■賢者の石

01:幸福な一日


 プリベット通り四番地、階段下の物置内、小さな小さな部屋に、二人の子供が縮こまるようにして眠っていた。その寝顔はあどけなく、まだ十歳かそこらだろう。だが、年の割に身体は小さく、身につけている衣服はボロボロだ。明らかに誰かのお下がりにしか見えないそれは、ただでさえ小柄な二人の何倍もの大きさで、酷くちぐはぐだった。

 二人の子供のうち、わずかに身体が大きい方が双子の兄の方だ。クシャクシャな黒髪で、丸い眼鏡をかけている。ただ、気の毒なことに、眼鏡はあちこちをセロハンテープで補修してあり、今にも壊れそうな代物だ。ヒビの入った眼鏡の奥には、明るい緑色の瞳があった。もう一人の子供曰く、まるで宝石みたいとしょっちゅう褒められるので、少年は結構気に入っていた。だが、それ以上に気に入っているのは、額にある稲妻形の傷。少年の伯母曰く、彼の両親が自動車事故で死んだときの傷らしい。もっと聞きたかったが、それ以上の質問は許されなかった。

 もう一方の小柄な方は、夕日のような優しい赤毛の少女で、彼女は少年の双子の妹だった。背中ほどまで伸びきった髪は真っ直ぐで、整えたらさぞ綺麗だろうに、今はろくに手入れもされず、ボサボサで絡まっている。瞳はハシバミ色で、少年と違って眼鏡も額の傷もない。少年と同じく誰かのお下がりの服は、女の子が着ることでさらに不格好になっていた。可哀想に、伸びきった襟口のせいで、普通にしていると肩と鎖骨が丸見えになってしまうので、せめてもの抵抗に、肩の部分をゴムでくくり、左肩でちょこんと髷を作っていた。少年が可愛いアイデンティティだよと精一杯慰めても、少女は落ち込むだけだった。

 二人の穏やかな睡眠は、けたたましい叫び声によって中断された。

「さあ、早く起きなさい!」

 最初に目覚めたのは兄のハリーの方だ。ハリーは急いで少女の肩を揺する。

「ハリエット、起きて。朝だよ」
「ううん……」

 ハリエットはうめき声を漏らした。

「もう?」
「おはよう。おばさんが怒ってる。急ごう」
「何ちんたらしてるんだい?」

 二人の伯母ペチュニア・ダーズリーは、苛立たしげに声を高くする。

「すぐ行くよ」

 ハリーが返事をした。

「さっさと朝食の支度をするんだよ! ベーコンを焦がしたら承知しないからね。今日はダドリーちゃんのお誕生日なんだから」

 指示を終えたペチュニアは、こんなことしていられないとさっさとその場を後にした。ハリーはうめきながら、妹を振り返る。ハリエットは、目を擦りながら身を起こしていた。

「今日はダドリーの誕生日……?」
「そうだよ。最悪なことにね」

 ハリーは悪態をつきながら、ベッドの下で見つけた靴下を履いた。その際、片方の靴下に張り付いていた蜘蛛を引きはがして追っ払ったのだが、生憎その蜘蛛はハリエットの方に逃げ出したようで、彼女は小さく悲鳴を上げた。

「やだ! こっちに投げないで!」
「ごめん……。もう慣れたと思った」
「慣れるわけないわ。ここ虫がたくさんいて最悪……」
「動物は好きじゃないか」
「虫と動物は全然違うの」

 ハリーはハリエットの足下から蜘蛛を摘まみ、向こうへと放り投げた。どうせいずれあの蜘蛛はまた二人のベッドに忍び寄るのだろう。この小さな物置部屋に逃げ場などないので、その場しのぎの抵抗にしかならなかった。

 支度を終えると、二人は廊下に出てキッチンに向かった。テーブルはダドリーの誕生日のプレゼントの山に埋もれていた。その山からこぼれたプレゼントが椅子までをも支配している。

 ハリーが新聞を取りに、ハリエットがベーコンを焼いているうちに、ペチュニアの夫バーノン・ダーズリーが起きてきた。その少し後には、ペチュニアに連れられて彼女の息子のダドリーもやって来る。ダドリーはバーノンそっくりのでっぷりとした大柄な少年で、彼のお下がりの服が、ハリー達物置部屋の子供に与えられていることを語らずとも物語っている。ペチュニアはダドリーのことをよく天使のようだわ、と言ったが、ハリーはいつも豚がかつらをつけたみたいだとハリエットに面白おかしく話していた。

 ダドリー達親子は、しばらくプレゼントの個数についてもめていた。ハリーはその光景をくだらないと思っていたが、ハリエットはそうでもなく、羨ましそうにチラチラとプレゼントの方を見ていた。その視線に気づき、ダドリーはニヤニヤとハリエットを見る。その顔はひどく得意げで、ハリーは思わず殴りたくなったが、ハリエットは恥ずかしそうに下を向いた。

 今日のダーズリー家は、家族そろって動物園に行く予定だった。もちろん、その中にハリーとハリエットは含まれていない。毎年ダドリーの誕生日になると、二人は二筋向こうに住んでいる変わり者のフィッグの家に預けられていた。ハリーはそこが大嫌いだったが、ハリエットはそうでもなかった。家中から匂い立つキャベツの臭いはハリー同様嫌いだったが、フィッグがいつも見せてくる、今まで飼った歴代の猫の写真は、皆どれも可愛くて好きだったからだ。時々飼っている猫を触らせてもらえることもあって、そんなとき、ハリエットはいつも幸せそうだった。

 とはいえ、自分たちも動物園に行けるとなると、話は別だ。やがて鳴り出した電話をとったペチュニア曰く、フィッグが脚の骨を折り、ハリー達を預かれないというのだ。いろいろ話し合った結果、ハリーとハリエットは、なんと動物園に行けることになった。ダドリーは最後まで駄々をこねて二人がついてくるのに反対したが、共に行くダドリーの子分、ピアーズ・ポルキスが母親に連れられてやってきたので、渋々承諾することになった。


*****


 動物園では、不思議なことが起こった。爬虫類館のガラスケースの中にいた蛇と、ハリーは会話をすることができたのだ。起き上がったヘビ見たさに、ダドリーはハリーを押しのけ、転ばせた。その時のことは、ハリーはあまり覚えていなかった。ダドリーとピアーズが大きな叫び声を上げたと思ったら、いつの間にかヘビのケースのガラスが消えていたのだ。まるで、始めからそこにガラスがなかったかのように。

 バーノンは、この事件をハリーのせいだと思ったらしい。ピアーズを無事家まで送り届けた後、ハリーに対し怒鳴りつけた。

「一週間食事抜きだ! もちろんハリエット、お前もだ!」
「そんな! ハリエットは何もしてないよ!」
「ほーう、自白するのか? やっぱりお前がやったんだな!」
「僕はやってない! 勝手にガラスが消えたんだ!」
「いいか……ガラスは、勝手に、消えない!」

 一言一句強調し、バーノンは怖い顔で言った。そして二人を物置部屋に閉じ込めると、ドシドシ足音を踏みならしながらリビングへ行った。

 ハリーとハリエット、二人は揃ってため息をつき、ベッドに横になった。一人分だとしても小さいベッドは、小柄な少年少女二人が並べばはみ出すほどだ。それでも、長年の慣れから器用にベッドから落っこちず二人は向かい合う。

「一体どういうことかしら。勝手にガラスが消えるなんて」
「僕じゃないよ。勝手に消えたんだ」
「分かってるわ」

 ハリエットは宥めるように笑った。

「でも、ハリーに怪我がなくて良かった。ヘビに噛まれても、おじさんはきっと病院に連れて行ってくれないもの」
「あの子はそんなことしないよ」

 何故だか確信を持った言い方に、ハリエットは首を傾げた。

「あの子って、ヘビのこと? どうしてそんなこと言えるの?」
「僕、あの子と話したんだ。僕、ヘビと話ができるんだ!」
「すごい!」

 ハリエットは目をキラキラさせた。

「本当? それ本当なの? 私もハリーが話してるところ見たかったわ。ねえ、じゃあ、ハリーが話せるのなら、私も話せるのかしら?」
「どうだろう。でも、僕たち双子なんだから、僕ができるんなら、ハリエットもきっとできるよ!」
「おしゃべりできたら、きっと毎日が楽しくなるわ!」

 ハリエットは両手を組み、夢見心地な様子になる。

「もしかして、猫は? 猫ともおしゃべりできる? ほら、フィッグおばさんのところの猫は?」
「ええ? 僕あの人嫌いだよ。猫もなんか変な顔してるし」
「ねえ、今度話しかけてみてよ。コツを教えて? 私も喋ってみたいわ」
「コツなんてないよ。普通に話しかけたら、向こうも応えてくれたんだ」
「素敵……」

 ハリエットはなおもうっとりと天井を見上げる。

「今日は素敵な一日だったわね。動物は皆可愛かったし、レモン・アイスも、パフェも食べたわ」
「正確に言えば、レモン・アイスは二人で一つだったし、パフェなんか、ダドリーの残り物だけどね」
「いいじゃない。本当においしかった。毎日がこんなだったらいいのに」
「ごめんね」

 唐突にハリーが謝った。

「何が?」
「僕のせいで、ハリエットまで食事抜きになっちゃって」
「ガラスが消えたのはハリーのせいじゃないでしょ?」
「僕がやったとは思えないけど……でも、ヘビとも話せるなら、僕がやったのかもしれない」
「……そうだとしても、私はハリーを恨まないわ。ハリーができるのなら、私だってできるってさっき言ってくれたでしょ? ハリーがやらなかったら、私がガラスを消してたかも――」
「うるさいぞ! 食事抜きの意味が分からんのか!」

 ダンダンと扉が叩かれ、双子は揃ってビクつく。そうして足音が去って行くと、顔を見合わせて笑った。

「もう寝ましょうか」
「うん。おやすみ、ハリエット」
「おやすみなさい、ハリー」

 軽く手を握って、二人は目を閉じる。自分たちが不遇な境遇にいるとも分からず、今日を幸福な一日と思って、眠りについた。