■謎のプリンス

13:毒入り蜂蜜酒


 両腕にロミルダ、ロミルダと呟く親友と妹を抱え、ハリーはスラグホーンの部屋に急いだ。

「おい、君はロミルダの何なんだよ」
「ロンの方こそ、気安くロミルダなんて呼ばないで!」

 ハリーを間に挟み、ロンとハリエットは言い争っていた。

「そもそも、女子と女子は結婚できないんだぞ!」
「逆境を乗り越えてこそ真実の愛は生まれるのよ!」

 ようやくスラグホーンの部屋につくと、忍びの地図で見たとおり、そこにはウロウロしているドラコがいた。

「スラグホーンに何か用か?」

 ハリーは一応警戒して尋ねた。クラッブとゴイルを侍らせるドラコも厄介だが、一人きりでウロウロするドラコもなかなかに怪しい。

 彼はハリーが声をかけるまで三人の存在には気づかなかったようで、ビクリと大袈裟なくらいに驚いていた。

「お前に関係ないだろう」
「僕は急用なんだ。そこを退いて」

 邪魔なドラコを押しのけ、ハリーはドアを一回叩いた。スラグホーンはすぐに出てくれた。緑のビロードの部屋着に、お揃いのナイトキャップを被っている。

「ハリー……それにハリエット? 訪問には早すぎるね。土曜日は大体遅くまで寝ているんだが……」
「先生、お邪魔して本当にすみません」

 ハリーは申し訳なさそうな表情をした。ロンとハリエットは、競うようにしてスラグホーンの部屋を覗こうとしている。

「でも、ハリエットと友達のロンが、間違って惚れ薬を飲んでしまったんです。先生、解毒剤を調合してくださいますよね? マダム・ポンフリーの所に連れて行こうと思ったんですが、WWWからは何も買ってはいけないことになっているから、あの、都合の悪い質問なんかされると……」

 後ろに天敵ドラコがいるので、できる限り小さな声で伝えた。

「君ほどの実力なら、治療薬を調合できたのじゃないかね?」
「えっと」

 邪魔だと言わんばかりに、ロンとハリエットは、結託してハリーを押しのけようとしていた。ハリーはひどく気が散った。

「解毒剤を飲むまでは、この二人から目を離さない方が良いと思ったんです。本当に……厄介で」

 上手い具合にロンが呻いた。

「あの人がいないよ、ハリー。この人が隠してるのか?」
「ロミルダは全ての人を虜にする美しい人だものね」
「その薬は使用期限内のものだったかね?」

 スラグホーンは、専門家のような目でロンとハリエットを見た。

「いや、なに、長く置けば置くほど強力になる可能性があるのでね」
「クリスマス前にもらったんです」

 部屋に押し入ろうとする二人に、ハリーはそろそろ本気で失神呪文をかけたくなった。

「先生、今日はロンの誕生日なんです」
「ああ、分かった、よろしい。それでは入りなさい」

 スラグホーンの表情が和らいだ。

「私の鞄に必要なものがある。難しい解毒剤ではない」

 スラグホーンが身をどかすと、ロンとハリエットは猛烈な勢いで部屋に飛び込んだ。ぐるりと室内を見回し、迷子のような顔でハリーを見る。

「あの人がいないよ」
「ロミルダはどこ?」
「あの人はまだ来てないよ」

 一周回ってハリーは二人が可愛く思えてきた。

「君も私に何か用かね?」

 ハリーが振り返ると、スラグホーンがドラコに声をかけていた。彼は未だドアの前をうろついていたのだ。ドラコは戸惑ったようだが、やがて頷いて部屋の中へ入った。

「授業で分からないところがあって……」
「ああ、分かった。ただ、質問は後にしてもらえるかな? 今は少し急を要する患者がいるみたいでね」

 スラグホーンは魔法薬キットを開け、小さなクリスタルの瓶にあれこれ少しずつつまんで加えた。

「僕、どう見える?」

 ロンはタンスのガラス窓に自分を映した。

「とても男前だ」

 ハリーは天井を見ながら言った。ハリエットは手鏡を取り出し、髪型を整える。

「私はどう?」
「とても可愛いよ」
「ハリーったら優しいのね」

 ハリエットはふうと恋煩いのため息をついた。

「ロミルダには私なんかとっても適わないわ。私なんか霞んじゃう」
「分かるよ。ロミルダは素敵だからな。ぱっちりした大きい瞳も可愛い」
「髪も素敵。真っ黒で艶々して、絹のように滑らかで……。陶器のような肌によく映えてるわ」

 いつの間にか、ロンとハリエットはロミルダ談議を始めた。それぞれで騒ぎを起こすよりはずっと楽なので、ハリーは放っておくことにした。

「さあ、これを全部飲みなさい」

 解毒剤の調合は早かった。スラグホーンは透明な液体の入ったグラスを二人に渡した。

「神経強壮剤だ。彼女が来たとき、君たちが落ち着いていられるようにね」
「すごい」

 恋に現を抜かす二人の相手は、スラグホーンにとってお手の物のようだ。ハリエットとロンはあっさりグラスを受け取り、一気に解毒剤を飲み干した。ハリーもスラグホーンも、じっと二人を見つめる。しばらくの間、二人は呆けたような表情を浮かべていたが、やがて表情がなくなり、極端な恐怖の表情へ変わっていった。

「元に戻ったかい?」

 ハリーはニヤリと笑った。ロンとハリエットは、さっきとは全く別の意味で顔を赤くし、肘掛け椅子に座り込んだ。

「ロン……ロンの馬鹿!」
「どうして僕だよ! 僕は悪くない! 悪いのはロミルダじゃないか!」
「ロンが拾い食いなんかするからよ!」
「僕へのプレゼントかと思ったんだ!」
「気つけ薬を飲んだ方が良いかもしれん」

 スラグホーンは子供を見守る親のような表情で言った。

「それで、そういえばミスター・マルフォイは私に質問があると言っていたね?」
「ああ……はい。いえ、でも教科書を忘れてしまって……」
「教科書ならほら、ここに」
「ありがとうございます」

 辛気くさそうな顔で、ペラペラページをめくるドラコを、ハリーは訝しげに盗み見た。彼が授業の質問などでここへ来たわけではないことは明らかだった。何か他の用事できたに違いない。それを暴くつもりだった。

「ミスター・ウィーズリーの誕生祝いといこう。ほら、飲みなさい」

 スラグホーンはなみなみと注いだ蜂蜜酒の入ったグラスを渡して回った。最後にドラコの手にもグラスが渡ったとき、彼はあからさまに動揺した。

「こ、これは――」
「ん? 蜂蜜酒は嫌いかね? オーク樽熟成の蜂蜜――」
「止めろ!」

 血相を変えてドラコはスラグホーンの持つグラスをはたき落とした。自分のグラスも取り落とすと、その勢いのままパッと立ち上がり、ハリーとハリエットを見た。ドラコは無言でそれぞれに近寄り、同じようにグラスを叩いて落とす。

「何を――」

 怒りと困惑の表情を浮かべ、スラグホーンはドラコに詰め寄った。しかし彼の恐怖に染まった顔は、全く別の所を見ていた。

「ロン!」

 ハリーもその光景に気がついていた。

 ロンは、グラスをポトリと落とした。椅子から立ち上がりかけた途端、ぐしゃりと崩れ、手足が激しく痙攣し始める。口から泡を吹き、両目が飛び出していた。

「先生!」

 ハリエットは悲鳴交じりに叫んだ。

「ロンが……ロンが!」
「何とかしてください!」

 ハリーも大声を上げたが、しかしスラグホーンは衝撃で唖然とするばかりだ。ロンはピクピク痙攣し、息を詰まらせた。皮膚が紫色になってきた。

「しかし――しかし」

 ハリーは前回の魔法薬の授業を思い出した。
『ベゾアール石はたいていの毒薬に対する解毒剤となる――』
 ハリーは開けっぱなしになっていたスラグホーンの魔法薬キットに飛びつき、瓶や袋を引っ張り出した。萎びた肝臓のような石をようやく見つけると、ハリーはロンの側に飛んで戻り、顎をこじ開け、ベゾアール石を押し込んだ。ロンは大きく身震いして、ゼーッと息を吐き、やがてぐったりと静かになった。


*****


 ロンは速やかに医務室に移され、しばらく入院することになった。真っ青な顔でロンの側に立ち尽くす傍ら、見舞いに訪れたジニーやフレッド、ジョージは、ハリーから話を聞き、誰が酒に毒を仕込んだのか、誰を狙ったのかという議論をしていた。

 ハリーとハリエットはその話し合いには加わらず、ただ黙って地面を見つめていた。

 夜になると、ハグリッドに連れられて寮に戻った。時間も時間だったので、談話室には誰もいなかった。ジニーやハーマイオニーはすぐに寝室に上がり、双子だけがそこに残った。

「これで分かっただろ?」

 ハリーは苛立たしげな口調を隠そうともせずに言った。

「あいつの狙いは分からないけど、とにかく毒入りの酒で誰かを殺そうとしていたんだ。ケイティだって、あいつがやったに決まってる」

 部屋の前を意味もなくウロウロし、そして毒入りの酒が自分に渡されると、血相を変えて拒否をした――。火を見るより明らかだった。

「でも、ドラコは私達を助けようとしてくれたわ。どうしてそれが犯人だってことになるの?」
「あいつは部屋の前をウロウロしていた! 自分の入れた毒入りの酒がどうなったのか気になってたんだ!」
「どこかで毒の入ったお酒のことを知って、どうにかしようとしていたのかもしれないわ」
「どれだけあいつのことを庇えば気が済むんだよ!」
「だって、私がリドルの日記に操られていたとき、ドラコは助けてくれたもの!」

 ハリエットも叫び返した。

「お父様の持ち物だって知っていても、それでも私のために日記を捨てようとしてくれたもの!」
「自分に火の粉が降りかかるのを避けたかっただけだよ!」
「ええ、そうね、実際に自分に火の粉が降りかかったわ。純血なのに、リドルに記憶を奪われた! でもドラコは許してくれた! 何も知らないくせに、どうしてそんなことが言えるの!」

 涙交じりに叫ぶと、ハリーは怯んだ。唇を噛みしめ、心を落ち着かせようとハリーは深呼吸をする。それでも一度荒んだ心はなかなか思ったように静まらず、やり場のない怒りを、ハリーは頭をぐしゃぐしゃにかき回すことで抑えた。

「ダンブルドアは明日帰ってくるそうだ。僕は明日話しに行くよ」
「――私も、明日ドラコと話してくる」

 ハリーは頭に血がのぼり、思わず立ち上がった。

「馬鹿な! そんなことをすれば殺されるに決まってるだろ!」
「そんなことドラコはしないわ!」
「僕は君が――あいつをファーストネームで呼ぶたびに虫唾が走る」

 ハリーは吐き捨てるようにして言うと、足音も荒々しく寝室へ続く階段を上っていった。