■不死鳥の騎士団
29:現れた騎士団
ルシウスが杖をあげたが、それよりも早くトンクスが失神呪文を放っていた。ハリエットを抑えていた死喰い人に、赤い閃光が命中した。ハリエットは転がっていた自分の杖を拾い上げ、しゃがみながらネビルの方へ進んだ。
「大丈夫?」
「――うん」
ネビルは顔を顰めながら、起き上がろうとしていた。
ハリエットの視界に、ハリーが腹ばいになってこちらに近づこうとしているのが映った。それと共に、彼を掴もうとする太い腕も見えた。
「ステューピファイ!」
閃光死喰い人の胸に命中し、のけぞって倒れた。ハリーはことさら急いでハリエット達の元へ来る。
「ありがとう!」
ようやく少しだけ落ち着いて戦況を見る余裕が出た。シリウスは誰かと激しい決闘を繰り広げていた。セドリックは、ルーピンと共に二人の死喰い人と戦っている。
地面に誰かが倒れていた。死喰い人ではない。特徴のあるその身体はムーディだった。
ムーディを倒した死喰い人――ドロホフは、今度はネビルに杖を向けた。
「タラントアレグラ! 踊れ!」
ネビルはたちまちその場でタップダンスを始め、バランスを崩して彼はまた床に倒れた。すぐにドロホフはハリーに杖を向けたが、ハリーは咄嗟に盾の呪文を放った。
「エクスペリアームス!」
数ではこっちの方が有利だった。『アクシオ』を唱えようとしたドロホフの杖をハリエットが取り上げた。
「ペトリフィカス トタルス!」
ハリーも石化呪文を放ち、ドロホフは両腕両脚がくっついたまま仰向けに倒れた。
「よくやった!」
どこからかシリウスの声が聞こえた。煙の合間から彼の姿が見えたと思ったら、また閃光が走った。シリウスはすんでのところで身を躱した。その呪文の主はルシウスだった。彼の後ろにはもう一人死喰い人がいる。
「ハリー、二人を連れて逃げるんだ!」
「ハリエット、これを!」
ハリーは予言の球をハリエットに押しつけ、シリウスの指示も聞かずに援護に向かった。ハリエットはポケットに予言を押し込んだ。
「行きましょう!」
華麗なタップを決めるネビルの足が滑って、もう一度バランスを崩すうしたネビルが、ハリエットのローブを掴んだ。そこまでは良かったが、彼女のローブは左側の縫い目に沿って裂け――小さなガラスの球がポケットから落ちた。二人の手がそれを捕まえる間もなく、ネビルのばたつく足がそれを蹴った。球は二、三メートル右に飛び、落ちて砕けた。事態に愕然として、二人は球の割れた場所を見つめた。
「ご、ごめん!」
ネビルは相変わらず足をばたつかせながら、顔は申し訳なさそうに苦悶している。
「ごめんね、本当にそんなつもりじゃ――」
「これくらい、大丈夫よ! それよりも早くここから――」
顔を上げた先に、シリウスとハリーが映った。二人はルシウスともう一人の死喰い人と交戦していた。目まぐるしく閃光が飛び交っていたが、一瞬の隙を突いて、ハリーが死喰い人に武装解除の呪文を放ち、彼は後ろに吹っ飛んだ。
「いいぞ!」
後はルシウスだけになった。シリウスは流れるような動きでルシウスに武装解除を放つ。ルシウスは無防備な状態になり、一歩後ずさったが、この隙をシリウスは見逃さず、失神呪文を放った――。
暗がりの中で、黒い女が立ち上がるのが見えた。ベラトリックスだった。彼女の向こう側で、トンクスが石段の途中から落ちていくのが見えた。ベラトリックスは、杖をあげたまま、シリウスの方へ駆け出していた。
シリウスとハリエットの間には、ルーピンやキングズリーが交戦していた。彼らに当てずにベラトリックスを狙うことは不可能だ。でも……でも、シリウスが、ハリーが――。
自分でも、なぜその呪文だったかは分からない。咄嗟に口から出たのがその呪文だったのだ。
「エクスペクト パトローナム!」
シリウスから手紙が来たとき、シリウスがハグしてくれたとき、シリウスの頬にキスをして笑ってくれたとき――。
目まぐるしくハリエットの中をシリウスとの思い出が駆け巡り、そしてそれが銀色の犬となって現れた。以前学校で出したときは、膝にも届かないような子犬だったのが、今は熊のように大きい――まるで本物のスナッフルのように。
銀色の犬は、ハリエットの想いを背負って滑るように走り出した。守護霊に気づいたシリウスとハリーは、その大きさに圧倒されるように後ずさる。そのすぐ前を、緑の閃光がかすめた。
シリウスは、すぐに我に返った。ベラトリックスに向き直り、激しい呪文のやり合いを繰り広げる。
ハリエットは、誰かにローブを引っ張られるのを感じていた。
「駄目、シリウスとハリーが――!」
「ダンブルドア!」
ネビルが叫んだ。
「ダンブルドア!」
ハリエットは振り返ってネビルの視線を追った。二人の真っ直ぐ上に、扉を背に、アルバス・ダンブルドアが立っていた。杖を高く掲げ、その顔は怒りに白熱していた。ハリエットは思わず全身の力を抜いた。
「ダンブルドア先生!」
ダンブルドアはたちまち石段を駆け下り、ハリエットとネビルの側を通り過ぎていった。二人とも、もうここを出ることは考えていなかった。ダンブルドアは既に石段の下にいた。一番近くにいた死喰い人がその姿に気づき、叫んで仲間に知らせた。一人の死喰い人が慌てて逃げだそうとしたが、ダンブルドアの呪文が、いとも容易くまるで見えない糸で引っかけたかのように男を引き戻した。
ハリエットとネビルの声に、ベラトリックスは顔を歪めた。ダンブルドアの登場に気づいたのだ。
ベラトリックスは、置き土産とばかり二つの呪文を立て続けに放ち、きびすを返して走り出した。シリウスはそのどちらも相殺させ、そしてベラトリックスが逃げ出したことが分かると、瞳に好戦的な光を宿し、駆け出した。
「シリウス! 行かないで!」
ハリエットは叫んだが、彼の耳には聞こえていないようだった。ハリーも彼らの後を追った。
「フィニート 終われ」
気づけば、ルーピンがすぐ側にいた。ネビルの足は止まった。セドリックがネビルの手を掴んで立たせた。ハリエットには、もうここに留まっている理由はなかった。
「ハリエット!」
自分の名を呼ぶ声を振り切るようにしてハリエットは駆け出した。石段を飛ぶように登り、ジニー達のいる部屋に飛び込む。
「ハリエット?」
マント越しに、ジニーの声がした。その瞬間、何もない場所からジニーが姿を現した。
「今、ベラトリックスを追ってシリウスとハリーが……」
言いながら、ジニーはだんだん顔を引き締めた。
「私達はもうマントは大丈夫。ハリエットが持って行って」
「でも――」
「ロンも落ち着いたし、ルーナは気がついたわ。だから早く」
「――ありがとう!」
マントを片手に、ハリエットは開け放たれた扉を駆け抜け、黒いホールに出た。どうやらハリーは扉を開けたままにしていったようで、壁は回らなかった。
「ハリー、待って、ハリー!」
ハリーにようやく追いついたが、エレベーターはもう動き出していた。喘ぎ喘ぎ呼び止めると、ハリーは叫んだ。
「アトリウムだ!」
ハリエットは、次のエレベーターで『アトリウム』のボタンを押した。急く思いでようやくエレベーターが止まったのを見ると、ハリエットはそこから飛び出した。
アトリウムでは、シリウスとベラトリックスが激しく戦っていた。閃光があちこち壁を破壊し、ハリーとハリエットはシリウスにすら近づけなかった。
「ポッター!」
双子の姿を認めたベラトリックスは、甲高い声で叫んだ。
「予言を渡しな! そうすりゃこいつの命は助けてやる!」
「よくもまあぬけぬけと。命乞いをするのはお前の方だ、ベラトリックス!」
眩しいほどの閃光がすぐ横を通り過ぎた。ハリー達は近くの噴水に身を隠した。
「どうしよう……ハリー、私、あの球、落として壊しちゃったの」
「壊した?」
ハリーは驚いて聞き返したが、すぐに言い直す。
「僕もあれがどういうものか分からなかったから、気にしないで良いと思う。ハリエットが無事ならそれで充分だ」
「でも……」
「ポッター! 予言を!」
「予言はなくなった!」
ベラトリックスの隙をつくつもりで、ハリーは叫び、立ち上がって姿を現した。
「もう既に壊れた! それにあいつは知っているぞ! お前の大切なヴォルデモート様は予言がなくなってしまったことをご存じだ。お前のこともご満足なさらないだろうな?」
「何だって? 嘘つきめ!」
ベラトリックスは限界まで顔を歪めた。
「お前は予言を持っている! アクシオ! 予言よ、来い! アクシオ! 予言よ、来い!」
ハリーは高笑いした。もっともっと隙を見せれば良いと思った。現に、シリウスはベラトリックスを壁まで追い詰めていた。
「何にもないぞ! 呼び寄せるものなんか何もない! 予言は砕けた!」
「違う! 嘘だ。お前は嘘をついている! ご主人様! 私は努力しました。どうぞ私を罰しないでください!」
「言うだけ無駄さ! ここからじゃあいつには聞こえないぞ!」
「そうかな? ポッター」
甲高く、冷たい声だった。ハリーが見つめる先に、いつの間にか男が立っていた。恐ろしい蛇のような顔は蒼白で落ちくぼみ、縦に避けたような瞳孔の真っ赤な両眼が睨んでいる。ヴォルデモート卿だ。その杖先は、ハリーへと向いていた。
「そうか、お前が俺様の予言を壊したのだな。……いや、お前じゃない。ハリエット・ポッターか……。ハリー・ポッターの愚にもつかぬ心の中から真実が俺様を見つめているのが見えるのだ……何ヶ月もの苦労……その挙げ句我が死喰い人達はまたしてもハリー・ポッターが俺様を挫くのを許した」
「申し訳ありません、ご主人様!」
喘いだベラトリックスの胸を、武装解除の呪文が貫いた。ベラトリックス遙か後ろに吹き飛び、気絶した。シリウスはヴォルデモートに杖を向けた。ヴォルデモートは、ハリーとシリウスに挟まれていた。
「予言を失ったのだ。もう何も言うことはない。お前はあまりにも長きにわたって俺様を苛立たせてきた――」
咄嗟にシリウスが放った呪文は、ヴォルデモートが杖を軽くいなすだけで相殺された。ヴォルデモートは歪んだ笑みをハリーに向ける。
「――アバダ ケダブラ!」
その瞬間、突如すぐ側の黄金の魔法使い像が立ち上がり、台座から飛び上がると、ドスンと音を立ててハリーとヴォルデモートとの間に着地した。立像が両腕を広げてハリーを守り、呪文は立像の胸に当たって跳ね返っただけだった。
「なんと――ダンブルドアが!」
期待を込めてハリエットが噴水の縁から顔を覗かせると、ダンブルドアが金色のゲートの前に立っていた。
すぐさま戦闘が始まった。ヴォルデモートは緑色の閃光を放ち、ダンブルドアは、噴水に残った立像を一斉に動かした。子鬼としもべ妖精は小走りで壁に並んだ暖炉に向かい、腕一本のケンタウルスはヴォルデモートに向かって疾駆した。ヴォルデモートは一瞬姿を消し、ダンブルドアの前に現れた。首無しの像はハリーをハリエットの側まで押しやった。
「今夜ここに現れたのはおろかじゃったな、トム。もうすぐ闇祓い達がやってこよう――」
「その前に俺様はいなくなる。そして貴様は死んでおるわ!」
二人の激しい閃光は、アトリウムのあちこちにぶち当たり、破壊した。壁が崩れ、ガラガラと崩れ落ちてきたが、いつの間にか側まで来ていたシリウスがプロテゴを三人の上にかけていた。
「ダンブルドアは――」
「いや、わたし達がいたら、逆に足手まといだ」
シリウスの言うとおり、戦況は目まぐるしく変わった。緑の閃光の中、ダンブルドアは盾なしで歩き、己が杖の炎でヴォルデモートを絡め取ったかと思うと、炎のロープが蛇に代わり、ヴォルデモートの縄目を解いた上で、ダンブルドアに立ち向かい――。
だが、ダンブルドアが杖を一振りすると、蛇が空中高く吹き飛び、一筋の黒い煙となって消えた。そして泉の水が立ち上がり、溶けたガラスの眉のようにヴォルデモートを包み込んだ。
やがて、その姿が消えた。水か凄まじい音を立てて再び泉に落ちた。
「ご主人様!」
ベラトリックスが声を上げて泣いた。目を覚ましたのだ。
「あいつ――」
すぐさま拘束しに行こうとしたシリウスだったが、突然ハリーが叫びだし、動きを止めた。ハリーは額を抑え、想像を絶する痛みにその場を転げ回った。
「ハリー!」
「俺様を殺せ、今すぐ、ダンブルドア……」
ハリーはカッと目を見開いていた。その口からしゃべり出したのは、ハリーではなかった。
「死が何物でもないなら、ダンブルドア、この子を殺せ……」
「駄目!」
「ハリー、目を覚ませ!」
ハリエットとシリウスはハリーにしがみついた。勝手に動いていたハリーの身体が、二人の声を受けて、やがて止まる。
――ハリーはしばらく身動きしなかった。いつの間にか額の痛みが去っていた。我に返って、最初に気づいたのは、温かさだ。
起き上がると、その理由に気づいた。ハリエットの涙が、手のひらに落ちていた。
「ハリー……!」
「ハリー、大丈夫か?」
「……うん」
喘ぎながら、ハリーは答えた。
「うん……うん、大丈夫。でも、ヴォルデモートはどこに……こんなに、人が」
ハリーの声に、ハリエットは驚いて顔を上げた。いつの間にか、アトリウムにはたくさんの人で溢れていた。壁の暖炉で火が燃え、そこから魔法使い、魔女達が溢れていた。
その時のハリエットの動きは目を見張るものだっただろう。急いで透明マントを引っ張り出し、シリウスの上から被せた。あっという間にシリウスは見えなくなる。
「『あの人』はあそこにいた!」
一人の男が叫んだ。
「ファッジ大臣、私はあの人を見ました! 間違いなく例のあの人でした。女を引っつかんで、姿くらまししました!」
「分かっておる。私もあの人を見た」
ファッジはしどろもどろだった。ダンブルドアは混乱している彼の元へ歩み寄り、話をしに行った。
「ああ、ハリー、ハリエット!」
振り返ると、エレベーターから続々と仲間達が上がってくるところだった。ルーピンにトンクス、ムーディにキングズリー、ネビル、ロンはセドリックに抱えられ、ジニーはルーナに支えられていた。
「ヴォルデモートは!? どうなった?」
「逃げていった」
ルーピンの声にシリウスが答えた。
「あの忌々しい女を連れてな。もう少しだったのに……」
「シリウス? いるのか? シリウス!」
「そう何度も呼ばずともここにいる。ハリエットが透明マントを貸してくれた。さすがのわたしも魔法省を堂々と歩く勇気は出ないからな」
「さっきまで走り回っていた奴がよく言う……」
「怪我をした者はいるか? ポッター、ミス・ポッターは大丈夫か?」
「大丈夫です」
ムーディがいつも以上にひょこひょこしながら近寄ってきたので、ハリー達は慌てて返事をする。
「あの、僕、今日は本当に……」
そして、ハリーは一人、真剣な表情で皆に向き直った。
「ハリー」
何もないところから急に衝撃があった。シリウスがハリーの頭に手を乗せたのである。
「気にするな。今日のことは――うむ、無謀ではあったが……まあ、皆無事だから何よりだ」
「説教はまた今度にしよう」
ルーピンは苦笑いを浮かべる。トンクスも彼の後ろでウインクをした。
「さて、わたしはそろそろ戻らないと」
コホンとシリウスは咳払いをした。
「君たちと別れるのは名残惜しいが……まあ、もうすぐ夏休みだ。我慢するとしよう」
「また遊びに行っても良いの?」
「もちろんだ」
双子が聞くと、シリウスは頷いた。もちろんその仕草は見えなかったが。
「ハリエット」
シリウスの手が、ハリエットの頭に乗せられた。
「素敵な守護霊だった」
「――っ」
ハリエットはムッと唇を尖らせると、シリウスの腕をたどって、マントを探り当てると、その中に自分の身を滑り込ませた。驚いたシリウスの顔がようやく見えた。
「何の動物だったか分かる?」
ハリエットが窺うように首を傾げると、シリウスも悪戯っぽく微笑んだ。
「犬だな?」
「そう。スナッフル」
えへへ、と笑うと、もう満足したハリエットは、マントの中から出た。
「ハリーは?」
ハリエットが誘うようにマントを揺らすと、ハリーもそこから顔だけ覗かせた。
「シリウス……助けに来てくれてありがとう」
「それはわたしの台詞だ。だが、もうわたしのために助けに行こうなんてことはしないで欲しい。わたしにとっては、君たちの方が大切なんだ」
「でも……」
「さあ、もう行こう」
マントが揺らぎ、二人分あった膨らみが、一人分に萎んだ。ハリーはマントを脱いだ。
その後、まだ少し後片付けがあると、ルーピン達は人混みの中へ消えていった。ようやく人心地ついて、ハリー達は隅の方へ集まった。皆大なり小なり傷だらけだ。理由もなく笑った後、ネビルはハリーとハリエットを見て窺うような顔になった。
「あの……聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「君たちの知り合いって……シリウス・ブラック?」
「そう」
双子は声を合わせた。
「シリウス・ブラック。私達の後見人」
ネビル、セドリック、ルーナの三人の顔が、驚愕に変わっていくのを見て――ルーナはあまり変わらなかったが――ハリーとハリエットは、顔を見合わせて笑った。