■賢者の石
11:トロール出現
決闘事件以降、ハーマイオニーはハリエット達に対し、ツンとした態度を取るようになった。彼女にとって、昨夜の事件は本当に恐ろしかったらしく――三頭犬に遭遇したことではなく、退学になりかけたことだ――そうなった原因であるハリエット達に、できるだけ関わらないことを決めたらしい。
授業が終わっても、ハーマイオニーはさっさと一人だけ先に行ってしまうので、ハリエットはしょんぼりしたが、しかし、昨夜彼女の忠告を聞かず我を通したのは他でもない自分なので、何も言えなかった。ハリーとロンの方は、そんなことはお構いなしな様子で、あの仕掛け扉に何が隠されているのか、ワクワクして意見を出し合っていた。二人は上機嫌だった。そしてその機嫌は、一週間後に最高潮になる。大広間に、六羽のふくろうが飛んできて、長細い包みを運んできたからだ。そしてそれは、ハリーの目の前に落とされた。
「うわあ、ニンバス2000だって! 僕触ったことさえないよ!」
包みの中身は箒だった。ロンは羨ましそうだった。
ハリーとロン、男の子二人組は、箒のプレゼントで心底幸せそうにしていたが、そのせいで真面目なハーマイオニーとまた小競り合いが起こった。校則を破ってご褒美をもらったと思っていると彼女は指摘したのだ。一層冷ややかな空気が三人の間に流れた。
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決定打となったのは、フリットウィックの妖精の呪文の授業のときだった。親切心でロンの呪文の言い間違いを指摘したハーマイオニーに対し、当のロンは、心底それが気にくわなかったらしく、授業が終わると、彼は盛大にハリーに愚痴った。
「だから、誰だってあいつには我慢できないって言うんだ。全く、悪夢みたいな奴さ」
そして最悪なことに、その台詞はハーマイオニーの耳にも届いていた。彼女は泣いていた。
「今の聞こえたみたい」
恐る恐るハリーは囁いた。
「それがどうした?」
気にしていることを悟られたくなくて、ロンは強気になった。
「誰も友達がいないってことはとっくに気がついているだろうさ」
ハリエットはショックで立ち止まった。
「ロン……」
「なんだい?」
「ハーマイオニーは私の友達よ」
「…………」
悲しい気持ちがこみ上げてきて、ハリエットはそれ以上何も言うことができなかった。
ハリーが退学になってしまうと泣きそうになっていたとき、ハーマイオニーが慰めてくれて嬉しかった。ドラコに箒のことをからかわれたとき、ロンが一番に立ち上がったことが嬉しかった。
ハリエットは二人の良いところを知っている。二人とも好きだ。だからこそ、今のこの状況がもどかしいし、悲しかった。
「――私、行くわね」
ハリーに教科書を押しつけ、ハリエットは小走りに駆けていった。ハリーの呼ぶ声が聞こえたが、ハリエットは止まらなかった。
ハーマイオニーは、なかなか見つからなかった。談話室も寝室も見たし、一つ一つ空き教室も確認した。ハグリッドの小屋にも行ったが、彼女の姿はなかった。
ようやく女子トイレにいるという情報を聞きつけたときには、もう夕食の時間になっていた。一番奥の個室に、ハーマイオニーは籠もっているようだった。
「ハーマイオニー?」
「何よ」
ぐすっと鼻をすすり上げる音がした。
「あっちに行って!」
「あの……」
なんて声をかければ良いか分からなかった。困ったようにハリエットは下を向く。
「ハーマイオニー……あなたが泣いてると、私も悲しいの」
「…………」
「私……あなたと友達になれて、本当に良かったって思ってるの。ハーマイオニーは、私にないところをたくさん持ってるわ。ハリーがもし間違ったことをしても、私はいつもハリーの後ろでおどおどしてるだけだけど、ハーマイオニーはちゃんと駄目なことは駄目だって言える強さを持ってるもの。私、本当に尊敬してるの」
「尊敬? もしそんな風に思ってるのなら、この前の晩、談話室を抜けだして、決闘だの何だのに行くなんてことはしなかったはずよね?」
「あ、あれは……」
ハリエットは口ごもった。一旦口を閉じ、頭の中で考えを整理する。
「規則は大切だと思う。でも、あの決闘は私のせいで始まったことだから、私も行かないとって思ったの。ハーマイオニーを見て、私もちゃんと自分の意見を持たないとって思ったの」
「校則破りをすることが自分の意見?」
ハーマイオニーは不満そうだった。ハリエットは首を振った。
「でも、自分のせいで誰かが危険な目に遭うのは嫌だったの。ハーマイオニーもそうでしょう? ハリーが退学になりそうになったとき、一緒にマクゴナガル先生に直談判に行こうって言ってくれたし、ハリーが箒に夢中になってるときも、私の味方になってくれた。ハーマイオニーはとっても友達思いだわ。だからね、あの……私、ハーマイオニーのことが好きなの」
「…………」
たった一枚の扉で隔てただけの空間だったが、静まりかえっていた。気を悪くしただろうか、とハリエットは不安に駆られる。
だが、その時、何か異臭が鼻をついた。
ハリエットはクンクンと鼻を動かした。汚れた靴下と、掃除をしたことがない公衆トイレの臭いを混ぜたような悪臭がした。
ズシンズシンと、巨大な足を引きずるような音も聞こえてきた。嫌な予感がした。足音は、少しずつ自分たちの方へ近づいているようだった。
女子トイレの入り口から姿を現したのは、四メートルはあるだろう巨大なトロールだった。手には大きな棍棒を持っている。
『ハリエットは、動物なら何でも好きなんだ』
ハリーの声が頭をよぎった。トロールは絶対に勘弁よ、と混乱したハリエットはそんなくだらないことを考えた。あっ、でも、そもそもトロールは動物じゃないのかしら――。
そうしている間にも、トロールはトイレの中に入ってきた。ハリエットはようやく我に返った。
「ハーマイオニー……ああ、どうしましょう」
「ハリエット?」
「絶対に出てきちゃ駄目よ」
ハリエットは、震える足で、洗面台まで移動した。トロールはハリエットに注意を移し、個室のトイレに背を向けた。
「あっ、やっぱりこっそり出てきて!」
そしてハーマイオニーに混乱した指示を出す。自分でもどうすれば良いか分からなかった。個室に籠もっていれば安全だというわけではない。あの棍棒なら、トイレのちっぽけな扉くらいならひとたまりもないだろう。
「ハリエット? 何、この臭い……」
トイレから出たハーマイオニーは、巨大なトロールを見てあんぐり口を開けた。逃げて、とハリエットは手で入り口を指し示すが、腰を抜かしたのか、ハーマイオニーはその場から一歩たりとも動かなかった。
トロールが大きく振りかぶり、棍棒を振り回した。個室のトイレやら、洗面台の鏡やらがなぎ払われ、衝撃が襲う。
「きゃあああっ!」
二人して甲高い叫び声を上げた。
「ハーマイオニー!」
「ハリエット!?」
女子トイレの入り口に、ハリーとロンが立っていた。二人はそれぞれ杖を持っているだけだ。トロールからすれば、玩具が二つから四つ増えたに過ぎないだろう。
「こっちに引きつけろ!」
それでも、精一杯ハリーとロンは勇敢に戦った。ハリーは後ろからトロールに飛びつき、がむしゃらにしがみついた。ぶんぶんと振り回され、それでも必死に捕まっていると、魔法使いにとって大事な杖が、トロールの鼻の穴を突き上げた。
トロールは痛みに唸り、今にもハリーに棍棒を食らわそうとした。
――ハリーのピンチだ。
ロンは咄嗟に杖を振り上げ、頭に浮かんだ呪文を唱えた。
「ウィンガーディアム レヴィオーサ!」
棍棒がトロールの手から飛び出し、ゆっくり一回転してからトロールの頭に落っこちた。トロールは目を回した後しばらくたたらを踏み、そうしてその場に倒れ込んだ。
「死んだ……の?」
「いや、ノックアウトされただけだと思う」
ハリーは嫌そうな顔で、トロールの鼻から杖を取り出した。
「うえー……トロールの鼻くそだ」
ハリーはそれをトロールのズボンで拭った。ズボンも正直綺麗とは言いがたかったが、自分のローブで拭くよりは百倍マシだった。
バタンと扉が開き、複数の足音が響いた。女子トイレに、三人の教師が駆け込んだ。マクゴナガルにスネイプ、そしてクィレルだ。
マクゴナガルは、この惨状にカンカンになって怒った。トイレがひどい有様になったことにではなく、生徒が指示に従わず、トロールのいる現場にいること自体を怒ったのだ。自分のせいだとハリー達を庇う発言をしたハーマイオニーは五点減点されたが、逆にトロールを倒したハリーとロン、そしてハリエットは五点ずつ加点された。
言葉少なに四人は談話室に戻ると、そこではパーティーの続きをやっていた。
「ありがとう」
ハーマイオニーがお礼を言うと、釣られたようにハリーもロンも、ハリエットもありがとうと口にした。照れくさくて、その日はそれ以上会話はなかったが、翌日から、談話室でも、大広間でも四人は固まって座ったし、教室移動も四人ですることが多くなった。