愛に溺れる

ハリエットが愛の妙薬を飲んで、シリウスにメロメロになる







*死の秘宝『十七歳の誕生日』、隠れ穴にて*
<リクエスト:夢主が今以上にシリウスに恋的感情で
メロメロになってドラコを嫉妬に狂わせるギャグ>


 その日、ドラコは珍しく寝坊してしまった。そもそもの原因は、思っていた以上にビルとフラーへと贈られた祝い品の仕分けに時間がかかってしまったことで、それ以上に問題だったのが、その場で耳にした衝撃的な出来事だ。

 ――そう、ハリエットの体調やらヴォルデモートの襲撃やら結婚式やらですっかり失念していたが、明日、七月三十一日は、ハリー・ポッター、そしてハリエット・ポッターが成人となる十七回目の誕生日だったのだ。

 今のドラコは、悲しいかな、ただの居候どころか、敵から狙われる身でもある完全な足手まといだ。着の身着のまま不死鳥の騎士団に寝返ったこともあって、お金どころか着替えすら持っていなかった。そんな中で、一体どんな贈り物をすればいいというのか。

 ベッドに入ったのも既に深夜を越していたが、そんなことが気にならないくらい明日のことへと頭を悩ませ、考えを巡らせた結果――寝坊という結末を引き起こした。

 厄介になっている身で寝坊などと――しかも自分はもう成人している――ドラコが情けなく思い、階段を降りているときだった。階下から何やら話し声がする。クスクス笑う声と、低い声で囁くような声……。

「いつまでもこうしていたい……」
「そろそろ戻らないと。モリーが勘ぐる」
「いいじゃない。公認の仲にしましょう?」
「ハリエット……」

 そこにいたのは、ハリエットとシリウスだった。いや、そこまでは良い。問題は、会話の内容と彼らの格好になる。

 ハリエットはシリウスにぎゅうっと力一杯抱きつき、そしてシリウスの方も、ハリエットをその逞しい両腕に閉じ込め、更に言えば彼女の赤毛を優しく撫でている。――この光景は、一体。

 ああ、そうか。自分はまだ夢を見ているのか……。

 ドラコは達観した気持ちで頷き、くるりと踵を返した。そう、そもそも目覚めからおかしかった。この僕が、寝坊なんてするわけがない――。

「あら、ドラコ」

 ドラコの希望の糸は、易々と断ち切られた。引きつった顔で振り返れば、シリウスに抱きついたままハリエットがきょとんとこちらを見上げていた。

「おはよう」
「おはよう……」

 頬を染める彼女の顔を見ていられなくて、ドラコは仕方なしにシリウスを見た。すると彼の方はどこか焦った様子で視線を逸らす。

 この慌て具合から見るに、彼も気まずさを感じているに違いない。何のやましい感情も伴わないハグであれば、こんなあからさまな態度はしない。大方、親友の娘に手を出してしまったことに対する後ろめたさか。

 そこに思い至ると、ドラコは急に立ち直った。どうして僕が逃げないといけない。やましいことがあるのはむしろ向こうの方なのに。

「……いくら何でも、男に抱きつくのはどうかと思う」

 思っていた以上に低い声がドラコの口から飛び出した。そこに私情が入ってないとは言い切れない。だが、友人として、彼女の無防備さには一言もの申さなければならない。後見人とはいえど、彼は立派な男だ。それも、おそらく経験豊富な。気がついたときには、なんてことがあっては遅いのだ。

 ドラコの心配を余所に、ハリエットはいまいち分かってない顔で首を傾げた。

「駄目なの? だって私、シリウスのこと大好きだもの」
「それは後見人としてだろう?」

 挨拶やお別れとしてのただの軽いハグならいい。だが、人目を憚って後見人とするようなスキンシップとしては相応しくない。

「いいえ」

 現実は無情にもドラコにとどめを刺した。

「男の人として……大好きなの」

 恥じらうように告げるハリエット。ドラコはポカンとしたまま彼女を見つめ……そしてシリウスを見上げた。

 まさか、そんなはずないだろう。だって、彼女は……。

 茫然とするドラコの視界の隅で、シリウスはみるみる得意げな顔になった。口角を上げ、ハリエットの肩に腕を回す。

 ドラコはパクパクとそんなシリウスとハリエットとを見比べた。

 自分の今見ている光景が、耳にしたばかりの言葉が信じられない……。ハリエットが、シリウス・ブラックのことを好き? なぜ? いつから?

「…………」

 だが、考えてみれば、自分なんかが彼女の一体何を知っているのだろう。六年の寮生活で、時々ばったり会うくらいの関係だった自分が、ハリエットが誰を好きになったかなどと、知るよしもなかったのだ。

 そう、ドラコの目から見ても、シリウスは魅力的だ。ハンサムで、優しくて、お金持ちで、紳士的で、おまけにハリーとハリエットのことを目に入れても痛くないというくらい可愛がっている。

 そんな彼に、蝶よ花よと大切にされれば、淡い恋心を抱かない方がおかしいというもの……。

 目の前が真っ暗になる感覚を味わいながらも、ドラコはどこか仕方ないと思い始めていた。一方の自分は、どう考えたって彼女の隣に立つに相応しくはない。せいぜい友人止まりだ。その友人という立ち位置さえ、ハリエットのお情けで手に入れたようなものだし……。

「もうすぐ昼食だそうよ。ドラコもお腹空いたでしょう?」
「……ああ」

 ドラコに微笑みを返すと、ハリエットはシリウスと腕を組んで階段を降りていった。ドラコはというと、ひどく打ちのめされた顔でその後に続く。できれば、今すぐにでも二人の下から逃げ出したいくらいだった。だが、追われる身でそんなことできわけがない。どうあったとしても、ドラコは二人がイチャつく様を見ていなければならない。そんな拷問――果たして耐えられるのだろうか?

 三人が厨房に入って行くと、話し声がピタリと止んだ。もうすぐ昼食だというのは本当だったようで、狭い厨房には所狭しと子供たちが集まっている。調理していたモリーは、シリウスを見て不快そうに何度も咳払いをした。

「――シリウス、私が朝言ったことを覚えているわね?」
「そう目くじらを立てなくても分かっている。ちょっと……些細な悪戯をしてみたかっただけだ」
「些細? 私には、あなたが心底楽しんでいるようにしか見えませんがね!」

 シリウスはばつの悪い表情で席についた。

「ほら、あなたたちも昼食ができましたよ! 皆席について」

 何やら虫の居所が悪い様子のモリーに文句を言う者はこの場にはおらず、皆近くの椅子に座り始めた。一人出遅れたハリエットが兄に向かって頬を膨らませた。

「私、シリウスの隣がいいわ」
「あー、はいはい」

 妹の我が儘に特に何を言うでもなくハリーは席を立ち、ハリエットと代わった。ドラコは驚愕の表情を彼に向ける。

 もしかして――家族公認なのか!? ポッターも認めているのか!? 妹と後見人の関係を!?
 シリウスの隣に座れたハリエットは、うっとりと彼にしなだれかかった。見ていられなくて目を逸らした先にはフレッドがいた。ゴホンゴホンとわざとらしい咳払いをし、隣のジョージと共にニヤニヤと笑い合っている。

 ドラコは、自分が見世物にされていると強く感じていた。失恋と嫉妬、同時に味わわなければならないこの状況を彼らは面白がっている。

 ただ、ドラコは未だ理解できずにいた。昨日まではハリエットとシリウスは普通の関係に見えた。父親の親友と、親友の娘。確かに多少のスキンシップはあったかもしれないが、ここまで人目を憚らずイチャイチャすることなど今まであっただろうか?

 ハリエットの半身は完全にシリウスに向いており、その瞳には愛する人一人しか映っていない。完全にシリウスの虜だ。対するシリウスとて、それに満更でもない様子。

 ――きっと、僕が寝坊した今朝のうちに、二人がこんな関係に至る何かがあったに違いない。

 そう思うと、ドラコは更に虚しくなってくる。自分がその場にいたら何かが変わったとは思わないが――むしろ失恋の直撃を味わうことになっただろう――それでも、自分の知らないうちに何かがあったというよりは、自分の目でけりを付けられた方がスッキリするはずなのに。

 恋人かと見紛うような雰囲気を、しかし周囲は相も変わらず気にもしていないようだった。ハリーとハーマイオニーは普通に会話を続けているし、フレッドとジョージは、ハリエットとシリウスよりも、ドラコの反応の方が気になるらしかった。ロンもジニーも、モリーもフラーもガブリエールも、とにかく誰も彼も、ハリエットとシリウスの醸し出す恋人の雰囲気について話題に上げる者はいない。――一体どういう状況なんだ。

「あー……グレンジャー……」

 ドラコは、隣に腰掛けるハーマイオニーに聞かずにはいられなかった。彼女であれば、まだ理性的に状況説明をしてくれるはずだ。

「あの二人は、前からこんな感じだったのか?」
「こんな感じって?」

 やっとのことで、押し出すようにして囁くドラコに、ハーマイオニーはからかうように聞き返した。分かっているだろうに、わざとらしくはぐらかす彼女に、見込み違いだったかとドラコは思いかけたが、何とか堪える。

「――恋人みたいな、こんな雰囲気……」
「そうねえ……。シリウスはともかくとして、ハリエットも昔からこんな感じだったかしら。シリウスの前だと、恋する乙女みたいだったもの」

 ドラコの顔からサーッと血の気が失われていく。

 俯いた彼は、ハーマイオニーが悪戯っぽい顔をしていたことには最後まで気づかなかった。この世の絶望を集めたような顔で思案に暮れるのに必死だった。

 ――やっぱり自分が知らないだけだったのだとドラコは衝撃を受けていた。今まで彼女に近しい男の話は聞いたことがなかったので、内心ホッとしていたことはあったのに――本当に、自分が知らなかっただけで、彼女はこっそり恋心を育んでいたのだ。そして、今朝それが実った。

 ハーマイオニーがいなくなり、ロンとジニー、フラーもガブリエールも厨房を出て行った。ハリエットとシリウスは、未だ熱く何かを語り合っている。

 ふとドラコの視界の隅に、ハリーが映った。ハリエットの兄だ。シリウスのもう一人の名付け子でもある。――彼が最後の希望に見えた。

「ポッター」

 まるでこの世の終わりのような顔で話しかけてくるドラコに、ハリーは一瞬反応が遅れた。

「……なに?」
「君はあの二人をどう思うんだ? 仲が……あまりにも良いだろう」

 遠回しに、「仲が良すぎるだろう。お前はいいのか?」と伝えたつもりだった。だが、分かっているのか分かっていないのかいまいち分かりかねる表情でハリーは目を細めた。

「そりゃあ、ハリエットはシリウスのこと大好きだからね」

 爆弾発言と共に。

「トンクスのパトローナスは、もともとウサギだった。でも、ルーピン先生のことを好きになってからは狼になったんだ。ハリエットも同じ理由だと思うよ。ハリエットのパトローナスはミニチュアサイズのスナッフルなんだ」
「…………」

 パトローナスが想いによって変化するというのは初めて聞いた。だが、それが事実なら。

 もう、勝ち目はないじゃないか。

 何を言うわけでもないが、哀愁を漂わせるドラコに、我慢できなくなったのはモリーだった。ドラコとハリエットの仲を応援しつつあった彼女は、ドラコをからかうシリウスのことが特大のドクシーに見えて仕方がなかったのだ。

 ダンッとコップをテーブルに置き、モリーはシリウスを睨んだ。

「惚れ薬よ」
「……モリー」
「ドラコ、ハリエットは惚れ薬を飲んじゃったの。だからシリウスにメロメロになっちゃってるのよ」
「惚れ……?」
「フレッドとジョージの悪戯グッズよ。ハリエットたちがプレゼントの開封をしてる時に、中のものが爆発してハリエットが惚れ薬を被ったの。だから気にすることないわ」

 みるみるドラコの顔に元気が戻っていく。あんまり分かりやすいので、フレッドはついニヤニヤしてしまう。それが目につき、ドラコは顔を顰めて視線を逸らすが――その先に、相変わらずシリウスの腕に絡みつくハリエットを見て、またすぐに不機嫌を身に纏った。

 この一連の挙動がツボに嵌まり、フレッドとジョージは震えながら笑い始めた。腹を立ててドラコは二人を睨み付けるが、これ以上笑いものになりたくなくて、それだけに留める。

「二人とも、静かになさい! ドラコが可哀想でしょう!」
「お袋はドラコの味方なの?」
「味方とかそういうことじゃなくて、ドラコをからかうのを止めなさいって言ってるの! 朝言ったこと、順調でしょうね」

 モリーは、フレッドとジョージ、二人に指を突きつけ、ゆっくり言い聞かせるように命令した。

「今日の夕食までに解毒薬を作らないと、あなたたちの夕食はなしよ」
「材料も少ないし、夕食まではやっぱり厳しいよ」
「女の子をこんな目に遭わせて泣き言を言うつもり!? なんとしてでも解毒薬を作りなさい!」

 モリーの雷により、フレッドとジョージはピューッと自分たちの部屋へ逃げ帰った。後に残るは、幸せそうなハリエットとシリウスと、怒れるモリー――。

「あなたもよ、シリウス」

 モリーはキッと横を向いた。

「年頃の女の子とベタベタして、元に戻った時ハリエットに嫌われるわよ」
「う……」

 伊達に子供を何人も育てていないモリーは、的確に子供の心境をピタリと当てた。あり得そうな未来を……。

「いや……だって、無碍にするのは忍びなくて……」
「無碍にしなくとも、近づかないようにすることはできるでしょう?」
「ハリエットが寂しそうにわたしの名を呼ぶんだ……」
「分かった、分かったから」

 モリーは額に手を当てた。

「じゃあ、あなたは午後は庭小人の駆除をしてくれる? ハリエットはまだ一人で充分に歩けないし、庭には近づけさせなければいいわ」
「分かった」
「シリウスと離れないといけないの?」

 見ているこちらが胸が痛くなるほど悲しそうな顔をするハリエット。シリウスも辛い表情を浮かべてハリエットに向き直った。

「すまない……。わたしにはやるべきことがあるんだ」
「でも私、シリウスがいないと生きていけない……。シリウスもそうでしょう?」
「もちろんだ……」

 流れる甘ったるい空気に、モリーのみならず、他の面々も頭を抱えた。ハリエットだけメロメロ状態ならまだしも、シリウスもハリエットの調子に合わせるせいで、どこぞの安い恋愛映画を見ているかのようだ。

 だが、恋愛小説は大好きでも、ハリエットとシリウスの恋物語は許さないモリーは、宣言通り、シリウスを庭小人の駆除へと追いやった。

 傷心のハリエットは、せめてこの胸の痛みが軽くなるよう、道行く人を捕まえてはシリウスへの愛を語った。最初の犠牲者はハリーだ。最初こそ仕方無しに話に付き合っていたが、次第に嫌気が差し、逃げ隠れるようになった。

 次に白羽の矢が立ったのはハーマイオニーだったが、彼女はもともと恋愛話が大好きというわけではない。もちろん、ハリエットがいつものハリエットであればいくらでも相談に乗るが、今の彼女は別人と言っても過言ではない……。恋に盲目な親友は手に負えず、さり気なく話を受け流すようになった。

 ジニーも愛想笑いで受け流すし、リーマスも気まずそうに話を逸らそうとする。モリーは家事で忙しいし、ロンは耳を塞いで聞いてもくれない。そんな中、最終的にハリエットが行き着いたのはドラコだった。どうしてそうなったかというと、「ドラコなら聞いてくれるんじゃないか」とフレッドが悪戯顔で提案をしたのだ。最適な相談相手を思い出したハリエットは、急いでドラコを捕まえ、ロンの部屋まで引っ張りこんだというわけだ。

「シリウスに会いたい」

 つい先ほど離れたばかりだというのに、まるでもう数ヶ月も会ってないかのような口ぶりでハリエットは呟く。

「ねえ、シリウスは私と離れて寂しがってないかしら? 私は寂しい……。どうしてシリウスは行ってしまったの?」

 別にどこにも行っていない……。下で庭小人駆除をしているだけだ……。

「あのね……シリウス、ハグしてくれる時に、すごく安心感があるの。逃亡生活をしてた時は痩せ細ってたし、すぐにでも折れちゃいそうな感じだったけど、でもね、今は……」

 ハリエットがポッと顔を赤らめた。ドラコはそれ以上聞きたくなかったが、無情にもハリエットは続ける。

「す、すごく逞しいの……。男らしくて、それにとっても良い匂いがするの……」

 自分で言って恥ずかしくなったのか、きゃっと言ってハリエットは枕に顔を埋めた。ドラコの顔は恐ろしいほどに無表情だ。

 だが、ハリエットの恥じらいもそう長くは続かない。すぐに枕を抱き締めたまま窺うようにドラコを見た。

「でもね、シリウスは私のこと、親友の娘としか思ってない気がするの……。子供扱いしてるのよ。どうしたら女性として見てもらえると思う?」
「僕には分からない……」
「ドラコは誰かを好きになったことある? どんな時にドキッとするの?」

 ドラコは視線を逸らし、呻いた。そんなこと深く考えたこともない……。

「二人でいる時とか……」
「二人でいるだけで? それだけで?」
「だから……笑った顔とか……」
「笑顔がいいの? 笑ったらドキッとしてもらえる?」

 あまりに簡単な答えに、ハリエットは疑り深い。髪の毛を弄りながら呟く。

「色気とかは……」
「いらない!」

 思わずドラコは叫んだ。ハリエットも驚いてドラコを見つめている。

「そんなのはいらない」
「でも、子供扱いされちゃうのよ。ただでさえ年の差があるのに、色っぽくないと――」
「そのままでいい」

 尚もドラコは言い募る。ハリエットはそれでも不満げだったが、短くなってしまった髪を触ったり、どことは言わないが、己の身体を見下ろしてはため息をついたりするだけで、それ以上は何も言わなかった。

 やがて、またしてもシリウス談義が始まり、ドラコは辟易としたが、それでも色気云々はすっかり忘れ去ってしまったようでホッとした。とはいえ、一体何個あるんだというシリウスの良いところは語るに三十はゆうに超えつつ、挙げ句、「庭小人駆除をしているシリウスが見たい」と言って窓を開けようとしたときにはさすがにドラコも止めた。甘い声で「シリウス〜」「ハリエット〜」と、六階と一階とで手を振って笑みを交わされた日には、もうどんな顔をすればいいか分からない。

 ドラコにとって幸運だったのは、その時、ちょうどモリーが「お茶にしましょう」と声をかけてきたことだ。これ幸いとばかりハリエットを階下に連れて行こうとしたが、このときの彼には、シリウスも当然お茶の時間に参加するだろう簡単なことが想像できていなかった。その上、階段の途中でピタリとハリエットが止まり、訝しげに振り返ったドラコに顔を近づけてきたかと思えば――。

「今日はね、シリウスとキスするのが目標なの!」

 とびきりの笑顔でそう囁き、宣言するハリエット。二人のそんな光景を想像して、ドラコは気が遠くなるのを感じた。


*****


 一階では、休憩しにちらほらメンバーが集まり始めていた。そこにはもちろんシリウスもいるが、彼の隣にはモリーが澄ました顔で腰を下ろし、当のシリウスも苦い顔だ。大方、ハリエットが暴走しないようモリーがお目付け役になるつもりなのだろう。

 そんなこととは露知らず、ハリエットはもう一方の空いた席へと駆け寄ったが、それよりも早くドラコがするりと座ってしまった。

「どうしてシリウスの隣に座るの!?」
「いや……。隣よりも、いつも顔を見られる前の方が良いと思って」
「――っ!」

 盲点だったわ、とありありと驚きを表情に宿し、ハリエットは慌ててシリウスの前を陣取り、彼に向かってにっこり微笑んだ。シリウスも微笑みを返すが――すぐに口元をひんまげてドラコを睨む。

「それでも君がわざわざわたしの隣に来る必要はないがな」
「大人気ないこと言わないの。誰が隣だっていいじゃない」
「例外がある」

 シリウスとモリーの言い合いを、ドラコは聞いているようで聞いていなかった。

 ハリエットのとんでもない台詞を聞いて以降、まだ心臓がバクバクしているが、これで少なくともハリエットが不意打ちでシリウスのキスを狙うということはないはずだ。まだ……二人っきりならまだいい。だが、もし己の目の前で二人がキスするようなことがあれば――ドラコは立ち直れる自信がない。

 そんな調子の中、お茶の時間が始まったわけだが――昼食の時間とは一転、ハリエットはシリウスに無闇に話しかけることはなく、ただニコニコとシリウスのことを見つめていた。そして目が合うと、嬉しそうに更ににこーっと微笑むのだ。おそらく、ドラコが言ったことを試しているのだろうが、笑顔の大安売りだ。ドラコが言いたかったのはこういう意味ではなかったが、しかし、現に効果は覿面だった――主にドラコに対して。

 シリウスの隣に座っているのだから、嫌が応にもハリエットの嬉しそうな満面の笑みを直視してしまうわけで……。

 そのたびにドラコは下を見るしかなかった。

 肝心の想い人に対してだが、シリウスは単に名付け子がご機嫌そうなので嬉しい、というような感情だけの様子だ。しかしハリエットはそんなことにも気づかないで、ただただニコニコしている。

 自分のアドバイスのせいで地獄の休憩と化した一時は、雪崩のように降りてくる二つの足音によってかき乱された。

「まさかニワヤナギの代用品を思いつくなんて! さすが俺たちの頭脳だ」
「全く、自分で自分に嫉妬するぜ」

 場違いなほど脳天気な会話をしながら降りてきた双子だが、しかしモリーの目は輝いた。

「その様子じゃ……」
「ああ、できたよ、解毒薬」
「良かった! じゃあ急いでハリエットに飲ませてちょうだい」

 小瓶を持ったジョージが歩き出すのと、ハリエットが立ち上がるのは同時だった。

「来ないで……」
「ハリエット、それを飲めば元のあなたに戻るのよ。言うことを聞いてちょうだい」
「嫌よ! 私は今の私が良いの。シリウスがいないと生きていけないの……」
「シリウス! あなたが飲ませてちょうだい!」

 ジョージから瓶をひったくり、モリーがシリウスに手渡した。戸惑いつつも、シリウスがハリエットに近づくと、ハリエットは泣きそうになって彼を見上げる。

「シリウスも、今の私は嫌いなの……?」
「うっ……」

 思いも寄らない攻撃力に、シリウスはみるみる勢いを失った。

「わたしには、できない……。ハリエットが嫌がってるのに、無理矢理飲ませるのは……」
「何を言ってるのよ! ようやく解毒薬ができたっていうのに!」
「効果が切れるのを自然に待つのはどうだ? あと半日程度だろう?」
「それじゃ私たちの身が持たないのよ! ハリー!」

 モリーはハリーに瓶を押しつけた。ハリーは躊躇いがちに妹に近づくが、シリウスの時とは違い、まるで警戒した猫のように睨まれてたたらを踏む。

「止めて、ハリー! もし無理矢理飲ませたら、ハリーのこと嫌いになるから!」

 ハリーはピシリと固まり、おどおど視線を彷徨わせた後――そっとモリーに解毒薬を返した。思わずロンが突っ込む。

「それくらいなんだってんだよ!」
「じゃあロンがやってくれよ!」
「ぼ、僕は――止めとく」

 今までに一度だってないくらい恐ろしい目でハリエットに睨まれ、ロンは急に小声になった。

 ことごとく役立たずの男たちにモリーは怒り心頭だったが、まだ一人残っていた。モリーはサッとドラコの手に瓶を握らせた。

「あなたがやるのよ」
「えっ……」
「好きな子があんな状態なの、耐えられないでしょう?」
「で、でも」
「やりなさい」

 有無を言わせずモリーは反論を却下した。ドラコはごくりと生唾を呑み込み、ハリエットに向き直る。

「まさか……ドラコ、そんなことはしないでしょう?」
「…………」
「私の相談に乗ってくれたじゃない! 私がどれだけシリウスのことが好きか知ってるはずでしょう!? それなのにひどいわ!」

 ハリエットは逃げようとするが、そこはすかさずモリーが叫ぶ。

「ジニー、ハーマイオニー! ハリエットを止めて! 抑えるの!」
「――っ、ごめんなさい、ハリエット!」
「あなたのためなのよ!」

 嫌がるハリエットを押さえ込み、そこにドラコが近づいていく……。見ようによってはちょっと危ない光景に、思わずシリウスは立ち上がるが、モリーが押さえ込む。

「止めて……お願い」

 追い詰められた小動物のような目で見られたが、ドラコはぐっと堪えてまた一歩とハリエットに近づく。

「せめて目標だけでも達成したいの。それまで待って……。シリウスとキ――」

 それ以上聞いてられなくて、ドラコはハリエットに解毒薬を飲ませた。涙目で見上げられ、罪悪感で胸が痛くなるが、それでもドラコは手を止めなかった。

 しっかりとハリエットが解毒薬を嚥下したのを確認し、ドラコは離れた。しばらくハリエットはぼうっとした様子だったが、やがてパチパチ瞬きをし、ゆっくり周囲を見回す。最後に心配そうに己を見るシリウスに目を留め――みるみる顔を赤くした。

「効果がなかったの?」
「そんなまさか!」

 固唾を呑んで見守る中、ハリエットの様子に変化があった。パッと両手で顔を覆い隠したかと思えば、声にならない叫び声を上げ、バタバタ忙しなく階段を駆け上がったのだ。

「ハリエット!?」
「来ないで!」

 すげなく切り捨てられ、シリウスは行き場の失った手を茫然と見つめる。モリーはやれやれと首を振った。

「だから言ったでしょう、シリウス」
「あれの反動で、しばらくハリエットはシリウスに近寄らないと思うよ」
「そ、そんな」
「ご愁傷様」

 茫然とするシリウスの横を、皆が肩を叩いて解散していく。そんな中、そっーとシリウスに囁きかける者が二名……。

「ワンダーウィッチ製の惚れ薬、今なら特別に一ガリオンで売ってやるぜ」
「一ガリオン……」

 シリウスが誘惑に負ける前に、モリーがすれ違い様忠告していく。

「シリウス、そんなことをしたら本格的にハリエットに嫌われるわよ」
「…………」

 返す言葉もなく、シリウスはがっくり項垂れた。