■繋がる未来 小話

01:初恋時代


22.01.05
リクエスト

「り、リーマスが……?」

 ハリエットはぽかんと口を開け、皿の上にウィンナーを落とした。そのことにも気づかないまま、ハリエットはポポポッと頬を赤くさせて俯く。

 ハリーがその続きを引き継いだ。

「どうして急に家庭教師なんか? 魔法薬学や妖精の呪文はママが教えてくれるし、変身術はパパが……」
「ホグワーツにはまだまだ学ばないといけないことがたくさんあるんだ。先に知っておいて損はないよ」
「それに、パパの教え方はよく分からないって言ってたじゃない」

 無情にもリリーがそう告げる。ジェームズは笑顔のまま固まった。

「そうだけど……。じゃあ、リーマスは何を教えてくれるの?」
「闇の魔術に対する防衛術よ」

 途端にハリーは目をキラキラさせた。両親に似て正義感の強いハリーは、闇祓いに興味があった。シリウスがその職についていることも大きいが、何より正義のために働くことが格好良く見えたのだ。そしてその職に最も重要とされるのが闇の魔術に対する防衛術だ。ハリーは興奮して声が高くなった。

「杖は!? 実践を教えてくれるの? 魔法も?」
「杖は入学してからよ。リーマスが教えてくれるのは理論だけ」
「理論だけじゃつまんないよ。眠くなっちゃう」
「そこはリーマスの腕の見せ所よ」

 リリーは片目を瞑るが、ハリーは半信半疑だ。残念そうにオートミールをぐるぐるかき回す。

「い、いつから? いつからリーマスは来るの?」

 恐る恐るハリエットは尋ねた。動揺のあまり、口の端にケチャップをつけたままだ。リリーは微笑んで娘の口元をナプキンで拭いた。

「今日からよ」
「今日から!? どうしてもっと早く言ってくれなかったの!?」
「だって、急に決まったことだったんだもの」
「リーマスは何時に来るの? もう来るの?」
「午後からよ」
「リーマスじゃなくて先生だよ、ハリエット」

 ようやく現実に戻ってきたジェームズが改まったように言う。

「パパから正式にリーマスにお願いしたんだ。家庭教師としてリーマスが来る日は先生と呼ぶんだ」
「先生、せんせい……」

 口の中でもごもごとハリエットは繰り返す。頬は上気し、うっとり瞳を細め、声には幸せが詰まっていて。

 以前から薄々気づいてはいたが、今日でリリーは確信した。――どうやら、娘は父の友人リーマスに恋をしてしまったようだと。


*****


 昼食を終えると、ハリーとハリエットはそわそわしながらリーマスを待った。少し前からそれぞれの部屋を与えられているため、今日はハリーの部屋で教わる予定だ。

 ハリーがリビングでクィディッチの本を読んでいると、ハリエットが降りてきた。そしてハリーの隣に座る。肌触りの良い生地が膝を掠め、ハリーはちらりと横を見た。

「なんで着替えてるの?」
「……ソースをこぼしちゃったの」
「ふうん」

 それにしては、やけにハリエットはお洒落だ。まるでジェームズの試合の応援に行く日のような格好だ。洗濯中の服がそんなにあるのだろうかとハリーは疑問に思ったし、キッチンからリリーがニマニマ笑いながらこちらを眺めているのも気になった。

「なに?」
「いいえ、なんでもないわ」

 リリーは誤魔化したように咳払いをするが、笑いはかみ殺せていない。やがて観念したように娘を呼んだ。

「ハリエット」
「なあに?」
「それじゃ勉強中髪が邪魔でしょう? こっちへいらっしゃい。ママが髪の毛をまとめてあげるわ。可愛くね」
「いいの!?」

 途端にぴょんと立ち上がり、ハリエットはリリーの下へ飛んで来た。ますますリリーの笑みが深くなる。

「とびきり可愛くしてあげる」
「ありがとう!」

 勉強するのに可愛いも何もない。女の子の気持ちはやっぱり分からないと思いながら、ハリーはすぐにまた本に意識を戻した。

 しばらくすると、リーマスがやって来た。軽く灰を被っているので、ハリーは叩くのを手伝った。

「やあ、二人とも。今日からよろしくね」
「楽しみにしてたんだ。今日は何を教えてくれるの?」
「うーん、まずは身近な魔法生物からいこうか。ハリエットは動物が好きだろう?」
「ええ……」

 リリーの後ろからハリエットが顔を出し、やがてもじもじしながらやって来た。リーマスは目を細めてハリエットを上から下へ眺める。

「どうしたんだい? 今日はまた可愛い格好をしてるね」
「さっきソースをこぼしたんだって」

 ハリーに告げ口され、ハリエットはカーッと顔を赤くした。

「こぼしてないわ!」
「こぼしたって、さっき――」
「こぼしてないっ!」

 ハリエットは泣きそうになりながらハリーを睨んだ。だが、ハリーとて堪ったものではない。まるで、これじゃあ僕が嘘つきみたいじゃないか!

 これから家庭教師となるリーマスの前であらぬ疑いをかけられないため、ハリーが言い返そうとすると、間一髪、リリーが仲裁に入った。

「待って待って。リーマスが困ってるわ。今日あなたたちはお勉強をするのよ。喧嘩してる場合じゃないでしょう」

 ハリーは渋々リーマスに向き直った。だが、ハリエットは相も変わらず頬を膨らませたままだ。すっかり拗ねてしまったらしい。

「じゃあ、リーマス……悪いけど」

 リリーは心配そうにハリエットに目配せして言った。ハリーとハリエットが喧嘩をするのはよくあることだが、ハリエットの方が尾を引くのは珍しい。リーマスのことがあるから余計になのか。

「任せて。四時まででいいかな?」
「ええ、後でおやつを持っていくわ」
「楽しみにしてるよ」

 三人でハリーの部屋に入り、そうしてリーマスの初授業が始まった。リーマスの分かりやすくユーモアのある話し方に、ハリーは一気に引き込まれたようで、先ほどのいざこざなんてすっかり頭から吹き飛んだ様子でリーマスの話に聞き入った。だが、対するハリエットの方は、終始泣きそうな、拗ねたような顔をしていて、あまり授業にも身に入ってない様子だ。

「じゃあ、庭小人の特徴を挙げてみよう。今日の宿題にも関連してくるから丁寧にね」
「えーっ、宿題なんてあるの?」
「簡単なものだから大丈夫さ。分からなかったらジェームズに聞いても大丈夫だから」
「パパなら全部答え教えてくれそう」
「そこは私が釘を刺しておくから大丈夫さ」

 ちょっと唇を尖らせながら、それでも大人しくハリーは羽根ペンを走らせ始めた。ハリエットはとリーマスが覗き見るも、あまり授業を聞いていなかったので、手は止まったままだ。

 リーマスが声をかけようとした時、リリーがノックして部屋に入ってきた。お茶のおかわりを持ってきてくれたようだ。

「頑張ってる?」
「うん! リーマスの教え方が上手なんだ!」

 ハリーは得意げに羊皮紙を見せた。対して、ハリエットはますます萎縮して羊皮紙を隠した。白紙なのが恥ずかしいのだろう。

 リリーが出て行った後も、ハリエットはしょんぼりしたままだ。リーマスは徐に鞄の中に手を突っ込み、中から羽根ペンのようなものを取りだした。

 ちらちらと横からハリエットの視線は感じていた。大いに意識しつつも、リーマスは羽根ペンをパクリと口に含んだ。

「――っ!」

 目の端で、ポカンとハリエットが口を開けているのが分かった。リーマスは笑いをかみ殺しながら、羽根ペンを口の中で転がす。ハリーも異変に気づいたようだ。二人の視線が完全に己に注目したところで、リーマスはパキッと羽根ペンを割った。ハリエットはますます目を丸くし、そしてハリーもあんぐり口を開けた。あまりに可愛い反応に、リーマスはつい噴き出してしまった。

「な、なにそれ、リーマス!?」
「最近売り出されたんだ。ハニーデュークスの新商品だよ。砂糖羽根ペン」
「おいしいの?」
「ああ、おいしいよ」

 言いながら、リーマスはまた鞄に手を突っ込み、羽根ペンを二つ取り出した。仄かなピンク色と焦げ茶色だ。今度はちゃんとラッピングされている。先ほどは、どうやらサプライズで予めラッピングは外していたようだ。そのジェームズのような油断のない悪戯心にハリーは内心舌を巻く。

「君たちの分も持ってきたんだ。どっちがいい? イチゴとチョコだ」

 ハリーとハリエットはリーマスの手元を覗き込んだ。ハリーはお兄さんぶって妹を見た。

「ハリエットから選んでいいよ」
「……いいの?」
「どうぞ!」

 ハリエットははにかんで「これ!」とイチゴを選んだ。

「じゃあ僕はチョコだ!」

 二人とも嬉しそうにくるくる羽根ペンを手の中で回している。リーマスはおかしくなってまた笑いそうになるのを必死で堪えた。

 ハリエットはイチゴ味が、ハリーはチョコ味が好きだからわざわざこの二つを買ってきたのだが、まあ、幸運なことにこれで仲直りできたようだから、リーマスも余計なことは言わない。代わりに。

「ただ、これを食べるのは授業が終わってからだ。ハリー、預かるよ」
「……はーい」

 今まさに齧り付こうとしていたハリーは、大人しく砂糖羽根ペンを渡した。ハリエットからも受け取ったリーマスは、テーブルの上のペン立てに飾る。

 ハリーもハリエットも、目をキラキラさせながら羽根ペンを見つめていた。すっかり「餌」に食いついてくれたようで、リーマスも万々歳だ。

 それからは、ハリーはますます授業に前のめりになり、ハリエットも、集中力を取り戻し、積極的に質問してくれるようになった。そこにリーマスの話術とユーモアが加われば、もう怖いものなしだ。当初の予定だった四時を過ぎてもなお授業は続けられ、ハリーの部屋からは笑い声が絶えなかった。それはジェームズが帰ってきても変わらず、思わずジェームズを嫉妬させたくらいだ。

 ようやく授業が終わった後は、お暇しようとするリーマスをハリーとハリエットが一緒になって引き留めた。授業前に喧嘩していたことなどすっかり忘れてしまった様子で、リーマスの足下で息ピッタリに足止めする。

「僕、まだリーマスと話したい!」
「私も! 一緒にご飯食べて行ってほしいわ……」
「そうだよ! ご飯食べて行ってよ!」
「悪いけど、そういうわけにもいかないよ」

 今更一人分食事が増えるなんて、リリーに迷惑がかかる。リーマスは微笑んでやんわり断ろうとするが、リリーが苦笑して割って入る。

「私からもお願いよ。こんな時間まで二人の勉強を見てもらったんだから、ただで帰ってもらうわけにはいかないわ。リーマスの分も作ってるの。ぜひ」

 実は、五時を過ぎた辺りからリリーはその予定でリーマスの分の食事も作っていたのだ。子供たちは歓声を上げた。

「じゃあリーマスはここ座って! 僕たちの間だ!」
「椅子も持ってくるわ!」

 甲斐甲斐しくハリーがリーマスを案内し、ハリエットは椅子と、そしてクッションまで持ってきてリーマスに座らせた。

「次はいつ来てくれるの?」
「次は何の授業をするの?」

 食事の間、ハリーたちは交互にリーマスに質問ばかりした。おかげで、リーマスの食事は遅々として進まなかった。ハリーたちは良いだろう。もっぱら話すのはリーマスの方だし、質問だって、ハリーとハリエット、交互でするのだから、自分たちはきちんと食べることができている。

 いい加減リーマスを質問攻めにするのは止めて、というリリーの一言で、ようやく質問が止んだくらいだ。

 リーマスが帰った後も、ハリーたちは興奮冷めやらぬ様子でいかにリーマスの授業が素晴らしかったかを両親に報告した。

 ハリーは高い声で今日の授業の流れを説明し、ハリエットは身振り手振りリーマスの授業の面白さを表現しようとした。ジェームズは悔しさのあまり前が見えなかった。眼鏡を取り、目頭を押さえる。

 ――一年ほど前から子供たちに勉強を教えてはいたが、未だかつて、これほどまでに興奮してもらったことなどあるだろうか? 分かりやすい授業だったと、面白い授業だったと褒めてもらったことなどあるだろうか?

 ようやく二人が落ち着いたのは「宿題をしなきゃ!」とハリーが言い出してからだ。ハリーとハリエットは、どちらが早く宿題を終わらせるかで競走を始めたようで、あっという間にリビングから姿を消した。

 まるで嵐のような子供たちに、思わずリリーも苦笑する。

「やっぱりリーマスに先生をしてもらって大成功だったわね」
「成功は成功だけど……」

 ジェームズは不満そうに頬杖を突いている。リリーは笑った。

「子供たちを盗られたみたいで悔しい?」
「そりゃあ……!」

 ジェームズの声は尻すぼみに小さくなっていく。負けを認めるようで、それ以上は言いたくないらしい。

「でも、ハリーは言わなくていい一言を口にしないように、もしくは、周りをよく見ることを覚えなくちゃ」
「何かあったのかい?」
「リーマスの前で余計な一言を言っちゃったのよ。おかげでハリエットが拗ねちゃって」
「何を言ったの?」
「ハリエットが今日可愛い格好をしてるのは、服にソースをこぼしたからだって」

 その言葉の何がいけないのか、ジェームズは目を瞬かせた。

「リーマスにそんなことを知られたくらいで? ハリエットは気にしすぎだなあ」
「気にするに決まってるわ。好きな人なんだもの」
「……へ?」

 ジェームズは固まり、聞き返した。

「す、好きな人……?」
「ええ」
「誰が?」
「ハリエットが」
「誰を?」
「リーマスを」
まさかっ!

 思わずジェームズは立ち上がった。だが、すぐにはははと空笑いを浮かべる。

「そうだ……あれだろう? ただ尊敬してるって……慕ってるってだけだろう?」
「違うわ。初恋の話よ」
「…………」

 へなへなと、今度は力なく椅子に座り込んだ。大分ショックを受けたようだ。それから彼が話し始めたのは、しばらく経ってからだった。

「ついこの間……」
「なに?」

 何やらジェームズがボソボソ言っている。リリーは耳をそばだてた。

「ついこの間、ハリエットの初恋は私だってシリウスに自慢したところなのに……」
「何を根拠にそんなこと言ったの?」
「だって! パパのこと好きかって聞いたら、大好きだって!」
「そりゃあ、そんな風に聞かれたら好きって言うに決まってるでしょう」
「シリウスにもそう言われた……」

 ジェームズは歯噛みした。

「……リーマスをクビにしちゃ駄目?」
「駄目」

 リリーに無碍なく却下され、ジェームズはがっくり肩を落とした。