■小話
01:邂逅する家族
ホグワーツの最終学年では、卒業の二週間前の週末に、プロムナードが行われる。卒業を記念したダンスパーティーである。
七年生は、いつも入学準備のリストの中にドレスやドレスローブが書かれているのだが、プロムの時期が時期なので、イースター休暇にドレスを用意する生徒も多い。
ハリーとハリエットもまたそうだった。もうさすがに十八歳ともなると、急激な身体の成長は見込めないだろうが、それでも多少は背も伸びるし、身体つきも変わってくる。折角購入したドレスが合わないなんてことにならないように、イースター休暇の時に衣裳を買おうと双子はシリウスと示し合わせていた。
闇祓いとして忙しいシリウスの折角の休日なのに、わざわざドレスくらいで来なくてもいいとハリー達は断ったが、自分も行きたい、いやむしろ行かせてくれとシリウスは頑として譲らなかった。当然、こうなってしまったシリウスに異議を唱えられる訳がなく、三人はダイアゴン横丁にやってきた。
漏れ鍋について早々、三人は人だかりに呑まれた。
ハリー・ポッター、ハリエット・ポッター、そしてシリウス・ブラックの三人が集まって衆目の場に出るのは珍しく、礼によってたくさんの魔法使い、魔女達に握手を求められた。
ハリーやシリウスは女性から握手を求められ、ハリエットは男性から右手を差し出される。珍獣扱いとその邪な考えが透けて見え、シリウスは不機嫌に一喝した。
「水入らずの時間を邪魔しないでくれ!」
今なお戦陣で戦う闇祓いと、闇が去り、すっかり平和ぼけした魔法使い達とでは、凄みが違った。
彼らはすっかり萎縮し、すごすごと引き下がった。シリウスは不機嫌そうにパブを出、ダイアゴン横丁に出た。
迷わず三人が向かったのは、マダム・マルキンの洋装店だった。久しぶりに来るダイアゴン横丁は、もちろん興味を惹かれるものがたくさんあったし、寄りたい店もたくさんあった。だが、少しでも躊躇してその場に留まってしまうと、途端にめざとくハリー達を見つけるミーハーな魔法使いが集まってくるのだ。ムーディではないが、油断は禁物だった。
マダム・マルキンの店では、既に先客がいた。店員を除いて、三人もの人影があったが、彼らは皆が客という訳ではなく、そのうちの二人は付添に来ただけのようだった。
自分と同じように、子供の付き添いだろうかとシリウスはまじまじとその三人組を見つめた。そして戦慄して固まる。後ろ姿だけで顔までは分からないが――間違いなく、その見覚えのあるプラチナブロンドは、シリウスが敵と見なすルシウス・マルフォイ、そしてその息子ドラコ・マルフォイだった。
従姉妹であるナルシッサ・マルフォイの横顔を見てシリウスは今度こそ確信した。どうして奴らが、と額を手で押さえ、今すぐこの店を出ようとシリウスは愛する双子の手を掴もうとしたが、時既に遅し。
「ドラコ!」
愛するハリエットが、奴の名前を呼んでしまっていた。
採寸していたドラコは、顔だけ後ろを振り向いた。そしてその視界にハリエットを映すと、驚いたように微笑み、ついで、ハリーとシリウスに視線を移し、気まずそうな顔になった。忙しい奴である。
「こんにちは」
ハリエットはルシウスとナルシッサにも挨拶をした。そんなことしなくてもいいのに、とシリウスはため息をついた。
シリウスの予想通り、ルシウスは苦々しい表情を浮かべるだけだった。唯一の誤算は、ナルシッサが軽く頭を下げ、心なしか友好的な微笑みを浮かべたことだろう。
「あなた達もプロム用のドレスを買いに?」
「はい。偶然ですね」
ナルシッサはハリエットとハリーをちらりと見ただけで、シリウスには見向きもしない。もちろん、シリウスとて、挨拶されるくらいなら無視される方がよっぽど良いが。
「お嬢ちゃんとお坊ちゃんの採寸ね」
マダム・マルキンが近寄ってきた。ハリエットは思わず苦笑いを浮かべる。
もう『お嬢ちゃん』なんて年ではないが、ホグワーツ入学年から、節目節目の時期にお世話になっているのだから、彼らからしてみれば、いつまで経ってもハリエットは『お嬢ちゃん』なのかもしれない。
ハリエットとハリーを踏み台に立たせ、店員が宙をうねる巻き尺で身体のあちこちのサイズを図り始めた。
「こうしてると、一年生の頃を思い出すわ」
ハリエットはクスクス笑ってハリーをチラリと見た後、ドラコを見た。
「私たち、最初に会ったのがこのお店だったじゃない? なんか不思議な気分」
「第一印象は最悪だったけどね」
ハリエットを挟んで、ハリーがドラコに向かって言った。
「なんて嫌な奴だろうって思った」
「あれは……悪かったって思ってる」
「いろいろ教えてくれて、私は親切な人だなって思ったわ」
ハリエットはフォローのつもりでそう言った。
「コンパートメントで、その印象は崩れちゃったけど」
「ハリエットを馬鹿にするしね?」
懐かしい思い出が次々に蘇り、ハリーはドラコを弄る気満々だった。シリウスまで興味深い話題に首を突っ込む。
「何があったんだ?」
「蛙チョコレートをうまく掴めなかったハリエットを、ドラコが馬鹿にしたんだ」
「ほーう? そんなことが?」
シリウスは笑ってドラコを見た。だが、瞳の奥は笑っていなかった。
「ハリエットはよくマルフォイを許す気になったな。わたしだったら一生根に持つが」
「そんな些末なことで一生根に持つなんて、君は狭量だな、ブラック」
ドラコをこき下ろす気満々のシリウスに対して、ルシウスが立ちはだかった。
「君に言われたくないな。純血主義などと排他的な考えに頭が支配されている奴には」
「なんだと?」
「喧嘩をするのなら二人仲良く出て行ってもらいますからね」
杖でも抜きそうな雰囲気に、いち早くマダム・マルキンが言い放った。闇の時代を生き抜いたおかげで、神経が図太くなっているのである。
「ほら、採寸が終わりましたよ。殿方は向こうのソファで大人しく座って待っていてください。どうせドレス選びなんかに興味はないでしょうに」
「いや、そんなことはない。わたしだってハリエットのドレスを一緒に選びたい」
「だったら大人しくしていてくださいな。次に険悪な雰囲気になったら問答無用で追い出しますからね」
本当のところ、シリウスは今すぐにでもいけ好かないルシウス達の下から離れたい一心だったが、そんなことをすれば、まるで狼の群れの中に兎二匹を置いて行くようなものである。
そんなことは決してできないと、シリウスは意地でもここから離れる気はなかった。
「さあ、ドレスはいかがなさいます? 既製品もありますし、オーダーメイドでももちろん――」
「オーダーメイドだ」
シリウスは即答した。ハリエットは内心飛び上がる。
「そんな! 駄目よ、もったいない! 普通のドレスで充分だわ」
「折角の卒業パーティーだぞ? 記念すべき時に金を使わないでどうする」
「私の所もオーダーメイドで」
対抗心を燃やしたのか――いや、そもそも始めからオーダーメイドにする気満々だったに違いない――ルシウスは横目でシリウスを牽制しながらマダム・マルキンに言い放った。シリウスは更に鼻息荒くする。
「最高級品を頼む。ハリー、ハリエット共にな」
「生地は外国から取り寄せてもいい。金に糸目はつけない」
「二人に一番似合うものを仕立ててくれ。小物や靴も一揃いだ」
「靴は別の所で買おう。知り合いに腕の良い職人がいる。オーダーメイドは数年待ちだそうだが……何、心配するな。知り合いだと言っただろう」
「ここではネックレスの類いも買えるのか? ……できないのか。じゃあ後で宝石店にも寄らないとな――」
「いい加減にしてください!」
マダム・マルキンは金切り声を上げて怒鳴った。途端にシリウスとルシウスが黙る。
マダム・マルキンは、底冷えするほどの恐ろしい視線で黙って店の入り口近くのソファを指さした。
「だが、わたし達は――」
「喧嘩をしたわけでは――」
「お行きなさい」
まるで飼い主に怒られた飼い犬のように、シリウスとルシウスは肩を落としたソファに向かった。
「全く、これでようやく落ち着いて仕事ができるわ」
マダム・マルキンはブツブツ言いながら、ハリエットの前にカタログを持ってきた。ドラコやハリーも別の定員にカタログを見せられている。
「では、オーダーメイドということでいいんですね?」
ハリエットの苦言は無視し、シリウスはソファでうんうんと何度も頷いた。
「好きなドレスのデザインはある? 見本もあるけど」
「そう、ですね……たくさんあって、ちょっと迷いますね」
「Aラインのドレスが一番人気ね。スリットが入ってるドレスも人気が高いわ。色っぽくて」
「露出は控えめで」
ソファからシリウスが声を上げたが、マダム・マルキンは無視した。
「オフショルダーも可愛いし、トレーンって言って、床に裾が広がるこういうデザインでも、ダンスの時に映えると思うわ。いくつか試着してみる?」
「ぜひとも」
勝手にシリウスが返事をした。彼の熱意に押され、ハリエットは何着か試着することになった。
ハリーとドラコのドレスローブはもうとっくにデザインが決まったのに、自分のせいで時間が長引いてしまうとハリエットは申し訳なかった。
最初に試着したのはAラインのドレスだ。可愛い可愛いとシリウスは手放しに褒め称えたが、何故だかナルシッサの顔は浮かない。
「似合っているけれど……Aラインは人気商品なのでしょう? 別のデザインの方が良いと思うわ。他の女子生徒と被る可能性があるもの」
「どうして君が口を出すんだ」
シリウスの抗議をナルシッサは無視した。
次に試着したのは深いスリットの入ったドレスだ。歩くたびに太ももまで日の目にさらされるので、恥ずかしさのあまりハリエットはろくに歩くこともできなかった。
「駄目だ! これは駄目だ!」
ドラコもシリウスの意見に大賛成だった。こんなドレスでは、ダンスの間中気が散って集中できない。
その後も、丈の短いドレスや身体のラインを浮き彫りにするマーメイドラインのドレスなど、いくつか試着したが、露出が多いものはすぐさまシリウスが却下した。結局最終的に満場一致で決まったのは、オフショルダーのトレーンのあるドレスだ。上部はレース地になっており、スカート部分は光沢のあるサテン生地だ。トレーンはサテンの下から流れるようにレースが顔を覗かせ、ほんのりとふくらはぎを隠しながら地面に広がっている。
「このドレスが一番似合うわ」
ナルシッサのお墨付きももらって、ハリエットは上機嫌だった。続いてドレスの色は何にするか、という議題が上がった。
シリウスは熱を入れて赤やピンクを押し、ナルシッサは緑か白を押した。
いつの間にか、まるで蜂蜜に吸い寄せられる蜂のように、シリウスが近寄ってきていた。マダム・マルキンから怒られてソファに移動させられたというのに、ちゃっかりその場に馴染んでナルシッサと口論していた。
「ハリエットをスリザリンカラーに染める気か? ハリエットはグリフィンドールカラーが一番よく似合う」
シリウスは自慢げに言い切った。
「髪だって綺麗な赤色だし」
「だからこそ緑が映えると言っているのよ。そうでしょう? マダム・マルキン?」
突然降られたマダム・マルキンは驚きながらも頷いた。
「確かに、お嬢ちゃんには緑が白が似合うと思いますわ」
ほら見なさい、と言わんばかりナルシッサはシリウスを見た。シリウスはぐぬぬ、と口をつぐむ。
「それに、あなた達は二人でプロムに行くんでしょう?」
ナルシッサはドラコとハリエットを見た。えっと二人とも飛び上がったが、もはや言い逃れもできなかった。恐る恐る二人顔を見合わせた後、どちらからともなく頷いた。
休暇に入る前、マクゴナガルから七年生全体にプロムの説明が行われ、パートナーを決めるようにお達しがあったのだ。その後すぐドラコはハリエットに申し込み、ハリエットももちろん承諾した。
「だったら色を合わせなくちゃ。その方が映えるわ」
シリウスは怒りと困惑で顔を赤くしたり青くしたり忙しかった。ハリエットとドラコが一緒にプロムに行くだろう――というのは予想していたが、いざ目の前でそう宣言されると、後見人としては複雑すぎる心境なのだ。
それに、あろうことか、ナルシッサにより、お揃いコーディネートを勧められている。シリウスとしては、気にくわないどころではなかった。
むうっと口を真一文字に結ぶシリウスの脇腹を、ハリーが小突いた。こんな所でむっつり発作を起こされては堪らない。
「緑か白、どちらにする?」
「――白だ」
ナルシッサはハリエットとドラコに問いかけたのに、これまたシリウスが口を挟んだ。
「ハリエットには白が似合う。白がいい。ハリーもそう思うよな?」
「うーん、僕はどっちでも――痛っ」
シリウスがハリーの脇腹を小突いた。ハリーは引きつった笑みを浮かべる。
「でも、強いて言うなら、白が似合うかな」
「マルフォイもそう思うよな?」
シリウスは今度ドラコに圧力をかけ始めた。ドラコはシリウスには非常に弱かった。
「そう……思います」
「満場一致だ」
どこがだ、と皆は思ったが、こうなったときのシリウスは止められなかった。ハリエットも、白で問題はなかったので、白いドレスになった。ドラコのドレスローブも、白を基調としたものになった。
「じゃあ、小物は緑にしましょう。ハンカチーフとか、靴とか、髪飾りとか」
「そこは赤で良いんじゃないか?」
シリウスは諦めが悪かった。
「ドレスが白なんだから、緑じゃ地味だろう」
「髪飾りが赤じゃ、ハリエットの髪には合わないよ」
ハリーが至極もっともな意見を言った。シリウスはちっと舌打ちする。
「小物は緑でお願い」
すかさずナルシッサがマダム・マルキンに伝えた。シリウスがごちゃごちゃ言わないうちに、彼女はすぐに書き留めた。
「そう、そうだな。緑はスリザリンカラーではない。リリーやハリーの瞳の色だ。ハリエットは、二人の色に合わせてるんだ」
シリウスは無理矢理そう自分を納得させた。
「じゃあこれで早速作らせて頂きます。一応イメージに齟齬をきたさないよう、お嬢ちゃんはこのドレスを試着してみて。オーダーメイドなので、全く同じという訳ではないけど、何となくというイメージを持つことはできるわ」
マダム・マルキンの勧めに従って、ハリエットは、白いドレスを着てみた。想像通りの可愛らしいドレスだった。ハリエットが喜々として皆の前に姿を現すと、シリウスがぼうっとした表情で言った。
「まるで天使のようだ……」
「シリウス、止めてよ。大袈裟よ」
後見人馬鹿にも程がある。
ハリエットは恥ずかしくなった。ハリー達だけならまだしも、ここにはドラコやナルシッサ、ルシウスがいるのだ。少しは自重して欲しかった。
「大袈裟なものか。天使のように清らかな心を持つハリエットには白が似合う」
「もう……」
「じゃあこの色とデザインでいいですね?」
マダム・マルキンが確認すると、シリウスが満足そうな顔で頷いた。
「では、お三方、一週間後にドレスをご自宅にふくろう便で郵送します。お支払いは今日お願いしますね」
シリウスとルシウスが競うようにマダム・マルキンの下へ向かった。
会計を終えると、六人は揃って洋装店を出た。もうすっかり日は暮れていた。
「ナルシッサさん、今日はありがとうございました。ドレス選びを手伝ってくださって」
しばらく帰り道は一緒だろうが、この二つの家族が揃ってダイアゴン横丁を歩く光景が想像できず、ハリエットは店の前でお別れを言うことにした。
「そんなこといいのよ。私も女の子のドレス選びは初めてで楽しかったわ」
「君の意見が山ほど取り入れられたようで、わたしは気にくわないがな」
ナルシッサはシリウスを無視した。
「ドラコ、また今度ホグワーツで」
「汽車で会おう」
ドラコがさりげなく言い直し、ハリエットは満面の笑みを浮かべた。
その後、特に喧嘩もなく二つの家族は別れた。シリウスはしばらくマルフォイ家の悪口をブツブツ言っていたが、ハリエットがもの言いたげに睨むことによって、それは収まった。
その代わりと言っては何だか、黙り込んだシリウスが、余計なことに思い至った。
「ん? 白いドレスって――」
まるで、ウェディングドレスみたいじゃないか?
そう思ったときには、もう時既に遅し。
白いドレスと白いドレスローブ。
二人の男女が踊っているその様は、まるで結婚式のようで、シリウスはすっかり欺されたと頭をわしゃわしゃ掻きむしった。