■不死鳥の騎士団
24:混沌ホグワーツ
夜遅く談話室に戻ってきたハリーは、ひどく消沈していた。スネイプの閉心術授業を終えた後はいつもこうだが、しかし、今日はいつもよりも落ち込んでいるように見えた。ハリエットは彼に近寄った。
「何か怒られたの?」
「いや……」
ハリーは力なく首を振った。ハリエットは、彼の隣に腰掛けた。
「ハリー、じゃあどうしたの?」
「…………」
ハリーはちらりとハリエットを見た。その視線は何かもの言いたげだった。彼の口元が僅かに動く。
「もう……閉心術の授業はやらないって」
「スネイプ先生が? どうして?」
「僕……僕、いや」
そしてハリーは小さくため息をついた。
「……シリウスと、話したいんだ」
「シリウス? どうして?」
「どうしても聞きたいことがあるんだ」
「うん……でも、アンブリッジが暖炉を探り回ってるし、ふくろうは全部チェックされてるわ」
「それでも話したいんだ」
ハリエットはうんうん唸りながら首を傾げた。
「こういうときに頼りになるのはフレッドとジョージだと思うけど……」
ハリーは迷わず立ち上がった。そして暖炉前でWWWの新商品についてああじゃないこうじゃないと話し合っている二人の元へと行った。
「二人に相談があるんだ。僕……僕、どうしてもシリウスと話したくて」
ハリエットも心配そうに三人に近づいた。
「アンブリッジの部屋の暖炉は見張られてないんだ。アンブリッジ自身がそう言った。でも、アンブリッジを追い払うために、何か……アイデアはないかな?」
「馬鹿言わないで!」
ハリーがフレッドとジョージに近づいたのを見て、嫌な予感がして聞き耳を立てていたハーマイオニーが言った。
「すぐにアンブリッジが飛んでくるわ!」
「俺たちならそれも回避できると思うね」
ジョージが伸びをしてニヤッと笑った。
「ちょっと騒ぎを起こせば良いのさ。ただ、生憎ともうすぐイースター休暇だ。折角の休暇中なんだから、俺たちは大人しくしてるつもりさ。でも、休暇明けなら良いぜ」
「俺たちももともと計画してたんだ。折角ちょいと騒ぎをやらかすなら、ハリーがシリウスと軽く話ができるようにやったら最高だろ?」
「だからって、第一どうやってあの部屋に入り込むの?」
「シリウスのナイフ」
ハリーは短く答えた。
「一昨年のクリスマスに、シリウスがどんな鍵でも開けるナイフをくれたんだ。だから、あいつがドアに呪文をかけて、『アロホモーラ』が効かないようにしていても、絶対にそうしてるはずだけど――」
「じゃ、決まりだな。詳しいことについては、俺たちもまだ決まってないんだ。休暇中に相談しようぜ」
それから、ハリー達は気が気でない様子でイースター休暇明けを待っていた。ハリーとしては、シリウスと話したいのはやまやまだが、フレッドとジョージもろとも巻き込むことになるということに、今更ながら罪悪感が込み上げていた。だが、二人はそんなこと気にも留めやらぬ様子で、休暇の最終日、計画について話し合いに来た。
「俺たちは明日、最後の授業の直後にやらかそうと思う。何せ、皆が廊下に出ているときこそ最高に効果が上がるからな。――ハリー、俺たちは東塔のどっかで仕掛けて、アンブリッジを部屋から引き離す。――たぶん君に保証できる時間は、そうだな、二十分はどうだ?」
「充分だよ」
「どんな騒ぎを起こすんだい?」
ロンが興味深そうに尋ねた。
「弟よ、見てのお楽しみだ。明日の午後五時頃、おべんちゃらのグレゴリー像のある廊下の方に歩いてくれば、どっちにしろ見えるさ」
*****
翌日、ハリエットは授業を受けるごとに、ハリーがやらかすことに不安を隠せずにいた。フレッドやジョージと相談した後、シリウスと話すのは夏休みまで待てないのかと聞いてみても、ハリーは不安で堪らないといった顔をするので、罪悪感がそのたびに込み上げた。フレッドとジョージに相談してみたら、と言い出した身で、今更やっぱり止めろなどとは言えず、もだもだしているうちに、終業のベルが鳴ってしまった。
教室から出て、廊下を半分ほど進んだとき、遠くの方で紛れもなく陽動作戦の音が炸裂するのが聞こえた。どこか上の階から、叫び声や悲鳴が響いている。
アンブリッジが、短い足なりに全速力で教室から飛び出した。杖を引っ張り出し、彼女は急いで反対方向へ離れていった。
ハリーは鞄を肩にかけ直し、生徒たちとは反対方向に駆け出した。ハリエットもその後をついていく。そしてアンブリッジの部屋にたどり着くと、ハリーはシリウスのナイフを取り出し、ドアの周囲の隙間に刃を差し込み、そっと上下させて引き出した。小さくカチリと音がして、ドアがパッと開いた。
「ハリー、急いでね。誰か来たら大声を上げるから」
ハリーはこっくり頷き、透明マントを被った。ドアの隙間からハリーが身を滑り込ませると、ドアはまた閉じられた。
ハリエットは、しばらくアンブリッジの部屋の前でウロウロしていた。しかしやがて、廊下の角を曲がってフィルチが走ってくるのを見て、身体を凍らせた。
「フィルチさん!」
ハリエットは咄嗟に大声を出した。
「フィルチさん、あの、一階の廊下で騒ぎを起こしている生徒がいて……。アンブリッジ先生はどちらにいらっしゃいますか?」
「下の階でも騒いでいるのか! 先生は上の階にいらっしゃる! マクゴナガル先生に何とかしてもらうよう伝えろ!」
足音も荒々しくフィルチはドアの向こうに消えた。ハリエットは心配そうにドアを見守った。向こう側からは何も音がしない。ハリーはうまく隠れられたのだろうか?
やがて、フィルチがあたふたと出てきた。彼は羊皮紙を手に持っているだけで、ハリーはその側にいない。思わずハリエットは安堵の息を漏らした。
フィルチは足を引きずりながら、これまで見たことがないほど速く走っていた。
「ハリエット、あいつを追おう」
すぐ側でハリーの囁き声がした。ハリエットは頷き、走った。アンブリッジの部屋から一つ下がった踊り場まで来てハリーはマントを脱いだ。マントを鞄に押し込み、騒がしい玄関ホールへと急ぐ。
大理石の階段を降りると、そこにはほとんど学校中の生徒が集まっているようだった。丁度トレローニーが解雇された夜と同じように、壁の周りに生徒が大きな輪になって立ち、その中には先生とゴーストも混じっていた。ピーブズが頭上にひょこひょこ浮かびながらフレッドとジョージをじっと見下ろしている。二人はホールの中央に立ち、紛れもなく立った今追い詰められたという顔をしていた。
「校長先生、書類を持ってきました。鞭打ち許可証です。それに鞭も準備してあります」
人混みを肘で押し分け、フィルチが嬉しそうにアンブリッジに近づいた。
「マントで許可証を取り上げられない?」
ハリエットはハリーに囁いたが、彼は苦悶の表情を浮かべた。
「これだけの人だと……」
「良いでしょう、アーガス」
アンブリッジが言った。
「そこの二人。わたくしの学校で悪事を働けばどういう目に遭うかを、これから思い知らせてあげましょう」
「ところがどっこい、思い知らないね」
フレッドがジョージの方を振り向いた。
「ジョージ、どうやら俺たちは学生稼業を卒業しちまったな?」
「ああ、俺もずっとそんな気がしてたよ。俺たちの才能を世の中で試すときが来たんだ」
「全くだ」
そして、アンブリッジが何も言えないうちに、二人は杖を上げて同時に唱えた。
「アクシオ! 箒よ、来い!」
どこか遠くでガチャンと大きな音がした。左の方を見たハリーは、間一髪ハリエットもろとも身を躱した。フレッドとジョージの箒が、持ち主めがけて廊下を矢のように飛んできたのだ。一本は、アンブリッジが箒を壁に縛り付けるのに使った、重い鎖と鉄の杭を引きずったままだ。箒は双子の前でピッタリ止まった。
「またお会いすることもないでしょう」
「ああ、連絡もくださいますな」
息ピッタリに双子は箒に跨がった。フレッドは集まった生徒たちを見回した。
「上の階で実演した『携帯沼地』をお買い求めになりたい方は、ダイアゴン横丁九十三番地までお越しください。『WWW店』でございます。我々の新店舗です!」
「我々の商品を、この老いぼれ婆を追い出すために使うと誓っていただいたホグワーツ生には、特別割引をいたします」
ジョージがアンブリッジを指さした。
「二人を止めなさい!」
アンブリッジが叫んだが、もう遅かった。尋問官親衛隊が包囲網を縮めたときには、フレッドとジョージは床を蹴り、空中に浮かび上がっていた。
「ピーブズ、俺たちに代わってあの女を手こずらせてやれよ」
ピーブズが生徒の命令を聞く場面など、ハリエットは見たことがなかった。ピーブズは鈴飾りのついた帽子をサッと脱ぎ、敬礼の姿勢を取った。眼下の生徒たちの喝采を受けながら、フレッドとジョージはくるりと向きを変え、開け放たれた正面の扉を素早く通り抜け、夕焼けの空へと吸い込まれていった。
*****
フレッドとジョージがいなくなってからも、ホグワーツは二人がいた頃以上に騒がしくなった。赤毛の双子の逃走劇を見て、二人に憧れを抱く生徒が多数増えたからだ。
アンブリッジの部屋のドアには、フレッドとジョージが箒を取り寄せたときにぶち開けた穴が開いてしまっていた。扉は新しいものに据え代えられ、ハリーのファイアボルトは新たに地下牢に移された。だが、新しいドアに取り替えたのに、誰かがこっそりアンブリッジの部屋に『毛むくじゃら鼻二フラー』を忍び込ませて、それがキラキラ光るものを探してたちまち部屋をめちゃめちゃにした。クソ爆弾や臭い玉がしょっちゅう廊下に落とされ、今や教室を出るときには『泡頭の呪文』をかけるのが流行になった。
尋問官親衛隊もフィルチを助けようとしていたが、そうなると彼らに嫌がらせの被害は拡大することとなった。ホグワーツはもうてんてこ舞いだった。
一方、フレッドとジョージは、学校を去る前、『ずる休みスナックボックス』を生徒にたくさん売っていた。その影響で、アンブリッジが教室に入ってくるだけで、生徒の中には気絶するやら吐くやら危険な高熱を出すやらする者が続出した。アンブリッジは何とかしてこの症状の原因を突き止めようとしたが、生徒たちは頑なに『アンブリッジ炎です』と言い張った。
しかし、そのスナック愛用者でさえ、フレッドの別れの言葉を深く胸に刻んだドタバタの達人ピーブズには適わなかった。狂ったように高笑いしながら、ピーブズは学校中を飛び回り、テーブルをひっくり返し、黒板から急に姿を現し、銅像や花瓶を倒した。羊皮紙の山を暖炉めがけて崩したり、窓から飛ばせたり、トイレの蛇口を全部引き抜いて三階を水浸しにしたりした。ちょっと一休みしたいときは、アンブリッジに何時間もくっついて、アンブリッジが何か一言言うたびに『べーっ』と舌を出した。
そんな騒がしいホグワーツの渦中、ハリエットはスネイプの研究室の前に立っていた。
ハリーが唐突にスネイプに閉心術の授業を止めると宣言されて数日後、ハリエットもまた、授業終わりに閉心術は止めだと言い放たれたのだ。
ハリーとスネイプの仲が悪いのは分かっていたことだが、どうして急にこんなことになったのか、ハリエットはあれから何度か尋ねたが、ハリーは決して答えようとはしなかった。おそらく、シリウスと話がしたいと言い出したことと関係があるのだろうが、詳しいことは分からなかった。
シリウスからはあれから連絡はなかったが、ハリーと話した最後に、閉心術を教えてもらうようにスネイプに頼むことを約束させられ、更にはハーマイオニーにも口を酸っぱくなるほど同じことを言われていた。当の本人ハリーには全くその気がないようだが、ただ、自分のことでもあるので、ハリエットはハリーの分もスネイプに頼みに足を運んでいた。
内心では少し憂鬱だった。ハリエット自身も閉心術は得意とは言えなかったし、スネイプはもっと不得意だからだ。
とはいえ、ハリエットは心配する周りの意見を見て見ぬ振りなどできなかった。とんとんと軽くノックをすると、返事があった。
「スネイプ先生はいない」
ハリエットは目を丸くした。ドラコの声だったからだ。
「失礼します……」
恐る恐るドアを開けると、やっぱり聞き間違いではなく、部屋の隅の椅子に、ドラコが腰掛けていた。ボウルの中に手を突っ込んでいる。
ドラコは、来訪者がハリエットだと分かると不機嫌そうに顔を顰めた。
「スネイプ先生、いつ頃戻られるか分かる?」
「知らないな」
ドラコはツンとして答えた。ハリエットは彼をまじまじと見つめた。
「手、どうかしたの?」
「関係ないだろう」
「もしかして、誰かにやられたの? 今、親衛隊に皆当たり強いから……」
ドラコは答えなかった。
「医務室には行かないの?」
「医務室の前は今や戦場だ。誰かがクソ爆弾だの臭い玉だの投げ込んでる」
内容としては深刻なのだろうが、言い方がおかしくてハリエットはクスッと笑ってしまった。耳ざとくドラコはそれを聞きとがめた。
「いい様だって思ってるんだろう」
「そんな風には思わないわ」
心外だとハリエットは首を振った。
「でも、どうしてアンブリッジなんかを支持するの? 親衛隊に入らなければ、こんな目には遭わなかったのに」
「安定した学生生活を送ろうと思うのは当然のことだろう」
「でも……」
ハリエットは無意識のうちに手の甲をさすった。もうそこに『私は落ちこぼれではありません』の文字はない。だが、引っ掻いたような跡は残った。
なおも言いつのろうとしたとき、スネイプが戻ってきた。スネイプはハリエットを見、あからさまに眉をしかめた。
「何の用だ」
「あ……ええっと、魔法薬の補習の件で……」
スネイプは、ハリエットに背を向け、ドラコの手の様子を見た。
「もういいだろう。マートラップの薬を渡すから、一日に二度手を浸すように」
「はい。ありがとうございました」
スネイプは、なみなみ薬が入ったクリスタルの瓶を三つドラコに渡した。ドラコは、『魔法薬の補習』と気になる言葉を口にしたハリエットをチラチラ見ながら部屋を出て行った。研究室にはハリエットとスネイプだけが残される。
「ハリーに閉心術を教えるのを辞めたのって……」
ハリエットはすぐに話の口火を切った。
「ハリーと何かあったんですか?」
「兄から聞かなかったのか?」
なぜかスネイプは蔑むようにして言った。
「人の秘密を守るという最低限のマナーはあったようだ」
スネイプは椅子に背中を預けた。
「ポッターは、我輩の記憶をこっそり盗み見た。あやつのちっぽけな好奇心がうずいたのだろう。今まで何度その好奇心に殺されてきたか、あいつは考える脳もないらしい。あんな傲慢な奴など我輩は面倒を見きれん。お前とて一緒だ。さあ、寮へ戻るのだ」
「せ、先生――」
「帰れ!」
怒鳴るように言われ、ハリエットは研究室を出るしかなかった。談話室に戻った後も、まだ心臓がドキドキしていた。