてみれば、もう褒めてくれたものと認識していた。――我ながら単純思考である。

「ドラコも今日は黒髪ね。一瞬誰だか分からなかったわ」
「だといいが」

 黒髪はハリーやシリウスで見慣れているが、やはりドラコが黒髪なのは、変な感じだ。似合ってない訳ではないが――やはり、ハリエットは透き通るようなプラチナブロンドのドラコの方が好きだと感じた。

「何か飲む?」
「いや、僕は大丈夫だ」
「じゃあちょっと待ってて。片付けてくるから」

 一息にグラスを煽ると――この時点で、あまり女の子らしくなかったかもしれないとハリエットは後悔した――トムにグラスを渡し、二人揃って漏れ鍋を出た。そして向かうは、ダイアゴン横丁だ。

 歩き出して早々、ドラコはすぐにポケットに手を突っ込んで、バッジを取りだした。

「実は、クィディッチ・チームのキャプテンに選ばれた」
「――っ、おめでとう!!」

 ハリエットはバッジとドラコとを見比べながら、満面の笑みで言った。

「ありがとう」

 ドラコもどことなく照れくさそうだ。ハリエットはうっとり呟く。

「ハリーとドラコの対決が見られるのね。なんだかんだ、二人が対決したのって、数えるくらいしかないもの」

 ドラコの参入は二年生からだし、四年生の時は対抗試合でクィディッチの試合自体なかった。六年生の時、ドラコは試合も休んでいた。

「ハリーに勝てる気はしないが……全力は尽くそう」
「そんな弱気でどうするの? ドラコなら勝てるわよ!」
「僕を応援してくれるのか?」

 意外そうに尋ねられ、ハリエットはうっと詰まる。

 グリフィンドール生なのだから、グリフィンドールを応援するのは当たり前だし、キャプテンのハリーは兄だ。ここまで揃っていれば、ハリエットがグリフィンドールを応援するのはやむを得ないが――。

「今年はドラコを応援するわ」

 ハリエットは照れて下を向きながら宣言した。

「グリフィンドールには優勝して欲しいけど……ドラコにスニッチを取って欲しい」

 それに、ハリーはもはや妹に応援されるような年頃ではない。妹が応援しなかったからといって、実力を出せない訳でもないのだから、ハリエットが誰を応援しようと自由だ。

「頑張ってね」
「ああ」

 ドラコはまた照れくさそうに目を逸らした。ハリエットはしばらくその横顔を見つめていたが、やがて自分も恥ずかしくなって前を向いた。

「そういえば、教科書のリストはもう見た?」
「ああ」
「スネイプ先生、教授に復帰されるのかしら」

 日刊予言者新聞に載っていたが、スネイプは、ホグワーツ校長の座を退いたという。理事の後押しもあって、今はスネイプの代わりとして校長を務めていたマクゴナガルがそのまま校長になるという。

「どうだろうな。闇の魔術に対する防衛術の枠は空いてるが」
「あんまりそのイメージは湧かないけど……」

 六年生ではスネイプからDADAを学びはしたが、未だにハリエットの中では彼は魔法薬学の印象が強い。

「あっ、ねえ、オリバンダーさんのお店に寄ってもいい?」

 丁度杖の店を通りかかったので、ハリエットはドラコのローブを引っ張った。

「もちろん」

 了承が得られたので、ハリエットはオリバンダーを覗き、そして誰も客がいないことを確認すると、喜んで店の中に飛び込んだ。

「オリバンダーさん、こんにちは!」
「これはこれは、ハリエットさんにドラコ・マルフォイさん」

 薄明かりの中、しゃんと背筋を伸ばした老人が二人を出迎えた。

「どうぞどうぞ。中でお茶でも飲まれていきますかな?」
「いえ、そんな! オリバンダーさんの顔が見たかっただけですから。お店はどうですか?」
「ハリエットさん達が手伝ってくれたおかげで、思っていた以上に早く再開ができた。皆には感謝しても足りんよ」
「オリバンダーさんにはたくさんお世話になりましたから」

 ハリエットがにっこり微笑むと、オリバンダーは眩しそうに目を細めた。

「お二人は、ホグワーツには復学するおつもりで?」
「はい。ハリーもロンもハーマイオニーも、皆で復学するんです」

 ハリエットは幸せ一杯の顔で答えた。最高の一年になる自信があった。

「それは良かった」

 微笑みを返すと、オリバンダーは次にドラコに目を向けた。

「して、話は変わるが、ドラコさん。お父上は、未だ借り物の杖を使っていらっしゃるのじゃろうか?」
「……はい」

 躊躇いがちにドラコは頷いた。ルシウスの話題は気まずいのだろう。オリバンダーは、他でもないマルフォイ邸で拷問されていたのだから。

 だが、オリバンダーは臆することなく続ける。

「なら、いつでもオリバンダーの店にいらっしゃるよう伝えてくれんかの? 真から自分のものと言い切れない杖を使っている人を見ると、心が痛くて堪らんのじゃ」
「いいんですか……?」

 今にも消え入りそうな声でドラコは尋ねた。しかしその顔は困惑と期待に満ちている。オリバンダーは大きく首を縦に振った。

「魔法使いにとって杖はなくてはならんもの。お父上もさぞ心許ないお気持ちでいらっしゃることじゃろう」
「ありがとうございます……」

 声を詰まらせながら、ドラコは頭を下げた。

 アズカバン送りにならなかったどころか、執行猶予になり、その上、杖を折られることもなかったルシウス・マルフォイの処遇に、納得がいかない魔法使い、魔女達は山程いる。そんな中、ルシウスを許した訳では決してないだろうが、しかし、魔法使いとしての一般的な人情をオリバンダーが父に向けてくれたことに、途方もなく胸が一杯になった。

 やがて新入生らしき小さい少女が両親に連れられ店に入ってきたので、ハリエットとドラコは彼の店を後にした。

 その後はマダム・マルキンの洋装店でローブと制服の丈を直した。マダム・マルキンには、一昨年ナルシッサを巻き込んでいがみあっていた姿を目撃されていたため、意外そうな顔をされたが、特に何も言われなかった――店員の鑑である。

 さて、最後は教科書を買おうかと書店に向かっていた所で、ドラコは何者かに肩に腕を回される。

「これはこれは」
「仲睦まじくて何よりだ」

 そっくりなその二つの声には、嫌な予感しかしない。咄嗟にドラコは逃げだそうとしたが、行動を起こす前に横を見れば、ハリエットも同じく肩をがっちり掴まれ、捕まっていた。ドラコは大人しくなった。

「うちのロニー坊やはハーマイオニーと教科書を買いに行くって言うし」

 フレッドがニヤニヤして言う。

「ジニーはジニーでハリーと行くって言う」

 ジョージもまた肩をすくめて呟く。

「そうなりゃ、ハリエットは誰と行くのかって俺たち議論してた所だったんだ。それがどうだ。俺たちの店の前をハリエットが楽しそうに歩いて行くじゃないか。しかもその隣には魅力的な黒髪の男が。こんなの、捕まえない訳ないよな?」
「うーん、君は一体誰だ? 見慣れない髪色をしてるけど。ハリエットの恋人かい?」

 フレッドは悪戯っぽい顔で好き勝手にドラコの髪を弄くり回した。絶対に分かっているくせに、ドラコが白状するまで弄り倒すつもりのようだ。

「ドラコ・マルフォイだ……」

 鬱陶しげにドラコはフレッドの手を叩いた。フレッドは大袈裟なまでに驚いた顔をした。

「何だって!? ドラコ・マルフォイ!?」
「あのプラチナブロンドの!?」
「いつも澄ましたような顔をしてる?」
「いやいや、ご冗談でしょう」

 双子は軽快に笑い飛ばした。

「俺たちの知るドラコ・マルフォイは黒髪じゃない」
「俺たちのよく知ってるドラコ・マルフォイは、あんなに優しそうに笑わない」
「俺たちは、ドラコ・マルフォイが女の子と手を繋いで歩いてる所なんて――」
「フレッド、ジョージ、いい加減にして!」

 ハリエットが顔を赤くして叫んだ。ドラコと繋いでいた手はとっくの昔に外していた。鶴の一声か、ピタリと二人の軽口は止まった。

「私達、これから教科書を買いに行くの。もういいでしょう?」

 ハリエットは書店へと視線を滑らせる。双子はきょとんとした顔で顔を見合わせた。

「折角ダイアゴン横丁に来たのに、俺たちの店に寄ってかないつもりか?」
「時間はまだあるだろう? さあ、入った入った!」

 息ピッタリにフレッドとジョージに追い立てられ、ハリエットとドラコはWWWに入店せざるを得なかった。入って早々、ドラコはニヤニヤした双子二人にコソコソとどこかへ連れて行かれたので、ハリエットは一人で見て回らなければならなかった。

 ドラコが連れて行かれたのは、店の奥まった場所だった。奥に行けば行く程人が多くなっていくので、ドラコは嫌な予感がしてならなかった。だが、まるで連行されるかのように赤毛の双子に両側をマークされているので、逃げようにも逃げられない。

 前を向きながら、フレッドは軽い口調で言う。

「何か気になるものがあれば、君には特別に二割引で商品を売ってやろう、我が兄弟よ」
「結構だ。裏があるようにしか思えない」
「失敬だな」

 ジョージは肩をすくめて苦笑する。

「我らがハリエット・ポッターの心を射止めた者として、我々は尊敬の念を表しているつもりなのに」
「いっ――」

 ドラコは思わず声を潜ませた。辺りを憚るかのようにサッと視線を走らせる。

「ど、どうして――」
「俺たちが気づかないとでも思ったか?」

 『確信したのは鎌かけた後だけどな』とジョージは悪戯っぽく付け足す。嵌められた、とドラコが気づいたときにはもう遅かった。

「君も分かっているだろうが、ハリエットはなかなかに鈍い」

 ジョージの言葉に、フレッドはしたり顔で頷く。

「だからこそ、俺たちは考えた。もしかしたら、君にはこれが必要なんじゃないかってね」

 ようやくフレッドとジョージの足は止まった。いつの間にやら、周りにはクスクスと笑いを零す少女が山程いた。彼女たちは一様に何やら派手なピンク色の小瓶を持っている。彼女たちの隙間から見えるのは――『愛の妙薬』という商品名。

 ドラコはカッとして叫んだ。

「そんなものは使わない!」
「おっと、誤解するんじゃないぜ。愛の妙薬じゃなくて、解毒剤の方だ」

 少女達の間に器用に滑り込み、戻ってきたジョージの手には、ブルーの小瓶があった。

「ハリーに負けず劣らずハリエットも有名になったし、綺麗になった。欲に塗れた男達がハリエットの飲み物に惚れ薬を盛ることもあるかもしれない……」
「そんな厄介なものをどうして売るんだ!」

 ドラコはキッとジョージを睨み付けた。そもそも、二人が愛の妙薬などというふざけた代物を売らなければ済むだけの話だ。

 対するフレッドは、悪びれた様子もなく肩をすくめた。

「全ては悪戯心と金のため。それに尽きる」

 隣でジョージもうんうん頷いた。

「なに、そんなに怒るなって。惚れ薬ったって、子供だましみたいなものだ。効果はほんの一時間て所だし、何度も何度も盛っても効果は一度きり。ほんのちょっと幸せな夢を見るだけじゃないか」
「その間に取り返しのつかないことが起こったらどうする!」
「そうならないようにするのが恋人の役目だろ?」

 ドラコの手に、ジョージは無理矢理解毒剤を押しつけた。ドラコはマジマジと小瓶に目を落とし、しかしすぐにまた双子を睨み付ける。

「そういう問題じゃない!」
「そうカッカすんなって。ほら、俺たちを相手にするのも良いが、何かお忘れじゃないかい? おっとりした大事な恋人が、ちょーっと目を離した隙にもう声かけられてる」

 ハッとしてドラコが振り返れば、ショーウインドウのすぐ側にハリエットはいた。フワフワした生き物を手のひらに乗せて可愛がっている彼女に、いかにも緊張した風の男が何やら話しかけていた。会話は聞こえないが、しかし、ドラコを不機嫌にさせるには充分だった。

 無言でズンズンと彼女の元へ近づくドラコ。近づくとその会話はよく聞こえた。

「ピグミーパフ、可愛いよね」
「ええ、とっても」
「気に入ったのなら、僕がプレゼントしようか? 君に似合うと思うし――」
「結構だ」

 男がハリエットの手からピグミーパフを拾い上げた隙に、ドラコは二人の間に割って入った。

「見知らぬ人に買ってもらういわれはないし、可愛いから触ってただけだろう?」
「え、ええ」

 ハリエットは困惑しながら頷いた。

「ホグワーツに連れて行けるペットは一匹だけだし……」
「そうだな。もうウィルビーもフォークスもスナッフルもいるからな。結構だ」

 突然現れた黒髪の青年の口から聞き慣れない名前が次々に出てきて、分が悪いのを感じ取った男は、へらっと愛想笑いを浮かべながら退散した。

 その光景を見ていた赤毛の双子は思わず顔を見合わせる。

「あいつ、シリウスのことペット扱いしてるぜ」
「告げ口してやろうかな」

 不穏な会話は、幸運なことにドラコの耳には届かなかった。そのままハリエットの手を引いて店を出ようとする。

「フレッドとジョージは?」
「もう話は終わった」

 そのまま出て行く二人を、双子は特に妨害もせず見送る。

「おい、フレッド、どさくさに紛れて、ドラコの奴解毒剤の会計してないぞ」
「うーん、困ったな。二割引とは言ったが、さすがに無料とまでは……」

 窓からは、まだ二人の後ろ姿は見える。走れば間に合う距離だが、しかし双子はのんびり会話を続ける。

「ジョージ、忘れるなよ。ドラコ・マルフォイに貸し一つだ」

 フレッドはニヤリと不適に笑った。