愛に溺れる

ハリエットが愛の妙薬を飲んで、ドラコにメロメロになる







*炎のゴブレット『第二の課題』後*


<リクエスト:夢主に迫られてタジタジになるドラコ>
 いろんなドラコを詰め込んでいたらタジタジ部分が少なめになってしまいました。こんなはずでは……。


 ハリエットは、昔からちょっと変わったところのある女の子だった。気が弱くて、心配性で、お人好しで。でも優しくて、笑顔が可愛くて、一緒にいると心が暖かくなるような、そんな女の子。ダドリーに理不尽に殴られても、彼女に何度慰められ、そして癒やされたか分からない。

 ――そう、ここまでは良い。ただ、彼女が『気に入るもの』が少々厄介なのだ。近所に住むアラベラ・フィッグが飼っている、どう贔屓目に見ても不細工な猫を可愛がったり、クマほどに大きい野良犬をペットにしようとしたり、触れた物に噛みつこうとする『怪物的な怪物の本』をあやすように撫でてみたり。ハリエットが何を気に入るか、双子の兄であるにも関わらず、全く以て予想だにできなかったことが今まで多々あった。だが、それにしたってこれは一番ない。一番あり得ない。ハリーが今まで生きてきた中で――いや、何十年と続くこの先の人生においても――二位との圧倒的な差をつけて一位を勝ち取るほど、あり得ない。

「私、ドラコのこと好きになっちゃったみたい」

 目の下をほんのりと赤く染め、ハリエットはぽうっとした表情でそう宣言する。彼女の前には、口をあんぐりと開けたロンと、驚愕に目を見開くハーマイオニー、そして衝撃のあまり考えることを放棄し、記憶の彼方へトリップするハリーがいた。

 悪夢の始まりは、そう、第二の課題が終わってすぐの出来事だった――。


*****


 第二の課題が無事終わり、それどころか、セドリックと同点一位になったハリーは、その日のグリフィンドールの英雄だった。第一の課題と同じく、その夜、談話室はマクゴナガルも含めたお祭り騒ぎだった。各々バタービールの入ったジョッキを片手に、ハリーの道徳的行為を讃え、一位を祝い、次なる課題への健闘を祈った。しもべ妖精から際限なく届けられる料理やお菓子も、育ち盛りの少年少女の腹にたらふく収められる。

 普段は優等生のハリエット、ハーマイオニーも、その日は少しだけ夜更かししていた。遠慮なくバタービールやお菓子に手を伸ばし、ハリーの勝利を心から祝った。バタービールにはアルコールは入っていないが、雰囲気に酔ったのと、夜更かしによる眠気、その二つでフワフワとした心地になるのは何もハリエットだけではないだろう。

 ほんの少しだけ意識が朦朧としていたハリエットは、誰のものとも分からないジョッキに手を伸ばし、バタービールのおかわりを頂いた。もしかしたらこれが隣の人の物だったかもしれない、なんて可能性は今のハリエットの頭にはこれっぽっちも存在していなかった。名前が書いてあるわけでもないし、並々と注がれたままのバタービールは、明らかにしもべ妖精に用意されたばかりのものだ!

「ハリエット、そろそろ私達も寝ましょう」
「そうね。明日は休みだけど、もう限界だわ」

 ハーマイオニーの言葉に、ハリエットは夢見心地で立ち上がった。

「誰か、ここにあったバタービール知らないか?」

 そう焦ったように周りに聞きまくるフレッド、ジョージの声を尻目に、ハリエットは小さく欠伸を漏らしながら女子部屋へと向かった。


*****


 翌朝、ハリエットは息苦しさを覚えて目を覚ました。ネグリジェの襟を開き、身体の向きを変えてみるが、それでも呼吸のし辛さは変わらない。

 何となく身体が熱っぽいような気もするが、吐き気がする訳でもない。ただ……切なく胸が締め付けられるのだ。その原因はよく分からないが。

 首を傾げながらも、ハリエットは起床準備を始めた。そのうち、伸びをしてハーマイオニーも起き出した。順番に顔を洗い、寝癖を直し、着替えをし。そうして準備を終えた女子二名は、その時ようやく顔を合わせた。ハーマイオニーはすぐ違和感に気づいた。

「あら、ハリエット、大丈夫? 顔がちょっと赤いわ」
「ええ……少しだけ息苦しいの。でも熱はないのよ。気持ち悪い訳でもないし」
「そういうのが風邪の引き始めって言うわよ。ほら、昨日はずっと湖の底に沈められてたんだし。一度マダム・ポンフリーに診てもらったら?」
「そうね……朝食の後で行ってみるわ」

 ハリエットは微笑み、一旦はこの会話は収束した。談話室へ降りた所で、ハリーとロンと合流し、二人にもハリエットの赤い顔を心配され、再びその話題が掘り起こされたが。

「第二の課題はせめて土曜日にして欲しかったよな」

 また一つ大きい欠伸をし、ロンが嘆いた。

「昨日はずっと談話室で騒いでたから、眠くて眠くて」
「それは私達の都合でしょう。マクゴナガル先生はほどほどにするよう仰ってたわ」
「あの後でほどほどにできると思うか? そんな人がいるのならさぞ理性のある立派な人なんだろうなあ! あれ、そういえばハーマイオニー、君夜中までハリエットとバタービール飲んでなかった?」

 わざとらしく惚けた顔で言うロンをハーマイオニーはじとりと睨み付けた。

「私は遅くまで起きていることが悪いと言ってる訳じゃないわ!」
「まあまあ。何でも良いじゃない。昨日はとっても素敵な日だったわ」
「うん。僕が課題を乗り越えられたのも、三人のおかげだよ。ありがとう」

 よく似たのほほんとした空気で諫めようとする双子に毒気を抜かれ、ロンとハーマイオニーは大人しくなった。

 静かになった四人とは裏腹に、騒がしくなるのは外野の方だ。グリフィンドールやレイブンクロー、ハッフルパフまで、ハリーとすれ違うたびに好意的な挨拶をしてくれる。十四歳でありながら、第一の課題では勇敢な戦い振りを見せ、第二の課題では正しく道徳的な行いをしたことが、皆の印象を改めたようだった。未だハリーが目立ちたがり屋だと冷たい目を向けてくる者もいるが、ロンが戻ってきてくれたハリーは全く気にならなかった。

「ポッター、早速英雄気取りかい?」

 いつものドラコのやっかみですら。

 ドラコ・マルフォイとは、いつも通り両脇にクラッブとゴイルを引き連れ、意地悪そうな顔でこちらを見上げていた。今から大広間に行く所だったのだろう、クラッブとゴイルは早く朝食を食べたそうにチラチラ扉の方に視線を向けている。スリザリン寮から大広間へは、階段を上がればほとんどすぐ直行だ。それが未だこんな所にいるとは、十中八九自分に喧嘩を売るためだけに待ち伏せしていたのだろう。ハリーはうんざりとした顔を隠しもせずため息をついた。

「一体何の用だ?」
「君の大切な人は妹なんだってな。兄妹仲がよろしくて涙ぐましいものだ」
「それの何がいけないって言うんだ。フラーだって大切な人は妹だった」
「君の大切な人は誰だい? クラッブかゴイルか?」

 ロンが馬鹿にしたように口を挟んだ。ドラコの顔にカッと熱が集まり、そして激しくロンを睨み付ける。まさに一触即発の雰囲気だった。ハーマイオニーがため息をつく。

「行きましょ。朝食を食べる時間がなくなるわ。授業にだって遅れる」
「グレンジャー、一夜限りの魔法はもう解けたのかい? 君の今の姿でもクラムを虜にできるなんて、僕には信じられないね」
「このっ――」

 いきり立ち、ロンは杖を抜いてドラコに呪文をかけようとした。しかしそれよりも早く動いたのは珍しくハリエットだ。友達が友達を馬鹿にしたのだ。黙って見ているようでは友達とは言えない。ドラコが何度もハリエットのことを助けてくれたのは事実だが、彼の誰彼構わず馬鹿にするようなこういう所は、はっきり言って嫌いだった――。

 しかし、力強く足を踏み出して階段を降りていたハリエットは失念していた。ここには消える階段があるということを。

「そこ、階段が――」

 ハリー達もそのことを思い出したらしい。素早く注意しようとしたが、間に合わなかった。ガクンとした衝撃があったと思ったら、次の瞬間にはハリエットの身体は宙に投げ出されていた。

「ハリエット――!?」

 本当に驚いたとき、声が出ないのだとハリエットはその時悟った。ただ、固い地面にしこたま身体を打ち付けると思っていたハリエットは、思っていたよりも衝撃が来なかったことに驚いた。固いことは固いが、地面のような強固さではない。どこかで嗅いだような、不思議な匂いに包まれていることも遅ればせながら理解する。

 薄ら目を開けてみれば、一番に視界に飛び込んだのはグレーの瞳。彼もまた驚きと困惑にパッチリ目を見開いていた。

 ――宙から降ってくるハリエットを、まるで王子様の如く受け止めたのは、ドラコ・マルフォイその人だった。

「ハリエット!」

 バタバタと慌ただしくハリー達三人が駆け寄ってきた。慌てて密着しているハリエットとドラコとを引き剥がす。ハリーは威嚇するようにドラコを睨み付け、ハーマイオニーは心配そうにハリエットの身体を点検した。

「怪我はない? ああ、もうやっぱり医務室に行った方が良いわ。顔が赤いもの」

 姉のようにポンポンと優しく身体を叩くハーマイオニーをよそ目に、ハリエットはドラコから目を逸らせなかった。

「医務室? ああ、そうだな。行った方がいいだろう。誰かさんを受け止めた僕の方が大怪我をしているとは思いも寄らないようだけど」
「これくらいのことで何だ?」

 ドラコの視線から守るようにしてロンが立ちはだかった。

「そもそもお前がハーマイオニーを馬鹿にするのがいけないんじゃないか!」
「事実を言ったまでだ。どこに怒る要素がある? それはそうと、医務室に行ったらおすすめのダイエット方法でも聞くといい。次はちゃんと相手の男を潰さずに落ちることができるだろうね」
「お前みたいななよなよした男だったらゴブリンですら受け止められないだろうけどな!」
「背が高いだけのお前に言われたくない!」

 バチバチと睨み合うロンとドラコ。ハリエットはその熱い視線に胸をトクンと高鳴らせる。

 自慢のプラチナブロンドを乱れさせ、顰めっ面をし、その口から出てくる言葉は暴言ばかり。

 それでも、彼はハリエットの王子様に違いはなかった。

「ドラコ――」

 ハリエットの小さな声は、クラッブとゴイルの大きなお腹の音にかき消された。それに興が削がれたようにドラコが鼻を鳴らす。

「行くぞ。こんな奴らに付き合っていても時間の無駄だ」
「それはこっちの台詞だ。もう二度と話しかけないでくれると有り難いよ」

 ハリエットが勇気を出して声をかける間もなく、ドラコ達三人はさっさと行ってしまった。とてつもない虚無感がハリエットを襲う。

「ハリエット?」

 ぼうっとした表情でドラコを見送るハリエットに、ハーマイオニーが尋ねる。ハリーもまた心配そうな表情で妹を見た。

「やっぱり、どこか体調が悪いじゃないの? 気分でも悪い?」
「私……」

 ハリエットは初めてのことで戸惑っていた。胸の中で熱いくらいの想いが燻り、しかしどうしたってそれは解消できない。もしかして言葉にすれば少しでも楽になれるかと、ハリエットは胸の前でギュッと手を握った。

「私……ドラコのこと好きになっちゃったみたい」

 目の下をほんのりと赤く染め、ハリエットはぽうっとした表情でそう宣言した。彼女の前には、口をあんぐりと開けたロンと、驚愕に目を見開くハーマイオニー、そして何を言われたか一回では理解できなかったハリーがいた。

「……えっ? 僕の聞き間違い? 今なんて言った?」
「ドラコのことが好きなの……」

 ハリエットの甘い囁きは、残酷にもハリーの耳に良く届いた。

 ドラコ? 好き? 何だって?

 現実逃避してみても、現状は変わらない。この瞬間、ハリーの大切な大切な双子の妹、ハリエット・ポッターは、憎き宿敵ドラコ・マルフォイに恋をしたのだ。


*****


「今すぐ医務室に行くべきよ!」
「そうだそうだ! 君は何か……変なものでも食べたに違いない!」
「あなたは今熱があるの。だから変なことを口走ってるのよ!」
「そうだそうだ! マダム・ポンフリーに診てもらうべきだ!」
「もう、二人は大袈裟ね」

 ロンとハーマイオニーが矢継ぎ早に説得する中、ハリエットは踊るような足並みで廊下を歩く。ハリーは未だ階段の所で茫然と突っ立ったままだ。

「本当に大丈夫よ。私、熱なんてないもの。それよりもお腹空いたわ。早く大広間に行きましょう」

 ――本当のところ、ハリエットはドラコに会いたかっただけなのだが、賢くももそれを口には出さない。

 つい先ほど、ドラコの両腕に包まれたばかりだというのに、ハリエットはもうドラコが恋しくて仕方がなかった。早く彼の姿が見たい。早く彼の声が聞きたい。その一心で、ハリエットは大広間の敷居を跨いだ。

「――どこへ行くつもりだ?」

 そのまま流れる動作でスリザリンのテーブルで行こうとしたハリエットを、ハリーががっしりと引き留めた。いつの間にか正気に戻ったのか、怖いくらいの笑顔で頑としてでもハリエットの腕を離さない。

「君はグリフィンドールだ。なのに、どこへ行こうとしていたの?」
「ドラコの所へ――」
「その名前を呼ばないでくれ!」

 ロンは素早く叫んだ。まるでヴォルデモートのような扱いを受けるドラコに、ハリエットはきょとんとした。

「別に良いじゃない。何がいけないの?」
「いいか? 奴は僕らの敵だ。にもかかわらず、他でもないハリエットが奴を下の名前で呼ぶことが鳥肌が立って仕方ないんだ! ハリー、助太刀するよ」

 反対側からロンがハリエットの腕を押さえ、まるで連行されるようにグリフィンドールのテーブルへと連れて行かれた。ハリエットはぷっくり頬を膨らませる。

「私がどこへ行こうが、ハリーには関係ないじゃない」
「大ありだね。まさか、本当に奴が好きになったって言うの? 冗談じゃなく?」
「当たり前じゃない。私は嘘なんてつかないわ」

 ハリエットは切なげに目を細めた。その視線の先には、辿らずともドラコ・マルフォイがいるのだと三人は気づいてしまった。

「僕は認められないね。そもそもなんでマルフォイなんだ? 前から好きだったの?」

 階段で一年分の衝撃と困惑を味わったおかげで、今のハリーはわりと冷静だった。探るような目でハリエットを観察する。

「前から……かは、よく分からないわ。でも、自分の気持ちに気づいたのは階段でよ。ドラコに抱き留めてもらって……ドキッとしたの。あ、あんなに至近距離で見つめられたのは初めてだったから、私、ドキドキして……」

 嗚呼、とハリーは片手で顔を覆った。幼い頃から妹は純粋で素直だった。そんな所が可愛いと、ハリーは彼女のことをとても大切にしていたし、そこが穢されてはいけないと、ダドリー軍団のいじめからも必死に守っていた。

 しかしその純粋さが今ハリーに牙を剥いている。純粋が故に、ハリエットは異性に耐性がなかったのだ! だからこそ、抱き留めてもらったなんて単純な理由でハリエットは恋に落ちたのだ!

 ハリーは助けを求める視線をハーマイオニーに送った。こういうときはハーマイオニーだ。弁の立つ彼女なら、ハリエットにそれが勘違いだと理解させることができるだろう――。

「ハリエット」

 親友からのヘルプを受け取ったハーマイオニーは、コホンと咳払いをした。

「あのね……今までのマルフォイを考えてみて。マルフォイはどんな人だった? 私から見たマルフォイは、お世辞にもいい人とは言えないわ。悪口を言うし、高慢で高圧的。私達を見るなり、いつでも馬鹿にしてきたわ。あなただって、ハリーだって馬鹿にされたのは一度や二度じゃない。そうでしょう?」

 ハーマイオニーは努めて優しい声を出した。

「マルフォイに抱き留めてもらって、ドキッとしたのは分かるわ。あれは……そうね、女の子なら誰だってドキッとするもの」
「マルフォイにドキッとするの? 正気か?」
「黙ってて」

 ハーマイオニーはロンを睨み付けた。

「とにかくね、よく考えて欲しいの。私は、ハリエットの意志は尊重してあげたいと思うけど、あなたが大切だからこそ、マルフォイはおすすめできないの。少なくとも、マルフォイが今までの言動を改めない限りは」
「そんなの天変地異が起こったとしてもあり得ないけどね」

 ロンの呟きは無視された。

 ハリエットは俯き、黙りこくったままだ。時折チラリと視線を上げ、ドラコの方を見つめては、憂いのある表情で下を向く。ハリーは非常にやきもきさせられた。

「私……」

 そうしてようやく発せられた声は、ひどく弱々しく、震えていた。

「皆の心配は有り難く思うわ。でも、あの時のことだけで好きになった訳じゃないの。ドラコはとっても優しいのよ。私のことをいつも助けてくれるし……」
「優しい!? あいつが!?」
「箒を教えてもらったっていう、あれ? あんなのただの気まぐれだよ。弱みを握ってやったって内心笑ってたんじゃない?」
「そんな訳ないわ。ずっと根気強く教えてもらったもの」

 思い詰めた顔でハリエットは両手を握りしめた。

「確かにドラコはあまり性格は良くないかもしれない。でも、時折見せる優しさとのギャップが堪らないの。とても可愛く見えるの。それに格好良いわ。あの時の腕も逞しかったし……そ、その、とても良い匂いがしたもの。も、もう一度ギュッてしてもらえたら私、嬉しくて夜も眠れなくなるかも……」

 ロンは天を仰ぎ、ハリーは頭を抱えた。

「悪夢だ……」

 ハリーはポツリと呟いた。夜眠れなくなるのはこっちの方だと言いたくて堪らない。

「ハーマイオニー……」

 ハリーは二度目のヘルプを送った。ハーマイオニーは、何としてでも親友をこちら側に連れ戻そうと、果敢にその任務を請け負った。

 ハリエットのことは一旦ハーマイオニーに任せ、男子は男子で作戦会議を開いた。顔を突き合わせ、コソコソと話をする。

「一体どうしちゃったんだろう、ハリエット」
「まだ信じられないよ。ハリエットがマルフォイを? もっと他にいい人はたくさんいるのに、どうしてよりによってあいつなんだ?」
「落ち着け、ハリー。まだハリエットが積極的じゃないだけ良かったよ」

 ロンはちらりとハリエットに視線を向けた。ハリエットは、ハーマイオニーの説教を大人しく聞いてる所だった。

「ハリエットは、僕たちが駄目だって言ったらたぶん言うことを聞くんじゃないか? このままハリエットとマルフォイを近づけさせなきゃいいよ」
「そんなことできるかな?」
「できなくてもしなくちゃ。考えてもみろよ。ハリエットがマルフォイに少しでも好意があるような素振りを見せたら、あいつ、一体どれだけ調子に乗ると思う? 『ポッター、君の妹は僕に随分ご執心なようだな? 大事な妹が盗られて悔しいか?』って」
「止めてくれ……想像したくもない」

 ハリーは首を振ったが、ロンは容赦なかった。

「それどころじゃないぜ。今のハリエットはホントに恋する乙女だ。もしハリエットがキスでも迫ったら……そして、マルフォイがそれを拒まなかったら――」

 金魚のように口をパクパク開け閉めをした後、ハリーは無言でテーブルに顔を突っ伏した。まさに放心状態だ。さすがにやりすぎたと思ったロンは親友の肩を叩いた。

「だから僕らの出番だって言ってるのさ。大丈夫、ハリエットのあの様子じゃ、僕らの反対を押し切ってまでマルフォイに近づこうなんてしないさ。その間に、少しでもマルフォイへの熱が冷めるよう、あいつの嫌な所をこんこんと熱弁すれば良い」

 ロンにしては珍しく論理的な意見だ。ハリーは少し持ち直して身を起こした。

「うん……たとえば、ほら」

 ロンがくいっとスリザリンの方を指差す。その先にはもちろんドラコがいて、そしてその隣にはキーキー高い声で彼に話しかけるパンジーがいた。

「あれが良い消化剤になるよ。ハリエット!」

 ロンは大きな声を上げてハリエットの注意を引いた。ハーマイオニーに説教され、すっかりしょげ返っているハリエットは、素直にロンに顔を向けた。

「どうしたの?」
「君に残念なお知らせだ。ほら、あれ見ろよ」

 言われるがまま、ハリエットはつい先ほどハリーとロンが見ていた場所に視線を向ける。一瞬固まった後、ハリエットの顔色はサッと暗くなった。

「君は知らなかったかもしれないけど、あの二人付き合ってるんだって。仲良いよな? 特にパーキンソンがマルフォイの方にお熱らしいけど……マルフォイもまんざらじゃなさそうだよな」

 見られているとも知らず、パンジーは嬉しそうな顔でドラコの世話を焼いている。料理を取り分けたり、飲み物をとったり、挙げ句の果てには、ナプキンでドラコの口元を拭こうとしたり。さすがにドラコは嫌がっていたが、嫉妬に胸を燻らせるハリエットの目には、それが照れ隠しのようにしか見えなかった。

 ハリエットがみるみる悲壮な顔になっていくので、ハリーは慰めてやりたくて堪らなくなったが、しかしここは心を鬼にして我慢した。ハリエットは、何としてでもドラコのことを諦めなくてはならないのだ。

「スリザリン同士お似合いじゃないか。うん、祝福してやろう」

 ちっともそんなこと思っていない顔で、ロンはハリエットの肩を叩いた。

「ハリエット、もっといい人は山程いるって。あんな奴なんか諦めて、さっさと違う人を探せば良い。そうだ、僕たちが良い男を紹介するよ。同じグリフィンドール生がいいな。うん、僕たちが見つけてきてあげる――」

 ペラペラとロンが話す間に、唐突にドラコが立ち上がった。腕にしがみつくパンジーを引き剥がし、大広間を出て行く。クラッブとゴイルは置いたままだ。二人は未だ顔をテーブルにくっつける勢いで朝食を食べていた。

 パンジーも彼の後を追い掛けたのを見て、ハリエットも瞬間的に立ち上がった。ろくに朝食も食べていないのに、その目はドラコしか映し出さず、走り出す。一瞬呆気にとられたハリー、ロン、ハーマイオニーは、慌てて彼女の後を追い掛けた。

「ハリエット、駄目だ!」
「どうして奴を追い掛けるんだよ!」
「マルフォイはおすすめできないんだってば!」

 三者三様、様々な言葉でハリエットを引き留めようとするも、彼女の足は止まらない。やがて彼女は大広間を出て行く。火事場の馬鹿力とでも言うのか、ハリエットの足は驚く程早かった。ようやく三人が大広間を出たときには、随分と距離が開いていた。だが、まだ追いつかないことはない。再び走り出そうとした所で、何者かがぬっと横から現れた。

「これはこれは……そんなに慌ててどこへ行くつもりですかな? それとも、何か悪いことでも企んでいると?」
「す、スネイプ先生!」
「ポッター、第二の課題が始まる前、我輩の研究室から鰓昆布が盗まれた……そしてお前は鰓昆布を使って課題を乗り越えた。これが偶然だと言い切れる程、我輩は鈍くはない」
「偶然です」

 息を整えながら、ハリーは冷静に言った。

「鰓昆布は僕の知り合いからもらったんです」
「ほほう、興味深いな。その友人とは誰だ? そやつの手癖が悪いのかもしれない……」

 スネイプはなじるようにロン、ハーマイオニーを見つめた。ハリーは顔を顰める。

「二人じゃありません。でも、その知り合いも先生の研究室から盗んだとは思えません。言いがかりは止めてください。僕たち、今急いでるんです。ハリエットを追い掛けないと――」

 しかしスネイプはなかなかにしつこかった。たまたま機嫌の悪かったスネイプに捕まってしまっただけなのか、とにかく先に行かせてくれない。ハリーの足止めすることが趣味の一つだと言わんばかり、余計に嬉しそうな顔をする。

「ポッター、君の大切な人は妹だったな? 恋人でも友達でもなく妹とは……君の家族愛には泣かされる」

 ドラコと同じようなことを言うスネイプにハリーはカチンときた。その大切な妹が、最低最悪な奴に好意を持ってしまったことで、ストレスが極限まで振り切れていたのだ。ジトリとスネイプを見上げ、ふてぶてしく吐き捨てる。

「そういう先生は、誰が人質になるんでしょうか? 恋人ですか?」

 さすがのスネイプも、これには怯んだ。ロンは笑いそうになるのを堪えて咳払いした。言葉に詰まった彼を見て、恋人がいないと判断したのだ。だが、ロンのこの行動でスネイプの目は誤魔化せなかった。

「ポッター、ウィーズリー、罰則だ。教師に生意気な態度を取ったのだから、文句も言えまい」
「そんな!」
「ちょっとした世間話じゃないか!」
「世間話?」

 ロンの返しはスネイプに気に触ったらしい。更に眉間の皺が深くなる。これを見てハリーは早々にこの場から離れられないことを悟った。

「ハーマイオニー、ハリエットのこと頼んだよ」

 そう言葉を残すくらいには、ハリーにはまだ理性は残っていた。しかしスネイプの不機嫌さは、これすらも見逃してくれない。

「そんなに心配なら、妹も一緒に罰則を受けるかね?」

 ハリーもロンも火がついたように怒り出し、口々に不満を並べ立て、そのせいでまたスネイプに減点されることになった。そんな光景を尻目に、ハーマイオニーはため息交じりにハリエットを探しに走り出した。


*****


 ハリエットがようやくドラコに追いついたとき、彼の隣にはパンジーがいた。上機嫌で腕にしがみつく彼女を、うんざりした顔で引き剥がそうとしている所だった。

「ドラコ!」

 呼び止めたは良いものを、何を言えば良いか分からない。ハリエットはその場で立ち止まり、二人は何事かと振り返った。ハリエットの姿を認めると、パンジーはすぐに鼻に皺を寄せた。

「グリフィンドールが何の用よ。私とドラコの時間を邪魔しないでくれる?」
「…………」

 ドラコは何も言わない。ただ黙ってパンジーから自分の腕を引き抜いた。ハリエットはそれを不安そうに見た後、ドラコをじっと見つめた。

「ドラコ……パーキンソンと付き合ってるの?」
「はあ?」

 ドラコは一瞬呆気にとられた顔をし、そして怒気の籠もった声で叫んだ。

「付き合ってない!」
「そんな! でも一番仲の良い女の子は私でしょ?」

 パンジーは甘えるようにドラコの腕にしがみつこうとした。しかしもうドラコは引っかからなかった。うんざりした顔で数歩パンジーと距離を置く。

「パーキンソン、そんなにくっついたら皆が誤解するわ」

 努めて冷静になろうとしたが、目の前でこんな光景を見せられて、ハリエットは気が気でなかった。嫉妬で声が固くなる。

「はあ? そんなのあんたに関係ないでしょ? どうして私達に突っかかってくるのよ」
「それは……」

 小さく開いた口からは、それ以上言葉が漏れることはなく。

 ハリエットはただ切なげにドラコを見つめた。しかし彼にはその視線の意味が分からない。ただ一人を除いて。

「あ、あ、あんた、まさか……」

 パンジーは驚愕に目を見開き、盛大にどもった。

「ど、ドラコのこと――」

 彼女もまた、それ以上言葉にはできなかった。なぜならば、あなたの言葉は肯定だと言わんばかり、ハリエットがみるみる頬を真っ赤にし、もじもじと俯いたからだ。時折ちらりと視線を上げてドラコを見るその瞳は、まさに己が日常的に思い人に向けているそれと全く同じで。

「…………」

 ドラコもまた、ハリエットのこの行動の意味を理解しつつあった。ドラコも鈍い訳ではない。パンジーの言いかけた言葉の先と、そしてハリエットのこの言動。二つを照らし合わせて、導き出せる答えは。

 かああっとドラコの頬に熱が集まった。

 彼女が――まさか、そんなことあり得るのか? 彼女が、僕を?

「…………」

 三者三様、様々な理由で顔を赤らめるこの光景は異様としか言えない。しかし三人とも動こうにも動けなかった。衝撃が大きすぎて。

 ただ、すぐ上の階から元気な笑い声が聞こえてきたことで一番始めに正気を取り戻したのはパンジーだった。ハッと我に返ると、顔を顰めてハリエットに威嚇を行う。

「グリフィンドールがなに分不相応なこと言っちゃってるの? ドラコと付き合える訳ないでしょ? 好きになる資格だってないわ!」
「好きになっちゃったものは仕方ないじゃない!」

 言い返すようにしてハリエットも叫んだ。自棄になったようなその言葉により、自分の推測は間違っていなかったのだと分かり、ドラコはますます顔を赤らめた。

「私だって、今ほど自分がスリザリンだったらって思ったことはないわ」
「はあ? どの口がそんなこと言ってんのよ! ポッターの妹のくせに!」
「ハリーは関係ないわ! 私はあなたが羨ましいのよ! 同じ寮だったらずっとドラコの側にいられるけど、私はグリフィンドールだから……次の授業だって、ドラコと一緒じゃないし……」

 ハリエットはあからさまにしゅんとして答えた。これにパンジーは気をよくした。すっかり腑抜けてその場に立ち尽くすドラコの腕に己の腕を絡ませる。

「分かったのなら退散して欲しいわね。私達は今から変身術なの。ドラコ、行きましょ」
「ま、待って!」

 咄嗟に走り出したハリエットは、同じようにドラコの腕を抱き締めた。

「わ、私も一緒に行っても良い? 私、次の授業は呪文学なの。だから途中まで、一緒に……」

 縋るように言うハリエットに、ドラコは思わずオーケーを出しそうになった。だが、パンジーがそれをみすみす許す訳がない。

「駄目よ! 私達の邪魔をしないで!」
「でも、あなた達は付き合ってないんでしょう? だったら、一緒に行くくらい……」
「駄目だって言ってるでしょ! グリフィンドールは駄目なの!」

 てこでも動かないハリエットに痺れを切らし、パンジーは強硬手段に出た。名残惜しいドラコの腕を離すと、後ろからハリエットの髪を掴んで引っ張ったのだ。ハリエットの顔は痛みで歪む。

「や、止めて……」
「は、な、れ、な、さ、い、よ!」
「止めろ、パーキンソン」

 いくらなんでもこれはやり過ぎだと、ドラコはパンジーを諫めた。信じられない者を見る目で、パンジーはバッとドラコを見た。

「ドラコはどうして何もしないのよ! 私がひっついたらすぐに引き剥がすくせに! まさかまんざらでもないわけないわよね!?」
「ち、違う!」

 反射的に言い返し、ドラコは慌ててハリエットの腕を剥がそうとした。だが、彼女の潤んだ瞳と目が合い、躊躇する。

「私……ドラコのこと好きなの……」

 これほど熱の籠もった告白は今までにあっただろうか。

 ドラコは思考を停止した。パンジーはますます躍起になってハリエットの髪を引きちぎる勢いで引っ張る。

「痛い!」
「離れて! ドラコから離れなさい!」
「ハリエット!」

 その時、ハリエットの元に救世主が現れた。パンジーの天敵ハーマイオニー・グレンジャーである。ハーマイオニーは、親友のハリエットが痛みに涙目になっているのを見て激高した。

「パーキンソン! あなたこそハリエットから離れなさい!」

 学年主席が杖を抜いたのを見て、パンジーは僅かに怯み、そして己も杖を引き抜いた。

「何よ、やる気? いいわ、やってやろうじゃない」
「こっちの台詞よ。私に勝てると思ってるの?」

 おろおろするハリエットを尻目に、ハーマイオニーとパンジーは牽制し合う。ハーマイオニーはハリエットを見ずに言い放った。

「ハリエット、このイカれた雌牛は私が引き受けたわ。早く行って!」
「誰が雌牛よ!」
「――っ、ありがとう、ハーマイオニー!」

 一瞬躊躇ったが、ハリエットはドラコの手を引いて走り出した。パンジーはサッと顔色を変える。

「待ちなさいよ! ドラコをどうするつもり!?」
「ドラ――マルフォイ!?」

 ハーマイオニーはハリエットの方を二度見した。――いた、確かに、彼女のすぐ後ろにはドラコがいた。

 まさか、なんてこと!

 怒りのあまり、学年主席はドラコのことを失念していた。自分がここに来たのは、マルフォイの魔の手からハリエットを救い出すことだったのに! このイカれた雌牛の相手はいつだってできるのに!

 しかしその時にはもう既に遅く、パンジーはハリエットとドラコに逃げられた腹いせをハーマイオニーにぶつけることで解消しようとしていたせいで、仕方なしにハーマイオニーも応戦するしかなかった。


*****


 ハリエットの足が止まったのは、変身術の教室ではなく、その近くの空き教室だった。パンジーが追い掛けてこないのを見て取ると、ハリエットはホッとして扉を閉めた。

「まだ授業には時間があるでしょう? ここで少しお話ししていかない?」

 振り返ったハリエットは、そう言って微笑んだ。今日は魔法薬学しか合同授業がないので、こうした隙間時間くらいしか一緒にいられる時間がないのだ。

 だが、黙って手を振り払われてハリエットは困惑した。そっぽを向いたドラコの横顔はどこか不機嫌そうに見える。

「分かったぞ」

 ドラコはハリエットの目を見ずに言った。

「大方、僕を嵌めようとしてるんだな?」
「何のこと?」
「とぼけたって無駄だ」

 どこからともなく突然ハーマイオニーが現れたことで、ドラコの頭は冷や水を浴びせられたように冷静になっていた。いくらなんでも、偶然あんな場所に居合わせる訳がない。それならば、考えられることはただ一つ。

「どこかにポッターやウィーズリーが潜んでるんだろ。それで僕の反応を見てからかってるんだ」
「そんなことしないわ」
「信じられないね」

 すげなく言い捨てられ、ハリエットの胸は不安で襲われた。この気持ちを受け入れてもらえるかは分からなかったが、そもそも信じてすらもらえないとはつゆほども思わなかった。

 突き放されたような気分になってハリエットは俯く。

「どうしたら信じてもらえるの?」
「白々しい。僕はもう行くぞ。お前達の娯楽に付き合ってる暇はない」

 ドラコは扉に手をかけた。だが、後ろからの思いも寄らない力に無理矢理前を向かされ、扉に強かに背中をぶつけた。

 抗議の声を上げようと忌々しげに視線を上げれば、それ以上の熱い視線と交錯する。その激しさに気圧され、ドラコは口を閉じた。

 肩を押さえているこの拘束を解くことは容易だ。しかし、ドラコはハリエットの切なく細められた瞳から目を逸らすことができなかった。

 彼女の顔がゆっくり近づいてくる。ドラコは目を見開いたまま動けない。そして彼女が――彼女の唇が触れたのは、ドラコの右頬だった。

「私、ドラコのこと好きよ」

 ドラコの肩口にハリエットの吐息がかかる。ハリエットは彼に身を預けるようにしてもたれかかっていた。

「本当に……男の人として……」

 唇が触れた所が熱くて、余計に意識して、ドラコは何も返すことができなかった。どこからか授業開始のベルが鳴り響いたが、微動だにできない。

「昼食は、ドラコの隣で食べても良い?」

 ハリエットが小さく囁く。熱に浮かされたかのように、気づけばドラコは頷いていた。ハリエットは心の底から嬉しそうな顔で笑った。


*****


 悪夢を見ているのだと思った。

 ハリーは目の前にどんな料理が並べられても、その一切に手をつけず、ただただスリザリンのテーブルを睨み付けていた。

 午前最後の授業は魔法史だった。ハリーはそもそも、一時間目の時点でハリエットが授業に遅れてきたことが気にくわなかった。ハーマイオニーは、パンジーに捕まってハリエットを追えなかったと言うし、最後に見たのは、ドラコと共に走り去っていくハリエットの後ろ姿くらいだったという。ならば、授業が始まっても尚、ドラコと二人きりでどこかにいたことは想像に容易い。

 そう判断してからは、ひとまず今日一日はハリエットの側から離れるものかと誓いを新たにしたハリーだったが、しかし授業が悪かった。ハリーは、今まで一度だってピンズの催眠攻撃に耐えられたことなどなかった。ロンと二人、授業が終わっても尚ハリーは仲良く眠りこけ、ハーマイオニーはというと、ハリエットの監視をお願いしていたにも関わらず、すっかりそのことを忘れてピンズに授業で分からなかった所の質問をし、結果、ハリエットはまんまと監視の目を抜け出せたという訳だ。

 そうして冒頭、慌てて大広間に向かった三人が見たのは、スリザリンのテーブルで幸せそうにドラコに話しかけているハリエットの姿だったのだ。

 ハリーは、すぐにでもハリエットを連れ戻す所存だった。しかし、そんな彼を止めたのは意外にもハーマイオニーだった。

「ハリー、駄目よ。あなた達さっきスネイプ先生に捕まってたでしょ? これからまだもめ事を起こすつもり? 罰則だけじゃ済まされなくなるわよ」
「だからって、このまま見過ごす訳には――」
「せめて先生の目の届かない場所で連れ戻すべきよ。私達が今向こうに行けば、喧嘩をふっかけてるのは私たちの方だって思われるわ。ハリエットも意固地になるかも。せめてあの二人が大広間を出てからよ、動くのは」
「…………」

 ハリーは大層不満そうな顔で引き下がった。今なおハリエットがドラコの隣に座っているだけで腸が煮えくり返りそうなのに、この地獄がまだ続くというのか?

 不機嫌を隠そうともせず乱暴に椅子に座ったハリーは、その激情の赴くままドラコをずっと睨み付けていた。

 一方で、ドラコもグリフィンドールからの鋭い視線に気づいてない訳ではなかった。むしろ、その視線が殺意を増せば増す程、ドラコの口角は上がった。

 視線の主は見なくても分かった。ハリー・ポッター……。隣に座る少女の双子の兄だ。ドラコがこのホグワーツで気に入らない生徒ナンバーワンでもある。

 だからこそ、彼が大切にしている妹が自分にベタ惚れというこの状況に、優越感を大いにくすぐられることになった。

「ドラコ、何から食べる?」
「なんだ?」

 ハリエットの問いかけに、ドラコは意識を引き戻す。目の前には、甲斐甲斐しくハリエットが盛り付けた料理があった。

「ああ……ミートパイ」

 並べられたナイフとフォークに手を伸ばそうとしたドラコだったが、ハリエットが待ったをかけた。そしてドラコの皿を自分の方に引き寄せると、徐にパイを一口サイズに切り、ドラコの口元へと持っていく。

「ドラコ、あーん」
「…………」

 ドラコは固まった。視線だけでパイとハリエットとを見比べる。動揺して、なぜか助けを求めるかのようにグリフィンドールの方を見てみれば、ハリーがこちらを憎々しげに睨み付けているではないか。もはや視線だけで人を殺せそうな勢いだ。そのことにある意味冷静さを取り戻し、ドラコはハリエットと向き直った。

 今まで、パンジーにも同じようなことをやられたことはあるが、その時は冗談じゃないと無碍に断った。人前でベタベタするのは性に合わないし、そもそもパンジーのことなど何とも思ってなかったからだ。だが、今回は状況が違う。何せ、彼女はハリー・ポッターの妹。ハリーがあんなにもこちらを意識しているその眼前で、いちゃつき振りを見せつけてやれば彼はどう思うだろう?

「ドラコ?」

 羞恥と優越感、ドラコがどちらを取ったかといえば――。

「おいしい?」
「……ああ……」

 優越感、だった。

 耳を赤く染めながら、しかしニヤリと意地悪くハリーの方を見やれば、彼は人生の終わりだとでも言いたげな顔をして頭を抱え始めた。隣のロンも似たような有様だ。唯一ハーマイオニーは訝しげにこちらを見つめている。

 自分とてダメージを受けていることに気づきもせずに、ドラコは不敵に笑い、ハリエットに囁いた。

「あー……次は?」
「次はサラダにする? ほら、とってもおいしそう」

 シャキシャキと新鮮な音をたててハリエットがサラダの小山にフォークを刺し、そしてまた差しだした。とはいえ、あーんすることに慣れてない両者は、サラダを綺麗に食べさせる、もしくは食べることができなかった。ドラコの口元にドレッシングがかかったのを見て、ハリエットはまるで聖母のように美しく笑ってナプキンで拭った。

「可愛い」

 一瞬、自分の口が理性を失ったのかと思ったドラコは、一瞬遅れてハリエットが先の言葉を口にしたのだと理解すると顔を赤らめた。

 ……断じてない。可愛いなんて、断じて思っていない。

 動揺と共に、今やドラコの精神安定剤ともなり得るグリフィンドールの方を見やれば、その顔は血の気を失う。

 ――ハリーは、もはや表情を失っていた。『無』となりながらも、その右手には杖を握っている。ロンとハーマイオニーが必死になって両側から抑えているからまだマシなものの、その拘束がなければ、シーカーのすばしっこさでこちらにひとっ飛びし、そしてドラコに失神呪文でもかけたのではなかろうかという程の禍々しいオーラだ。

 少々ビクついたドラコだが、しかし彼の妹がこちら側にある以上、滅多なことはしないだろう。

 ドラコは更に調子に乗った。ハリーが第二の課題の後英雄のように扱われていること、その彼の大切な妹が自分にベタ惚れなこと、ハリーに喧嘩を売るために己の精神を削ってイチャイチャしていること、いろんな怒りや混乱やストレスや嫉妬がない交ぜになり、しかしそれを上回る勢いでドラコの自尊心を保っていたのは痺れる程の優越感だった。

 ハリーを視界に映すたび、ドラコの理性は麻痺しているので、そろそろ自分が何をしているのか分からなくなった。分からないまま、ドラコは感情の赴くままハリエットを抱き寄せる。ハリーがブツブツと呪詛を囁き始めた。しかしこうも遠く離れていては、痛くも痒くもない。

 ハリエットはというと、驚いたように目を丸くしたが、しかしすぐに嬉しそうにはにかんだ。

「どうしたの?」
「僕が食べさせてやろうか」
「えっ?」
「何が食べたい?」

 ハリエットはポッと頬を染め、小さく『ミートパイ』と答えた。ドラコはすぐにハリエットと同じくあーんをして食べさせてやった。羞恥心に身体が震えたが、なんてことはない。ハリーは怒りでもっと身体が震えている。

 ドラコには、周囲の目や囁きなど全く気にならなかった。あるのは、ハリー・ポッターと、ハリエット・ポッター、二人の存在だけだ。

 ベタベタするのは性に合わないドラコだが、慣れてくるとそうでもない。いや、感覚が麻痺して羞恥心を感じなくなったというのが正解だろうか。ただ、途方もない優越感の陰に隠れて、もう一つの感情もまた、ドラコに甘い高揚感を与えていることには、ハリー・ポッターに目が眩む彼には知りもしないことだった。


*****


 ハリエットは、ずっと視界に靄がかかったような感覚を味わっていた。自分の身に降りかかっている出来事のはずなのに、自分の身体が制御できない。まるで自分が自分じゃないようだ。こんなことを言うはずじゃないのに、そんなことをするつもりじゃなかったのに、身体が勝手に動く。ドキドキして、たった一人のことしか考えられなくなる。

 だが、それはあるとき終わりを告げた。突然――本当に突然、ハリエットの理性が戻ってきたのだ。喧噪がクリアに聞こえ、自分の身体は自分の意志でちゃんと動かせ、そして変なことを口走ったりしない。

 ハリエットは、なぜかスリザリンのテーブルに座っていた。隣にはドラコ。周囲にはぽっかり空間が空き、スリザリン生達は、ハリエットとドラコを遠巻きに眺めている。

「ほら」
「えっ?」

 そんなとき、突然目の前に出されたフォークにハリエットは面食らった。パチパチと瞬きをして、フォークの主を見る。

「早く」

 一口サイズに切ったパイを、ドラコが差しだしていた。一体どういう状況だろうとハリエットは困惑した。確かに、夢現のような感覚の中、自分がドラコにあーんさせていた光景は見たような気がする。でも、あれは夢じゃなかったのだろうか? なぜ――ドラコが自分にあーんさせようとしている?

 小心者のハリエットは、沈黙に堪えきれなかった。大人しくパイを食べると、ドラコは満足そうに微笑んだ。そしてチラリと視線をある方向に向ける。――グリフィンドールの方だ。

 釣られてハリエットもそちらを見ると、目を向けたことをすぐに後悔した。なぜか憤怒の表情をしたハリーが椅子を後ろに倒して立ち上がる所だったのだ。

「行くぞ」

 ハリエットの腕を引いて、ドラコも立ち上がった。

「ポッターがそろそろ仕掛けそうだ」

 見れば、確かにハリーがこちらに歩いてくる所だった。無表情で、走ってもいない所が余計に恐怖感を煽る。ハリエットは身を震わせて大人しくドラコについていった。

 なぜあんなに怒っているんだろう? 自分がスリザリンのテーブルに座っているから?

 だが、ハリエットは確かに覚えている。己の口が『ドラコが好き』と告白したのも、パンジー・パーキンソンとドラコを取り合ったのも、ドラコにあーんさせたのも。てっきり夢だと思った出来事が、まさか全部現実だったというのだろうか?

 いえ、ちょっと待って――。

 ハリエットは焦りながら記憶を辿る。

 私、確かドラコにキスをしてなかった――?

 己の唇が柔らかいものに触れたのを覚えている。ほっぺたにではあるが、ハリエットは確かにドラコにキスをしたのだ!

「ま、待って……」

 ハリエットは足を止めた。ドラコが訝しげに振り向くが、ハリエットはそれを気遣う余裕などなかった。

 何が何だか分からなかった。どうして私はあんなことをしたのだろうか? あの時の私は――私じゃなかった、というのであれば、全てに説明がつく。ハーマイオニーが言うように、もしかして熱があったのだろうか? だから、訳も分からずにあんな行動を起こした?

「マルフォイ」

 振り返らずとも、その声がハリーだとハリエットは分かった。静かな怒りを湛え、ハリーはハリエット達の前へと回り込む。

「いい加減にしろ。ハリエットをこっちに渡してもらおうか。今から医務室に連れて行かなきゃならないんだから」
「医務室?」
「ハリエットは熱があるんだ。こんな行動を起こすのも、全部そのせいだ」
「現実逃避したいのは分かるが、ポッター、いい加減認めた方がいい」

 ドラコがハリエットの肩に手を回した。

「どうやら、君にとって大切な人は妹でも、彼女の方はそうじゃないらしい」

 ハリエットは、ハリーも、ドラコの顔も見ることができなかった。

「君の大切な人は誰だ?」

 この状況を招いたのは、どう考えても自分のせいだからだ。

 ドラコの問いかけに、ハリエットはますます下を向いた。

「……ドラコ……」

 本当に本当に小さな声でハリエットは呟いた。どんな羞恥心だと思った。しかしここで彼に恥をかかせる訳にはいかない。ここまで調子に乗ったドラコの鼻っ柱をへし折ってしまえば、彼はもう二度と立ち直れないかもしれない。

「だそうだ」

 ハリエットの返答に気をよくし、ドラコは胸を反らしてふんぞり返った。

「ポッター、フラれて残念だったな? だが、良い機会だ。君も妹ばかりにベタベタせずに恋人でも見つけたらどうだ?」

 行こう、と甘く優しい声でドラコはハリエットの腕を引いた。

 ハリエットの『ドラコ』発言のせいで、ハリーの魂はもはや風前の灯火だった。ロンもハーマイオニーも、まだ遙か後ろだ。そのせいで、ここには妹を連れ去る悪者を止めてくれる人は誰もいない――。

「だ、駄目っ!」

 その時、どこからともなく、ハーマイオニーによって医務室送りにされたパンジーが舞い戻ってきた。息も絶え絶えにドラコの腕にぎゅうっとしがみつく。

「私達はこれから薬草学よ! あんた達は別の授業でしょう!? もうドラコに付きまとわないで!」
「まだ授業までには時間がある。それまで何をしようが僕達の勝手だろう」

 ハリエットの代わりにドラコが答えた。だが、ハリエットの方は、これを好機とばかり、あくまで自然を装ってドラコの手をやんわり外した。

「そ、そうね。私、ちょっと予習したかったから……あの、とても残念だけど、ここで別れましょう?」
「――っ! そうだよ!」

 妹の言葉にハリーは正気を取り戻した。

「僕らはこれから変身術だ。万が一にも遅れたら減点だ。ハリエット、早く行こう」
「ほら、こう言ってるんだし、ドラコ、行くわよ」

 有無を言わせずパンジーはドラコを引きずっていった。対するハリーは、そんな光景を見せまいと反対方向に妹を引っ張っていく。

 言ってやりたいことは山ほどあった。いくら好きだからと言って、公衆の面前でイチャつくなとか、そもそもその好きな奴を考え直せとか、兄としてのメンタルも考えて欲しいとか――。

 そんなことを考えていると、前から猛然と駆けてくる二人の親友に気づいた。ハリーはすぐに足を止めた。

「ロン、ハーマイオニー! どうしてすぐに来てくれなかったんだよ! もうすぐでマルフォイがハリエットを連れて行く所だったんだぞ!」
「私達だってちゃんと動いてたわ!」

 心外よ! と言わんばかりにハーマイオニーは二人の男子生徒を押し出した。

「よう」

 にへらっと笑うのは、そっくりな顔の双子、フレッドとジョージ。ハリーはポカンとハーマイオニーを見た。

「どうしてフレッドとジョージが?」
「ハリエットがおかしくなったのはこの二人が原因よ。大広間でコソコソ話してるの聞いたの」
「どういうこと?」

 微笑みながらも、怒りを全く隠そうともしないハリーに、フレッドとジョージは内心戦慄する。それでも表面上はいつもの余裕を保ってみせた。

「俺たち、お叱りは受けるつもりでいるぜ」
「まさか幼気なハリエットをあそこまで豹変させちまうとは思いも寄らなかったんだ」
「そもそも、誰がバタービールを飲んだかすらも分からなかったし」
「試供品だからってすぐに効果も消えると思って甘く見てたんだ」
「フレッド、ジョージ、はっきり言いなさい」

 まるでモリーのような貫禄でハーマイオニーは言い放った。フレッドはゴクリと唾を飲み込み、へらっと笑う。

「ハリエットがマルフォイにご執心だったのは、俺たちの惚れ薬のせいだったんだ」
「……はあ?」
「俺たち、次の悪戯グッズは惚れ薬を計画してて」
「一番スタンダードなのは、飲んですぐ視界に入った人を好きになる惚れ薬」
「でも、それじゃ対象を間違える可能性があるし、何よりもロマンティックがない」
「だったら、『恋』らしく、異性にドキッとしたら好きになるっていう惚れ薬にしてみたんだ」
「……それを、ハリエットが飲んだって?」
「ああ」

 大人しく双子の話を聞きながら、ハリエットはダラダラ冷や汗を流していた。そう言われると心当たりがあった。昨夜、談話室で私は何を飲んだ――?

「昨日は人もたくさんいたし、ちょっと惚れ薬の効果を試してみるつもりだったんだ。もちろん知り合いの間だけでな。でも、ちょっと目を離した隙にバタービールがなくなってるし――」
「あんな所にあったら、誰だって間違えて飲んじゃうわ!」

 ハリエットは思わず叫んでいた。フレッドがニヤリと笑う。

「でもさ、一つ気になるのは」
「あれは試供品だってこと」
「それがどうしたんだ?」
「惚れ薬の効果は本物と相違ない。違いがあるとすれば、効果がたったの十二時間だっていうことだけ」
「俺たちが惚れ薬入りのバタービールを放置していたのは夜中の十二時頃。今は昼の十三時だから――そう、もうとっくに惚れ薬の効果は切れていてもおかしくはないんだけど」
「ハリエット、君はまだマルフォイのことが好きなのか?」
「…………」

 顔を赤くしたり青くしたり、ハリエットは大忙しだった。しかし、答えずともその反応を見れば火を見るより明らかだった。

「十二時って……ハリエットがマルフォイとベタベタ食べさせ合いしてたあの時? あの時には君はもう正気だったってこと?」

 ロンが最後のトドメをハリエットに放つ。ハリエットはぶわっと真っ赤になった。

「し、仕方ないじゃない! 気づいたらドラコが隣にいて、私にみ、ミートパイを食べさせようとしてて! でも、今日の自分の行動は全部覚えてたの! 私からドラコにベタベタしてたのよ!? なのに――急に『嫌だ』なんて言える!? 何が何だか分からなかったんだもの、仕方ないじゃない!」

 両手に顔を埋め、ハリエットはワッと叫んだ。親友の見るからに純情な思いが弄ばれ、ハーマイオニーはキッとフレッドとジョージを睨み付けた。

「この落とし前はどう付けるつもり!? ハリエットは全生徒に『マルフォイが好きです!』って宣言したようなものなのよ!?」
「い、言わないで……」

 ハリエットが小さく呟くが、ハーマイオニーの耳には届いていなかった。

「いや、だから悪かったとは思ってるよ。今度は俺たちが大広間で宣言してやるよ。『ハリエットは俺たちの惚れ薬でマルフォイを好きになってました』って」
「だ、駄目よ!」

 反射的にハリエットは大きく叫んだ。

「そんなことしたらドラコが傷つくわ。ドラコが見世物みたいになるじゃない!」
「あいつを気に掛ける必要なんてないって。あいつ、ハリエットが自分にメロメロなのを良いことに、やりたい放題だったんだから。ハリーもこの計画に賛成だろう?」
「うん」

 即答だ。妹がこちら側に戻ってきたと分かれば、もう怖い物なしだった。

「あいつの勝ち誇った顔が忘れられないよ。今度は僕があの顔をする番だ」
「ハリー、そんなこと言わないで。元はといえば私の――惚れ薬のせいでもあるんだし。それに、もしこのことがマクゴナガル先生にバレたらどうするの? 確実に罰則は免れないわ」
「それで君の名誉が守れるなら本望さ」

 気取った調子でフレッドがウインクした。ハーマイオニーは呆れてこっそりため息をつく。

「ハリエットがこんな目に遭ったのも、あなた方のせいなんですけどね」
「でも、とにかく駄目よ。ドラコが可哀想。このまま自然消滅……を狙えば良いわ。寮も別だし、私が大人しくしていれば、もう好きじゃなくなったんだって思われるし」
「本当にそれで良いの?」

 ハリーは心配そうに尋ねた。

 ハリエットの名誉にも関わる話だ。兄としては全く以て気に入らなかった。ドラコ・マルフォイに恋をしていると思われるだけで妹が穢されているような気すらする。

「皆すぐに飽きるだろうし、ドラコもきっと気にしないわ。だから大丈夫」
「……だと良いんだけど」

 ハーマイオニーの不穏な呟きに、ハリーは一人身震いした。


*****


 ホグワーツには思春期の生徒が多数寮生活を送っているせいもあって、噂が絶えない。長く根付く噂もあれば、他に興味のある噂が出てくれば、あっという間にそれに埋もれる噂もある。

 ハリエット・ポッターがドラコ・マルフォイに首ったけだという噂は、いつしか収束していた。二人一緒にいる所があまり見られなかったせいもあるし、何より、ハーマイオニー・グレンジャーがハリー・ポッターとビクトール・クラムの両者を手玉に取っているというスクープの方が重大だったからだ。この記事はホグワーツ中を湧かせたし、世の魔女達をも怒らせた。ハリー・ポッターは魔法界の英雄で、クラムはクィディッチ界の有名人だったからだ。

 この大スクープに、ハリエットとドラコへの好奇の視線はなくなったかと思われたが――意外にも根強く残っているある噂があった。

 ――なんでも、ハリエット・ポッターは、愛の妙薬を飲んでいたらしい。

 噂の出所は不明だ。しかし、ハリエットの親友のハーマイオニーが愛の妙薬を調合し、それをハリーとクラムに使用していたのだと仄めかされた記事により、その信憑性が増していた。曰く、ハリエットはハーマイオニーの実験台にされたのだとか、誤って口にしてあろうことかドラコに恋をしたのだとか。

 一日かそこらで、途端にハリエットが我に返ったかのようにドラコにベタベタしにいかなくなったことも起因している。

 なかなかに真実味を帯びてきた噂だが、それでも当人達に直接聞くような猛者はいなかった。ドラコはマルフォイ家の嫡男で、下手に怒らせれば後が怖いし、その相手もハリー・ポッターの妹だ。ドラコとハリー、そのどちらも大物なので、触らぬ神に祟りなしとばかり、噂をするだけに留めていたのである。


*****


 ハリエットがドラコを好きだと暴露してから、パンジーのドラコに対する束縛は激しくなった。あくまで友達、もしくは同僚生という立ち位置であるにもかかわらず、パンジーはことあるごとにドラコにひっつき、その隣を死守するのだ。自分が取り巻きを連れ歩くならいざ知らず、勝手について回られるのは気に食わず、ドラコは非常にイライラしていた。それに、パンジーが常に側にいるためか、この頃ハリエットが傍に寄りつかなくなった。

 別にそのことに問題はない。ドラコとしても、人前でベタベタするのは苦手だからだ。だが、ハリー・ポッターに堂々と意趣返しできる良い機会がなくなったことと、あんなに好きだ好きだと言ってきたくせに、急に手のひらを返したように素っ気なくされるのは気になった。いや、正直に言えば少々腹が立った。

 グリフィンドールのテーブルで呑気にハリエットが笑っているのを見ると、まるで自分だけが気にしてるみたいでドラコは苛立った。だが、話しかけるにしても、パンジーがいるし、そもそも人前だ。ドラコはいい加減堪忍袋の緒が切れそうだった。

 今日も今日とて、パンジーは目まぐるしくドラコに話しかけながら妖精学の教室までついてきた。ついてきたと言っても、彼女も同じ授業を受けるので同じ所へ行き着くのは当然だが、わざわざ一緒に来なくてもというのがドラコの本音だ。

 朝食を終えて早々席を立ったせいか、教室にはまだ生徒はまばらだった。いつもの定位置に腰を下ろせば、堂々とパンジーもその隣に座り、耳元で騒ぎ立てる。

「グレンジャーのあの顔見た!? ベソかいて大広間飛び出していったときの! あれ、絶対にあのスクープを見た人達からのやっかみの手紙よ! どうせなら吠えメールでも送ってくれれば良かったのに!」
「パーキンソン、それよりもレポートは持ってきたのか? 今日提出するよう言われてただろう」
「あっ……」

 時が止まったかのように、パンジーは口を開けたまま制止した。サッと顔色を悪くし、慌てて立ち上がる。

「ドラコ! その席は空けておいてよね! 私の特等席よ!」
「…………」

 ドラコの返事も聞かずに、パンジーは勢いよく温室を出て行った。ドラコはため息をつき、早くクラッブかゴイルが隣の席を陣取って欲しいと祈った。

 授業開始までまだ時間がある。ぼうっと教科書をめくっていると、ふと隣に誰かが座った。クラッブやゴイルのような巨体ではないし、パンジーのように甘ったるい匂いをまき散らしてもいない。褐色肌の男子生徒だ。

「随分寂しそうな顔をしてるな」

 ニヤリと下卑た笑みを浮かべるのはブレーズ・ザビニ。ハリエットとの事件があって以降、表面上はいつも通り接してはいるが、内心ではどちらも憎しみに近いものを燻らせている相手だ。

「何の話だ」
「ハリエット・ポッターが寄りつかなくなって寂しいんだろう」
「馬鹿言うな」
「キスしたのか?」
「はあ?」

 ドラコは思わずまじまじとザビニを見た。その間をザビニは否定と受け取った。

「なんだ、してないのか。じゃあこれから付き合うのか?」

 相変わらず低俗な話題が好きな男だ。ドラコは鼻で笑い飛ばした。

「別にどうもしない」
「正気か?」

 前を向いたまま、ザビニはチラリと視線をドラコに向ける。

「遊んでやれば良いじゃないか。ポッターの妹だぞ」
「あいつは子供だ。あれくらいで丁度いい」
「子供なのはどっちだよ」

 馬鹿にされたことは分かったが、ドラコは何も言い返さなかった。相手にするだけ無駄だ。

 両手を組み、ザビニはそこに顎を乗せた。気だるげに彼がふうっと息を吐き出せば、スリザリンの女子生徒が流し目を送ってクスクス笑うのが聞こえてくる。

「キスもしてないし、付き合ってもない。じゃああの噂は本当だったって訳か」
「噂?」
「知らないのか?」

 ザビニはゆっくり微笑んだ。

 自分は知らないことを、ザビニは知っている――そのことにドラコは苛立った。

「何の話だ」
「ハリエット・ポッターがお前にメロメロだったのは愛の妙薬を飲んだからだっていう噂」
「愛の妙薬……」

 ドラコは茫然と呟いた。ザビニは軽薄な男だ。本当のことを言っているかも分からないのに、何故だかその言葉には妙に信憑性があった。

「でも、思い返してみれば確かに納得だよなあ。彼女、急にお前に迫るようになったし、かと思えば全然寄りつかなくなったし」
「…………」
「あー、もったいないな。どうせなら、愛の妙薬が切れる前にキスの一つでもしてやれば面白いことになってただろうに」
「……僕はお前とは違う」
「潔癖だな」

 辛うじて返事をしたドラコに、ザビニはふっと嘲笑を浮かべた。

「俺はしたけどな」

 その後流れるように漏れ出た名に、ドラコの身体は固まった。

「ハリエット・ポッターと」

 一瞬の静寂。

 時が止まったように感じた。周囲の物音が一切耳に入ってこない。

 ドラコが動かなくなったのを見て、ザビニは口角を上げて席を立った。そしていつも通りの席へと腰を下ろす。優越感に浸っていた時の自分と全く同じ笑みをザビニが浮かべていたことに、残念ながらドラコは気づかなかった。


*****


 惚れ薬のことが判明してからというもの、ハリーとロンが突然過保護になってしまった。曰く、『目を離すとまたマルフォイの所に行くかもしれないから』らしい。だが、そこまでしなくても、惚れ薬の効果が抜けた今のハリエットは、もとよりドラコの元へ向かう気などない。そう伝えてみても、『マルフォイの方から来るかもしれないだろ』とハリーは聞き入れてくれないのだ。ドラコの方が気になって時折チラリとスリザリンのテーブルへ視線を走らせば、『どこ見てるのさ』と兄により視線の軌道修正を受け、それ以上見続けることは敵わない。ハリエットはしばしの間かなり束縛の激しい生活を送ることを余儀なくされた。

 とはいえ、あれだけベタベタしに行っていたのに、突然寄りつかなくなるというのも周りからして見ればあまりに不自然だ。少しくらいはカモフラージュにドラコの所へ行った方が良いかしら、とハリーに相談すれば、勢いよく首を振られた。曰く、何が何でもこのまま自然消滅を狙え、らしい。

 ただ、ドラコとの今後の距離感に頭を悩ませていたのは、それほど長い期間ではなかった。その後すぐ新聞に掲載されたハーマイオニーの中傷記事の対応に手一杯になってしまったからだ。

 悪質な手紙を発見しては処分するという日々を数日過ごし、ハリエットもドラコのことを忘れかけていた頃、意外にも接触を図ってきたのはドラコからだった。思い切り不機嫌ですと書かれている顔で、大広間から出てきたハリエットのことを待ち伏せしていたのだ。

「話がある」

 返事も待たずに、ドラコはハリエットの腕を掴んだ。すぐにハリーとロンがいきり立って二人の間に割って入ろうとするが、それを制したのはハリエットだ。

「ちょっと話をするだけじゃない」
「二人きりになるなんて危ない」
「大丈夫よ」

 ハリーやロンからしてみれば、ドラコは敵意の塊になって見えるかもしれないが、ハリエットは違う。何だかんだ、ドラコはシリウスのアニメーガスを黙っていてくれてるし、ザビニの一件からも助けてくれた。要は信用しているのだ。

 大丈夫、大丈夫と繰り返し、ハリエットは何とか過保護な包囲網から抜け出した。そのままドラコに連れて行かれたのは近くの空き教室だ。入室して早々、ドラコは座りもせず黙りこくる。ハリエットは大層気まずくて顔を引き攣らせた。

「な、何か用だった?」
「…………」

 ドラコは、答えない。俯いたまま押し黙る。

「……ドラコ?」
「僕のどこを好きになったんだ?」
「えっ!?」

 予想だにしない質問に、ハリエットの声は裏返ってしまった。冗談かと思ってドラコを見れば、彼の顔はあくまで真剣で。

 ハリエットは冷や汗を流した。思い切って全てを打ち明けてしまおうか、ともハリエットは一瞬思った。だが、そんなことをすれば、ドラコは確実に傷つく。ハリエットは大きく深呼吸した。

「あー……その、い、いつも、私を助けてくれる所……」
「…………」

 気まずい沈黙が返ってくる。これでは、あまりにもお粗末だろうか。ハリエットは今までにない速度で頭を回転させた。ひとまず話を逸らすのはどうだろうか?

「あ――あっ! そうだわ、すっかり忘れてた! いつかちゃんと改めてお礼が言いたいと思ってたんだけど……ほら、いつも私がいっぱいいっぱいなせいで今までお礼を言えてたか自信がなかったから……。ドラコ、いつもありがとう。ジャスティンの時も、ザビニの時も、助けに来てくれてありがとう。本当に嬉しかった」

 日頃の感謝も込めて、ハリエットは心からの笑みを浮かべた。だが、何故だかドラコの顔は晴れない。あからさまに話を逸したことに気づかれたのだろうか?

「……あの時」
「え?」
「ザビニとキスしたのか?」
「……えっ!」

 一瞬遅れて、ハリエットはようやくその言葉の意味を理解した。慌ててぶんぶん首を振る。

「し――してない、してないわ!」
「本当に?」
「あ、当たり前でしょう! キスされてたら、私、一生ザビニを恨んでるもの! 誰だって、ファーストキスは好きな人と……」

 ハリエットの声はみるみる萎んだ。異性の友達に何を言ってるんだという恥ずかしさが込み上げてきたというものあったが、それ以上に――なぜかドラコが無言で近づいてきたことに戸惑ったのが大きかった。

「な……なに?」

 気がついたときには、ドラコはもう目の前にいて、今更ながらに『何かあったらどうするんだ!』というハリーの言葉の意味を理解した。

 無意識のうちにハリエットは後ずさっていたが、もう後ろは壁だった。トン、と顔の横に手を突かれる。

「キス……するか?」
「へ!?」

 カッとハリエットの頬に熱が集まった。囁かれた言葉の意味を理解した瞬間に、だ。ハリエットはしどろもどろになった。

「わ、わた、私達、まだそんな関係じゃ……」
「僕とは嫌なのか? 僕のことが好きなのに?」
「ちょ、ちょっと待ってドラコ。様子がおかしいわ」

 ドラコの顔がどんどん近づいてくる。ハリエットはギュッと目を瞑ることしかできなかった。辛うじて腕を前に突き出したが、力はほとんど入っておらず、大した抵抗にもなり得ない。

 愛の妙薬のことがバレてはいけない、という使命が頭にあったわけでもないのに。

 ただ、敢えて言うならば、ザビニの時のような恐怖は欠片もなかった。ハリエットの頭をかき回すのは、混乱と戸惑いと羞恥と。

 ある意味では、もう少しすれば、恥ずかしさが最高潮にまで上り詰め、それが抵抗という形で現れたかもしれない。だが、気がついたときには、頬に何か柔らかいものが当たっていて、ハリエットは拍子抜けした。――思っていた場所では、なかった。

 ゆっくり目を開ければ、すぐ目の前にドラコの顔はあった。頬にキスされたことよりも、そのことの方に驚いて、ハリエットの顔はぶわっと真っ赤に染まった。一気に全身の力が抜けて、ハリエットは壁を背にズルズルと床に座り込む。

「愛の妙薬か?」

 ドラコは静かに語りかけた。完全に無防備だったハリエットは、大袈裟なまでに肩を揺らした。

「君は僕を好きじゃない。違うか?」
「な、なんでそれを――」

 軽率に口走ってしまった言葉を呑み込んだが、時既に遅し。

「やっぱりな」

 感情の読めない顔でドラコは俯いた。

「スリザリンでまたお前の噂が上がってた。ポッターの妹だってだけで目立つのに、これ以上低俗な噂話の的にならないよう行動に気をつけたらどうだ」
「…………」

 ハリエットはおろおろと俯く。ドラコの忠告などほとんど耳に入って来ず、むしろどうすれば彼を傷つけずに状況説明ができるだろうと必死に考えた。愛の妙薬を口にしたのは事故のようなものだし、ドラコをがその対象だったのも故意ではない。たが、傍から見ればからかわれたと思うのが当然かもしれない――。

 だが、ドラコは待ってはくれなかった。ハリエットが視線を上げるのと、彼が踵を返すのはほぼ同時で。

「あっ――」

 引き留めようと上がった腕は、中途半端な高さで止まった。ドラコは振り返りもせず教室を出て行く。

 ハリエットは、追い掛けることができなかった。なぜなら、未だに自分の身に何が起こったのか理解ができなかったからだ。いや、ドラコにキスされたことは分かった。だが、その前。その前の己の行動が分からない。

 動転して、焦って、混乱して、恥ずかしくなって。そして挙げ句の果てには――目を瞑った。

 拒まなかったのだ。抵抗しようと思えばできたのに、今から何をされるのか薄ら理解していたのに、拒まなかった。

 言葉にならない声を上げて、ハリエットは両膝に顔を埋めた。自分のことなのに、自分が分からない。

 顔の熱を冷ましたいのに、脳裏に蘇るのは、すぐ目の前まで迫ったドラコの顔で。

「〜〜っ!」

 ハリエットは声にならない悲鳴を上げて頭を抱えた。