愛に溺れる

ハーマイオニーが愛の妙薬を飲んで、シリウスにメロメロになる







*不死鳥の騎士団『現れた屋敷』後*


 ハリエットは、言葉にはしないまでも、心の中でシリウスとの再会を心待ちにしていた。

 自分達の後見人だというシリウス・ブラック。大量殺人は冤罪だということが判明し、そして同時に父ジェームズの大親友だったのだと分かり、ならば彼から両親のことをたくさん聞きたいと思ってしまうのは半ば必然の出来事。だが、世間的に見ればシリウスはまだ脱獄囚のままで、闇祓いや吸魂鬼から逃げ続けなければならない日々。

 文通すらままならない状況下で、それでもシリウスはハリーに課された試練のため危険を冒し、それどころか、ハリーとハリエットが一時ヴォルデモートの手に落ちたと知ったときは、ホグワーツまで乗り込んできてくれた。

 ヴォルデモートが復活した後、シリウスも不死鳥の騎士団qの一員としてやらなければならないことができ、再会はほんの一瞬だった。とても寂しかった。

 だが、ダーズリー家に戻った矢先、吸魂鬼に襲われ、騎士団員に護衛されながらたどり着いたのはグリモールド・プレイス十二番地にあるブラック家の邸宅で――。

 あまりにも唐突すぎる二度目の再会に、ハリエットはほとんどシリウスと話すことができなかった。周りには人がたくさんいたし、吸魂鬼やハリーの退学騒ぎでそれどころではなかったのだ。

 翌日になると、少しは落ち着き、モリーは、大勢集まった暇な子供達を、この辛気臭いブラック邸の大掃除に取り掛からせることに決めたようだ。掃除という言葉にウィーズリー家の子供達はこの世の終わりのような顔をしたが、ハリエットは楽しみだった。それぞれ掃除をするのであれば、シリウスと二人きりで話すチャンスだってやって来る。ハリエットは彼にたくさん話したいことがあった。だからこそシリウスとの再会を楽しみにしていたのだ。本当に、心の底から。だというのに、それが、こんな風なことになるだなんて、誰が想像しただろう!

「シリウスったら、本当に素敵ね」
「……あー、ありがとう」

 熱っぽい瞳でシリウスにしなだれかかるハーマイオニー。それに対し、どうしたものかと中途半端な場所で両手を上げているシリウス。

「…………」

 一体どうしてこんなことになってしまったのか。

 ことは単純明快。モリーがお騒がせ双子から取り上げた悪戯グッズの中に、試作段階の惚れ薬があったのだが、それをハーマイオニーが誤って飲んでしまったのだ。彼女のすぐ側を丁度シリウスが通りかかり、ハーマイオニーは見事シリウスのことを好きになってしまった。

 フレッド曰く、まだ解毒剤は出来上がっていないとのことで――この状況を面白がって嘘をついているのではないかとモリーはかなり疑った――仕方無しにハーマイオニーは様子見という判断になってしまった。しかし、それがいけなかった。

「何あれ!? 私怖いわ……」
「ドクシーだ。歯に毒がある。噛みつかれたら厄介だから気を付けるんだ」
「毒ですって!? そんな……もしシリウスが噛みつかれて死んじゃったら、私生きていけないわ」

 シリウスに抱きつくハーマイオニーに、居心地悪そうに頭をかくシリウス。そしてそれを面白がって眺める面々の中、一人悲しそうに見つめるハリエット。

「何が怖ーいだよ」

 ロンは不機嫌そうにぶつぶつ言った。

「いつもだったらいの一番に魔法で退治してるくせに」
「毒消しは一本用意してあるから、あなたのシリウスが死ぬことはありませんよ」

 涙ぐむハーマイオニーに、モリーはドクシー・キラーを渡した。

「使わないに越したことはないけど。さあ、みんな、私が合図したらすぐに噴射するのよ。たっぷり一回吹きかければ麻痺するでしょう。動けなくなったところをこのバケツに放り込んでちょうだい」

 モリーの勇ましい掛け声と共に、数多のスプレーが音を立てて噴射し始めた。もちろんハリエットも合図に遅れることなくカーテンに向かってスプレーを吹き付ける。

 と、一斉攻撃に耐えきれなかったドクシー達が次々にカーテンから飛び出し始めた。妖精に似ているが、その容姿は空想上のその生き物と似ても似つかない。胴体はびっしりと黒い毛で覆われており、針のように鋭く小さな歯をむき出しにこちらを威嚇する様は、ハリエットの顔を引つらせるには充分だった。

「怯んじゃ駄目よ、ハリエット!」

 ハリエットの後ろからモリーが頼もしく補助した。だが、ハリエットはどうにも積極的にはなれずにいた。

「きゃっ!」
「――ハーマイオニーっ! 噛まれたか!?」
「いいえ、シリウスが助けてくれたから平気よ。ありがとう!」

 ハリエットはバッチリ目撃してしまった。後見人と大親友が、安心したように近距離で微笑み合うのを。

 むっと唇を尖らせ、ハリエットは目の前に飛んできたドクシーに容赦なくスプレーを吹き付けた。ズシンと音を立てて絨毯に転がり落ちるドクシーを見て、フレッドが歓声を上げた。

「勇ましいこって! こいつは貰っていくぜ!」

 気絶したドクシーを、フレッドはなんの頓着もせずにポケットに放り込んだ。もちろんモリーの目をうまくかいくぐって、である。

「何するの?」
「次なる悪戯グッズのために、ドクシーの毒液を研究したいのさ」
「危ないことじゃない?」
「とんでもない! とっても夢あるグッズさ! その名もずる休みスナックボックス! 好きなときに病気になれるお菓子さ」

 コソコソと商品アピールをしている雰囲気を感じ取ってか、ジョージも寄ってきた。

「誰とは言わない。でも、時々、ネチネチした奴の授業をサボりたくならないか?」
「嫌味ったらしく減点してくる奴の授業とかさ。誰とは言わないけど」

 確かに、生徒にとっては夢あるグッズだろう。そんな商品があるのであれば。

 実際、ハリエットもちょっと興味を惹かれた。授業をサボりたいというのではなく、病気になったらシリウスは自分のことを心配してくれるだろうか、とふとそんなことを考えてしまったのだ。だが、思いついただけで実践する勇気はない。何しろ、今の彼にはハーマイオニーがいるわけだし――。

 ちらりとシリウスの方を見、ハリエットはまるで恋煩いのようなため息をついてドクシー退治に向き直った。


*****


 ドクシー退治も終盤にさしかかると、モリーは昼食の準備のために覆面スカーフを取り払った。本当の所、朝のうちに昼食を準備するはずが、ハーマイオニーの惚れ薬騒ぎでそれどころではなかったのだ。

 シリウスもそのタイミングでバックビークに餌をやるために退室した。シリウスの向かう所ならどこへでもついていく所存のハーマイオニーももちろん一緒だ。だが、既のところでモリーに腕を引っ張られる。

「ハーマイオニー、あなたはこっちですよ。ネズミの死骸が食べられる所なんて好んで見たくないでしょうに」
「シリウスと一緒なら何だって楽しめるわ」

 モリーはハーマイオニーの不満げな言葉は聞き逃した。

「ハリエットも良かったらこっちを手伝って頂戴。人数は多いほうが良いわ」

 モリーはちらりとジニーも見たが、彼女はどうやらドクシー退治がお気に召したようだったので声はかけなかった。モリー、ハリエット、ハーマイオニーの三人でサンドイッチ作りが始まる。

 材料を切って、あとはパンに挟み込むだけなので、三人もいればあっという間だった。焼き上がっていたケーキとサンドイッチとをお盆に綺麗に盛り合わせ、モリーが杖で浮かばせながら居間に戻った。

「お昼ですよ」

 部屋に入ると、お腹を空かせた子供達が一斉にやってくる。ハリーとシリウスだけは、タペストリーを前に話し込んでいる。ハーマイオニーの動きは早かった。

「はい、どうぞ」
「ああ、ありがとう」

 いの一番にハーマイオニーがサンドイッチを届けた先は、もちろんシリウス。物欲しそうなハリーの視線をものともせずニコニコシリウスが食べる様を見つめるハーマイオニーの肝は座っていた。

「どう、おいしい? 私が作ったのよ!」
「ただ材料切っただけだろ」

 ロンがぶつくさ言う声も聞こえない様子だ。

「ああ、おいしいよ。ありがとう」
「ハーマイオニー、僕の分は――」
「あっちにあるわ」

 だよね、と肩を落としてハリーはお盆へと向かった。その隙にハリエットもシリウスの隣を陣取った。帰ってきたときには、もちろんハリーの居場所はない。容赦ない女性陣にハリーは呆気にとられた。

「両手に花だな、シリウス」
「溢れ出る大人の魅力に、我らでは敵いますまい」

 遠巻きに茶化す悪戯双子のことは気にも留めない様子で、ハーマイオニーはせっせとシリウスの世話を焼いた。

「シリウスったら、頬にパンくずがついてるわ」
「いや……これは恥ずかしいところを見られたな。ここ数年、大したものを食べてないばっかりに、おいしそうなものを見るとついがっついてしまう癖がついてしまってな」
「そんな……。あの、私で良ければ、シリウスの好物をたくさん作るわ! 何が好きなの?」
「おかげで好き嫌いはなくなったから、全般食べられるが……強いて言うならチキンかな」
「チキン――ローストでもグリルでもいいのね? 私、たくさんチキン料理を覚えてシリウスにお腹いっぱい食べさせてあげるわね!」

 純真なハーマイオニーの笑みに、シリウスはつられて微笑んだ。愛の妙薬による仮初めの愛情でも、矢印を向けられて悪い気はしないらしい。――隣に佇むハリエットのことなどすっかり忘れた様子で。

「そうだわ、食後にコーヒーはいかが? 私、入れてくるわ」
「いいのか? じゃあお言葉に甘えて」
「すぐに戻ってくるわね」

 すぐそこまで行って戻ってくるだけなのに、ハーマイオニーは名残惜しげにシリウスにハグをして去って行った。ハリエットの纏う空気はどんどん重たくなるが、それに気づかないのはシリウスただ一人だった。

「……ハリエット? 食欲がないのか? 手が進んでないようだが」

 一口二口囓っただけで、ハリエットのサンドイッチを囓る手は止まっていた。そう、彼の言う通り、ハリエットは食欲がなかった。

「……別に」
「気分でも悪いなら、午後は休んでいた方が良い。どうだ?」

 心配そうに顔を覗き込まれるが、ハリエットの気分はそれだけで浮上しなかった。

「シリウス、コーヒーできたわ」

 クッキーも持ってきたの、とにっこり笑ってテーブルの方へ誘うハーマイオニー。ハリエットはますます俯いた。

「……行ってきたら?」
「え? いや――」
「ハーマイオニーとおいしいコーヒーが待ってるわよ!」

 思わず叫ぶと、ハリエットは居間を飛び出した。固唾を呑んでこの光景を見守っていた観衆は「ああっ……」と声を漏らした。

「シリウス、やっちゃったわね」
「追い掛けた方が良いんじゃない?」
「なっ、なんだ急に……」

 息を吹き返したように急にわらわら話し出した子供達に、シリウスは目を白黒させた。一向に自分の元へやってこないことに業を煮やし、ハーマイオニーが彼の腕を引いてテーブルへと連れてくるが、それすらもされるがままだ。

「ハリエット、きっと傷ついてるよ」
「わたしが傷つけたと?」
「ハリエットは、ハーマイオニーにヤキモチを焼いてたんだよ」

 ちょっとハリエットの気持ちが分かるハリーが答えた。シリウスは頬をかいて気まずそうな顔をする。

「年頃の女の子はすぐに大人になるからなあ。煙たがられないうちに、可愛がれるときは可愛がらないと」

 まるで己の経験談のように語るフレッド。

 徐に立ち上がったシリウスを見て、ハーマイオニーはショックを受けた顔をした。

「行っちゃうの!? 私を置いて他の女の子の所に行くなんて――」
「はいはい、ハーマイオニーはこれ飲んで落ち着きな」

 どこからともなく小瓶を取り出し、ジョージはハーマイオニーの顎をさらりと掴み、口元に小瓶をあてがった。

「んっ、んん――」
「ジョージ! 何してるんだよ!」

 慌ててロンが立ち上がったが、ジョージはどこ吹く風だ。

「まあ見てろって」

 しばしぼうっとした表情のハーマイオニーだったが、やがてパチクリ瞬きをすると、キョロキョロ辺りを見回した。

「あ、あれ……私、一体……?」
「ジョージ、これは――」
「解毒剤」

 にっこり笑うジョージの顔には、欠片も悪びれた様子はなく。シリウスは一瞬ポカンとするが、すぐに合点がいったように笑い出した。

「これは一本取られたな」
「悪戯仕掛人の名が廃るな。俺達が本当に解毒剤を持ってないと思ったの?」
「アズカバンで暇を持て余しているうちに、どうやら正常者寄りになってしまったらしい」

 からかうように言う双子達に、なぜか悔しそうな顔をするシリウス。モリーもジニーも呆れて何も言えなかった。ハリーだけが唯一シリウスの味方だ。

「シリウス、ハリエットの所に行かなくて良いの? きっとショックを受けてるよ」
「あ、ああ、そうだな」

 シリウスはようやく席を立ってハリエットを追った。もちろんこんな面白そうな状況を見逃すフレッド達ではなく、喜々として彼の後についていった。

 ハリエットは自室に引きこもっていたようだが、シリウスがその部屋に消えた途端、フレッド達は伸び耳を取り出して扉にくっつける。

「何しに来たの?」

 珍しくツンケンした物言いのハリエット。だが、シリウスの部屋への入室を許した時点で素直になれないだけだということが容易に理解できる。

「あの……いや、わたしがハーマイオニーにかまけ過ぎてしまって、君達との時間が全然取れていないと思ったから」
「…………」

 あまりにも直球すぎる言葉に、ハリエットは黙り込んだ。

 意地を張り続けるのか、それともいっそのこと素直になるのか――。

 固唾をのんで見守っていると、ハリエットがボソリと言った。伸び耳効果のおかげで、その声はよく聞こえた――。

「私だってシリウスのこと好きなのに……」
「ハリエット、いつの間に惚れ薬を飲んだんだ?」

 フレッドがからかうようにジョージを見た。ジョージもわざとらしく肩をすくめる。

「ハーマイオニーみたいに、間違えて飲んじゃったのかもしれないなあ」
「ん?」

 だが、幸か不幸か、シリウスにハリエットの呟きは聞こえていなかったらしい。憎たらしいほど爽やかな顔で「ん?」と聞き返すものだから、ハリエットの頬はカーっと林檎のように真っ赤になった。

「な、何でもない!」
「ん? でも、今――」
「何でもない!」

 大きく叫ぶと、ハリエットは堪らず部屋を飛び出した。扉のすぐ側にフレッド達がいるのを見つけると、鋭く睨みつけ――顔が赤かったので、大して怖くもなかった――そのまま階段を登っていった。

 一人残されたシリウスに、フレッド達は玩具を見つけた子供のようにやんちゃな笑みで近づいた。

「もう嫌われたかも」
「振られちゃったな」
「振られた? 告白の間違いではなく?」

 自信たっぷりに言うシリウス。フレッドとジョージは顔を見合わせた。

「さっきの聞こえてたの?」
「どうだろうな」
「もしかして――今日の全部、確信犯じゃないよな?」
「ん?」

 またしても、先程と同じトーンで、「何か言ったか?」とでも言いたげな顔をするシリウス。フレッド達は顔を引つらせた。

「悪戯仕掛人おっそろしー」