■賢者の石

10:魔法使いの決闘


 飛行訓練の後、ハーマイオニーと急いでマクゴナガルの所へ向かったハリエットだが、途中でばったりハリーと遭遇した。二人してあわあわとハリーに質問攻めをしたが、二人の心境もいざ知らず、彼はケロッとしていた。余裕ぶった態度でまあまあと二人をなだめすかし、ハリーは大広間まで歩いた。広間には案の定ロンがいて、三人に囲まれるようにしてハリーが座った。

「なんとね」

 目が曇ってでもない限り、ハリーは嬉しそうに見えた。

「僕、クィディッチのシーカーに選ばれたんだ」
「何だって?」

 ロンは今まさに食べようとしていたステーキをポロリと落とした。

「だけど、一年生はクィディッチは絶対駄目だって……。なら、君は最年少の寮代表選手だよ。ここ何年来かな」
「百年ぶりだって。ウッドがそう言ってた。それにハリエット。僕らの父さんもクィディッチをやってたんだって。すごい選手だったんだって」
「そうなの!?」

 ハリエットとロンの声が被った。

「なら、君の才能は父親譲りだ。すごいや」
「おめでとう、ハリー」

 温かく二人は褒め称えたが、ハーマイオニーだけは硬い表情だった。

「でも、あんまり感心しないわ。先生の言いつけを破ったんだもの」
「じゃあ君は、ネビルが悲しむことになっても良かったって言うのかい?」
「それとこれは別よ。ハリーはハリエットがどれだけ心配してたのかを知らないんだわ。それなのに嬉しそうにして」
「は、ハーマイオニー」

 ハリエットはわたわたとハーマイオニーとハリーとを見比べた。複雑な気分だった。ハリーを心配していた気持ちはあったが、でもハリーがシーカーに選ばれたのはすごく嬉しい。ハーマイオニーがこんな風に言ってくれたことは嬉しいが、でもこれを機にハリーとハーマイオニーの仲が悪くなるのも嫌だ。

 ハリエットが焦っていると、先に折れたのはハリーの方だった。

「……ごめん。嬉しかったから、ハリエットの気持ちも考えずに」
「そ、そんなことない! 私も嬉しかったもの」

 むしろ、ハリエットは怒ってなんかいなかった。ハリーの気持ちもハーマイオニーの気持ちも嬉しかった。

 双子が顔を見合わせて笑うと、ウィーズリー家の双子がやってきて新しいグリフィンドールのシーカーを歓迎し始めた。

 ハリエットは、小声でハーマイオニーに話しかけた。

「ハーマイオニー」
「何?」
「ありがとう」

 目を細めてそう言うと、ハーマイオニーは頬を朱に染め、こっくり頷いた。

 ハリーが皆に囲まれ賞賛されていると、尊大な態度でドラコがやってきた。

「ポッター、最後の食事かい? いつ帰るんだ?」
「地上ではやけに元気だね。小さなお友達もいるしね」

 ハリーは口元を緩めながら言った。小粋なジョークにロンはハリーの隣ではやし立てる。

「調子に乗るな。退学の前に君はやることがあるんじゃないか? 置き土産に可愛い妹の箒の練習でもしてやったらどうだ。せめて十メートルは飛べるようにしてやれ」
「何だって!」

 事情を知らないハリーの代わりに、ロンが席を立った。背の高いロンはドラコを見下ろした。

「やるのか?」
「ああ、やるさ!」
「ふん、僕一人でだっていつでも相手になろうじゃないか。ご所望なら今夜だって良い。魔法使いの決闘だ。――どうした、魔法使いの決闘なんて聞いたこともないのか?」
「もちろんあるに決まってる。僕が介添人をする。お前のは誰だ?」
「クラッブだ。真夜中で良いな? トロフィー室にしよう。いつも鍵が開いてるんでね」

 ドラコがいなくなると、ハリーは慌てて介添人について訊ねた。

「介添人っていうのは、君が死んだら代わりに僕が戦うってこと」

 ハリーとハリエットは揃って顔色を悪くしたが、ロンは慌てて、死ぬのは本格的な決闘の場合だけだと付け加えた。

 二人の会話を聞いていたハーマイオニーが、決闘なんて駄目だと鼻息荒く反対した。どうして首を突っ込んでくるんだとロンは肩をすくめる。

「君も聞いてただろ? 友達が馬鹿にされたんだ。黙ってちゃ男じゃないよ。それに、あいつにはいつかぎゃふんと言わせたいと――」
「ちょっと待って。そう言えば、さっきマルフォイが言ってたこと、どういうこと? ハリエットの箒がどうのってやつ」

 ハリーが話を蒸し返し、ハーマイオニーの注意はうやむやになった。


*****


 十一時半になると、ハリーとロンの二人は談話室に降り立った。もちろんドラコの言う『決闘』をしに行くためだ。談話室にはハリエットとハーマイオニーがいた。二人はちょっとした口論をしていたが、ハリー達が降りてくるのを見ると、一緒に立ち上がった。

「私も行くわ」

 ハリエットの宣言に、ハリーは目を丸くした。

「危ないよ。ハリエットはここで待ってて」
「そんなわけにいかないわ。私のせいでこうなったんだもの」
「まさかあなた達がこんなことをするなんて」

 ハーマイオニーは呆れたようにため息をついた。

「ハリエット、あなたも」

 失望したような声に、ハリエットはズキンと胸が痛むのを感じた。だが、先の宣言を撤回することはしなかった。ハリエットにもプライドがあった。

 ハーマイオニーは、肖像画の穴までついてきた。完全に穴から出ると、もう一度三人に忠告した。が、それでも三人の意志は変わらないようなので、ハーマイオニーは寝室に戻ることにした。だが、タイミングの悪いことに、太った婦人はお出かけをしてしまって、ハーマイオニーはグリフィンドール塔から閉め出されてしまったのだ。ハーマイオニーは、ブツブツ小言を言いながらも、三人についていくことになった。

 結局、トロフィー室へ向かうまでの道中、寝室を出たときはハリーとロンの二人だけだったのが、いつの間にか四人になり、そして五人という大所帯になった。最後の一人はネビルだ。医務室から帰ってきたところ、合言葉を忘れて塔の中に入れなかったらしい。どちらにせよ、太った婦人が戻ってくるまでは彼も寝室に戻れないので、ネビルを加えてトロフィー室に行くことになった。二人だけでスマートに決闘することを想像していたロンは不機嫌だった。

 トロフィー室には、まだ誰もいなかった。皆がキョロキョロ物珍しそうに部屋の中を見渡す。

 なかなか現れないドラコに、違和感を覚え始めたとき、どこからかフィルチの声がした。明らかにトロフィー室に近づいていた。

 ハリーの指示で、一行は静かに反対側のドアへと進んだ。回廊まで進むと、おっちょこちょいのネビルが躓き転んで、側にあった鎧を蹴散らしてしまった。当然ながらフィルチはそれに気づき、追ってきた。皆は一斉に回廊を走り出す。

 闇雲に走る中、そのことに気づいたのはハリーだった。

「ハリエットはどこ?」

 後ろを見ても、妹の姿はない。サーッと血の気がなくなっていくのを感じた。

「いつから見てない?」
「分からない……」

 皆走るので精一杯で、誰か一人が欠けていることに全く気づかなかったのだ。

 一方で、当のハリエットは、未だトロフィー室周辺をウロウロしていた。なぜかというと――単純に出遅れたのだ。

 まだハリー達がちゃんとトロフィー室にいた頃、ハリエットは一人物珍しげに部屋の中をウロウロしていた。そして、月明かりに浮かび上がったジェームズ・ポッターの名が刻まれたトロフィーを見つけたのだ。初めてそれを見たとき、ハリエットは声を失った。ハリーが言っていたことは本当だったんだと胸が熱くなった。そのトロフィーは、クィディッチでグリフィンドールが優勝したときのものだった。

 トロフィーに注意を奪われていたハリエットは、フィルチの声も、ハリー達が移動する音も聞こえなかった。我に返ったときには、フィルチがトロフィー室に入ってきていた。あわや見つかりそうになったその瞬間、誰かが何かにぶつかったような音が響き渡り、フィルチが急いで部屋を出て行ったのだ。

 ハリエットは途方に暮れていた。心境としては、ベッドに倒れ込み、泥のように眠りたい気分で一杯だったが、一人でグリフィンドール塔に戻るには、かなりの勇気がいった。ただでさえ夜のホグワーツは暗いのに、おまけにここは本物のゴーストもいる。物理的に恐い階段だってあるし、罰則的に恐いフィルチもいる。

 だが、いつまでも怯えているわけにはいかない。

 一つ大きく決心をし、ハリエットはトロフィー室の外に出た。

 そろり、そろりと足音を忍ばせて回廊を歩く。いくつもの扉が立ち並ぶ箇所に来たとき、近くの扉がギイッと唐突に開いた。ハリエットは叫び声を上げる。

「きゃああっ!」
「うわああっ!」

 声の主は少年だった。腰を抜かしたようで、その場に尻餅をつく。

「な、なっ、なん、お前――」
「ま、マルフォイ?」

 扉から出てきたのは、ドラコだった。一応制服は着ているが、前髪は下ろし、いつもより少しラフな格好だった。

「脅かさないでよ。フィルチさんかと思ったわ」
「なんでここにいるんだ」

 正体が分かればこっちのものだと、ドラコはすくっと立ち上がり、いつもの尊大な態度に戻った。

「フィルチに見つかったはずじゃ――」
「皆は逃げたけど、私だけ逃げ遅れたの。何とか見つからずには済んだけど……」
「はっ、鈍くさいな」

 ドラコは盛大に笑い飛ばした。だが、その頬は若干引きつっている。

 実はこのドラコ、決闘するつもりなど毛頭なかった。フィルチに告げ口をし、そして彼に見つかったハリー達が、揃って減点される様を、鍵をかけた隣室で高みの見物をする算段だったのだ。だが、運良くハリー達は逃げだし、ハリエットとは遭遇する始末。完璧に思えた自分の計画がうまくいかなかったことに、ドラコはイライラした。

「じゃあポッターは今頃逃げ回ってるってことだな? なら、今日の決闘は無しだ。もちろん僕の勝ちってことだね。明日が楽しみだ。グリフィンドールから何点引かれてるだろうね?」

 ドラコは埃を払いながら立ち上がった。そうと決まれば、こんな所に長々といる意味はない。

 ハリエットも帰ろうとして立ち上がったが、ふと耳が何かを聞き取った。

「ねえ……何か聞こえなかった?」
「おい、脅かすつもりか――」
「ニャア」

 猫が、鳴いた。いつもなら喜んで猫を探すハリエットだが、今一番聞きたくない鳴き声だった。

「ミセス・ノリスだ!」
「まだここにいたんだわ!」

 フィルチはハリー達を探し、ミセス・ノリスは未だ残っていたハリエットの匂いを嗅ぎ当てたのだ。

「にっ、逃げ――」

 ハリエットが言い終える前に、ドラコは一目散に逃げていた。何だか裏切られたような気分だったが、そんなことを悠長に考えている暇など無く、ハリエットも彼の後を追った。

 次から次へと廊下を駆け抜け、今どこなのか、どこへ向かっているのか、全く分からない状態でただひた走る。

「ハリエットちゃんじゃないか〜奇遇だね?」

 角を曲がったところで、最悪なことに、ピーブズと遭遇した。ピーブズはお気に入りのハリエットとばったり出くわしたことが嬉しいらしく、彼女の脚を掴んで足止めをする。ハリエットはもちろんすっころんだ。

「兄妹揃って悪い子だねえ……。夜中に抜け出すなんて!」
「ピーブズ、お願い、見逃して! でないと私たち退学に――」
「お兄ちゃんと同じこと言うんだねえ。チッチ、悪い子はお仕置きだぞ〜。生徒がベッドから抜けだした! 二階にいるぞ!」

 後半部分は、明らかにフィルチに向かって叫んでいた。ハリエットはますます真っ青になる。

 我先に逃げだそうと、ドラコの足はズリズリと後ずさる。ハリエットは咄嗟に叫んだ。

「マルフォイ、マルフォイ……!」

 助けて、と言外に込めたつもりだった。ここまで一緒に来たのだから見捨てるなんて、そんな酷いこと一体誰ができるだろう!

「馬鹿……っ!」

 一瞬躊躇ったものの、ドラコは慌ててハリエットの所に戻ってきた。

「嫌がらせのつもりか! 馬鹿でかい声で僕の名を呼ぶな!」

 見捨てることなど簡単だが、このまま自分の名前を叫ばれ続けたら、抜けだしたことがバレてしまう。

 なんて奴だと思いながら、ドラコはハリエットを助け起こした。乱暴に腕を掴み、ピーブズから救い出す。

「生徒が〜生徒が二人〜」

 歌うようにからかってくるピーブズを無視し、二人は再びかけ出した。だが、いい加減体力が限界だった。何度か角を曲がった後、目についた部屋に逃げ込んだ。扉を背に、二人はズルズルと座り込む。自分の呼吸すら勘づかれるのではないかと、ハリエットは両手で口を押さえ、必死に呼吸を静めた。

 ――一体何分経っただろうか。

 ハリエットはようやく僅かに身じろぎをした。

「もう、さすがに行ったわよね」
「そりゃあね」

 皮肉げにドラコは唇を歪めた。

「まだこんな所にいたら、きっと校内を一周してきた所なんだろうさ」
「どうする?」

 ドラコの皮肉は無視してハリエットは続けた。

「もう戻る?」
「戻る? まだフィルチがウロウロしてるかもしれないのに?」
「だって、それじゃ……」

 もごもごとハリエットは口ごもった。

「ここで夜を明かすってこと?」
「その方が安全だろう。夜にうろつくよりは、朝を待って、生徒たちに紛れて戻った方が確実だ」
「だって……だって」
「行きたいなら行けばいいだろう。僕だって君と仲良く夜を明かすなんてごめんだね。さあどうぞ」

 馬鹿にしたように肩をすくめ、ドラコは後ろのドアを指さした。ハリエットはしばらくドアを見つめていたが……やがて前を向いて座り直した。

「何だ? 偉そうにしておきながら、結局外に行く勇気がないのか」
「マルフォイに言われたくないわ」

 ピシャリと言ってのけ、ハリエットは立てた膝に顎を乗せた。ひどく疲れた。ハリー達は大丈夫かとぼんやり思う。

 ハリエットとドラコの間に、会話はほとんどなかった。それはそうだ。疲れていたし、それに世間話をする間柄でもない。目を瞑っていれば自然に眠気が襲ってきた。

 そして何時間も経過し、朝が来た。ハリエットは座ったまま熟睡していた。

「邪魔だ、早く起きろ」

 ドラコにゆさゆさと肩を揺すられ、ハリエットはぼんやり目を開けた。

「呑気なものだな。遅刻したいのか」

 ハリエットは、寝ぼけ眼で立ち上がった。ドラコはさっさとドアを開けた。そして振り返りもせずスリザリン寮へと向かっていく。一応一夜を共に過ごした同士だというのにつれない少年である。

 ハリエットは、欠伸を堪えながら、大広間に向かった。寮に戻りたい気分もあったが、そんなことをしていると、朝食が抜きになってしまう恐れがあった。

 広間では、すぐにハリー達に囲まれた。今まで矢継ぎ早にどこにいたんだと聞かれたが、ドラコのことはもちろん言えなかった。彼と一緒に夜を明かしたと伝えた後のハリーを想像したら、恐ろしくて口が裂けても言えなかったのだ。空き教室で夜を明かしたと端的に伝えれば、代わりに、興奮したハリー達に、四階の禁じられた廊下のことを聞かされた。ダンブルドアが危険だから近づくなと言われた廊下には鍵のかかった扉があり、その先では三つの頭を持つ犬が怪しい仕掛け扉を守っていたのだという。