三人寄ればなんとやら
ー押しつけ合う三人ー
クリスマス休暇も残すところあと数日。
カレンダーを見ながらハリエットはくーっと伸びをした。
思えば、休暇中はあっという間だった。ジェームズとリリーとしばらく会えなくなるので、正直ハリエットはあまり休暇が嬉しくはなかったのだが、シリウスが残ってくれたおかげで、休暇中は全然寂しくなかった。むしろ、雪合戦やチェスやボードゲームをしたり、その他シリウスがいろんな話をしてくれたりして、非常に楽しい日々を過ごした。もっともっとシリウスと話していたいくらいだ。
ただ、それはそれとして、やはり両親が帰ってきてくれるのは嬉しい。ハリエットは指折りその日を待ち望んでいた。
今日は早くに起きたので、のんびり身支度をしていると、やがて髪を整えたハーマイオニーがハリエットのそばにやって来てにこりと笑った。その手には、S・P・E・Wのバッジが輝いている。
「忘れ物よ」
「……ありがとう……」
あえて忘れていたの、なんて口が裂けても言えないと思いながら、ハリエットはバッジを胸に飾った。リリーのお下がりワンピースの胸ポケットに、「反吐」の文字が輝いている……。ハリエットは少し悲しくなった。
談話室に降りていくと、ちょうどハリーたちも起き出していたようだ。ぞろぞろと三人が連れ立って降りてくる。それを見てハーマイオニーが何かもの言いたげに胸をトントンする。ロンが首を傾げた。
「トーストでも詰まらせた?」
「失礼ね! バッジをお忘れだって言ってるの。S・P・E・W」
「ああ!」
ようやく合点がいったとロンは表情を明るくさせるが、すぐにまた顔を顰める。
「みんな帰宅中なんだから、僕たちがバッジをつけようがつけまいが関係ないじゃないか」
「大ありよ。日頃の心がけがそういうところに現れてくるんだから」
ハリーはそっと伸びをしてハーマイオニーの後ろのハリエットを見やる。情けない顔で胸元のバッジを弄っている妹を見て、根負けしたんだなあと事情を悟る。ついで、シリウスの方もちらっと見るが、彼もまたバッジはつけていない。それなのに、なぜ自分たちだけ強く言うんだろうとハリーは少し理不尽に思った。そしてそれはロンも同じようで。
ハリーと違うのは、口に出して不満をぶつけたことだ。
「でも、シリウスだってつけてないよ」
シリウスと、なぜかハーマイオニーまでもがギクリと肩を揺らす。
「シリウスは……いいのよ。たまたま今日忘れただけ、そうでしょう?」
「ああ……悪い。本当に忘れてた」
「いいのよ」
なぜかシリウスに至ってはすんなり会話が収束するハーマイオニー。これでロンが納得するわけがない。
「たまたま? 僕、シリウスがバッジつけてるとこなんて見たことないよ」
「ロンが見たことないだけよ」
「そんなことないって。ハリーもないよな?」
「うん」
ハリーを味方につけたロンは、しかしあんまりシリウスをいじめるのもよくないと思い、斜め上の助け船を出す。
「でも、気持ちは分かるよ。通常版ならともかく、あれは……。せめてもう少し格好いい奴にしてあげれば良かったのに」
「ごめんなさい……」
すっかり意気消沈してハリエットが頭を垂れた。ロンは、そのバッジを誰が作ったかお忘れのようだ。シリウスは慌てて言い訳した。
「いや、違うんだ。本当に……今日はつけるのを忘れてて」
「ううん。気にしないで。私も、つけてもらおうと思って渡してなくって。本当にお金がなくて、でもプレゼントはしたかったから、何か手作りの物をと思っただけで……」
気を遣ってハリエットが言い訳すればするほど、シリウスの罪悪感にチクチク刺さった。
「ちゃんと大事に取ってる。待ってろ!」
数段飛ばしで階段を駆け上ると、シリウスはあっという間に戻ってきた。もちろん胸元にはバッジ付きだ。
「ほら! 机の上にいつも置いてるんだ」
「あ、ありがとう……」
「四六時中机の上に置いてるよね」とロンは余計なことを言いたくて堪らなかったが、ここまで来ると、ようやくハーマイオニーがシリウスを追求しなかった訳が分かってきていたので、引き下がることにした。ハリエットが嬉しそうにしているので、あんまり意地悪を言うのも可哀想だ。
バッジの話はこれで収束し、一行は大広間へ向かった。ちょっとした騒動のせいで、朝食の時間に少し遅れてしまったようで、教授らの姿はもうなく、のんぼりお寝坊した生徒たちがちらほら食べている姿が散見された。もうすっかり恒例となり、テーブルは中央にたった一つきりだ。
ぽっかり空いた空間で食べていると、ドラコとスネイプがやって来た。規則正しい生活が好きそうな二人だが、珍しいこともあるものだ。
「おはよう」と挨拶すると、「ああ」とか「ふん」とか、返事とも言えないようなものが返ってきた。ハリーやシリウスの前だから、反応が返ってきただけでもマシな方かもしれないとハリエットは特に気にしなかったが、シリウスは違った。
「スリザリンは挨拶もろくにできないのか」
朝っぱらから随分な喧嘩腰だ。スネイプもジロリとシリウスを睨み、ドラコとて、クリスマスに口論したことはまだ記憶に新しく、不機嫌そうに見やる――と、そのグレーの瞳がみるみる険をなくし、まん丸になった。かと思えば、ぷっと噴き出し、小気味の良い笑い声を上げた。
ハリエットはポカンとした。ドラコが笑い声を上げるのは珍しい。――純粋に噴き出したような笑いは特に。
「随分可愛らしいバッジじゃないか! 君によく似合ってる!」
ドラコが指差す先――そこにはシリウスがいた。そして指差しているものは、紛うことなきS・P・E・Wのバッジ。その形は、ドラコが言う通り、可愛らしい「肉球」のバッジだった。
胸元に、まるで肉球がポムッと押されているような姿は、シリウスの格好良さを半減させていた。ドラコが笑うのも無理はない。
スネイプまでもが唇の端を歪めて嘲笑を浮かべたので――シリウスの目にはそうとしか見えなかった――威圧感たっぷりに睨み返した。
「何か文句でもあるのか?」
「いや、別に?」
余裕綽綽とドラコは椅子を引き、シリウスの目の前に腰を落ち着けた。どうやら、これを機にからかってやろうという魂胆らしい。
たとえシリウスの弱点が判明したとしても、一瞬たりとも同じテーブルについていたくないスネイプは奥の方の席へ向かって行く。
「へえ、肉球……ふうん?」
いやに生き生きしているドラコは、バッジとシリウスの顔とをジロジロ見比べた。
「何だよ」
シリウスはぐっと顎を突き上げてドラコを見返す。
バッジのことが嫌なわけではないが――まあ、可愛すぎて少し恥ずかしいというのはあったが――誰かにからかわれるのは気にくわなかった。
「肉球型がいいってねだったのか?」
「そんな訳ないだろう」
「気にくわないのか?」
「別に、そういう訳でもない……」
「じゃあ気に入ってるんだな」
ドラコが嬉しそうに笑う。ハリエットは口を挟まずにはいられなかった。
「そんなに言わないで……。私が勝手に肉球にしたのよ」
ハリエットたちは、ジェームズたちのアニメーガスは知らない体だ。だが、それでもシリウスのアニメーガスを彷彿とさせる肉球型にしてしまったのは、バッジを作るに当たって、彼のことを考えれば考えるほど、スナッフルのことが頭に浮かんで離れなかったのだ。
ジェームズやリーマスはすんなり決まった。ピーターも少し悩みはしたが、解決した。ただ、シリウスは……。バイクが好きだというので、バイク型も考えたのだが、形が複雑で諦めた。形が簡単で、シリウスを象徴するようなもの――ますます肉球しか思い浮かばなかったのだ。
しょげ返るハリエットを見て、このままではいけないとシリウスは奮起する。やられっぱなしというのは癪だし、何より、バッジのことを弄られれば弄られるほどハリエットが傷つくことになるのだ。黙っていられない。
「そういうお前は何だったんだ?」
好戦的な目でシリウスは攻勢に転じる。
「バッジ、もらったんだろう? ん? もしかしてもらってないのか? 自分一人だけ友達だと思い込んでるのか?」
「馬鹿にするな!」
「ドラコのは箒よ」
一人でカッカするドラコに代わってハリエットが答えた。
「本当はスニッチがいいかもと思ったんだけど――」
「どうしてスニッチ?」
何気ない様子で、しかし鋭くシリウスは尋ねた。ハリエットはあからさまに慌てる。
「あ――あの、ドラコはシーカーを目指してるの。ね? そうよね?」
助けて、と目で懇願すると、ドラコはおざなりに頷いた。シリウスは頬杖をついてニヤリと笑う。
「ふーん。上手いのか?」
「君よりは」
「俺が箒に乗ってるところ見たこともないくせに」
「想像がつく。四つ足で地面を駆ける方がまだ早そうだ」
「――っ!」
「ど、ドラコ!」
忘れた頃にやってくる肉球いじり。
ハリエットとしては、アニメーガスのことを知っている、ということがバレないかヒヤヒヤし通しだ。ただ、幸いなことに、シリウスはカッカと頭に血が上ってるだけで、深く思考できていないようだ。
「ほーう、じゃあ試してみるか? 俺とお前、どっちが早いか」
「遠慮しておく。僕はそんなに暇じゃない」
ハッとシリウスが鼻で笑う。そんな仕草も様になってはいたが、胸元のバッジにより威厳形無しだ。
「まあそうだよな。スリザリンにはもうシーカーがいる。しかも同級生。自信がないんだろう?」
ムッとしてドラコは額に皺を寄せる。
「誰がそんなことを言った? ついこの間だってもう少しでハッフルパフのシーカーにスニッチを取られるところだった……。僕の方がよっぽど早くスニッチを取れるね」
「吠えるだけなら何とでも言えるさ」
「遠吠えは君の方が得意そうだ」
ギロリとシリウスが睨むと共に立ち上がったのはハリエットだった。
二人の驚いた視線を受けながら、ハリエットはシリウスの胸元に手を伸ばし、バッジを外した。そして自分のバッジも外すと、彼の手に押しつけた。困惑したシリウスはされるがままだ。
「本当はバイクにしようと思ったんだけど、形が難しくて無理だったの。肉球にしたのは、私が犬が好きで、シリウスもそうだって聞いたから……。センスがなくてごめんね……」
肉球型のバッジはポケットに押し込み、ハリエットは苦笑いした。だが、二人が黙り込んだままなので、気まずくなってしまう。ハリーたちが席を立ったのを見て、好機とばかりハリエットも追随した。
「じゃあね、ドラコ。また昼食も一緒に食べられたらいいわね。シリウスも早く来てね。雪合戦ですって!」
あくまで笑顔で去って行くハリエットを見て、なおも固まったままのドラコとシリウス。ようやく我に返ったシリウスは、ダンッとテーブルを叩いた。
「お前のせいだぞ!」
「僕は何も悪くない!」
「謝って来いよ!」
「どうして僕が!」
「お前が傷つけた!」
「君をからかっただけだ! 別にあいつのことは何も言ってない」
「間接的に傷つけてた! バッジをいじるなよ!」
「いじったつもりは――」
ドラコは詰まって言葉を濁す。最初こそ確かに肉球をいじっていたが、それはシリウスのアニメーガスが犬だからこそだ。アニメーガスの秘密を知っている優越感と、大っぴらにそのことをからかえる大義名分を得て生き生きしていただけであって……傷つけるつもりは……。
黙り込んだドラコを見据え、シリウスは立ち上がった。そして彼の腕を掴んで無理矢理引っ張る。
「何するんだ!」
「謝りに行くんだよ」
「い、嫌だ! 僕は行かない!」
「我が儘言うな!」
「我が儘だと!?」
やんややんや騒ぎながらも、しかし二歳の体格差には敵わず、ドラコはズルズルと廊下まで引きずり出された。
しかし、中庭に近づくにつれ、顔を見ずとも想像できるハリエットの楽しそうな笑い声。何だか無性に馬鹿らしくなってきて、ドラコは強引に腕を引っ張った。
「ほら! 傷ついてなんかない!」
「無理して笑ってるんだよ。謝れよ」
「お前が慰めればいいじゃないか!」
「そんな柄じゃない!」
うだうだと大声でなすりつけ合いをしている様は非常に目立った。ロンなんて口をポッカリ開けて「シリウスとマルフォイが仲良くしてる……?」と少し誤解しているようだった。
揉めているようだと正しく状況を読んだハリーはそばに行こうとしたが、そんな彼を押し止めてハリエットは二人に駆け寄った。
「どうかしたの?」
「なんでもない」
ちょっと怒った様子のドラコと、気まずそうに視線を逸らすシリウス。ハリエットは雪に塗れた手をパッパと振った。
「ドラコも一緒に雪合戦しない?」
「しない」
「マルフォイが謝りたいそうだ」
「そんなことは言ってない!」
シリウスの腕を振り払い、ドラコは不機嫌そうに服装を正した。シリウスのせいであちこち皺だらけだ。たとえ借り物の服だとはいえ、だらしない服装は矜恃が許さない。もちろん反吐なんてバッジも。
ハリエットの気持ちを考慮し、百歩譲って捨てることはしない。だが、身につけることはこの先決してないだろう。傷つけたつもりはないので――そもそも本当に傷ついた様子はない――謝るつもりもない。ただ、まあこのままでは少しだけ、ほんの僅かだけだが、気が咎めるというのも煩わしいことに事実ではあり。
「ブラックがバッジを返してほしいと。君が思っている以上に気に入ってるそうだ!」
言い捨てると、ドラコはツカツカ歩いて行く。とんでもない置き土産に、シリウスは後を追うこともできず、気まずそうに首の後ろを掻く。
「いや……気に入ってるというか、まあ、せっかくもらったものだから」
たとえ嘘でも、ここで全力で「すごく気に入ってる!」と言えないのがシリウスだ。実際、スネイプに見られた時はとてつもなく恥ずかしかった。だが、バッジに罪はない。
「でも、シリウスには可愛すぎるわ」
ハリエットは自信なさそうに言う。
シリウスとしては、その事実は渡す前にぜひとも気づいてもらいたかったものだが、しかしもうプレゼントされた手前、やっぱり止めというのは、些か肩透かしを食らう気分なのだ。
「普通のよりはユニークでいいと思う」
やけっぱちな発言だが、それでもハリエットは嬉しそうに笑った。はい、とようやく肉球バッジがシリウスの手に戻ってくる。
「じゃあこれは返す」
それと共に、もう用済みになったスタンダードデザインのバッジがハリエットに戻される。
「あ……ええ、ありがとう……」
また「反吐」のバッジが返ってきた……。
ハリエットはまたも情けない顔でバッジを見つめる。内心、シリウスにあげてしまったという口実でバッジはつけなくてもいいんじゃないかと喜んでいたのだが、そうは問屋が卸さないようだ。
ハリエットもシリウスも、あんまり嬉しくない気分でS・P・E・Wバッジをつけると、互いに精一杯、嬉しいよという笑顔を貼り付けて、雪合戦に戻っていった。