■謎のプリンス

16:空回り


 ある夜、例によって両面鏡でシリウスと話していたハリエット。消灯時間も過ぎ、真夜中近くなっていたので、そろそろ寝ようかとシリウスにおやすみの挨拶をし、彼女は鏡をしまった。そしてすぐ、ハーマイオニーのベッドがまだ空だと気づいた。

 ルームメイトのラベンダーとパーバティは、とっくの昔に眠っていた。耳塞ぎの呪文を使えば良いよ、とハリーに言われ、もう今は空き教室に出掛けることもなく、消灯時間を過ぎても寝室でシリウスと話すようになったのだ。

 ベッドにいないのなら、まだ談話室にいるのだろうか、とハリエットは寝間着の上に上着を羽織り、階段を降りていった。

 ハーマイオニーの姿はすぐに見つかった。彼女だけでなく、ハリーもロンもいる。お気に入りの場所である暖炉脇に固まって座り、顔を突き合わせるようにして話し込んでいた。スネイプの宿題でもやっているのだろうか。ハリエットは彼らに近づいた。

「――だから、何か別の方法を探してるんじゃないか。ダンブルドアは真実薬も役に立たないって言ったんだ。でも何か他の薬とか、呪文とか……」
「あなた、やり方を間違えてるわ。あなただけが記憶を手に入れられるって、ダンブルドア先生がそう言ったのよ。他の人ができなくとも、あなたならスラグホーン先生を説得できるっていう意味に違いないわ」
「でも、あの人は僕を避けてばかりだ。いつ話しかけても、用事があるだの、今は都合が悪いだの言ってばかりで――」
「何の話?」

 一向に話の見えない会話に、ハリエットはとうとう声をかけた。三人はあからさまにギクリと肩を揺らした。

「あ……ハリエット、シリウスと話してたんじゃないの?」
「話してたけど、もう遅いから寝なさいって言われて」
「何話してたの? 騎士団の活動について聞いた?」

 ハリーの顔は引きつっていた。あからさまな話題転換に、ハリエットも気づかずにはいられなかった。

「私に内緒の話?」

 ハリーにしかめっ面を向けながら、ハリエットは先ほどの会話を思い出していた。推測するに、ダンブルドアが何かハリーに頼みごとをしたのではないか。そしてダンブルドアと言えば――。

「もしかして、ダンブルドア先生の授業について話してたの?」

 三人は黙りこくった。三人は視線だけで会話していた。その様子から、ハリエットは疎外感しか感じなかった。

「私には話してくれないの?」
「……えっと……」
「もしかして、私信用されてないの? ハリーが嫌いなドラコの肩を持つから」
「そんなんじゃない!」

 ハリーは急に大声を上げた。

「あいつとは関係ない。ダンブルドアが言ったんだ。……授業の内容は、ハリエットには話すなって」
「なぜ? どうして私には言っちゃいけないの?」
「分からない。詳しくは教えてもらえなかった。ハリエットは……ええと、繊細だし、負担になるだろうから、話すのは止めろって」
「繊細?」

 ハリエットの声は震えていた。思い出されるのは、二年生の頃のことだ。ハリエットにはいつもあのときの出来事がついて回っていた。どんなに後悔しても、過去の出来事は消えてはくれない。

「リドルの日記のことで? わ、私が……リドルに操られたから、繊細だって言うの? ええ、そうね。きっとハリーだったら日記なんかに自分を乗っ取られたりしなかったでしょうね!」

 その時、バチン、と大きな姿現しの音が響いた。談話室に現れたのは、クリーチャーだった。

「ご主人様に命令されましたので、ハリー・ポッターの下に参上しました。ハリー・ポッターはマルフォイ坊ちゃんが何をしているか、定期的な報告をお望みでしたから、クリーチャーはこうして――」

 バチン、と再び同じ音がした。今度はドビーが現れた。

「ドビーも手伝っていました、ハリー・ポッター!」
「…………」

 嫌なタイミングで現れた、とハリーの顔は語っていた。ハリエットはみるみる顔を赤くした。

「私に言ったわよね? ドラコともう会うなって。ダンブルドア先生に言われたのよね? 犯人捜しはするなって。これは一体どういうこと?」

 頭に血が上り、ハリエットは自分でも何を言っているかが分からなかった。

「私に注意しておきながら、自分は平気で動き回るのね? わざわざ――自分も嗅ぎ回るのは止めるからって私に宣言しておきながら?」

 ハリエットはすんと鼻をすすった。涙を見られるのは嫌だと思った。そのまま踵を返し、寝室へと急ぐ。そして勢いよくベッドに倒れ込んだ。続いて階段を足早に駆け上がる音がして、ハリエットは頭から毛布を被った。

「ハリエット、ハリエット……話を聞いて」

 ハーマイオニーの声だった。ハリエットは毛布にくるまりながら彼女に背を向けた。

「ハリーはあなたのことが心配だったのよ。もし……マルフォイが悪いことをしていて、それをあなたが苦に思うんじゃないかって。それなら、自分たちだけで解決しようって思ったのよ」
「私、そんなに頼りない?」

 ハリエットは囁くように言った。

「ハリーの役に立ちたいの……ドラコだって助けたいの……それなのに、私は一人で空回りしてるだけみたい……」

 馬鹿みたいだ。何も知らずに、一人でのうのうとしていて。

 きっと、ハリエットがシリウスと話しているときはいつも三人は内緒話をしていたのだろう。ダンブルドアから託された頼みごとを遂行するために。

 そんな忙しいハリーに、ハリエットがドラコのことでやんややんや言うのはどれだけ面倒だったことだろう。そう考えると笑えてくる。

 いろんな思いがごちゃ混ぜになって、ハリエットは『あっちへ行って!』と叫んだ。ハーマイオニーはしばらく躊躇っていたようだが、やがて談話室へ降りていった。


*****


 今年に入って、もう何度目か分からないハリエットとの喧嘩に、ハリーの機嫌は最悪だった。昼食の後、ロンとハーマイオニーに中庭に連れ出されるくらいには、彼は不機嫌だった。

「いい加減頭がおかしくなりそうだよ! ハリエットとは仲直りできないし、マルフォイの企みは一向に分からないし、スラグホーンの記憶は回収できないし!」

 ハリーは、ダンブルドアの個人授業で、スラグホーンが隠している記憶を回収し、憂いの篩で見ることを宿題とされていた。

 ダンブルドアの授業では、毎回憂いの篩で誰かの記憶を覗き、トム・リドルの過去を見ていた。そこで得られた情報が、今後ヴォルデモートを倒すために役立つのだという。なぜかダンブルドアからは、この授業で見聞きした話をハリエットに話すのを禁じられ、しかし二人の親友のロンとハーマイオニーには話すことを許されたのだ。ハリーもこれには歯がゆい思いをしていた。今までハリエットに隠し事をしたことなんかほとんどないし、あからさまに一人だけ省くというのは心苦しい。しかし、珍しくダンブルドアが厳しい表情を浮かべていたので、それを無視してハリエットに話すことなどできなかったのだ。

「ねえ、魔法薬の授業は今日ガラガラよ」

 ハーマイオニーが落ち着かせるように冷静に言った。

「私達がほとんど姿現しの試験に出ちゃうから……その時に、スラグホーンを少し懐柔してご覧なさい」
「五七回目にやっと幸運ありって言うわけ?」

 ハリーが苦々しく言った。

「幸運――」

 ロンが突然口走った。

「ハリー、それだ! 幸運の液体を使え!」
「ロン、それって――それよ!」

 ハーマイオニーもハッとしたように言った。

「もちろんそうだわ、どうして思いつかなかったのかしら?」
「フェリックス・フェリシス? どうかな……僕、取っておいたんだけど」
「ハリー、スラグホーンの記憶ほど大切なものが他にある?」

 ハーマイオニーが問いただした。ハリーはしばし悩んだが……やがて頷いた。

「分かったよ。今日の午後にスラグホーンを捕まえられなかったら、フェリックス・フェリシスを少し飲んで、もう一度夕方にやってみる」
「じゃ、決まったわね」

 三人は立ち上がった。そして玄関ホールへ向かい、ハリーは『姿現し』試験を受けに行く二人と別れた。

 そして向かった魔法薬の授業には、四人の生徒しかいなかった。ハリー、ハリエット、アーニー、ドラコである。

「皆、姿現しするにはまだ若すぎるのかね? まだ十七歳にはならないのかね?」

 四人とも頷いた。

「そうか。なら、これだけしかいないのだから、何か楽しいことをしよう。何でもいいから、面白いものを煎じてみてくれ」
「良いですね、先生」

 アーニーはへつらうようにして言った。

「面白いものって、どういう意味ですか?」

 一方でドラコは不機嫌さを募らせながら言った。

「ああ、私を驚かせてくれ」

 スラグホーンは気軽に答えた。

 ドラコはむっつりと上級魔法薬の教科書を開いた。

 彼は、ここ最近また一層やつれて見えた。目の下には相変わらず青黒いクマがある。

 ハリエットはドラコから視線を戻し、己の上級魔法薬の教科書を見た。いろんな薬の作り方が載っていたが、今のハリエットは『面白いもの』を見極める精神状態ではなかった。ふと目についたものを、精を出して調合し始めた。作り始めてから、授業内容に関係ないものだったかもしれないと気づいたが、もう後の祭りだった。

「さーて、これはまたなんとも素晴らしい」

 一時間半後に、スラグホーンが生徒の鍋を見て回った。一番始めはハリーである。

「陶酔薬、そうだね? それにこの香りは何だ? ううむ、ハッカの葉を入れたね? 正統派ではないが、ハリー、なんたる閃きだ。母親の遺伝子が君に現れたのだろう!」
「あ……ええ、たぶん」

 プリンスの教科書を足で鞄の奥に押し込めながら、ハリーは答えた。アーニーはかなり不機嫌だった。今度こそハリーより上手くやろうとして、無謀にも独自の魔法薬を創作しようとしたのだが、肝心の薬はチーズのように固まっていた。

 ドラコの『しゃっくり咳薬』をスラグホーンは『よくできている』と評価したが、ドラコはどうでもよさそうに頭を下げるだけだった。

 ハリエットの大鍋を覗くと、スラグホーンは驚いたような顔になった。

「安らぎの水薬だね?」
「はい」

 ハリエットはすぐに頷いた。

「すみません……授業の趣旨とは関係なくなってしまって」
「いや、構わないよ。これまた良くできている。催眠効果が少しだけ高くなってるね? 何か訳があって?」
「はい、あの……この薬、もらってもいいですか?」

 ハリエットはおずおずと申し出た。スラグホーンは目を丸くしたが、すぐに微笑みを浮かべた。

「もちろんだとも。君が作ったのだから。授業をしていると時々忘れがちになるが、魔法薬とは、もともと使い道を考えてから調合するものだからね」
「ありがとうございます!」

 ハリエットはすぐにガラス瓶に薬を詰めた。

 それから慌てて荷物を片付け始めると、終業ベルが鳴り、アーニーもドラコもすぐに出て行った。ハリエットは慌てて鞄を肩にかけ、教室を飛び出す。

「あの――ねえ、ドラコ!」

 地下牢教室を出てすぐの廊下で、ハリエットは何とかドラコを捕まえた。ドラコは今にも逃げたそうな顔をしていたが、腕を掴まれていてはそれも叶わない。

「ねえ、大丈夫? 本当に顔色が悪いわ。最近眠れてないんじゃない? あの……ね、もし良かったら。これどうぞ」

 鞄からガラス瓶を取りだし、ハリエットはドラコに差しだした。

「安らぎの水薬なんだけど、ちゃんと効果はあると思うわ。お節介かもしれないけど――」
「本当にお節介だな!」

 ドラコはその腕を振り払った。ガラス瓶が粉々に砕ける音が響く。

「話しかけるなって言っただろう!」

 ハリエットを激しく睨み付け、ドラコは踵を返して歩き出した。ハリエットは声もなくその後ろ姿を見つめる。

「ハリー、すまないね。私はこれから用事があって――おおっと」

 教室から出てきたスラグホーンは、危うくハリエットにぶつかりそうになってたたらを踏んだ。そして廊下に散らばる水薬とガラス瓶の惨状を見、顔を上げ、立ち尽くすハリエットと、小さくなっていくプラチナブロンドの後ろ姿を見た。

 スラグホーンは『テルジオ』で床を綺麗にし、『レパロ』でガラス瓶を元に戻した。そしてそれをハリエットの手に握らせる。

「作り手の心のこもった薬が台無しだ。君の水薬を飲んでいたら、彼はうんと良く眠れただろうに」

 スラグホーンは励ますようにハリエットの肩を叩いた。ハリエットは機械的に頷いた。