■謎のプリンス

14:積もる疑惑


 翌日、ハリーは朝一でダンブルドアの下を訪れた。ハリエットもその隙に大広間でドラコが来るのを待っていたが、彼は一向に現れなかった。時間ギリギリにやってきたザビニに意を決して聞くと、体調不良で今日は休むのだという。

 その後は立て続けに授業があり、ハリーとハリエットはなかなか二人で話せなかった。夜になってようやく、示し合わさずとも二人は談話室の隅に集まった。

「ダンブルドア先生はなんて?」
「……証拠がないって」
「ほら!」
「でも、入手経路は調べるって言ってた。スラグホーンがどこから酒を入手したのかが判明すれば、自ずと犯人も分かるだろうって」
「ダンブルドア先生は他に何かおっしゃってた?」
「……犯人捜しは大人に任せろって」
「ほら!」

 どうだと言わんばかりに顎を突き出すハリエットに、ハリーは苛立たしげに聞き返した。

「そっちはどうなんだ? マルフォイは」
「体調不良で一日休むそうよ」
「ほら! 僕たちに気づかれたかもしれないって怖がってるんだ! 自分のやったことがバレるのが恐いんだ!」
「どうしてそう決めつけるの? 本当に体調不良かもしれないわ」
「いい加減にしろ! これだけ怪しい要素が揃ってるのに――」
「二人で何の話?」

 深刻そうな顔が気になったのだろう、ハーマイオニーが声をかけてきた。

「何でもないわ」

 ハリエットは硬い表情で立ち上がった。ハリエットが話さずとも、きっとハリーはこの後ハーマイオニーにも話すのだろう。その場にいたくはなかった。

「ハリエット」

 しかし、階段を上る寸前、ハリーに声をかけられた。

「これ」

 近寄ってきたハリーは、両面鏡を差しだした。

 シリウスと話して一旦冷静になれとでも言いたいのだろうか。

 ハリエットは無言で受け取ると、階段を駆け上った。

 今日はシリウスと話す気分ではなかったので、早々にふて寝を決め込むつもりだった。しかし、珍しくシリウスの方から声をかけられた。

「ハリエット」

 誰かに気づかれてはいけないので、彼の方から声がかかることは今まで一度もなかった。ハリエットは、ラベンダーもパーバティも寝室にいないのを確かめてから、鏡を覗き込んだ。

「シリウス、どうかしたの? 今、たまたま人がいなかったから良かったけど――」
「ハリエット……ハリーから聞いた。マルフォイのことだ」

 ハリエットは一瞬固まった。鏡の向こうのシリウスは切羽詰まった顔をしていた。

「わたしもマルフォイは怪しいと思う。ボージン・アンド・バークスでの様子や、スネイプとの会話、今回の毒入り酒のこと……。どうか、あいつと話し合おうなんて思わないでくれないか? この件についてはダンブルドアがきっと明らかにしてくれる。わざわざ君が――」

 ハリエットは、何も言わず、鏡を袋の中にしまった。そして寝室を飛び出し、足音を踏みならして階段を駆け下りる。

「ハリー!」

 眉を吊り上げるハリエットに、ハリーとハーマイオニーは度肝を抜かれた。ハリーの顔にはしまったという表情がありありと浮かんでいた。

 両面鏡を突き出し、ハリエットは唇を震わせた。

また・・告げ口したのね」

 意地悪に動く自分の口を、ハリエットは止めることができなかった。

「スナッフルの時もそう。ドラコの時だって」

 心配してくれているのは分かっている。でもどうしてもお節介だと感じてしまう。

「僕の言うことは聞いてくれないじゃないか!」

 ハリーも反論した。ハリエットは彼よりも大きく叫んだ。

「シリウスだったら聞くと思ったの? 私は子供じゃないわ!」
「二人とも落ち着いて。ここには他の人もいるのよ?」

 ハーマイオニーはハリエットの背を撫でて宥めた。単純な口喧嘩ならまだしも、衆目の場でシリウスの名を出すのはまずい。

 ハリエットも、ようやくそのことに思い至った。しかし溢れてくる激情を抑えることなどできず、結局ハリーをもう一睨みすると、再び寝室に戻った。鏡はトランクの奥底にしまった。

 余計なお世話だわ、とハリエットはまた呟いた。


*****


 ロンが毒を盛られたというニュースは、ケイティの事件ほど騒ぎにはならなかった。ロンは魔法薬の先生の部屋にいたのだから、単なる事故だったのだろうと考えられたことに加え、すぐに解毒剤を与えられたため大事には至らなかったというせいもある。

 だが、ロンの恋人ラベンダーにとってはそうではない。ラベンダーは、ロンの入院のことを誰も教えてくれなかったと怒っていた。そして彼女は特に、ハリエットが話すべきだったとうるさかった。ハリエットは、ラベンダーと同室で、かつロンが毒に倒れたときすぐ側にいたのだから、と。

 また、ラベンダーがお見舞いに行くと決まってロンが寝入っていること、喧嘩していたくせに、ハーマイオニーがロンのお見舞いに行くことも気に入らないらしく、しょっちゅう愚痴を言ってくるので、ハリエットは参っていた。おまけに、ハリーの目が光っているうちは、ドラコに話しかけに行くこともできない。喧嘩して一切口を利かないくせに、ハリーはハリエットを一人にはさせまいとつきまとってくるのだ。ハリエットはいい加減堪忍袋の緒が切れそうだった。

 ハリエットが心を落ち着かせることができるのは、寝室くらいだった。生憎と同室のラベンダーはいるが、ベッドのカーテンを閉め切っていると、さすがの彼女も声をかけては来ないので、ここ最近はずっとカーテンを閉めていた。おかげでハーマイオニーと話すこともできなくなった。

 今日も今日とて早いうちに一人寝室に引き上げていると、暗いベッドの上に、急に銀色の光る何かが現れた。シリウスの守護霊だとすぐに気づいた。

「どうしてももう一度話したい。暇を見つけてわたしと話してくれないか?」
「…………」

 銀色の犬は、カーテンの向こうに消えていった。ハリエットはしばしぼうっと守護霊が消えた場所を見つめていた。

 どうせ今シリウスと話しても、説教されることは分かっていた。でも、このままずっとシリウスを避け続けることはできない。ただでさえシリウスは屋敷に缶詰状態なのに、自分たちの意地でもどかしい思いをさせ続けるのは、最低なことじゃないだろうか――。

「もし数日以内に反応がなければ、わたしは思い切ってホグワーツに乗り込もうと思う」

 ハッと顔を上げると、先ほどと同じ場所に銀色の犬がいた。しかし伝言を終えると、彼はまたカーテンの向こうに消えていった。

「…………」

 ハリエットはトランクから鏡を取り出した。それは卑怯だと思った。

 鏡は、心配そうに眉根を寄せるシリウスを映し出した。きっと向こうは、ぶすーっとしかめっ面をしている自分が映されているのだろうとハリエットは思った。

「脅すようなことをして悪かった」

 シリウスは開口一番謝った。

「だが、どうしても話したかった。ありがとう。わたしに機会をくれて」

 ハリエットはむっつりと唇を結び、返事をしなかった。シリウスは両手を組み合わせ、じっとそれを見つめる。

「突然だが、君はリリーによく似ている」
「そんなの、皆から言われてたことじゃない。今更――」
「見た目もだが、今わたしが言っているのは中身だ」

 少しだけ興味をひかれて、ハリエットはシリウスを見やった。

「昔、リリーはスネイプと仲が良かった」
「スネイプ先生?」

 何を言い出すのだろうとハリエットは思ったが、それ以上に出てきた人の名前が意外すぎて、聞き返さずにはいられなかった。

「ああ、幼馴染みだったんだ。だが、組み分けの時リリーはグリフィンドールに、スネイプはスリザリンになった。わたしやジェームズは、闇の魔術に惹かれるスネイプが気に入らなくてちょっかいをかけていたが、そんなとき、リリーはいつも奴を庇った」

 ハリエットは、大人しく話に聞き入った。

「スネイプはどんどん闇の魔術に傾倒していったが、リリーは何とかして奴を救おうと努力していた。だが、あるときスネイプは、助けに入ったリリーに穢れた血と言い放って……二人の縁はそれきりになった」
「スネイプ先生がそんなことを……」

 言いかけたハリエットだったが、二年生の時を思い出した。あのとき、ドラコもまた、ハーマイオニーに対して穢れた血と言い捨てた。

「スネイプは、リリーがジェームズと共にヴォルデモートに狙われる立場になったと知って、ようやく自分が間違っていたことに気づいたんだ。そしてダンブルドアは奴に贖罪の機会を与えた。スネイプは二重スパイとして不死鳥の騎士団に属することになった」

 シリウスは語り終えると、しばし押し黙った。それ以上何か話そうとする気配がなかったので、ハリエットがまた話の口火を切る。

「どうして私にその話をしたの?」
「どうしてだろうな」

 シリウスはぼんやりした口調で呟いた。

「わたしも、あのときは冷静じゃなかった。なんとかして君をこちらに引き戻そうと……追い立てるようにして話してしまった。だから、一度冷静になって話をしたら、君もわたしの話を聞いてくれるんじゃないかと思って」

 そこまで言うと、シリウスは口ごもった。

「君と……あー……マルフォイは、友達なのか?」

 ハリエットは少し戸惑って、やがて頷いた。

「一年生の時、箒を教えてもらったの。その後も、危ないところを何度も助けてもらったし……」
「そうか……」

 葛藤するようにシリウスは背もたれに背中を預けた。

「でも、その気持ちは分かるつもりだ。君はきっと、リリーのように、マルフォイのことが友達として気になるんだろう? もしマルフォイが何か危ないことをしているのなら、助けたいと思うんだろう?」

 君は優しい子だから、とシリウスは付け加えた。

 そんなんじゃない、と訳も分からずハリエットは否定したくなったが、しかし、だからといって他に理由は思いつかなかった。

「だが、同じくわたし達の気持ちも分かって欲しいんだ。君がマルフォイを救いたいというのは分かる。しかし、そのせいでもし君が危険な目に遭ったらと思うと、わたし達は気が気でない。分かるね?」

 ハリエットは言葉もなくこっくり頷いた。

 数々の出来事に、ハリエット自身もドラコのことを信じ切ることができなくなっていた。そのことがとても後ろめたくてならない。

「二人きりにならないように気をつけるわ」

 ハリエットが静かにそう言うと、シリウスは安心したように笑った。