■不死鳥の騎士団
20:尾行デート
ハリエットは、まず透明マントを男子寮から強奪してこねばならなかった。ハリーが談話室から出たのを確認してから、『ハリーから借りるものがあったの!』という呈で男子の寝室にお邪魔させてもらった。ハリーがマントを置きそうな場所は何となく分かっていたので、マントはすぐに見つかった。
そして慌てて学校を出て、ハリーとジニーの後を追う。二人の姿はすぐに見つかった。マントを被り、ハリエットは尾行を開始した。
ハリーとジニーは、適度に間隔を開け、ボソボソと会話しているようだった。さすがに内容までは聞こえない。時折覗くジニーの耳はいつも真っ赤に染まっていて、それを見ていると、罪悪感が次から次へとハリエットの胸に押し寄せてきた。
一体何をやっているんだろう。折角兄と友達の妹が仲良くデートしてるというのに、それを茶化すように後をつけたりして。
開始十分も経たずにして、ハリエットはこの行為を止めたくて堪らなかった。
それに、透明マントを被りながら、ホグワーツの生徒でごった返しているハイストリートを歩くというのはなかなか骨が折れた。せめて裏通りを歩いてくれればいいものを、とは思うものの、しかし普通に考えてデートでそんなところを歩いても楽しいわけがない。
ハリエットはいつしか、ハリー、ジニーの二人組よりも、自分の目の前に注意して歩く方に注意が向かっていた。
パーバティやラベンダー、フレッドやジョージ、ネビルとディーン、トーマスなど、懐かしい顔ぶれも見つけた。そうやって注意が逸れているときに、彼は現れた。
「おや? グリフィンドールの現シーカーと元シーカーがこんな所で何してるんだ?」
嫌みったらしい口調は間違いなくドラコだった。顔を見なくても分かる。
ハリーとジニーが足止めされていた。ハリーは嫌そうに顔を顰めている。
「見たところ後輩の指導……というわけでもなさそうだが」
ドラコはグレーの瞳を細めた。
「ポッターに教えることができるのは、せいぜいマグル方式の喧嘩くらいじゃないか?」
「――っ」
咄嗟に杖を取り出したのは、ハリエットの方だった。シレンシオの呪文を放てば、見事にドラコの顔にぶち当たった。ドラコは口にチャックをされたかのように、それ以上何も言えなくなった。
何か言いたそうに睨み付けるドラコに、ハリー達は違和感を抱いたようだが、これ以上邪魔されたくないと歩き始めた。ドラコはなおも注意を引こうとハリーの肩に手を伸ばしたが、すかさずハリエットが妨害の呪文を飛ばしたのでそれは適わない。
ドラコは怒りの籠もった顔つきで振り返った。マント越しではあるが、一瞬確実に目が合い、ハリエットはひやりとする。
大丈夫、私は今マントを被っているのよ。だから、絶対に大丈夫――。
そう思いながらも、冷や汗の流れる身体に待ったはかけられなかった。今すぐにでも逃げ出したいと、路地裏へ後ずさりしたハリエットの足は、小さな石に躓いた。マントを翻し、悲鳴もプラスし、ハリエットはその場に尻餅をついた。
「…………」
ドラコの顔が、何かを確信したようなものに変わり、そして意地悪な表情へ緩やかに変化し、ツカツカとハリエットの側までやってきた。ハリエットにもはや逃げ場はなかった。ドラコはそのまま両手をあちこちに突き出した。まるで、そこに見えない何かがあることを確信しているかのように――。
「――ひゃあっ、ちょ……止めっ!」
自分の口から変な声が漏れ出て、ハリエットは顔が赤くなるのを止められなかった。だが、それも仕方がない。だって――ドラコの手は遠慮がないのだ!
まずは杖を取り上げようとしたのだろう。彼は、マントの上から押さえつけるようにしてハリエットの手と杖を探していた。お腹や脇腹くらいならまだいい、でも、さすがに太ももを撫でられるのは堪らない! しまいには胸まで軽く触られ、ハリエットは爆発した。杖はいつの間にか手から離れていたので、まだ自由だった足でドラコの膝に蹴りを入れた。ドラコは少し体勢を崩したが、マントを暴くことには成功した。今度はマント越しではなく、確実に目と目が合った。
「あ、あなた、ホントに最低よ!」
――やってくれたな、と文句を言おうとして、ドラコは先を越された。そして虚を突かれた。なぜかハリエットは涙目だった。恨めしげに精一杯ドラコを睨み付けている。
「私がいるの分かってて、へ、変なところ触って……!」
「変なところ?」
パチパチと瞬きをして、そしてカーッと赤くなったかと思えば、ドラコは慌てて顔ごと視線を逸らした。
「わ、わざと触ったわけじゃない! 大体お前が悪いんだろ! また何か嫌がらせでもするつもり――」
「違うわよ! 私は、ハリーを――!」
パッと顔を上げたハリエットの視界に、ハリーが映った。キョロキョロと、何かを探すようにこちらに歩みを進めている――。
咄嗟に、ハリエットは透明マントを奪おうとした。しかし、ドラコも危機を察し、なかなか放そうとしない。
「返して!」
「嫌だね。また後ろから呪いをかけようとするんだろ?」
「――っ」
ハリエットはドンとドラコを突き飛ばした。そして力の抜けた彼からマントを奪い、上から被る。ハリエットは遠慮なくドラコの上にのしかかった。
「うっ――」
「ハリエット?」
ハリー達はすぐ側まで来ていた。間一髪だった。マントを被った瞬間に、二人は裏路地に顔を覗かせたのだ。
「今、ハリエットの声がしなかった?」
「私も、何か聞こえたような……」
二人はしばらくその場をうろついたが、もちろんハリエットの姿には気づかない。
「気のせいかな?」
「そうね。それにこの人混みだもの、すれ違ってても気づかないかも」
二人は笑ってまたハイストリートに戻った。ハリエットは長々と安堵の息を漏らした。
「……いい加減、退け」
下から押し殺すような声がした。ドラコである。ハリエットは未だドラコを不満そうに見ながら退いた。ドラコは、ハリエットの慌て振りを見て、大体の想像はついたようだった。
「良い趣味をしてるな。兄のストーカーか?」
「……ロンに頼まれたのよ。ジニーのことが心配だからって。私は別になんとも思ってないわ。ロンがどうしてもって言うから」
「だから、わざわざ後ろから呪いなんて?」
「そ、それはあなたが悪いんでしょ! 二人にちょっかいをかけるから!」
言いたいことを言い終え、ハリエットはハッと我に返った。ハリーはどこだろう。
顔を上げれば、二人は思っていたより近くにいた。真向かいの通りの、少し行った先のクィディッチ用品店で足止めされていた。
「……ふん」
二人の様子を見ながら、ドラコが鼻を鳴らした。
「ポッター殿は、レディの扱いもなってないと見える」
ハリエットはムッと唇を尖らせる。
「どこをどう見てそう言ってるの?」
「ウィーズリーの妹、大して楽しそうな顔をしてないじゃないか。ポッターの奴、どうせデートのいろはも分からず繰り出したんだろう」
「デートのいろはって何?」
そんなものあるのかと、ハリエットは首を傾げた。
「ドラコだったらどんなデートするの?」
目を見張り、ドラコは固まった。――僕がデート?
ドラコは今まで女の子と二人きりで出かけたことなどなかった。ホグワーツでは、大抵自分の側にはクラッブかゴイルのどちらかがいたし、社交界では、レディをエスコートすることはあれど、必ず衆目の場だった。二人きりということはない。
これらのことが示すのはすなわち。
――この僕が、ポッターなんかに遅れを取っているだと?
いや、ちょっと待て。今はそういう話じゃないはずだ。僕がどんなデートをするかという話で……いや、そもそもなぜ僕がそんなことを言わないといけない? そんな義理はないはずだ。
ただ、今更嫌だとは言い出しにくいほどの充分な時間が経ってしまっていた。今ここで断ったら、間違いなく自信がないのだと思われ――ちょっと待て。確か、前にもこんなことがなかったか。
ドラコは恨みがましい目つきでハリエットを見た。彼女は、憎たらしいほど純粋にドラコを見つめていた。そっちが目を逸らせと強く睨み付けるように見ても、彼女は目を逸らさない。
「ま、まず、手を繋ぐ」
混乱の最中、適当に視界に飛び込んできたカップルの光景をドラコがありのまま伝えれば、途端にハリエットは噴き出した。
「意外と可愛いこと言うのね」
「何か文句あるのか?」
「別に文句があるわけじゃ……。他は?」
「他?」
「まずはってことは、他にもあるんでしょう?」
「…………」
ドラコは押し黙った。嫌な所に食いつく奴だと思った。
「デート中、会話を途切れさせない。ポッターを見てみろ。二人とも無言で気まずそうじゃないか」
「ええ……そうね。でも、最初のうちは仕方ないんじゃないかしら。ちょっとずつ話をしていくことで、共通の話題を知っていくものじゃない?」
「そもそも、デートの計画はきちんと立ててから行く。あいつら、どこに行こうか迷ってばかりじゃないか。時間の無駄だ」
「二人でどこに行こうって考えるのも、デートの醍醐味じゃないかしら」
「僕のデートのやり方に不満でもあるのか?」
「そういう訳じゃないけど」
不機嫌そうに言われ、ハリエットは苦笑した。折角の兄のデートを悪く言われたら、少しでも庇いたくなるのが世の常だろう。
だが、そうこうしているうちに雨が降ってきて、ハリーとジニーはマダム・パディフットのお店に逃げ込んでしまった。
「さすがに喫茶店の中じゃ、マントを被ってても無理よね」
お店の中はきっと混雑しているだろうし、何十分も立ったままじゃさすがにきつい。
もう尾行はおしまいだと、ハリエットはマントをポケットの中に詰めた。
「そういえば、クラッブとゴイルは?」
はたと気づいたときには、二人のあの大柄な身体は忽然と姿を消していた。
「あ……」
「ご、ごめんね。私のせいね」
ドラコが黙りこくってしまったので、ハリエットは慌てて謝った。
「ドラコはこの後どうするの?」
「……特に何も考えていない」
「なら、私と一緒に見て回らない? 私、お昼まで暇なの」
唖然としてドラコはハリエットを見た。何をそんなに不思議なのか、とハリエットは目を丸くする。
「駄目?」
「いや……」
「じゃあ行きましょう」
パッと笑顔を浮かべ、ハリエットは笑った。
「ドラコはどこか行きたいところある?」
「いや、特には」
「じゃあ、私の行きたいところでいい? 私、ゾンコの魔法悪戯専門店に行きたいの」
「あんな所に行くのか? あそこは低俗な奴らが集まるところだぞ」
「言い過ぎよ。面白い悪戯グッズがたくさんあるって言ってたわよ?」
「誰が」
「フレッドとジョージ」
「あいつらはそう言うだろうな」
「ちょっと覗くだけだから!」
嫌そうに顔を歪めるドラコを引っ張り、ハリエットは何とか悪戯専門店の中に入っていった。店内は明るく、ひっきりなしに爆発音や煙が噴き出していた。ドラコは今にも帰りたそうな顔をしたが、ハリエットはどんどん奥へと進む。
「ハーマイオニーと一緒だと、こういう所になかなか行けないのよ」
「この時ばかりはグレンジャーが正しいな」
「もう、そんなこと言わないで。今日はシリウスにプレゼントを買いたいの」
「悪戯グッズをか?」
「ええ。魔法省に見つかったら大変だから、今はずっとお屋敷に缶詰なの。せめて楽しませてあげたくて……」
ゾンコの店には様々な悪戯グッズがあった。醜悪な見た目をしている犬を触ると、その口から霧が噴出して周りにいる人の髪色を派手にしたり――ドラコはオレンジ色の髪になった――ティーカップに触っただけで鼻に噛まれそうになったり――ドラコは実際に噛みつかれた――食べるだけでしゃっくりを誘発されたり――ドラコは十分間ずっとしゃっくりをあげることになった――とにかくたくさんの悪戯グッズが――。
「ぼっ、僕で、いっ、悪戯グッズを、たっ、試すな!」
「わ、悪気はないのよ。ただ面白くて……」
真っ赤になってしゃっくりをするドラコがおかしくて、ハリエットは笑い転げた。
「はっ、早く、なっ、何か、買え!」
「分かってるわよ……」
実はもう少しドラコで楽しみたかったのだが、あまりやりすぎると口を利いてもらえなくなりそうだったので、この辺りで我慢することにした。
結局ハリエットが買ったのは、オレンジとピンクのしましま模様の小さな卵だ。卵をパカッと開けると、中からもしゃもしゃ毛が生えたひよこのような生き物が飛び出してきて、開けた本人をくすぐるというグッズだ。
中のひよこが可愛かったし、ドラコにやってもらうと、眉間の皺が取れるほど身をよじって笑っていた。シリウスには笑っていて欲しかったから、これにした。
その後は、グラドラグス魔法ファッション店に行った。勝手に動き回るセーターや、金と銀の星が点滅する靴しかなどが売られていた。
「ハリーに服を買ってあげたいのよ。ハリーったら、そういう所に無頓着だから」
「今日の格好もみすぼらしかったしな」
「……ハリーはありのままで勝負しようとしてるのよ」
せめてものフォローはドラコに鼻で笑われた。
そこでいくつかハリー用の服を見繕うと、もうそろそろ三本の箒に行かなければならない時間になった。
「あ、ごめんなさい。私そろそろ行かないと。待ち合わせしてるの。ドラコはまだブラブラしてるの?」
「いや。クラッブ達もいないみたいだし、もう帰る」
「そう。あ、今日は本当にありがとう。すごく楽しかったわ」
「お前だけ楽しんでただろ」
「だってドラコの反応が面白いから」
ふっと笑って、ハリエット立ち止まった。
「ねえ、一つだけすごく気になったことがあるんだけど」
ハリエットは急に真面目な顔になった。
「今までもそうだけど、今日もずーっと私のことお前って呼んでたわね? デート中に男の子は女の子をお前って呼ぶことが理想のデートなのかしら?」
ハリエットの瞳がどんどん悪戯っぽく細められていく。
「これに関して言えば、ハリーはあなたに負けてないと思うわ。ハリーはちゃんとジニーって呼んでたわよ?」
「…………」
ドラコはパクパクと口を開け閉めした。言い返したいが、返す言葉がない。そんな心境に見えた。
ドラコはハリエットを睨むように見た。何か言われるか、とハリエットは身構えたが、そんなことはなかった。
「――ハリエット」
耳をすませないと聞こえないくらいの声量だったが、ハリエットは満足して微笑んだ。
「じゃあね、ドラコ」
軽く手を振り、ハリエットは歩き出した。ファッション店から三本の箒はすぐ近くだった。
「ハリエット!」
歩き出してそう間もないうちに名を呼ばれ、ハリエットは一瞬ドラコかと思ったが、振り返ると勘違いに気づいた。
「今から三本の箒に?」
「ええ、そうよ。セドリックも?」
「うん。じゃあ一緒に行こう」
ハリエットとセドリックは連れ立って店内へ入って行った。その後ろ姿を、ドラコがじっと見つめていたことには全く気づかなかった。