踊る羽根ペン

ー秘密の果樹園ー






 隠れ穴では、過保護な後見人の監視の目を掻い潜って、ちょっとした世間話をするのですら、ハリエットとドラコは苦労した。ただの『友達』として話したいだけなのに、シリウスはそれすらも許してくれないのだ。ハリエットがドラコを呼び止めれば、その地獄耳でどこからともなく彼は現れ、お前も手伝えとドラコをかっ攫っていく。

 そもそも、隠れ穴にはシリウスの目となり耳となり、ハリエットとドラコの距離が縮まろうものなら、途端に彼に告げ口する存在が山程いた。その筆頭がロンで、次点でハリー、ジニーと続く。フレッドとジョージは中立で、邪魔をしてからかうときもあれば、突然気が変わって手助けしてくれるときもある。ハーマイオニーは主に見守る立場だ。

 逆に、なぜかモリーやトンクス、ルーピンはハリエットとドラコの様子を微笑ましく眺めていることがあり、シリウスを窘めてくれる時もあるのだが、後者二人はいつも隠れ穴にいるわけではないので、あまり状況は変わらなかった。

 そんな調子で、折角のハリエットの誕生日がやって来ても、二人はろくに会話を交わせなかった。まともな会話は朝の挨拶くらいで、それからずっとハリエットは他の人と話しっぱなしだ。ハリーとハリエット、二人が今日の主役なのだから、それも仕方ない。

 朝食を終えると、子供達はそれぞれ仕事を言いつけられた。ハリー、ロン、ドラコは庭小人の駆除で、ハリエットとジョージは果樹園で飾り付け、ハーマイオニーとフレッドとジニーは祝いの品の仕分けだ。ウィーズリー家の双子をきっちり分ける所が大家族の主婦たるモリーの抜け目ない采配だ。フレッドとジョージは我らが母親にわざとらしく帽子を取る真似をした。

 生まれて初めて目にした庭小人の駆除は、ドラコの手を大いに煩わせた。鋭い歯で力一杯噛みついてくるし、どれだけ庭小人を垣根の外へ放り投げても、次から次へと巣穴から湧いて出てくるのだ。

 始めこそ、誰が一番遠くまで小人を放り投げられるかを競っていた三人も、あまりにキリのない小人達に、次第に話す元気もなくなり、無言になってきた。

 何者かの視線に気づいたのは、小人駆除も五十匹はくだらないだろう頃だ。

 ふと顔を上げたとき、垣根から生首がポツンと浮かんでいるのが見えて、ドラコは悲鳴を上げかけた。生首の正体――ジョージはにんまり口角を緩める。

「やあ、庭小人との逢瀬はどんな感じだい?」
「最悪だ」
「だろうねえ。折角のこの晴天に女の子とデートもできずに小人駆除なんて、むさ苦しいことこの上ないよ」

 ヤニヤした顔のジョージに、ドラコは警戒心は決して解かなかった。こういうときのフレッドやジョージは、絶対に何かを企んでるに決まっているのだ。

「そういえば、ハリエットが今どこにいるか知ってるか?」
「果樹園だろう?」
「それで、俺はおふくろからハリエットの手伝いをするように言われてる」
「…………」

 だからなんだ、というドラコの顔をものともせず、ジョージはドラコの耳に囁いた。

「代わってやろうか」
「……!」

 肌が白い分、ドラコの頬が色づいたのは一発で気づいた。ジョージはますます口角を上げる。

「いやあ、別に君が代わらなくても良いって言うんだったら俺はそれで良いけど。どうする?」
「…………」

 ひょっとしたら睨み付けてるんじゃないかと思うくらい鋭い眼光でジョージを見据えるドラコ。ジョージは待った。女々しくもハリエットをこっそり見つめているくせに、シリウスの邪魔が入れば簡単に諦めるドラコがプライドをかなぐり捨てる瞬間を。

「……代わってくれ」

 俯いたまま、今にも消え入りそうな声で言うドラコに、ジョージは思わず噴き出しそうになった。だが、すんでの所で堪える。折角出した勇気をからかうなんて可哀想なこと、誰ができるというのだろう!

 とはいえ、後でフレッドに聞かせる気満々でジョージは大仰に頷いた。

「うむ、良かろう。じゃあこれで交代な」

 ジョージは垣根を回ってドラコの背中をポンと叩いた。ドラコは覚束ない足取りで果樹園へと歩き出した。

 そうして、ハリーとロンをどうやって誤魔化そうかと両手を擦り合わせたジョージの耳に飛び込んできたのは。

「……ありがとう」

 小さな小さな、お礼の言葉だった。素っ気ない言い方ではあったが、あまりの変わりようにジョージは目を丸くした。あのドラコがお礼を言うなんて!

「ジョージ? サボりに来たの?」

 ポカンと立ち尽くしたジョージにロンとハリーはすぐ気づいた。ロンはめざとくドラコの姿がないことに気づいた。

「マルフォイは? サボったのか?」
「いいや。俺の仕事と代わってもらったんだ。果樹園の飾り付けの方」
「どうして僕に言ってくれなかったんだよ。僕だって飾り付けの方が良かった」
「まあ待て。俺が理由もなしに庭小人駆除なんてしたがると思うか?」

 声を潜めるジョージに、ロンは興味を引かれたように近づいた。

「この前、おふくろに悪戯の罰で駆除を命じられたときに思いついたんだが――」

 庭小人を用いた画期的なゲームを説明すれば、みるみるロンとハリーの目が輝いた。この貸しは高くつくぞ、とジョージは内心で呟いた。


*****


 ドラコが果樹園に着くと、そこはもう立派な結婚式会場へと早変わりしていた。結婚式自体は白いテントの中で行われるが、果樹園は最初に招待客を迎える顔になる。それはそれは豪華に、というのがモリーの希望だったが、これなら彼女も大満足だろう。

 テントを覗いてみたが、ハリエットの姿はなかった。まだ飾り付けに満足がいかず、奥の方にいるのだろうかとドラコは歩みを進める。

 ハリエットは、テントからそう遠く離れてない場所にいた。何羽かの妖精に杖を向け、小さな花を降らせたり、光る粉をかけたりしている。何が楽しいのか、妖精もハリエットもクスクス笑っている。見ているだけで毒気が抜かれるような光景だが、不思議と心が和み、ドラコはしばし見惚れていた。

 妖精の一羽がドラコの存在に気付き、ハリエットの服の袖を引っ張った。ハシバミ色の瞳が移動し、パチリと目が合う。

「ドラコ? こんな所でどうしたの?」
「ああ……いや」

 ここへ来た理由なんて考えてもいなかった。君と話したくてジョージと代わってもらったなんて、恥ずかしくて口が裂けても言えるわけがない。

「じょ、ジョージが……あの、庭小人の駆除をやりたいって」
「また何か悪戯を考えてるのね?」

 ハリエットは呆れた顔をした。ドラコは代わってもらった恩を忘れたように『みたいだ』と適当なことを言った。

「でも、ドラコが来てくれて良かった」
「えっ」
「ジョージったら、全然飾り付けの手伝いしてくれないんだもの! 意見を聞いても変なことばっかり言うの」

 ああ……とドラコはみるみる勢いをなくした。そうだ、そうだろう。ハリエットはただの友人を望んでいるのだ。期待すればそれだけ肩透かしを食らってしまう。高望みをしてはいけないし、無理に気持ちを押し付けるなんてもってのほかだ。

「ねえ、他にどんな装飾したら良いと思う?」

 ハリエットの言葉に、ドラコは果樹園を見渡した。テントの外の草むらや生け垣には、色とりどりの花々で更に華やかになっている。木からは所々ランプが吊るされ、当日には暖かな光が灯されるのだろう。木々の間には妖精が飛び交っており、神秘的な雰囲気だ。

「スラグホーン先生のパーティーの時の装飾を参考にしたの。本当は犬とか猫も羽をつけて飛び回らせたら可愛いと思ったんだけど、フラー達は動物が好きか分からなかったから止めておいたの」

 犬に羽?

 真面目にその光景を想像してみたが、あまり可愛いとは思えず、ドラコは曖昧に頷くだけに留めた。

「自分の結婚式でやったら良い。それならそういう遠慮はいらないだろう」
「そうね、そういうのを許してくれる人と結婚式すればいいかも」
「……!」

 途端に、羽の生えた動物が飛び回る結婚式も素敵だと思ってしまった自分にドラコは嫌気が差した。

 下手したら動物園とも見紛うその結婚式に、自分も参加するのだろうか。参加できたとして、一招待客としてに過ぎないのに。

 ハリエットの結婚式は、動物がいてもいなくても、温かみのある結婚式になるのだろう。たくさんの招待客が、心から主役の二人を祝福するに違いない。そしてハリエットの隣に並び立つのは、後ろ暗いところなんて何一つない、シリウスやハリーが認める立派な男性だ。

 もし、仮にその式に自分が呼ばれたとして。

 その頃には、二人のことを穏やかに祝福できるくらいには成長していたいと思う。

 ドラコはしばし目を瞑り、そして次に目を開けたときには、打って変わって明るい声を押し出した。

「果樹園の飾り付けはこれで充分だと思う。でも、折角綺麗な場所だから、早く会場についた人のためにテーブルと椅子を用意するのも良いと思う。ここだと風があって涼しいし」

 何度か結婚式に参加したことのあるドラコは、その時の光景を思い出しながら言った。ハリエットはふんふんと頷いた。

「そうね、外でお茶をするのも素敵だわ。ありがとう!」

 嬉しそうに笑うハリエットから目を逸らし、ドラコはテーブルセットを出すのを手伝った。

 広い果樹園ではあるが、四、五セットも出せば充分だろう。シンプルにテーブルクロスを引くだけに留め、ハリエットは満足そうに出来映えを眺めた。

「これで完璧ね! 手伝ってくれてありがとう」
「いや、僕はほとんど何も」
「そんなことないわ。ジョージは妖精に悪戯ばっかりしてたから」

 そろそろ戻りましょうか、と踵を返した彼女に、辺りを自由に飛び交っていた妖精達は気を引かれたようにハリエットの元に集まりだした。一体何事かと目を丸くしていれば、ハリエットの頭の上から小さな白い花がちょこちょこ降りそそいでくる。

「もしかしてさっきのお返し?」

 ハリエットはすぐに合点がいった。短く尋ねれば、妖精は笑って返事をする。ハリエットもつられて笑った。

「ありがとう」

 ハリエットと妖精の戯れは微笑ましい光景だ。だが、ドラコは少々気まずい思いでそれを眺めていた。

 今日はハリエットの誕生日だ。朝から彼女は山ほどのプレゼントを受け取っていた。何も知らないはずの妖精ですら、花を出してハリエットを喜ばせているというのに、自分は。

 幸いなことにドラコは成人していた。お金も私物も何も持たずとも、杖と知識はあるのだ。ドラコはちょっと離れて呪文を唱えた。

「オーキデウス」

 杖先から花を出したのは、何も妖精に対抗してのことではない。単純に花くらいしか思いつかなかったのだ。

 四苦八苦しながらそれらしくリボンで包装する。

「……ハリエット」

 いい加減妖精もハリエットの注意を引きすぎだ。もう頃合いだろうとドラコは気恥ずかしい思いと共に花束を差し出した。

「誕生日プレゼント――というほどのものじゃないけど」
「私に?」

 目を丸くしながらも、ハリエットは花束を受け取った。芳しい花の香りが鼻腔をくすぐる。ラッピングのリボンには試行錯誤の痕が見て取れるし、それに、花束は百合がメインのものだった。ハリエットは余計に嬉しくなる。

「ありがとう」

 そう微笑んだハリエットは、ドラコの目にはとても輝いて見えた――いや、本当にキラキラ光っていた。見間違いかと瞬きを繰り返せば、ようやくその現象の原因が判明する。ハリエットの注意を引きたかった妖精達が、今度は光る粉をお返ししていたのだ。

 ハリエットは思わず噴き出した。

「もういいのよ。あなた達の気持ちは充分受け取ったわ。ありがとう」

 それでも妖精達は花やらキラキラやらを止める様子はない。頭にも肩にも花が降りそそいだハリエットは、どこか花の国からやって来た妖精のようだ。おまけに、その手には百合のブーケと来た。

「……綺麗だ」
「そうね」

 思わずと呟いた言葉に返事が返ってきてドラコは焦ったが、自分がを指していたかには気づかれなかったようで、ドラコはホッとする。

 ――きっとこの先、ドラコが想いを告げることはないだろう。

 想いを告げることは、彼女の重荷になるはずだ。折角もう一度友達にと望んでくれた思いを裏切らないためにも、ドラコは今度こそ友達に徹しなければならない。

 今は、まるで花嫁のような出で立ちの彼女の隣に立っていられるだけで幸せだ。

 ハリエットが気づかないのを良いことに、ドラコはずっと彼女の横顔を盗み見ていた。


*****


 人目を忍ぶようにドラコがグレンジャー-ウィーズリー家にやって来るのは、何も珍しいことではない。それに、今回だっていつものように『来る』気配を感じていたのだから、子供達を早々に寝かしつけていたからこそ、余裕の表情を持ってドラコを迎え入れることができたのだ。

「約束もなしにすまない」
「別に気にしないわ。用件は分かってるもの」
「じゃあ本題から」

 ドラコはいつも性急だ。特にこの件に関しては。

「ジョージから聞いたのか?」
「果樹園のこと? ええ、二人がデートに行ったって小耳に挟んだものだから」

 何を、とは口にしなかったが、ハーマイオニーは話す前からドラコの話題を理解していた。言わずもがな、マルフォイ夫婦の番外編として出した最後の章についてだろう。

「いや、それだけじゃなくて。……会話の内容も」

 どこか恥じらうようにドラコは早口で口にする。ハーマイオニーは心から不思議そうに首を振る。

「いいえ? そこはさすがにドラコに後ろから呪いをかけられそうだからって言われて聞いてないわ。どうして?」
「…………」

 ドラコは非常に渋い顔で押し黙った。てっきりジョージから会話の内容を聞いていたからこそのあの内容だと思ったのだが、まさか、彼女は聞いてないと?

 一度ハーマイオニーの頭の中を覗いてみたいものだとドラコはしみじみそう思った。学年主席の魔法大臣ともなれば、その場にいなくども会話の内容を余すことなく再現できる能力でも持っているのか。

「だから……でも、前から言ってるが、ああいうのはほどほどにして欲しいと……」
「ああいうのって?」

 ハーマイオニーは悪びれる様子もなくにっこり笑う。

「だから――その、ハリエットと私が仲良くしてるような話を書くことだ……」
「あら、二人の話なんだから、そりゃ仲良くしてない話なんか書ける訳ないじゃない。でも安心して。あれで番外編は本当に終了よ。今のところは、もうあなた達のことは書くつもりはないの」
「本当だろうな? 今回の話は、特にシリウスが怒ってて――『わたしに隠れて二人はこんなことしていたのか!?』ってうるさいんだ……。そんなことないって言っても聞き入れてくれないし」

 そんな光景が容易に想像がつくのか、ハーマイオニーは声を上げて笑った。笑い事ではないとドラコは恨ましげに彼女を見た。

「『今更とやかく言うつもりはないが』って前置きしてくる割にはいろいろとやかく言ってくるんだが」
「シリウス、自分の時で誇張してるだけって理解してるはずなんだけどね」

 ドラコはため息をついた。妻の後見人とはうまくやれている方だが、ハーマイオニー執筆のマルフォイ夫婦の軌跡は特にシリウスの癇に触るらしく、家ではもはや禁書扱いになっている。にも関わらず、はた迷惑な知り合いの読者が――主にロンやフレッド、ジョージ辺りだ――その話題を上げ、シリウスがその中身を知ることになるのだからひどい話だ。彼らにも散々止めてくれと言っているが、面白いことに火をつける楽しみだけは止められないようで、シリウスが出版物の内容を知らずに済んだことなど今までに一度だってない。

「まあ、これでもう出版がないのなら……」

 遠い目で呟くドラコに、ハーマイオニーは、今まさしく結婚編なるものを出さないかと出版社から打診を受けている最中だとは告げないことに決めた。