■謎のプリンス

19:天文台の塔


 ハリーとジニーが付き合っているという噂は、ホグワーツ中に瞬く間に広がった。六年生になってから、ハリエットはハリーの気持ちに気づいていたので、二人のお付き合いには大賛成だった。とはいえ、ジニーの兄であるロンは手放しでは喜べないようで、付き合う許可は与えたが、今後の二人の行動次第で、撤回することもありうるかもしれないと釘を刺した。

 六月に入ると、ジニーはOWLの試験勉強があるので、二人で過ごす時間があまり取れないようだったが、それでもハリーはこの上なく幸せな時を過ごしているように見えた。

 そんな矢先、ダンブルドアに急用だと呼び出されたハリーが戻ってきたと思ったら、彼は寝室へ駆け上がり、大慌てで忍びの地図と透明マント、そして丸めたソックスを持ってまた談話室に降りてきた。

「時間がないんだ」

 ハリーはハリエット、ロン、ハーマイオニーを集めて囁いた。

「トレローニーが、必要の部屋でマルフォイの声を聞いた。泣きながら喜んでたって言ってた。ダンブルドアは今夜ここにいない。だから、マルフォイは何を企んでいるにせよ、邪魔が入らない良いチャンスなんだ」

 ハリーは地図をハーマイオニーの手に押しつけた。

「マルフォイを見張らないといけない。それにスネイプも。他に誰でも良いから、DAのメンバーをかき集められるだけ集めてくれ。ハーマイオニー、ガリオン金貨の連絡網はまだ使えるね? ダンブルドアは学校に追加的な保護策を施したって言うけど、スネイプが絡んでいるのなら、ダンブルドアの保護措置のことも、回避の方法も知られている――だけど、スネイプは君たちが監視しているとは思わないだろう?」
「ハリー――」

 ハーマイオニーは何か言いたげに口を開いた。

「議論している時間がない。これを持って行って」

 ハリーはソックスをハリエットの手に押しつけた。

「ソックスの中にフェリックス・フェリシスが入ってる。君たちとジニーで飲んで。ジニーに僕からのさよならを伝えてくれ」
「駄目よ!」

 ハーマイオニーが一番に叫んだ。

「私達はいらない。あなたが飲んで。これから何があるか分からないでしょう?」
「僕は大丈夫だ。ダンブルドアと一緒だから。僕は君たちが無事だと思っていたいんだ」

 早口で言うと、ハリーは今度はハリエットに顔を向けた。

「ハリエット、話がある。もう時間がないから、途中まで僕と一緒に来て」

 返事も聞かずに、ハリーはハリエットの腕をぐいと掴んで歩き始めた。

「スネイプには気をつけて」

 肖像画の穴を出ながら、辺りを憚るように彼は囁いた。

「夏休み、予言について話しただろ? 誰かがトレローニーの予言を盗み聞きしたけど、途中までしか聞けなかったって」
「ええ」
「その犯人はスネイプだ」
「そんな――」

 ハリエットは目を見開いた。

「じゃあ……お父さんとお母さんが死んだのは……」
「スネイプがその予言をヴォルデモートに告げ口したからだ。ダンブルドアはもちろんそれを知ってた。知ってて黙ってたんだ。スネイプはもう改心したから大丈夫だって言うけど、僕は信じられない。どうしたらあいつが僕たちの味方だって思える? ……とにかく、スネイプにも気をつけて。じゃあ僕はもう行かなきゃ。くれぐれも気をつけて」

 ハリーは本当に急いでいた。目も合わせずに行こうとする彼に、ハリエットは声をかけずにいられなかった。

「ハリー!」

 ハリーは走りながら振り向いた。

「本当に……気をつけて」
「ハリエットも。また会おう」

 軽く手を振って、ハリーは今度こそ本気で駆け出した。


*****


 ハリエットが談話室に戻ると、ロン、ハーマイオニーの他に、ネビルとジニー、ルーナがいた。皆で一口ずつ幸運の液体を飲むと、小瓶は空になった。

「まず二手に分かれないと。マルフォイを見張る人と、スネイプ先生を見張る人」

 話し合いの結果、六人は四対二で分かれることになった。今夜ことを起こすのはマルフォイで、かつハリーは怪しいと言っていたが、一応スネイプは騎士団の人間なため、どうしても見張る必要性が考えられずにいたのだ。

 ロン、ネビル、ジニー、ルーナがドラコを見張り、ハリエットとハーマイオニーがスネイプを監視することになった。ハリエットもドラコ組に入りたいと宣言したが、ハーマイオニーに却下された。『いざとなれば杖を交える可能性もあるのに、躊躇わない自信はあるの?』と言われ、ハリエットは返す言葉も見つからなかった。

 話し合いが収束すると、すぐに談話室を抜け出し、それぞれの目的地へ散らばった。事前に忍びの地図でスネイプは研究室に籠もっていることは確認済みだ。ドラコの姿もまたスリザリン寮になかったので、おそらく必要の部屋にいるのだろう。

 消灯時間になっても、スネイプに動きはなかった。

「まだ起きてるみたいね」
「本でも読んでいるのかしら」

 フレッド、ジョージから借りていた伸び耳で物音を確認したが、これといって大きな音はない。時計の音と、ページをめくる音が響くのみだ。

 異変が起こったのは、真夜中が近づいてきた頃だろうか。バタバタと廊下の奥から足音が聞こえてくる。闇夜に浮かぶ小柄な身体は、紛れもなく――。

「フリットウィック先生よ! 隠れて!」

 彼は随分慌てているようだった。血相を変えて、小さな手足をバタバタさせている。

「死喰い人だ! 死喰い人が城の中にいる!」

 声高々に叫びながら、フリットウィックはスネイプの部屋に飛び込んだ。ハリエット達は慌ててドアの近くに寄った。

「す、スネイプ! 加勢してくれ! 死喰い人がホグワーツに侵入して――」

 フリットウィックの声はそこで途切れた。ドサッという大きな音がして、その後すぐ、スネイプが部屋から飛び出してきた。

「――っ」

 スネイプは、部屋の前にいたハリエットとハーマイオニーを見て目を見開いた。スネイプは杖を取り出し、そして――ハーマイオニーに向かって失神呪文を放った。赤い閃光がハーマイオニーの胸に直撃し、彼女の身体はぐらりと倒れ込む。無言呪文だった。

「せっ――」

 混乱と驚きでハリエットがスネイプに顔を戻したときにはもう遅かった。スネイプはハリエットにも失神呪文を放ったのだ。

 スネイプの判断は正しかった。おそらく最初にハリエットを失神させていたら、その間にハーマイオニーは全てを理解し、素早く反撃しただろう。

 ハリエットは、自分の考えの甘さと不甲斐なさに蒼白となったが、もう時既に遅かった。

 全身の力が抜け、膝から崩れ落ちようとする中、ハリエットは最後に自分に向かって手を伸ばすスネイプの姿を見た。


*****


 一方で、ドラコ組も出し抜かれていた。必要の部屋の前で見張っていると、一時間ほどでドラコがそこから出てきたのだが、持っている者にだけ灯りが見えるという『輝きの手』を持った彼は、四人に気づくと、辺りに煙幕を張った。フレッドとジョージが開発した『インスタント煙幕』だとロンはすぐに気づいた。

 途端に白い黙々とした煙が辺りに立ちこめ、すぐ側にいるはずの仲間の姿さえ見えなくなった。

「やられた! マルフォイはどこだ!」
「ルーモス!」
「インセンディオ!」

 ロンは混乱するだけだったが、ネビルとジニーは覚えている限りの呪文を叫んだ。しかし、それでも煙は晴れない。すぐ近くを複数の足音が通り過ぎるのが聞こえた。

「こっちだ! こっちには煙がない!」

 ネビルが叫び、他の三人を導いた。煙を抜け、ようやくと明るい廊下に出たときには、もうマルフォイも一緒にいた人の姿もなかった。

「出し抜かれた!」
「あいつめ! 輝きの手だ、輝きの手を使って――」
「そんなこと今はどうでもいいわ! 急いで先生に知らせないと!」

 四人は、マクゴナガルの部屋に走った。だが、その途中でなんとルーピン、トンクス、そしてセドリックと出会った。二人の側にはスナッフルもいる。ロン達はスナッフルとセドリックを見て驚きにあんぐり口を開いたが、今は彼の存在について言及している暇は無かった。

「どうして君たちがここに――」

 驚いていたのは四人だけではなかった。しかしジニーが走りながら、冷静に状況を説明する。

「マルフォイを見張ってたの。姿は見えなかったけど、マルフォイは何人か引き連れて天文台の塔の方に上がっていったわ。侵入者がいるのよ」

 死喰い人かもしれない、とジニーは付け足した。

「ルーピン達は、どうしてここに?」

 今度は逆にロンが聞き返した。

「ダンブルドアは今夜不在だ。その間の警備を頼まれた」
「わたしは頼まれていないが、ボランティアでやってきた」

 いつの間にかスナッフルはシリウスに戻っていた。

「絶対に駄目だと言ったんだが、聞かなくてね」
「ハリーはどうしたんだい? ハリエットやハーマイオニーも」

 セドリックが尋ねた。

「ハリーはダンブルドアと一緒にいる。ハリエットとハーマイオニーは、スネイプを見張ってる」
「スネイプを? それはまたどうして」

 ルーピンはロンに尋ねた。

「もしかして、まだスネイプのことを疑ってるのか? スネイプは騎士団員だ。決して――」

 ルーピンの言葉が途切れた。行く手に、人の気配があったからだ。

 天文台の塔へ上がる階段の前に、死喰い人の群れがあった。その中にはドラコの姿もある。

「エクスペリアームス!」

 ルーピンの呪文で戦いの火蓋は切られた。赤い閃光が死喰い人の一人に直撃し、彼は吹っ飛ばされた。死喰い人は襲撃に気づき、散り散りになった。

「ルーナ! ジニー! ホグワーツの先生に異常を知らせてくれ! 加勢をお願いするんだ!」
「分かったわ!」

 二人は階段を駆け下りる。ルーピン、シリウスを先頭に、ロン達はジリジリと死喰い人と距離を詰めた。

 天文台の塔の下で、戦いの火蓋が切られた。それぞれ一斉に呪文を飛ばし、そして身を守るため、続けざまに盾を出したり、飛んで避けたりした。

 死喰い人の集団の一人が、天文台の塔への階段を駆け上った。

 彼が何をしにいっているのか、確認する暇など無かった。すぐに乱闘が始まったからだ。しばらくして彼は階下に駆け戻って来、戦いに加わろうとしたが、ルーピンを僅かに逸れた死の呪いに当たり、その場に倒れ込んだ。

 戦いは混戦状態にまでもつれていた。ネビルは誰かの逸れた呪文がかすり、腕をやられた。ビルは狼人間のグレイバックに噛みつかれ、その場に倒れ込んだ。呪いがそこら中に飛び交っていた。誰がどこにいるかも分からない。

 特に危険なのが、大柄な死喰い人の放つ呪いだ。ところ構わず呪文を飛ばすので、あちこちの壁に跳ね返ってきたが、全てすれすれのところでロン達には当たらなかった。フェリックス・フェリシスの効果が続いているようだった。

 同時に、幸運の液体はロンに警鐘を鳴らした。ロンが顔を上げドラコの姿を探すと、もう辺りには彼の姿はなかった。それどころか、よく見れば幾人かの死喰い人も塔への階段を上っているところだった。

「奴らだ! 奴らが天文台の塔へ向かってる!」

 ロンは大声で危険を知らせたが、その時にはもう遅かった。最後の一人が何かの呪文を大声で叫ぶ。すると、途端に階段に障壁が出来上がった。ネビルは突進して死喰い人の後を追おうとしたが、何かに阻まれたかのように空中に放り投げられた。

 ルーピン、シリウスも後に続くが、突破することは適わなかった。見えない壁があるかのように跳ね返されるのだ。

「スネイプだ! 加勢だ!」

 誰かの声が聞こえた。ロンの場所からは、スネイプの姿は見えなかった。しかし、彼が階段を駆け上る後ろ姿は見えた。ネビル達を跳ね返した障壁は、なぜかスネイプは通したのだ。

「ハリエットやハーマイオニーはどこだ?」

 シリウスが叫んだ。

「どうしてスネイプは来たのに、二人はいない?」

 その言葉を受けて、ロンはすぐに嫌な予感がした。もともと、ハリー同様、ロンもスネイプのことは信用していなかった。すぐさま戦線から離脱し、懐から地図を取り出して眺めた。スネイプの研究室に二人の姿はなく、動かないフリットウィックの名前があった。焦る思いで名前を探すと――スネイプの研究室からは離れた場所にある、地下の空き教室に二人の名前があった。フリットウィック同様、その名前は少しも動かなかった。

「僕、二人を迎えに行ってくる!」

 それだけ言うと、ロンは身を翻して駆け出した。あの二人の身に何かあっただろうことは、一目で分かった。

 幸運にも、混戦状態のそこを堂々と中央突破しても、ロンは誰にも狙われなかった。まだフェリックス・フェリシスが効いてるらしい。

 地下まで一気に駆け下りると、勢いよく空き教室の扉に手をかけたが、空かなかった。急く思いで『アロホモーラ』を唱え、扉を開ける。そしてそこに広がる光景を目にした時、ロンは混乱と怒りで顔が真っ赤になった。

 ハリエットとハーマイオニーは、全身をロープで縛られ、地面に転がっていた。ご丁寧に猿ぐつわまで噛せられている。ロンはカッカしながら『フィニート』をかけた。

「リナベイト! 活きよ!」

 続いて、二人は気絶したままだったので、蘇生の呪文をかけた。二人はすぐに目を開けた。

「大丈夫かい!? 一体何があったんだ?」
「スネイプよ!」

 転がっていた己の杖を拾い上げ、ハーマイオニーは忌々しげに叫んだ。

「あいつが――私達を失神させたの!」
「一体どうして――」
「そんなの知らないわ! あいつも仲間だったのかも! スネイプは今どこに?」
「天文台の塔に。――そういえばあいつ、僕たちが入れなかった場所に、いとも容易く入ったんだ。僕たちは跳ね返されたって言うのに――」
「そういえば、死喰い人の襲撃があったって本当? 上で何が起こってるの?」
「マルフォイだよ」

 ロンが吐き捨てるように言ったとき、ハリエットは背筋が凍る思いがした。

「マルフォイが死喰い人を手引きしたんだ。今、マルフォイと数人の死喰い人が天文台の塔に上がってる。何をしてるのかは分からない。僕たちは、騎士団と一緒に他の死喰い人と戦ってるんだ」
「加勢しないと!」

 ハーマイオニーが憤然として言った。ハリエットも杖を拾って立ち上がる。

「でも、大丈夫? ほんとに怪我はない?」
「ないわ! 腹立たしいことに、ほんとに気絶させられて、縛られただけ。ハリエットも大丈夫よね?」
「ええ、もちろん。行きましょう!」

 ハリエットもしっかりと足を踏みしめ、立ち上がった。じっとしていることなんてできなかった。