愛に溺れる

ハリーが愛の妙薬を飲んで、ハリエットにメロメロになる







*復学後、ホグワーツにて*


 卒業を目前とするホグワーツ七年生は、プロムナードに連れて行くパートナー探しに明け暮れていた。プロムの前にはNEWTもあるというのに、生徒たちは学生最後のダンスパーティーに浮かれきっていた。

 四年生のクリスマス・ダンスパーティーの時には、パートナー探しのせいでひどい目に遭ったハリー達も、今年はあの時のことが懐かしく思えるくらいには平和だった。もはや誘う前からそれぞれ心に決めたパートナーがいるのだから、それも当然か。

 とはいえ、ハリーだけは、また別の意味で忙しかった。――何としてでも魔法界の英雄とパーティーに行きたい女子生徒が、彼に惚れ薬を盛ろうと躍起になっているからだ。

 出会い頭に渡される食べ物は、ハリーは決して受け取らなかったし、大広間で出される食事にも気を遣っていた。出されたばかりの料理を盛り、そして己の皿からは一瞬でも目を離さない。そこまでしないと、横から何の液体を垂らされるか分かったものじゃないからだ。

 できるだけハリエットやロン、ハーマイオニー達も、ハリーの側に付き添うようにしたが、監督生やら、クィディッチの練習などが重なると、そういつも一緒にはいられない。

 いい加減ハリーはうんざりしていた。その日もまた、ハリーのすぐ隣の椅子で、女子生徒が女子生徒に黄色い声を上げて抱きついていた。――元は、ハリーを狙った惚れ薬だったらしい。笑い事ではない。内心冷や冷やものだ。

 だが、そこまでして注意していても、やはり限界はある。事件が起こったのは休日のとある昼下がりだった。プロムナードも残す所あと数日となり、さすがにこんな時期にまで英雄のパートナーの座を狙ってはいないだろうと、そんな油断を見越したかのような手腕だった。その日は運悪く頭の切れるハーマイオニーも、必ずハリーの隣を死守するロンもいなかった。ハリーの目の前に座っているのは、警戒心など母親のお腹の中に置いてきたおっとりとした妹しかいなかったのだ。

 ハリー自身も、隣に座るコリンとの会話に気を取られ、自分のオートミールの中にサッと何か入れられたことなど、全く気づきもしなかった。気づいたときには、『ハリー』と甘い声で囁かれ、トントンと肩を叩かれていた。伊達に死喰い人蔓延る魔法界で逃げ隠れしていなかったハリーは、咄嗟の本能が『ヤバい』と告げていることに気づいていた。振り向いてはいけない。今、自分は確実にヤバい状況に陥っている。こんな時はどうすれば? ハーマイオニーもロンもいない――自分のすぐ前には、ハリエットがいるくらいだ。

 助けを求めてハリーが前を見れば、きょとんとした顔のハリエットと目が合った。ああ――その時、ハリーの胸にこの上ない幸福感が込み上げてくるのが分かった。

 ハリエットが――妹なのに――とっても可愛い……。

 もうお昼なのに、未だぴょこんと跳ねている前髪が可愛いし、驚いたようにパチパチ瞬きする瞳も可愛い。もぐもぐと子リスのように頬を膨らませて食べているのも可愛いし、まだ皿の上にはパンが残っているのに、デザートは何にしようか目が泳いでいるのも可愛い。

「あー……」

 思わずと言った様子で漏らした感嘆のため息に、ハリエットは怪訝な顔でハリーを見た。再び目が合い、ハリーの胸はドキリと高鳴る。

「ハリー、どうしたの?」

 嗚呼! 声まで可愛いなんて!

「神様はなんて罪作りな生き物をお作りになったんだろう……」
「ハリー?」

 きょとんと首を傾げる姿に心臓をやられ、ハリーは大袈裟に胸を押さえた。ハリエットは驚いて立ち上がる。

「大丈夫!? 胸が痛いの!?」
「ああ……痛い。痛いよ」
「医務室に行かなきゃ!」

 慌てるハリエットは可愛かったが、しかし医務室なんかに行けば、彼女と一緒にいられる時間がそれだけ短くなる。ハリーは小さく笑ってウインクをした。

「ハリエットが看病してくれたら、すぐに良くなるよ」
「……何言ってるの?」

 目を瞬かせ、やがてハリーの体調が大したことないことが分かると、呆れたようにハリエットは座り直した。

「もう、冗談言わないで。そういうことはジニーに言ってあげたら?」
「君の口から、他の女の子の名前は聞きたくないな……」
「本当にどうしちゃったの?」

 疑り深い目で見るハリエットを他所に、青白い顔でハリーの隣から女生徒が立ち上がり、そして走って大広間を出て行った。ハリエットはちょっとそれに気を取られたが、すぐにまた視線を兄に戻す。

「とにかく、もう体調は大丈夫なのね?」
「もちろんだ。だって今日は折角のホグズミードじゃないか。ハリエットと一緒に行けることを楽しみにしてたのに、体調不良なんかで諦めるわけない」
「ハリーはジニーと行くんじゃないの?」

 ハリエットは驚いて聞き返した。復学してから、ホグズミードはそれぞれ恋人と二人きりで行っている。向こうで偶然遭遇すれば、その後も行動を共にすることはあるが、まさか今回だけ急に一緒に行く話が出るなんて思いも寄らなかった。

「ジニーに何か用事があるの? 私は一緒でもいいんだけど、ドラコに聞かなくちゃ」
「ドラコ? ハリエット、ドラコと行くつもりなの?」
「ええ」

 当たり前でしょう、という顔で頷くハリエット。ハリーは笑顔のまま固まった。

「ハリー?」

 ハリエットはハリーの顔の前で手を振ったが、なおもハリーは硬直したままだ。一体どうしたんだろうと心配には思ったが、しかし緑のネクタイを締めた男子生徒がこちらへ歩み寄ってくるのが見えて、そんなことなどすっかり頭から吹き飛んだ。

「ドラコ!」
「おはよう。今日の待ち合わせは何時にする?」
「あ……それなんだけど」

 ハリエットは困ったように笑った。

「今日、ハリーと一緒でもいい? ジニーに用事があるらしくって」
「……僕は構わないが。でもハリーはロン達の方がいいんじゃないか?」

 折角の二人きりのデートを邪魔されてなるものかと、ドラコはさり気なく誘導した。しかしそう思うのも仕方なかった。だってそうだろう、何が嬉しくて妹とその彼氏のデートについてくるというのだ。まだせめて親友二人のデートについていく方が現実的だ。――いや、それでもやはり傍目からすれば遠慮しろと言われそうだが。

 ドラコは己の眼力で空気を読めと何とか伝えてみたものの、ハリーはそれ以上の圧力でキッと睨み返してきた。

「ドラコ、君、ちょっと遠慮してくれないか。ハリエットは僕とホグズミードに行くんだ」
「……は?」

 ドラコは目を丸くした後、戸惑いの目をハリエットに向けた。

「本当か? ハリーと?」
「あ……ええっと、私はドラコが許可してくれるなら、ハリーと三人でと思ったんだけど」
「僕は二人きりが良い」

 ハリーが余計な横やりを入れてくるせいで、話がまとまらない。ドラコは頭に手を当てた。

「ハリー、君は……ハリエットと二人で行きたいと。僕が先に彼女と約束していたのは知っているな? それでも行きたいと? なぜ?」
「ハリエットのことが好きだから」

 何を当たり前のことを聞くんだとでも言いたげにハリーは堂々と答えた。ドラコは一瞬虚を突かれたように押し黙ったが、すぐに不機嫌な顔になる。

「僕だって――ああ、いや。とにかく、そんな答えじゃ譲れない。彼女と二人きりで行くのは次回にするか、もしくは今回三人で行くかのどちらかだ」
「どうしてドラコがついて来るんだ!」
「それはこっちの台詞だ!」

 ドラコは堪らず突っ込んだ。何だって、折角の恋人とのデートをその兄に邪魔されなくてはならない! しかも自分達はもう成人している。充分それぞれのプライベートを持ってもいい頃合いだ。

 バチバチと睨み合う男二人に挟まれ、ほとほと困り果てるハリエット。

 そんな三人の元に現れたのは親友という名の救世主だった。

「珍しいわね。喧嘩でもしたの?」
「ドラコが悪いに違いない」
「二人とも、良い所に!」

 向かいと隣に腰掛けたハーマイオニーとロンに、ハリエットの表情はパッと明るくなった。

「助けて! ハリーの様子がおかしいの!」
「ハリー?」

 ロンとハーマイオニーは、チラリとハリーに視線を向ける。だが、見た目には特におかしい所はない。ハリエットもどう説明したものかと口ごもる。

「あの……ハリーが……急に過保護になったって言うか、急に一緒にホグズミードに行きたいって言って聞かないの」
「過保護?」
「でも、ホグズミードはドラコと行くんだろ?」
「ええ、そのつもりだったんだけど、ジニーに用ができたらしくて、私と二人で行きたいって……」
「それはハリーが悪いわね」

 ハーマイオニーはピシャリと言ってのけた。ハリーは悲壮な顔になる。

「どうして! 君達だけは僕の味方だと思ってたのに!」
「だって先約はドラコでしょ? どこに兄とのデートを優先する恋人がいるのよ」
「恋人!?」

 そんな事実は初めて知ったとばかり、ハリーは絶望の表情でハリエットを見つめた。兄がそんな顔をするのは珍しいので、おろおろと見つめ返せば――ガシッと彼はハリエットに抱きついた。

「そんな……そんなのってないよ! 僕だってこんなにハリエットのこと愛してるのにどうして!」
「ハリー?」

 ハリーの肩越しに、ハリエットは困った顔をハーマイオニーに向けた。彼女は顎に手を当てて思案しているようだったが、やがてハッとしたように顔を上げた。

「もしかして――惚れ薬!? ハリエット、ハリーが最後に食べてたのは何だった? 何か、女の子に囲まれたりとか!」
「確か、今日はオートミールを食べてたような……。囲まれてはいなかったけど、そういえば、女の子が一人ハリーに話しかけようとしてたわ――」

 言いながら、ハリエットもハーマイオニーの言う『惚れ薬』で全てのピースが埋まっていくのを感じた。

「そういえば……その子、少し前真っ青な顔で走って行ったわ……。下級生の女の子で、前からハリーにアタックしてた子……」
「ビンゴね」

 ハーマイオニーは額に手を当て、深々とため息をついた。自分がいない時にこんなことになって、些か責任を感じていた。

「えっ……でも、まさか。正気に返ったハリーが、やっぱりハリエットとドラコの交際が許せなくなっただけとかじゃなくて?」
「ロン、いい加減現実を見なきゃ。ハリーは惚れ薬を盛られたのよ。そして恋した相手は実の妹」
「……マーリンの髭!」

 ロンが目をくるりと回して呟いた。


*****


 近くの空き教室に拠点を移し、ハリエット達は作戦会議を開いた。できればハリエット、ハリエットとうるさいハリーはメンバーから除外したい所だったが、彼はハリエットの腕にひっついたまま頑として離れなかったので、なし崩し的に参加することになった。

 目下の所、解毒剤を手に入れることが先決だという話になったが、入手方法が困難だった。そもそもの元凶フレッドとジョージに頼むにしても、ふくろう便では少なくとも一日はかかる。それよりは、校内にWWWの常連がいて、解毒剤を持っている生徒に譲ってもらうよう交渉する方がまだマシだろうが――『惚れ薬を買いました』なんて堂々と告白できる女生徒はそう多くはないだろう。

 となると、やはり惚れ薬の効果が切れるまでやり過ごす、という選択肢しかないというのが現状だ。さすがにスネイプに助けを求めるという命知らずな方法を挙げる者はこの場にいなかった。

 ハリエットは、ただただジニーに対して申し訳が立たなかった。ハリーがこうなってしまった現場には自分がいたのに、惚れ薬を飲むのを止められなかったばかりか、恋人の立場を邪魔するような羽目になってしまったのだ。そもそも、ホグズミードだってハリーはもともとジニーと約束していたらしい。なのに、惚れ薬のせいで彼はハリエットと行くと宣言して聞かない。ハリエットはほとほと困り果てていた。

「ジニー、本当にごめんなさい」

 もう何度目か分からない謝罪に、ジニーは苦笑を浮かべた。

「私は別に気にならないわ。だって兄妹じゃない。他の人に恋するよりはずっと良いわ」
「でも……」
「それに、一番可哀想なのは、私じゃなくてドラコだと思うわ」
「ドラコ? どうして?」
「そのうち分かるわよ」

 ジニーは遠い目でハーマイオニーと話すドラコを見つめた。話題に他の男の名が上がったので、ハリーは些か不機嫌そうにハリエットの首元に顔を埋める。

「何がドラコだ……ハリエットの一番近くにいたのは僕なのに」
「いつまでもそんなこと言ってられないでしょう? 私達は兄妹なのよ」
「でも、男女の双子は前世で心中した恋人だって言うじゃないか!」
「ハリー、前世なんて信じてなかったじゃない」
「今は信じてる!」
「もう……」

 まるで駄々っ子のようなハリーに、ハリエットもお手上げだった。ハリーに絡まれないようさっさとグリフィンドール塔へ戻り、寝室へ引っ込む。ホグズミードのために準備するには少々早い時間だが、久しぶりのドラコとのデートだ。気合いを入れるに越したことはない。――兄がくっついてくることには気づかない振りをして、ハリエットはまず何を着るかで迷い始めた。


*****


 準備を終え、ハリエットが談話室に降りると、パッと笑みを浮かべたハリーが出迎えた。

「ハリエット! とっても可愛いよ!」
「ありがとう……」
「この世のどんな女性でも、今日の君には敵わないだろうね」
「まるでシリウスだよ」

 通りがかったロンがボソリと呟いたが、今のハリーの耳には届いてない様子だ。

「さあ、早く行こう!」

 輝かんばかりの笑みでハリーはグイグイハリエットの手を引いた。ハリエットはやんわりその手を外そうとしたが、なかなかに彼の握力は強い。

「ロンとハーマイオニーは? 途中まで一緒に行かないの?」
「いや、遠慮しとくよ。今のハリーと君達の間に挟まれるのはちょっと面倒くさそうだから」

 裏切り者、とハリエットの目がジトッとしたものになるのも仕方なかった。これからこのハリーの相手をするのは自分達だけになるのだから、今のうち少しくらい相手してくれたって良いのに。

 まるで子供のようにはしゃぎながら手を引っ張るハリーと共に、ハリエットは渋々待ち合わせ場所である玄関ホールまで向かった。近くにはちらほら待ち合わせをする恋人の姿が見られるが、間違っても兄と恋人とで共にホグズミードに行こうとする酔狂な人はいない。

 ドラコは、階段のすぐ近くで立っていた。ハリエットとドラコは、ほぼ同時に互いに気づき、声をかけようとしたが、それよりも先にニコニコ顔のハリーが彼の横を通り過ぎようとする。ハリエットを連れて。

 ……知ってか知らずか――いや、絶対にわざと無視しようとした。

 ハリエットはグイッと腕を引っ張り、ハリーを引き留めた。ハリーは不承不承立ち止まる羽目になった。

「ドラコ、待たせてごめんね」
「いや、僕も今――」
「これくらいで恩を売られちゃ困るな女の子は身支度に時間がかかるものなんだハリエットが僕のために可愛い格好をしてくれたことに感謝こそすれ恨み言なんて口にするもんじゃない」
「……何も言ってないが」
「さあ、行こうかハリエット」

 爽やかな笑みを浮かべ、ハリーはさり気なくハリエットの手を取った。あまりにスマートだったため、ハリエットもドラコも口を挟む暇がない。一体いつどこでこんな手練手管を身につけたのか。

 ハリエットがやんわりと手を外そうとするも、グリンデローの握力並みにがっしり掴まれた手はビクともしない。

 困った顔でハリエットがドラコを見れば、彼はしばし難しい顔で考え込み――そして、ハリエットの反対側の手を握った。

「…………」
「…………」
「ドラコ、遠慮して欲しいんだけど」

 ぬっと前屈みになり、ハリーが低い声で言う。

「この並び、どう考えたってきついだろう」
「じゃあ君が遠慮してくれ」
「僕が先にハリエットと手を繋いだんだ! 君が遠慮するべきだ!」
「僕は彼女の恋人だ」
「僕はハリエットのお兄ちゃんだ!」
「それが分かってるなら話は早い。世間的にも、どちらが譲るべきかは一目瞭然だ」
「そうかそうか。君もそう思うか。恋人よりも近い存在の兄妹に譲るべきなのは当たり前だったね。それに、僕達はただの兄妹じゃない。双子・・なんだから」
「あの……とりあえず私はこの状態は止めて欲しいわ。注目を浴びるから」

 ドラコとの口論に気を取られていたハリーの手には、ほとんど力が込められていなかった。するりと手を引っ込め――ついで名残惜しくもドラコの手も外し――両手ともポケットにスカートのポケットに突っ込んだ。格好のつかない見た目だが、三人で手を繋いで歩くよりはずっとマシだ。

「ハリエット!」

 ハリーが絶望の声を上げるが、ハリエットは無視した。

 だが、それくらいでめげるハリーではなかった。

 惚れ薬を飲むと共に、性格までポジティブになったのか、ハリーはハリエットのつれない態度にも決して落ち込まない。それどころか、やたらめったらスキンシップをしてくるのだ。

 学校では周囲の目もあるので、ドラコとだってそんなにスキンシップはしないのに、ハリーときたら、頭を撫でたり、手を繋いだり、ハグをしてみたりと、とにかく過剰だ。もはやドラコよりもハリーの方が恋人らしい。ドラコとの半年分のイチャイチャを、ハリーはたった一日で制覇してしまうのではないかというくらいベタベタしてくる。

 ドラコもドラコで、必至にハリーを牽制してくれるのだが、いかんせんハリーの方が一枚上手だった。

 ハイストリートを半分も行かないうちに、ハリエットは早々に三本の箒に行きたいと漏らした。少し気を緩めれば、途端にドラコとバチバチやり合うハリーの相手は思っていた以上にしんどいのだ。

 人目につかないテーブルについて早々、ハリーはすぐにバタービールを頼んでくるとマダム・ロスメルタの下へ行った。ドラコに行けと命じるのではないかと思っていたハリエットは少々面食らってしまった。

 ――ただ、結局はハリエットの想像の延長線上に落ち着いたことは確かだった。ハリーはジョッキを二つしか持っていなかった。

「はい、ハリエット、バタービール」
「ありがとう。……ドラコの分は?」
「忘れた」

 すげなくハリーは答えた。慌てて買いに戻る訳でもなく、ハリーはニコニコ笑いながら椅子に腰掛けた。ドラコは無言で立ち上がり、カウンターへ向かった。その隙にいそいそとハリエットの隣を陣取った。

「ハリー、駄目よ。こんな意地悪するハリーは好きじゃないわ」
「そんなこと言わないで……」

 途端にハリーは捨てられた子犬のような目になった。

「僕は君と一緒にいられる時間を少しでも多く作りたかっただけなんだ。だからついドラコの分を忘れて……」
「ハリーのその言い訳は今日だけで充分聞き飽きたわ。いい? 何度も言うけど、今のあなたは惚れ薬を飲んで私に恋をしてるってだけなの。私の恋人はドラコよ」

 ピシリとハリエットは言ってのけた。多少ハリーが傷ついたとしても致し方ない。今日は随分とドラコに迷惑をかけたのだから、少しくらいはハリーにも我慢してもらわなければ。

 そう考えたハリエットだが――ハリーは、傷つくどころか。

「全く……ハリエットは僕にヤキモチを焼かせるのが上手だ」
「え?」
「僕に嫉妬して欲しかったんだろう?」

 どこぞの色男のような流し目で、ハリーはちらりとハリエットを見る。

「参った。降参だよ。僕は充分ヤキモチを焼いたし、君の気持ちもよく理解してるつもりだ。でも、そろそろ素直になった方がいいと思う。僕だっていつまでもドラコに譲ってるばかりじゃいられない」
「ドラコ……どうしよう」

 戻ってきたはいいが、ジョッキ片手に固まっていたドラコにハリエットは思わず助けを求める。

「ハリーが話を聞いてくれないわ」
「話を聞く、聞かないの次元じゃないぞもはや。思考回路が謎すぎる。思い込みが激しすぎる。手に負えない」
「そんなこと言わないで……」
「座らないのか? ああ、遠慮してくれてるのか。じゃあドラコ、気を遣ってもらって悪いな」

 さあお前はあっちへ行け、と言わんばかりにハリーはニコニコ手を降った。ドラコは無視してテーブルについた。

 それからというもの、休憩後と休憩前、ハリーの様子は何ら変わらなかった。むしろ時が経つごとに酷くなっていったかもしれない。

 ホグワーツに帰宅するや否や、寝室に駆け込んでベッドにダイブするくらいには疲労困憊だった。こうなるくらいだったら、仮病でも使って今日一日休んだ方が良かったと思った程だ。

「お疲れ様」
「ハーマイオニー……」
「今日はなんの力にもなれなくてごめんなさい」
「いいのよ。私がちゃんとハリーのこと注意してあげられなかったから悪いんだもの」

 ハーマイオニーはハリエットのベッドに腰掛けた。

「せめて夜はハリエットのフォローに入ろうってロンと話したの。夕食の後、私達がしばらくハリーを足止めしておくわ」
「いいの?」

 ハリエットは思わず期待を込めた目で起き上がった。しかしすぐに申し訳なさそうな顔になる。

「でも……あの、思っていた以上にハリーは面倒くさいけど……」
「ロンと二人だったらどうとでもなるわ。ハリーに引き留められないうちに女子寮に引きこもるなり、他の場所で息抜きをするなり、ハリエットがしたいようにして」

 パチンとウインクをしてハーマイオニーが言った。ハリエットも、彼女の最初の提案は魅力的に思えたが、彼女のウインクを見て考えを改めた。

 ――そう、今日は折角のホグズミード休暇だったのだ。珍しくドラコと一緒にいられる時間だったのだ。親友達の好意に甘えて……ドラコに会いに行ってみようか。

 そうと決まれば話は早い。ハリエットは光の速さで談話室に降り立ち、上機嫌で大広間に向かった。もちろんハリーもついてきた。

 夕食には少し早いかもしれないが、ちらりとスリザリンのテーブルの方を見れば、ドラコも同じく食事を摂っているのが見えた。この様子では夕食後は目一杯彼と一緒にいられるかもしれないと、ハリエットは締まりのない顔で笑った。

 食事中も、ハリーはハリエットの気を引こうとあの手この手で話題を降ったが、ロンとハーマイオニーが華麗にその話題を掻っ攫う。おかげでハリエットは兄から熱視線で見つめられることもなければ、甘い言葉で口説かれることもなく、至って穏やかに夕食の時を過ごすことができた。

 食事が終われば後はもうハリエットの時間だ。トレイに行くわ、と立ち上がった。もちろんハリーも、『夜のホグワーツは危ないから』と冗談か本気かよく分からないことを言ってついて行こうとするので、そこはすっかりハリーの保父母と化したロン、ハーマイオニーがまあまあと宥めた。

「トイレにまでついて来られちゃ嫌われるわよ」
「すぐそこのトイレに、危険も何もないよ。ほら、続きを話してよ。ハリエットの可愛い所、二十二個目は?」
「分かったよ……」

 大層不満そうな顔だったが、ハリーは渋々頷いた。これ幸いとハリエットは急いで大広間を出た。

 そして向かうは、ふくろう小屋だ。ハリエットと遊びたそうにしているウィルビーを宥めすかしてドラコの下まで手紙を届けてもらい、待ち合わせ場所に指定した空き教室で待った。ドラコはすぐに来た。

「ごめんね、こんな急に。予定は大丈夫だった?」
「ちょっと勉強しようと思ってたくらいだったから大丈夫。それよりもハリーは?」
「ロンとハーマイオニーが請け負ってくれたの。トイレ行くからって抜け出してきた」
「そうか」

 ドラコは遠い目をした。今日半日だけであの状態のハリーの相手をする面倒さが分かったので、感謝と憂いとが入り混じっている。

「今日は本当にごめんなさい。ハリーが……」
「いや、あれはハリーであってハリーじゃないし、それは充分わかってる。悪いのは惚れ薬を飲ませた人の方だ」
「うん……」
「でも、あれを飲んだのが君じゃなくて良かった」

 ちょっと固かった声が、不意に柔らかくなる。ハリエットはパッと顔を上げた。

「魔法薬のせいであっても、君が他の男に好意を持ってる姿は見たくない……たとえロンやハリー相手だったとしても。くれぐれも食べ物には気をつけてくれ」

 ハリエットは温かいものがじんわり胸に広がるのを感じた。ムズムズしてくすぐったい。ハリエットは見上げるようにしてドラコを見た。

「……ドラコもね」
「え?」
「ドラコも気をつけてね? 私だって、ドラコが他の人にあんな風になる所、見たくないわ……」

 他の女子生徒に、甘い声で蕩けるような表情で愛を告げる姿なんて、絶対に見たくない。だからこそ、ジニーには今日は本当に申し訳ない思いしかなかった。

「……分かった。気をつける」

 僕に惚れ薬を盛る人なんていないだろうけど、ともごもごドラコは付け足すが、彼は分かっていない。ドラコは、意外とモテる。意外と、と付け足す所は失礼なのだが、何しろ、正直に言うと、彼は最終学年になるまでスリザリン寮の生徒以外からあまり良く思われていなかったように思う。スリザリン生で、性格に難ありで、それに五年生のときに尋問官親衛隊に所属して片っ端から減点をしていた。これでは、嫌われる未来しかない。

 それが、ホグワーツでの戦いが起こってからはどうだ。

 性格が丸くなったドラコは、改めて客観的に見られる機会を得、そうなると、家柄や貴族然とした立ち居振る舞い、見た目、頭脳、監督生、クィディッチ・キャプテンなど、もろもろの要素を以てして彼はモテ始めた。にも関わらず、彼はこのことに関して全く自覚がないのだから、ハリエットも心中穏やかではいられない。

 ハリエットが心配そうにギュッとドラコの手を握れば、彼もまた嬉しそうに微笑んで握り返す。

 ――何もわかってなさそうなドラコに、そういう所だ、とハリエットはため息を付きたくなった。


*****


 あれこれ手を尽くして関心を引いていたのだが、ハリーがトイレからなかなか戻ってこないハリエットのことを言い出すのに、そう時間はかからなかった。

 曰く。

『途中で変な輩に声をかけられているに違いない!』
『ハリエットのことを妬んで、もしかしたら誰かに嫌がらせをされてるのかも!』
『ドラコに拉致されたんだ! 間違いない!』

 口を開けば、あれやこれやと逞しい想像力が顔を出す。ロンとハーマイオニーは、今日一日このはた迷惑な生き物の相手をしたハリエットとドラコに敬意を送った。

 恋に溺れるハリーは、それ以上ハリエットのことを待っていられなかった。大広間から一番近い女子トイレまで向かったが、中に彼女がいる様子はない。ハリーは血相を変えた。

「ハリエット……! 一体どこにいるんだ!」
「少なくともホグワーツのどこかにはいるんだから、そう心配することないわ。知り合いに会って、そのまま寮に戻ったのかも」
「僕に黙って?」
「ハリー、恋人でもないのにどうしてハリエットがあなたにわざわざ報告しなきゃならないのよ」

 ハーマイオニーの呆れた言葉にもハリーは耳を貸さなかった。ブツブツと口の中で呟く。

「やっぱりハリエットは可愛いから……もし誰かに何かされてたら――っ!」

 ひらめいた! という顔で、突然ハリーが走り出した。あまりにも唐突だったので、ロンとハーマイオニーは一瞬出遅れる。

「ハリー、どうしたんだ!?」
「待って! 何するつもり?」

 鋭く叫び、慌ててハリーの後を追う二人。だが、女子であるハーマイオニーは徐々に追いつけなくなり、ついにはロンだけがハリーを止められる唯一の人物となった。

 ハリーが向かったのはグリフィンドール塔だった。ロンが寝室に駆け込んだ時には、既にハリーはその手に恐ろしいものを持っていた――他の人からしてみれば、ただの古びた羊皮紙だが、見る人が見ればすぐに分かる代物――他人のプライバシーを容易に覗き見できるブツ、忍びの地図である。

「ハリー……それ、どうするつもりだい?」
「分かるだろ? 今こうしてる間にも、ハリエットの身に危険が迫っているかもしれない……僕はその危険を取り除く義務がある」

 にっこり笑ってはいるが、目は笑っていない。ロンは人知れずぶるりと身体を震わせた。辺りの空気が数度下がった気さえする。

 ハリーは歌うように呪文を口にし、地図に目を落とした。雰囲気は優雅だが、しかしその目は引くほど素早い動きで地図上を滑っている。

 ――さすがは最年少シーカーに選ばれただけある。後にロンが語ることには、その時のハリーの目は、まるで獲物を追うドクシーのようだったという。

 不意に、ギョロギョロと動いていたドクシーの――否、ハリーの目が止まった。呆然と目を見開き、一点を激しく睨みつけている。

「ハリー?」

 恐る恐るロンが声をかければ、ハリーはぐしゃりと地図を握りつぶした。ロンは震え上がる。

「ドラコめッ――!」

 ハリーは勢いよく杖を取り出した。ロンは反射的にその腕に飛びつき、すんでのところで灰になるところだった地図を救った。

「ハリエットが危ない!」

 危ないのは君だ、とロンは思ったが、身の危険を感じたため、口には出さなかった。

 聞かずともその地図が何を示したのかロンはわかった。大方、ハリエットとドラコの名前が寄り添っている所を目撃したのだろう。

「待ってろ、ハリエット!」

 ヒーローさながらの台詞を叫び、ハリーはドタバタ階段を駆け下りていった。もはや名前を呼ぶだけでその怒りに触れそうな有様だったため、ロンは引き止めなかった。忍びの地図を燃やさせなかっただけよくやったというものだ。

「明日……ドラコの奴、血塗れ死体で見つかるんじゃ」

 ふとそう思ったが、自分がそうなることを思えば可愛い犠牲だ。

 ドラコのこれからを思い、ロンは静かに合掌した。