愛に溺れる
モブ男子が愛の妙薬を飲んで、ハリエットにメロメロになる
その日のグリフィンドール談話室は、文字通りお祭り騒ぎだった。アンブリッジにより、ハリー、フレッド、ジョージの三人が一生涯クィディッチ終身禁止令を言い渡されて以降、優勝杯なんて夢のまた夢だと思われていた対抗杯において、まさかグリフィンドールがそれを手にすることができるなんて!
厨房からひっきりなしにバタービールやお菓子を運び込み、選手や一般生徒の垣根なく生徒は大盛り上がりだ。各々バタービールの入ったジョッキを片手に、今日の主役であるロンを口々に褒め称えた。今までの不調は嘘かと思うほどの好セーブばかりで、ロンも鼻高々だった。
残念ながら、ハリーたちはハグリッドに連れられてグロウプと対面していたので、ロンの素晴らしいプレーは何一つ見れていなかったのだが、それでも嬉しいものは嬉しい。ここ最近ロンがひどく落ち込んでいたのをずっとそばで見ていたせいもあり、特にハリエットとハーマイオニーは尚のこと嬉しかった。
二人は、皆に囲まれるロンを見ながら、お気に入りの暖炉前に座っていた。バタービールを飲みながら、時折顔を見合わせては、意味もなくクスクス笑う。本当に最高の一時だった。
「二人とも、バタービールのおかわりは?」
突然上から声が降ってきて、ハリエットは驚いて顔を上げた。そこには、七年生の男子生徒が立っていた。あまり話したことはないが、よく女の子と一緒にいる姿を見かける。
「私は大丈夫、ありがとう」
ハーマイオニーはすぐに答えた。ハリエットはテーブルに置いたジョッキに目を落とした。まだ少し残っているが、夜は長い。この祝賀会を過ごすには心許ない量だ。
「はい」
そんなハリエットの機微を察してか、彼――アーロン・ブライトンは、何を言わずとも新たなジョッキを差しだしてくれた。ハリエットは笑みを浮かべて礼を述べる。
アーロンはゆっくりハリエットの隣に腰を下ろした。ハーマイオニーは目を丸くしたが、何も言わない。訝しげにチラチラアーロンを窺い見る。
「ロンのプレイ見た? すごかったよね」
「あー……私たち、今日ちょっと用事があって、試合は見れなかったの」
「そうなの? スーパーセーブばっかりだったのに」
「そうだよ、どうして見ててくれなかったんだ!?」
どこから聞きつけたのか、まるで酔っ払っいみたいに顔を真っ赤にさせたロンがハリエットとアーロンの間から伸びをし、テーブルのご馳走をつまみ始めた。アーロンは苦笑いをし、ハーマイオニーはロンの空気の読めなさ加減に呆れる。
「だから言ったじゃない。ハグリッドに呼ばれてたのよ」
「ハグリッドもハグリッドだ、何も試合中に三人を連れ出さなくても!」
「でも、さっきコリンから写真を見せてもらったの。ロンが何度もゴールを阻止してるところ! 格好よかったわ!」
「アー……写真とか撮ってたんだ?」
興味なさそうにロンは言うが、カメラを向けるコリンに対してガッツポーズをする写真が何枚あったことか。
だが、ハリエットもハーマイオニーも指摘はせず微笑ましく談笑を続けていれば、居心地が悪くなったのか、アーロンがトイレに席を立った。ロンは特に気にもせず、今度はジョッキに手を伸ばし、グビグビと飲み始める。ハリエットはあっと声を上げた。
「それ、ブライトンのだったのに!」
「そうなの?」
「代わりに私のを置いておくわ。まだ飲んでないから」
「ごめん……」
決まり悪くなったのか、ロンはブライトンが帰ってくると同時にそそくさとフレッドたちの下へ戻った。ブライトンはまたもハリエットの隣に腰掛ける。
「ロンは?」
「皆の所に戻ったわ」
「なんだ。もっと主役と話したかったのに」
言いながら、アーロンはバタービールを飲んだ。こくこくと勢いよく喉を鳴らし、そしてジョッキをドンとテーブルに置く。その音に驚いてアーロンを見れば、彼はハリエットを熱い眼差しで見つめていた。ハリエットは困惑し、ハーマイオニーを見た。ハーマイオニーも戸惑ったように肩をすくめる。
「……ハリエット」
肩に両手を置かれ、ハリエットは突然ぐりんと真反対を向かされた――アーロンの方だ。
「君って可愛いよね」
あまりに唐突で真剣な声色に、ハリエットは目を瞬かせた。もちろんハーマイオニーもだ。
「あー……私、お邪魔かしら?」
コホンと咳払いをしながらハーマイオニーは席を立った。ハリエットは咄嗟に縋るように彼女を見たが、ハーマイオニーは曖昧に微笑んでハリーの下へ歩いて行ってしまう。
邪魔者が去った後、アーロンはいよいよハリエットに向き直った。ハリエットは戸惑いからジョッキを見つめ、バタービールの泡がパチパチと消えていく様が気になって仕方がないという顔をした。
「――ハリエット」
そんな彼女の気を引くのはもちろんアーロンだ。
「明日のホグズミードはもう誰と行くって決まってるの?」
「あ――あの、特には……。でも、いつも通りハーマイオニーたちと行こうと……」
「いつも通り? なら、明日を僕にくれない?」
「エッ!」
なぜか遠くからハリーの声がした。ハーマイオニーが彼の頭を叩くのが見えた。
「で、でも、あの……」
「君とデートがしたいんだ」
ハリエットはまじまじとアーロンを見つめた。聞き間違いだろうか? 今、デートって――。
「君のことが好きだから」
またも追撃だ。ハリエットは今や完全に固まっていた。いつの間にか談話室もシンと静まり返っていた。彼女だけではない、談話室にいた全員がアーロンを見ていた。何が起こったのか分からず、みな唖然としている。
「ずっと君のことが気になってたんだ。好きなんだ。頭から離れない……。一緒にホグズミードに行ってくれたら、少しは収まりそうな気がするんだ」
「あ……」
ハリエットは、徐々に顔に熱が集まるのを感じた。ようやく己が何を言われているのか理解し始めていた。緊張と混乱のあまり、ギュッとジョッキを握りしめ黙り込むハリエットに対し、気を利かせてか、外野の寮生がやいやい野次を飛ばした。
「アーロン、一体どうした? 急に熱烈な告白して!」
「まさかハリエットのことが好きだったなんて!」
ヒューヒューとはやし立てるような口笛までもが響く。
何か言わないといけないことは分かっていたが、でも何を言えば。ハリエットの視線は右往左往した。
「私……」
「返事は今すぐじゃなくていいよ。ただ、ホグズミードは一緒に行きたい。君のこともっと知りたいから。駄目かな?」
ハリエットは困りきってしまって、今己を囲っている人員の外に助けを求めた。パチッとハリーと目が合う。彼もまた、おそらくハリエットと同じような表情をしていた。妹が急に色恋沙汰に巻き込まれたことに、戸惑いを隠せないようだった。
「ハリー? ハリエットに先を越されるかもな」
ディーンがニヤニヤしてハリーに囁いた。ハリーも複雑そうな顔で囁き返す。
「僕は、ハリエットが幸せなら、それで……」
「ハリエット! 兄貴からもオーケーがでたぜ! アーロンと付き合ってもいいって!」
ディーンが声を張り上げたせいで、再び談話室が盛り上がる。ハリエットはこれ以上ないくらい顔を真っ赤にさせた。
「は、ハリー!」
「僕、そこまで言ってないよ! ただ、ハリエットが幸せならって――」
「アーロンがハリエットを幸せにしてくれるんならいいんだろ?」
「で? 明日のホグズミードはもちろん一緒に行くよな?」
「……行ってくれる?」
周囲の後押しもあって、更にアーロンも熱を込めてハリエットに迫る。ハリエットは気圧されるようにしてこくこくっと頷いた。
「おめでとう!」
「良かったな、アーロン!」
ただホグズミードに行くだけのに、まるでカップルが成立したかのような盛り上がりだ。こういうときはグリフィンドールの風潮だとハリーはつくづく思う。誰かの行動をその場の勢いで後押しする雰囲気。ハリーは押され気味なハリエットのことが心配してソワソワしていた。そんな矢先、入ってきた声に気を引かれる。
「ハリエットがアーロンとかあ。ちょっと心配だな」
「それってどういうこと?」
ハーマイオニーが鋭く聞き返した先はフレッドだ。フレッドはジョッキ片手にちょいちょいと手招きした。
「アーロンは別に悪い奴じゃないんだけど……」
「何か問題でもあるの?」
「グリフィンドールのザビニみたいな奴なんだ」
「どんな例えよ」
思わずハーマイオニーは突っ込んだ。そして、冷静になって咳払いする。
「つまりは……手が早いってこと?」
「そう」
ハリーはむっつり黙り込んだ。純粋に妹が心配だった。ハリエットが幸せならそれでいい。だが、もし手ひどく振られるようだったら? 遊ばれて終わりにされたら?
ハリーはアーロン・ブライトンという生徒のことをあまり知らないので、フレッドの情報だけで一概に決めつけることはできない。が、第一印象はいけ好かないというのが正直な感想だ。ハリエットは引っ込み思案なところがあるのに、なんだってこんな人目のある場所で盛大に付き合いを申し出たのか。アーロンがハリエットのことが気になっているという、そんな気配をちっとも感じさせなかったのに、こんな出来事が起こったということは、やはりフレッドの言う通りアーロンは手が早い男なのではないか。
そんなことをつらつらと考え、ハリーはますます顰めっ面を浮かべた。
*****
翌日の午後、ホグズミード行きの日。
もちろん、ハリエットに負けず劣らず、妹に関しては心配性のハリーが黙って見送るわけもなく。
ハリーは、透明マントを被ってハリエットたちの後をつけていた。ハーマイオニーと共に。
「どうして私も?」
「そりゃあ、君の機転と魔法の腕が役に立つからさ」
「友達の尾行なんてしたくないわ」
「僕だってしたくないよ! でも、デートの相手が相手だから仕方ないよ。ハリエットが嫌な思いをするよりもマシさ」
ハリエットが幸せならそれでいい。だが、アーロンは何やら不穏な噂を持つ男だ。ハリエットが傷つくような事態は何があっても避けなければならない。
ちなみに、ロンは来年に向けてのクィディッチの練習で不在だ。決して、彼の魔法の腕が役に立たないとか、騒がしくしてハリエットにバレそうだとか思って呼ばなかったわけではない、決して。
ハリエットとアーロンは玄関ホールでフィルチの監査を抜け、午後の暖かな日だまりへと繰り出した。馬車には乗らず、歩いて行くらしい。目の届かない場所で二人きりにならないようなのでホッとした矢先、ハリーは早速目を剥いた。アーロンが自然を装ってハリエットの手を握ったのだ。
「っ、ハーマイオニー!」
「あれくらいいいじゃない」
「でも、ハリエットが嫌がってる!」
嫌がっている……というよりは、戸惑っているといった方が正しいだろう。それに、周りの目も気にしているようだ。やいのやいのうるさいハリーに仕方ないわねと嘆息すると、ハーマイオニーは杖を振るう。途端に、アーロンは驚いたように手を離した。
「な、なに、今の?」
「静電気を起こす魔法よ」
「……本当、君って何でもよく知ってるよね」
そんな魔法使うことあるのかとハリーは思ったが、口には出さなかった。現に今、非常に役に立ったからだ。
以降もアーロンは手を繋ごうと奮闘していたようだが、その度に謎の静電気が起こるので、やがて諦めた。なぜかハリエットの方が申し訳なさそうな顔をしている。
ホグズミードに着くと、二人はハニーデュークス店へ入っていった。そこまではまだいい。周囲の目もあるし、そもそもお菓子を買うことが目的なので、イチャイチャもできないからだ。だが、問題はその次だった。なんと、アーロンはマダム・パディフットのお店へ行こうと誘っているではないか!
「駄目だっ!」
自分が透明人間になっているということを失念しているのか、ハリーは遠慮なく大声を上げた。
「あの店は駄目だ!」
「あそこって、確かカップル御用達の店よね? 中まで入ったことはないけど……」
「地獄みたいな場所だよ。糊付けされてるのかってくらい人目も憚らずカップルがキスばっかりしてる」
そんな場所とは知らないのか、ハリエットも特に気にすることなく了承している。ハリーは歯噛みした。あんなピンクピンクした場所に入れられて、もし万が一断れきれなくてハリエットが嫌な思いをすることになったら――!
そんな時、ハリーは目の前から歩いてくるドラコ一行が天からの使いに見えた。そう、確かつい先日もジニーとのデートの時ドラコが突っかかってきて、危うく喧嘩になりかけたのだ。ハリエットとアーロンというカップルを見て、ドラコがからかってくれれば、そしてあわよくば、気まずくなってマダム・パディフットのお店は止めようという話になってくれたら――。
だが、ハリーの期待を盛大に裏切り、ドラコは何も言わなかった。ドラコはハリエットとアーロンのカップルを見、入ろうとしているマダム・パディフットのお店を見、そしてまた二人を見たが、結局何も言わなかった。ふんと苛立ったように鼻を鳴らして通り過ぎるだけだ。ハリーは絶望した。
「何だよ、こういう時くらい役に立てよマルフォイ……!」
先日、ルシウス・マルフォイが死喰い人だとハリーたちは告発記事を出したばかりだ。本来なら、ドラコもそれに腹をたて、これ幸いとばかり喧嘩をふっかけて当然なはずなのに――。
「ほんっと役に立たないな!」
思わずとついた悪態は、思いのほか声量が大きかったらしい。ドラコは急に視線を鋭くし、キョロキョロ見回したかと思うと、検討をつけて腕を伸ばし、そのまま何かを掴んでひったくった。唖然とするハリー、ハーマイオニーと、勝ち誇った顔をするドラコ。
「ポッター! 誰が役立たずだって?」
「マルフォイ……なんで」
「妹が妹なら兄も兄だな! 妹をストーカーか?」
「ストーカーじゃない! 心配してるだけだ!」
カッとなってハリーが言い返すと、そう間を置かずに店からハリエットが出てきた。ハリーは慌てて透明マントをひったくり、ドラコもろとも三人をマントで覆った。ハリエットはキョロキョロ辺りを見渡している。
「今ハリーの声が聞こえたわ」
「そう? 気のせいじゃない?」
アーロンはハリエットを宥め、再び店内へ入っていった。ドラコは思わずと漏らす。
「お前達のお互いを察知する能力はなんだ! 尋常じゃない!」
「うるさい、静かに!」
「ちょっと、早く行かないと。ハリエットがもう店に入っちゃったわ」
「まだストーカーを続けるのか? 殊勝なことだ」
「あいつはグリフィンドールのザビニみたいな奴なんだ。誰だって心配するのは当然だ」
「ザビニ?」
「うるさいな。こっちの話だ!」
つっけんどんに言いながらハリーは店へ入ろうとした。だが、なぜかついてくるドラコ。ハリーはイライラと振り返った。
「なんでついてくるんだよ! 早く出てけよ」
「僕が何しようと僕の勝手だ。ちょうどお茶を飲みたいと思ってたところだ」
「だったら一人で入れ!」
怒ってハリーは看板を指差した。どぎついピンクの、フリルだらけの看板だ。ドラコは尻込みし、ますますマントから出るまいと近づいた。
「そもそも、ポッター、ホグズミード行きを禁止されてるお前がどうしてこんな所にいる? アンブリッジ先生がお知りになったらどう思うか」
「脅そうってか?」
ハリーとドラコはギリギリと睨み合う。だが、この中で一番イライラが募っていたのはハーマイオニーの方だった。
「もういい加減にして!」
ピシャリと叫び、ハーマイオニーはうんざりした顔で透明マントから出た。
「三人もマントの中にいたら狭苦しいったらないわ! ハリー、マルフォイがいるんだから私はもういらないわね? もともとハリエットの尾行なんて乗り気じゃなかったの。私はもう行くわ。二人仲良く尾行したらいいじゃない!」
ふんと顔を逸らし、颯爽と去って行くハーマイオニー。ハリーは茫然と叫んだ。
「君のせいでハーマイオニーが行っちゃったじゃないか!」
「グレンジャーが何の役に立つんだ」
「君よりは百倍役に立つさ!」
なおもぐちぐちと口論を始めかけた二人だったが、後からロジャー・デイビースとブロンドの女の子が入ってきたので、中に入らざるを得なかった。もたつきながらもなんとか狭い店内へ向かい、ハリエットとアーロンを探す。二人は窓のテーブル席に座っていた。
店内はイチャつくカップルだらけだった。透明マントを被っているとは言え、犬猿の仲の男とここに立っていることに目眩すら覚える――が、ハリーはなんとか踏ん張った。ひとえにハリエットのためである。
アーロンは、ハリエットを熱心に見つめ、しきりに話しかけていた。対するハリエットは終始生返事ばかりだ。しかし、それもそうだ。まだ付き合ってもない――それどころかようやく今日ちゃんと話したような男女が周囲を熱々のカップルに囲まれ、気まずくないわけがない。
「こんな悪趣味の店に入ろうだなんて神経を疑う」
「ハリエットはこんな場所だって知らずに入ったんだ。知ってたら入らないよ」
「ホイホイ男についていく時点で満更でもないんじゃないか?」
「嫌な言い方をするなよ! ただ――ハリエットは疑うことを知らないだけだ」
「ハッ! ポッター、以前にも言ったはずだ、妹の手綱はしっかり握っておけとな!」
「なんで君が怒ってるんだ!」
やいやいと声量も考えずに言い合っていると、近くを通ったマダム・パディフットが気味悪そうに二人の方を見てきた。二人はピタリと口を閉ざし、本来の目的であったハリエット達の方を見る。
ハリエットは、もはや周囲を敵に囲まれたようなものだった。絶え間なく聞こえてくる甘ったるい声に、激しくキスする音、視界をずらしても乳繰り合う男女の姿が見て取れる。困り切って視線を上に向ければ、宙に浮かんでいたキューピッドに紙吹雪を浴びせられる。
「わっ!」
「大丈夫? 取ってあげるよ」
笑いながら、なんとも自然にアーロンはハリエットの隣に移動した。どこからどう見ても一人席なのに、それでもやや大きめのソファになっているのは――要はこういうことだ。
ギリギリ二人座れるくらいのソファなので、だからこそ距離が近い。アーロンの手が伸びてきてハリエットは仰け反った。
「だ、大丈夫。取れるから……」
「でもほら、髪にもついてるから」
紙吹雪を手にして微笑むアーロン。それを見てハリエットはますます頬を赤くした。ギリギリ歯噛みするハリーは、隣で苛立ったように貧乏揺すりをするドラコに気づかなかった。
紙吹雪を取るため、という名目にかこつけてアーロンは積極的だ。なんとなくだが、ハリーの、いや、兄目線からして見ると、その手つきがいやらしい。襟の紙吹雪を取るために、何も首筋を撫でる必要はないじゃないか!
「何か邪魔する呪文知らないのか?」
ハリーはつっけんどんにドラコに尋ねた。こんな時くらい役に立たないと、ハーマイオニーを犠牲にした意味がない。だが、ドラコの返事は芳しくない。
「知らない。お得意の武装解除でいいじゃないか」
「どこから飛んできたんだって思われる! なんだよ、役に立たないな。ハーマイオニーは静電気を起こしてくれたのに」
「なんだその使い道のない魔法は? どこで覚えたんだ、グレンジャーは!」
そんな口論をよそ目に、ハリエットたちにも新たな展開があった。
防衛反応か、アーロンが距離を詰めるたび、ハリエットも徐々に仰け反り気味になっていた。しかしそれにもやがて限界が来て――というより、アーロンが動いた――彼が腰に腕を回した途端、ハリエットの身体から力が抜け、カクンとソファに倒れ込んだ。
隣のカップルの大胆な行動に、ロジャーの恋人がクスクス笑った。ハリーだって杖を握りしめる。武装解除をかけたいところだが、しかしあまりにもこの場にそぐわない呪文過ぎる! ハリーは、ハーマイオニーのように機転が利かない己に歯噛みした。
「退いて……!」
少し強めにハリエットが言った。アーロンは困ったように笑う。
「でも、この方が紙吹雪も取りやすいし」
取りやすいに体勢も何もない。だが、覆い被さるようにアーロンが体勢を変えた時、初めてハリエットに怯えが見て取れた。ハリーはもう杖を構えていた。武装解除が場違いだのなんだの、もう関係ない! ハリエットを守るためなら――。
「オパグノ!」
正に武装解除をかけようとしたその時、三羽もの黄色い小鳥が横から弾丸のように飛び出し、そしてアーロンを突き始めた。アーロンは頭を庇って喚く。
「なっ、なんだ!? 一体何が起こってる!」
「だ、大丈夫……?」
アーロンを心配しつつも、ハリエットはその隙にアーロンの下から脱出した。一応は杖を握っているが、しかし暴力的な小鳥にすら憐憫の情が湧いたのか、アーロンを助け出せずにいる。
「マダム! こんな演出は聞いてない!」
「あらごめんなさい。でも、うちはキューピッドだけよ。小鳥は用意してないわ」
「でも――っ!」
アーロンが腕を振り回せば、そのうちの一羽に当たり、小鳥は哀れな鳴き声を上げて地面に落ちそうになった。すんでのところでハリエットが受け止める。他の小鳥たちは同じ目に遭うまいとピューッと逃げ出した。アーロンは息巻いて小鳥を睨む。
「それ、貸せよ」
「何するの?」
「仕返しするに決まってるだろ!?」
「駄目よ! この子は悪くないわ。よく分かってないだけよ」
「分かってるに決まってるさ! だから僕だけを狙ったんだ!」
「悪気はなかったのよ……ね?」
ハリエットは必死に小鳥に逃げるよう促すが、小鳥はハリエットの手の中が居心地良いのか、きょとんと見つめ返すばかりだ。ハリエットは小鳥をさっと胸ポケットに収めた。
「ねえ、アーロン。もう行きましょう? 私、お腹空いたわ」
あからさまな話題転換だが、ハリエットに手を引かれ、アーロンも悪い気はしなかったらしい。未だ小鳥を睨み付けながらも、渋々頷く。
ようやくこの甘ったるい空間から出られるとハリーはホッと息をついた。そして同時に、ハリエットもあの空気に流されないで良かったと心から思う。
「なかなか良い呪文知ってるじゃないか」
一応礼は言っておこうとドラコを振り返ると、彼はあからさまに顰めっ面をしてぶるりと身体を震わせた。
「気持ち悪いことを言わないでくれ。君に褒められるなんて気味が悪い」
「……それで結構。もう君は用済みだから、早くどこかへ行ってくれ。もう僕なんかと一緒にいたくないだろ?」
「…………」
ドラコは押し黙る。だが、ついてくる。どこまで行ってもついてくる。ハリーはいい加減堪忍袋の緒が切れそうだった。
「だから……向こう行けって!」
「僕はお前が何か問題を起こさないか見張る義務がある。試合後に大暴れ、虚言癖にザ・クィブラーのあの記事。一人でホグズミードをほっつき歩いて問題を起こさないわけがない」
「君さえいなかったら優等生さ」
ハリーがドラコに、ドラコがハリーに注意を引かれている間、ハリエットたちはどんどん人気のない方へ向かって行った。ハリエットは乗り気じゃないようだが、アーロンが掴んだ手を離さないのだ。
「どこ行くの?」
「もうすぐだよ」
やがてたどり着いたのは、ホグズミード外れにある叫びの屋敷だ。遠くから見るだけに留まらず、アーロンは腕を引いてなおも進む。
「ちょっと中に入ろう」
「駄目よ、面白半分に入っちゃ」
「少しくらいなら大丈夫さ」
「危ないわ。叫び声が……ええっと……幽霊がいるかもしれないとか、怪物とかなんとか言われてるし……」
「怖いの?」
ニヤッと笑ってアーロンは振り返った。
「大丈夫、僕がいるからさ。ほら、ついてきて」
「だ、駄目だってば……!」
ハリエットの腕を強引に掴み、アーロンはズンズン屋敷の中へ入っていく。ハリーは呆れ果てた。どうやら、アーロンはハリエットが怖がっていると判断し、男を見せるべきだと息巻いているらしい。叫びの屋敷の真相を知っている身としては呆れる一方だ。
「本当に駄目よ。私、行かないわ」
グラグラと外れかけた板の隙間から侵入を試みるアーロンに向かってハリエットは宣言した。アーロンは構わず窓枠を潜る。
「いいよ。そこで待ってて。これだけ古い屋敷なんだ。何か掘り出し物があったら持ってきてあげる……」
「駄目ったら!」
ハリエットの忠告を余所にアーロンは完全に中へ入ってしまった。ハリエットはしばらくおろおろしていたが――やがて、意を決したように自身も屋敷の中へ身を滑り込ませた。問題行動を起こすかもしれない――いや、それ以上にジェームズたちの思い出の場所である屋敷を荒らされるのではないかと心配だったのだ。だが、それにギョッとするのはハリーだ。
「二人っきりなんてとんでもない! あいつが何やらかすか!」
ハリーはもちろん後を追った。またしても後ろからドラコがついてくるが、今回ばかりはハリーも構っていられなかった。
アーロンは屋敷中を歩き回った。だが、古びた調度品があるだけで、むしろあちこちにひっかき傷のようなものがあるのを見つけ、少し臆病風が吹いたようだ。なんともなさそうな顔をしてハリエットを振り返る。
「なんだ、何もないじゃないか。ねえ?」
「そうよ。もう帰りましょう」
ようやくアーロンに追い付き、ハリエットは彼のローブを引っ張った。アーロンは少し考え――ハリエットの腕を掴んで引き寄せた。
「――二人っきりだね」
「え……」
「ちょっと雰囲気はいまいちだけど……でも、僕ら二人だけだ」
ハリエットはぞわぞわっと鳥肌が立つのを感じた。咄嗟に腕を振り払って後ずさりし、杖を抜く。突然の臨戦態勢にアーロンは心外だと首を振った。
「そんなに警戒しないでよ! 君を傷つけたいわけじゃないんだ。ただ、僕の気持ちを知ってほしくて――」
一歩アーロンが近寄れば、それと同時にハリエットも下がる。
「ずっと君のことが気になってたんだ。昨日、ついにその気持ちが抑えられなくてさ……。愛してるんだ」
「あ、の――気持ちは嬉しいけど、ごめんなさい」
「どうして? 恋人はいないんだろう? だったらいいじゃないか。お試しでも」
性懲りもなくアーロンは迫る。ハリーは既に杖を抜いていた。アーロンが強攻策に出るのなら、こっちにだって考えがある。もうハリエットにバレようがバレまいがどっちでもいい。ハリエットが嫌な思いをしないのであれば!
「退いて!」
ドアから覗き込むようにして顔を突っ込んでいたハリーは、同じ体勢のドラコに囁いた。しかしドラコも頑固だ。なかなか退こうとしない。
「君は関係ないじゃないか……!」
「うるさいな! お前にそう言われるのは癪だ!」
「ハリエットが危ないんだ。早く退けって――!」
ドンと押された先は真正面。部屋の内側。「あっ」とハリーの声が遅れて聞こえてきたと思ったら、ドスンとドラコは尻餅をついた。
「誰だ!?」
「――ドラコ?」
ドラコは茫然と振り返る。透明マントから押されたドラコは、アーロン、ハリエットにまじまじと見つめられていた。
「どうしてここに……」
「こ――ここは立ち入り禁止だぞ!」
慌てて立ち上がり、ドラコはわけも分からず口走る。ひとまず言い訳をしなければという思いで一杯だった。
「お前たちが入って行くのを見て減点するつもりで来たんだ!」
「ここはホグズミードだぞ。いくら親衛隊だからってあんまり調子に乗るなよ」
「アーロン!」
ハリエットは杖を抜いたアーロンを慌てて引き留めるが、同じくドラコも臨戦態勢に入るので余計にあわあわする。
「駄目よ! 止めて、だってここは――」
朽ち果て、寂れた屋敷でも、ジェームズたちの思い出の場所だ。たとえ、後に悲しい事件が引き起こされたとしても、それでも四人が輝いていた時の思い出の場所は大切に残しておきたい――。
「ステューピファイ!」
ハリエットの静止など聞き入れもせずアーロンは失神呪文を放った。それに対してドラコが使ったのは盾の呪文だ。跳ね返った呪文はそのままアーロンに当たり、アーロンは昏倒した。
コロン、と彼のポケットから何かが転がり落ちた。ピンク色のガラス瓶だ。ドラコはそれを拾い上げる。
「惚れ薬……?」
裏に貼ってあるラベルを読み上げ、ドラコは訝しげな顔になった。ハリエットもきょとんとする。
「惚れ薬って、あの?」
「中身は空だ。変なもの飲んでないだろうな?」
「わ、分からないわ。でも、身体に異変はないわ。いつも通り」
「……どっちにしろ、こんなものを持ってるなんて碌な奴じゃない」
ドラコはガラス瓶を投げ捨て、そのまま踵を返した。慌ててハリエットはその後ろ姿に声をかける。
「ありがとう! 助けてくれて」
「別に助けようと思ったわけじゃない。減点するためだ」
「でも、それでも結果的に助かったわ」
ハリエットは微笑んだが、ドラコは振り返らなかった。どうあってもハリエットとなれ合うつもりはないらしい。だが、そんな時ハリエットのポケットから小鳥が飛び出し、囀りながらドラコの下に飛んでいった。ドラコは煩わしそうにしているが、小鳥は彼から離れない。
「……もしかして、カフェで助けてくれたのもドラコなの?」
ハリエットは思わず尋ねた。だが、答えてくれたのはドラコではなく――。
「違う!」
パッと透明マントを脱ぎ捨て、ハリーが現れた。ハリエットはいよいよ混乱する。
「どうしてハリーもここに……?」
「け……決闘」
「決闘?」
素っ頓狂にハリエットが聞き返した。至って真面目な顔でハリーが頷く。
「マルフォイと決闘するつもりでここへ来たんだ。そうだよな?」
「……ああ」
しぶしぶドラコも答える。なおもハリエットは訝しげな顔だ。何がどうして二人が叫びの屋敷で決闘することになったのか。少なくともハリーがここを決闘場所に選ぶわけがない。
さすがのハリエットも今回ばかりは騙されなかった。今日一日自分たちの身に起こった不可思議の連続。時折聞こえる兄の声。決定的な証拠は、犬猿の仲の二人が今この場に示し合わせたように立っていることだ。
「……ありがとう」
ハリエットが小さく言うと、途端にパッと二人は顔を上げ、声を合わせた。
「違う!」
「そんなんじゃない!」
「何が?」
ハリエットは悪戯っぽい笑みを浮かべて尋ねた。二人が何も言わないのなら、自分だって言わない。ただちょっと「ありがとう」と言ってみたかっただけだ。
なのに、それすらも素直に受け取れなかったらしいドラコは、パッとそっぽを向いた。
「お前たちは減点だな。叫びの屋敷に入ったし、ポッター、お前はホグズミード行きを禁止されてるのに今ここにいる」
「君は減点しないと生きられないのか?」
「減点をしなくて済むよう模範的な生活態度を取ってから言っていただきたい」
「減らず口めが……!」
寂れた屋敷に二人が生き生きと口論する声が響き渡る。いつもはうんざりする光景だが、しかし今日ばかりはハリエットも機嫌よく二人の後をついていった。