■賢者の石

13:秘密の特訓


 翌週からドラコによるハリエットへの箒の特訓は始まった。時間は毎週金曜の午後で、練習場所はドラコが秘密裏に特訓していたあの場所をそのまま利用することになった。

 始め、ドラコは嫌々ながらハリエットに指導していたが、いざ始まると、なかなか真面目に教鞭を執った。

「マダム・フーチの最初の指導を覚えているか?」
「最初? 箒を地面に置いて、上がれってやったこと?」
「ああ。まずはそれの練習だ」
「飛ばないの?」
「基礎もできてない奴が飛べるか」

 ふんと鼻を鳴らしてドラコがそうのたまう。そう言われれば確かにそうなので、ハリエットは何も言えない。

 仕方なしに、箒を一旦地面に置いた。

「上がれ」

 まるでハリエットを嫌がるかのように、ぐるんと箒は転がった。

「なぜこうなると思う」
「……嫌われてるから?」
「おや、ミス・ポッターは箒にも人格がおありだとお考えで? その純真さには負けるな」

 ムッとハリエットは唇を尖らせる。いちいち嫌味な言い方をしないと話せない呪いでもかかっているのだろうか。

「じゃあ、どうしてこうなるの?」
「お前の恐怖が伝わってるんだ」
「人格あるじゃない」
「これは人格どうこうじゃない! 箒は乗り手の意志や感情が伝わるんだ。どうしてクィディッチの選手は、まるで自分の身体の一部みたいに箒を自在に操れると思う? 乗り手がこう飛びたいと思ったことを、箒が忠実に再現するからだ!」

 ドラコの説明には熱が入っていた。本当にクィディッチや箒が好きらしい。その気持ちがひしひしと伝わってきた。

「まずは空を飛ぶ恐怖を克服することが大切だ。空は恐いのか? 飛びたくはないのか?」
「飛びたいわ。……でも、落ちたらって思うと恐い」

 ハリエットの素直な言葉に、ドラコは頷いた。

「じゃあ一回空を飛ぼう」

 なんとも気軽な口調でドラコは言ってのけた。

「僕が箒を操るから、お前は後ろに乗れ」
「二人乗り!?」

 ハリエットはおののいた。箒は大抵一人で乗るものだし、二人で乗っている人など見たことがなかった。

「二人乗りって、やってもいいの?」
「実力があれば大丈夫だ」
「マルフォイ……実力あるの?」
「……お前は僕に教えを請うてる立場だよな?」

 ジトッとドラコに見られ、ハリエットはそれ以上何も言えなかった。ドラコが箒に跨がり、ハリエットを見るので、渋々彼の後ろに乗った。行くぞも何もなく、ドラコは急発進した。小さく叫び声を上げ、ハリエットは思わずドラコに抱きつく腕の力を強めた。ふわりと重力がなくなり、空を飛んでいるんだと嫌でも自覚する。

「目を開けろ。下は見るなよ」

 ふるふると頷いて恐る恐る目を開ける。目の前の光景は、いつの間にかオレンジに染まっていた。夕日が地平線に沈みかけており、非常に眩しかったが、ドラコの肩越しに見える光景は、とても美しいものだった。

「綺麗……」

 思わず呟けば、ドラコは気をよくしたのか、随分とサービス精神を発揮してくれた。湖の方まで飛んでいき、その湖上をスケートで滑るように飛んだのだ。

 ハリエットははしゃいだ声を上げて、足で湖を蹴った。キラキラと夕日に反射して水しぶきが上がる。

「濡れるだろ」
「気持ちいいじゃない」

 ハリエットは大したことしてないが、やはり集中して空を飛ぶとそれなりに暑かったからだ。

 二人乗りを終えると、早速『上がれ』という練習をした。拍子抜けするほどにすんなり箒が手に収まって、ハリエットは一瞬呆気にとられた。

「すごい……」
「これくらいなんだ。初歩中の初歩じゃないか」
「ううん、そうじゃなくて。マルフォイの教え方がすごいなって。アドバイスが的確だったもの」

 実際に空を飛んで、飛ぶことに恐怖を持たなくなったら、箒が手に飛び込んできた。実際にそれができるようになると、感動に打ち震えた。

「まともに飛べるようになってからそのお言葉を頂きたいものだな。箒に跨がれ。まずは一メートル上がるんだ。それから駆け足程度まで速度をだせ。箒に乗ってるということは考えずに、ただ普通に走ることをイメージしろ」

 それから、翌週もそのまた翌週もドラコによる訓練は続いた。ハリエットに指示を出すと、ドラコは自分の練習に移った。そして時々またハリエットの方にやってきて、アドバイスをくれるのだ。

 その最中分かったことは……ドラコは、意外と努力家だということだ。単純にクィディッチが好きなだけかもしれないが――小さいボールに浮遊術をかけて、必死にそれを追いかける姿からは、やはり努力家という言葉が頭に浮かぶ。

 ハリエットは、毎週のこの秘密の特訓を、結構楽しみにしていた。


*****


「ウィルビー!」

 大広間で朝食をとっていると、聞き慣れた鳴き声を発しながらウィルビーが飛んできた。甘えん坊のウィルビーは、用もないのにこうして大広間にやってくることが多々ある。ハリエットはいつも苦笑いを浮かべ、彼女を構うのだ。手ずから餌をあげ、頭をなで、たくさん声をかけ。

 しばらくして満足がいくと、またウィルビーは気まぐれに飛んでいくのだ。

 ウィルビーを見送っていると、りりしい顔つきをしたワシミミズクが目に映った。誰のふくろうだろう、とぼんやり考えていたら、彼はサッとハリエットの前に手紙を落とし、そのまま旋回して優雅に去って行った。突然のことに、ハリエットは瞬きをした。慌ててワシミミズクを目で追ったが、もう彼は大広間から姿を消していた。

「誰から? それ」

 ハリーはオートミールをつつきながら、ハリエットに尋ねた。

「珍しいね。友達でもできたの?」
「分からないわ。誰かしら」

 手紙を裏返したが、宛名も差出人の名もない。ハリエットは封を切った。

 小さいカードには、端的に書かれていた。
『用事がある。今日は行かない』
「誰からだった?」

 ハリーは訊ねた。ハリエットはスリザリンの方に視線を向けながら、ううんと首を傾げる。

 ドラコからだとはすぐに気づいた。今日は金曜だったし、箒の訓練についてだろう。とはいえ、毎週彼に教えを請うていることは、ハリーはもちろんのこと、ロンやハーマイオニーにも言っていない。言ったら確実に止めろと言われることは分かっていたし、だったら自分が先生をするとハリーが言い出しそうだったからだ。

 どう誤魔化すか、とハリエットが黙していると、向かいのハーマイオニーが悪戯っぽく笑った。

「もしかして、ラブレターかしら」
「ええっ!」

 ハリーとロンが一斉に声を上げた。遠慮のない声量だったので、なんだなんだと皆の視線が集まった。

「だってそうでしょ? ハリーにも相手を言わないなんて」

 ハーマイオニーの推理は続く。

「それに、手紙にしては短いもの。中身は一枚のカード、でしょ?」
「これを運んできたの、どんなふくろうか見た?」

 ハリーはロンに聞いたが、ロンは首を傾げるばかりである。

「ハーマイオニー!」
「私だってそこまで見てないわよ。ご飯食べてたんだもの」
「…………」

 何故だか、本当にラブレターということで話が進んでいる。ハリエットは非常に気まずかったが、しかし、ある意味ではこれで良かったのかもしれない。これ以上追求されることがなくなるのだから。

 そう思っていたが、ハーマイオニーの尋問はまだ続いていた。

「それに、ハリエットったら、すごく嬉しそうだったもの」
「えっ!」
「笑ってたわよ」

 言われて、ハリエットは手元の手紙を見る。……そう、確かに嬉しかった。初めて自分宛に手紙が来たのだ。それも、ハリーと連名ではなく、自分だけのために。内容は簡潔で、しかもただの伝達事項だったが、それでもやはり嬉しい。

 マグルの世界には、知り合いはいても、友達はいない。育ての親はいても、両親はいない。互いしかいなかった双子に、手紙をくれる存在はいなかった。

 ハリエットが静かになったので、ハリーが慌てた。

「ね、ねえ、名前は書いてあったの?」
「書いては……なかったわ」

 万が一ふくろうが手紙を紛失しても、身元がバレることを恐れたのだろう。彼も、きっと落ちこぼれのハリエットに箒を教えているのは屈辱に違いないのだ。

「おっどろきー。相手は誰だろうね。同じグリフィンドールかな」
「どうでしょうね。手紙でしか伝えられないほどシャイなのか、なかなか接点がないからこうするしかないか、それとも」

 ハーマイオニーは糖蜜パイにフォークを刺した。

「グリフィンドールに話しかけると目立つからふくろう便しか無理、とか」
「スリザリンってこと!?」
「さあ、それは分からないわ」

 ハーマイオニーは余裕の笑みを見せる。ハリエットはその場で項垂れた。

 ハーマイオニーが恐ろしかった。何だかそのうちハリエットが何を考えているかさえも当ててきそうだ。ハリエットは内心戦慄した。


*****


 翌週は、何の連絡もなかったので、ハリエットはいつも通り城裏までやってきた。ドラコは本当に熱心で、いつもハリエットより早く到着していた。今日もそうだ。

 肌寒くなってきたというのに、随分長い間練習しているのだろう、彼はもう既にローブを脱いでいた。ハリエットが来たことに気づくと、ドラコは慣れた様子で着陸する。

「手紙ありがとう」
「手紙?」

 開口一番に言われ、ドラコは眉を顰めるが、すぐに合点がいった。

「ああ、先週のか。でもあれはただの連絡だろう」
「それでも嬉しかったの。私、初めて誰かから手紙が来たから」

 寂しく呟かれ、ドラコは戸惑う。少し前、ハリーに全然手紙が来ないことをからかったことを思い出し、少し気まずくなった。

 弱点を見つけたと思ったらネチネチと攻撃するのが得意なドラコだが、こんな風に、自ら弱点をさらけだされたら、どうすれば良いか分からなくなる臆病者である。ハリーやロンとは、嫌味の応酬を繰り返す、いわば直球勝負だったが、ハリエットは何が来るか分からない変化球だった。ドラコはハリエットの台詞を聞かなかったことにした。