■不死鳥の騎士団

27:勇気を出して


 アンブリッジ達がいなくなった後も、その部屋の状況は変わらなかった。ハリエットは、ハリーとハーマイオニー――そしてシリウスが心配でならなかった。スネイプは、ちゃんとハリーの言葉に気づいてくれただろうか? もしそうだとして、ハリー達はどうなる。杖を持たない状況で、禁じられた森に連れて行かれたのだ。ハリエット達はあそこでもう何度も危ない目に遭っていた。予想もしない事態が起こったとしても、アンブリッジはきっと二人を囮にして逃げ出すだろう。

 ハリエットは縋るようにしてドラコを見た。

「ドラコ……お願いよ。スネイプ先生のところに連れて行ってくれない?」
「……静かにしろ」

 ドラコは静かに返したが、ハリエットは止めなかった。この場を切り抜けるには、もうドラコしかいなかった。

「拷問されてるの、スナッフルが……お願い、本当にお願い」
「黙りなさい! 耳障りよ!」

 パンジーがキーキー喚いた。ハリエットが睨み付けると、彼女は逆上し、杖を振り上げた。

「ステューピ――」
「止めろ!」

 ドラコがパンジーに杖を向けた。彼女はショックを受けたような顔になった。

「どうしてその女を庇うのよ!」
「アンブリッジには何も言われてない。僕たちが問題を起こすわけにはいかない」
「だからって――」

 ドラコは、怖いくらいの顔でハリエットを見つめた。しかしその表情には、何かを躊躇うような、決心するような、そんな心の移り変わりがあることをハリエットは見抜いていた。

「スネイプ先生のところへ連れて行けば良いんだな?」

 ハリエットは安堵の笑みを浮かべた。

「ええ! それだけでいいの!」
「ドラコ! 何を言い出すのよ!」

 パンジーは顔を真っ赤にして怒り、ザビニも呆れたように頭を振った。

「おいおいマルフォイ、それで怒られるのは俺たちもなんだぜ」
「僕一人の責任だ。君たちは関係ない。それでいいだろう?」

 ハリエットに杖を突きつけたまま、その腕を引き、ドラコは部屋の真ん中を突っ切った。パンジーがなおも突っかかったが、ドラコは聞く耳持たなかった。

「ありがとう……本当にありがとう、ドラコ」

 アンブリッジの部屋を出た。辺りに人の気配はない。ハリエットはを杖握りしめながら言った。

「スネイプ先生のところに連れて行くだけだ。寄り道はしない」
「それで充分よ……ごめんなさい」

 ハリエットは小さな声で失神呪文を放った。杖を突きつけてはいたものの、警戒など全くしていなかったドラコは昏倒してその場に崩れ落ちた。地面に倒れ込みそうになるところを、すんでの所でハリエットは支える。

「ごめん……ごめんね、ドラコ」

 ハリエットに杖を持たせたことを忘れていたのか、それとも気づかない振りをしたのか。それは今となっては分からないことだ。

 ハリエットは、ドラコを空き教室の中に引っ張り入れた。

 信頼――いや、友情を裏切る行為だとは分かっていた。しかし、こうするしかなかった。騎士団のことは、誰にも知られてはいけないのだから。

 感謝や罪悪感がない交ぜになってハリエットを襲ったが、ハリエットはそれを振り払って走った。スネイプの研究室にたどり着くと、ノックもなしに扉を開けた。

「――ミス・ポッター、ここに何の用だ」

 スネイプは驚いて一瞬目を見開いたが、すぐに目を細めた。

「先生、さっきハリーが言ったことですけど――」
「今ブラックのいる屋敷に使いを送った。確認をとっている」
「でも、私達ももう確認したんです! それじゃ遅いわ! クリーチャーが、シリウスはもう神秘部に向かったって!」
「それでも確認は必要だ」

 スネイプはあくまでも冷静だった。

「我々騎士団は、ドローレス・アンブリッジの暖炉よりももっと信頼できる連絡方法を持っている。お前達が生半可に――」

 その時、扉からスーッと銀色の何かが飛び出した。守護霊だ。それは狼の形をなしていた。

「シリウスは無事だ。間違いなく屋敷にいる。君の言うとおり、ハリーはヴォルデモートにわざとそんな夢を見せられたに違いない。ハリーは無事か?」

 それだけ言うと、狼の守護霊はスーッと消えた。声はまさしくルーピンのものだった。

「そ、そんな……」

 ハリエットはおろおろとスネイプを見た。

「で、でも、クリーチャーはシリウスがいないって……。神秘部からは戻らないって……」
「クリーチャーはあちら側と繋がっている可能性があるようだ。ヴォルデモートは、己の心とポッターの心が繋がっていることに気づいていた。それを逆に利用したのだ。さもブラックを捕らえているかのように見せかけ、ポッターをおびき出す……。考えなしにポッターが飛びつくと、そう思ったのだろう。そしてそれは当たっていたようだな?」
「知らせないと……!」

 ハリエットは血相を変えた。それが確かなら、今度はハリー達が危険だ。

「先生! ハリーはハーマイオニーとアンブリッジと一緒に、禁じられた森に行ったんです! 二人が危険なんです! アンブリッジは杖を持ってるのに、二人は取り上げられてて!」
「なぜそんなことに……!」

 スネイプは苛立ったように杖を掴み、ローブを羽織った。ハリエットも慌てて彼の後をついていき、研究室を出る。だが、数歩と行かないところで、バタバタとパンジーとザビニが駆けてきた。ハリエットは嫌な予感がした。

「す、スネイプ先生!」

 パンジーは一瞬スネイプの後ろのハリエットを睨み付けたが、すぐに思い直してスネイプに向かって叫んだ。

「先生、あいつらが逃げたんです! ウィーズリーの奴らが急に私達に魔法を放ってきて!」
「逃げただと!?」

 その時のスネイプの形相は凄まじかった。パンジーはこれほどまでに怒ったスネイプを見るのは初めてだっただろう。そして、その怒りの矛先がロン達へ向くと分かっていてにんまりした。――スネイプの心境としては、人質が逃げ出し、捜索しないといけない足手まといが増えたことへの怒りでどうにかなりそうだったのだろうが。

 スネイプは、スリザリン生を寮に返し、禁じられた森へ向かった。だが、そこにハリー達の姿はなかった。悲鳴を上げるアンブリッジの声が聞こえるだけだ。二人どころか、助けに来るはずのロン達の姿もない。

「……ここに」

 スネイプは木に手をついた。

「セストラルが繋がれていたはずだ、少なくとも六、七頭は」

 そこには、切れたロープがあるだけだった。

「ま、まさか、皆は既に魔法省に……?」
「その可能性は高いな。傲慢で考え無しのポッターは、自分なら助けられると思っているのだろう」
「先生……!」
「エクスペクト パトローナム」

 スネイプは守護霊を出した。彼の守護霊は牝鹿だった。まさかハリーと対になる守護霊だとは思わず、ハリエットは目を見開く。

「ハリーは仲間と共に魔法省へ向かった。ブラックが囚われの身だと誤解している。校長にはこのことを今から伝える。もうすぐ本部に向かうだろう。ブラック、お前は必ずそこにいろ」

 スネイプは守護霊に話しかけていた。そしてそのまま伝言が終わると、牝鹿は森の奥へとかけ出していった。

 同じ方法でダンブルドアにも伝えると、スネイプはハリエットを見た。

「遺憾ながら、我輩は今からドローレス・アンブリッジを回収してくる。ミス・ポッター、お前は寮へ戻れ」
「そ、そんな……ハリー達は……」
「足手まといを増やしてどうするミス・ポッター……。まさかお前まで自分が騎士団員の戦力に並んでいると、そのような傲慢な考えをお持ちかな?」

 吐き捨てるように言うと、スネイプはさっさと森の奥へと向かっていった。ハリエットは言葉もなくその場に立ち尽くした。

 嫌な胸騒ぎがした。これが罠だとしたら、確実に魔法省には死喰い人と、もしかしたらヴォルデモートもいるかもしれない。そうなると、皆は――。

 それに、シリウスのことも心配だった。ハリーが敵陣へ突っ込んでいったと聞いて、あのシリウスが屋敷で待っているだろうか?

 ハリエットは押し寄せる不安のままに、持っていた何かをギュッと握りしめていた。さらさらしたその肌触りは透明マントだった。そしてもう片方の手には、杖が握りしめられていた。

 ――私に、何ができるという? 戦力になりやしない。スネイプの言うとおりだった。自分なんかが騎士団の戦力に並ぶ訳がないし、むしろ足手まといになるだけだ。でも――でも。

 そもそも、魔法省に行く手段がない。セストラルはもういないし、ホグワーツ特急なんてあるわけがないし、箒で長距離を飛ぶ自信もない。

 私には、何が残ってる?

 答えの出ない疑問をふつふつと胸の中で滾らせながら、ハリエットは寝室に戻った。深刻そうな顔で談話室を通り過ぎたので、何人かに声をかけられたが、ろくに返事もできなかった。

 寝室に入って、一番に目につくのは、ラベンダーがベッドに施したレースの装飾だ。ハーマイオニーのベッドの周辺には本が積み上げられているし、パーバティのベッドは綺麗に整理整頓され、ものは少ない。ハリエットのベッド脇の壁には――手作りのハリーの似顔絵が飾られていた。下手ではあるが、しかし愛情の籠もった似顔絵だ。飾り始めた当初、ラベンダーに『それ、ハリエットが描いたの?』と引き気味に聞かれたのを今でも覚えている。

 ハリエットは泣きそうになりながら笑うと、寝室を飛び出した。そして勢いよく階段を下り、一気に地下の厨房まで駆け抜ける。

「ドビー!」

 厨房のドアを開け放ち、ハリエットが大声で叫ぶと、中にいた屋敷しもべ妖精達は、一斉に身体をビクつかせた。中には手に持っていた卵やら野菜を落とした妖精達もいたが、今のハリエットに彼らを気遣っている余裕はなかった。

「ハリエット様?」

 しもべ妖精達の間から、ドビーがひょっこり顔を出した。ハリエットは彼の前に膝をつく。

「ドビー……ああ、ドビー……」
「どうかされましたか? そんなに慌てて……」
「もし……もしもよ。ハリーの身に危険が迫っていたら、あなたはどうする……?」

 情けない質問だと思った。

 でも――弱い私を許して。

 誰かに背中を押されないと動けない私に勇気を。

「考えるまでもありません、ハリエット・ポッター様」

 ドビーは大きな目を瞬かせた。

「ハリー・ポッターは、ドビーめの救世主でございます。ドビーめを自由にしてくださいました。もしハリー・ポッターが危険な目に遭っているのであれば、ドビーめはすぐにでも助けに行きます!」
「ドビー……そうよね、そうよね……」

 ハリエットは下を向きながら、ありがとうと口にした。

「ドビー……私と一緒に、ハリー達を助けてくれない?」
「もちろんでございます!」

 ドビーの大きな目が、喜びにキラリと光った。