■謎のプリンス
21:飛び交う呪文
ハリエット、ロン、ハーマイオニーの三人は、すぐに空き教室から出た。途中、ハッフルパフの寮の談話室近くを通り過ぎたらしく、大勢のパジャマ姿のハッフルパフ生に出会った。
「ロン? 音が聞こえたんだ。一体何があったんだ? 誰かが闇の印のことを言ってた――」
「今はそれどころじゃない! 退いてくれ!」
アーニー・マクミランが話しかけてきたが、三人には悠長に話している暇は無かった。
玄関ホールまで階段を上がったとき、上から逆に、誰かが駆け下りてきている姿が目に飛び込んできた。――ドラコとスネイプだ、そしてブロンドの大柄な死喰い人。まさかこんな所で遭遇するとは思わず、両者共々一瞬の間固まった。だが、そんな中でいち早く杖を構え、呪文を放ってきたのはスネイプだ。無言呪文で容赦なくハーマイオニーに向かって呪文を放ち、彼女はすんでの所でそれを避ける。ハリエットとロンがすぐに援護に回ったが、二人の呪文を、スネイプは軽く杖を振るうだけでいなした。その間に、ハーマイオニーもまた大柄な死喰い人と激しい接戦を繰り広げた。
「ドラコ、行くぞ――」
油断なく杖を構えたまま、スネイプはドラコの襟首を掴んだ。しかしドラコはそれを振り払って避け、ハリエットに杖を向けた。
「ステューピファイ!」
「インペディメンタ!」
失神呪文を妨害した後、ハリエットは動揺と決意、相反した感情がみなぎった瞳でドラコと対峙した。彼はやる気だった。一切の躊躇なく――。
「活きのいい獲物が三体もいやがる!」
階段の一番上から、グレイバックが舌なめずりしながら見下ろしていた。明らかに不利な状況だった。スネイプは本気で戦う気はなかったようだが、グレイバックは違う。彼は、この場の誰よりも好戦的だった。四方八方に呪文を放ち、三人と応戦するハリエット達の気を散らし――その実、素早い動きでハーマイオニーに後ろから飛びかかった。
「ハーマイオニー!」
視界の隅でハーマイオニーがうつ伏せに押し倒されるのが見え、ロンとハリエットが叫んだ。グレイバックは、今まさにハーマイオニーのその首元に牙を突き立てようとしていた――。
「インペリオ! 服従せよ!」
――ドラコが、グレイバックに杖を向けていた。グレイバックは恍惚とした表情になり、やがてハーマイオニーから離れる。
ドラコのこの信じられない行動に、スネイプさえも一瞬動きを止めた。
ハリエットも、ドラコが助けてくれたのだとすぐに思った。やっぱり、ドラコは嫌々従わされているだけで、誰かを傷つけようとする意志はないのだ――。
しかし、ハリエットの思考はそこで途切れた。従順になったグレイバックが驚くべき速さで杖を抜き、ハリエットに失神呪文を放ったからだ。ロンとハーマイオニーも同様、為す術もなかった。すぐさま二人はグレイバックに向けて呪文を放ったが、ドラコが盾の呪文を出し、攻撃には至らない。
「マルフォイ!」
怒りのあまり怒鳴りながらロンはドラコに杖を向けるが、横から死喰い人に全身金縛り術を受け、身体を硬直させたまま地面に転がる。
グレイバックがハリエットを抱え上げた。ハーマイオニーが彼に向かって妨害の呪文を放ったが、ドラコがその呪文ごとハーマイオニーを吹き飛ばす。
「ドラコ――」
スネイプが、グレイバックに杖を向けた。何を、という顔でブロンドの死喰い人がスネイプを見たが、スネイプは止まらなかった。無言でその杖先から閃光を迸らせたが、間一髪、ドラコが盾の呪文で防いだ。
「スネイプ! 一体何を――」
しかし、その死喰い人の言葉は最後まで続かなかった。視界の隅に、閃光が飛んでくるのが見えたからだ。すんでの所で死喰い人はそれを躱した。もう一本飛んできた呪文は、スネイプのすぐ横を掠めた。スネイプはすぐに振り返り、臨戦態勢をとったが、その隙にドラコは駆け出し、グレイバックもまたハリエットを抱えたまま、もう玄関の外まで逃げ出しているところだった。
「スネイプ!」
現れたのは、ハリーとシリウスだった。死喰い人はすぐにドラコ達の後を追って駆け出した。スネイプは舌打ちしながらジリジリと後退する。
「我輩を相手にしていて良いのか?」
スネイプは叫ぶようにして言った。
「ハリエット・ポッターがグレイバックに連れ去られた。早く追いかけた方が良いんじゃないかね?」
「何だと!?」
スネイプの言葉を鵜呑みにして良いものか、ハリーとシリウスは押し黙った。だが、すぐに目配せをすると、ハリーが走り出した。と同時に、シリウスがスネイプに閃光を放つ。スネイプも応戦した。目も眩むような閃光が空中で何度も瞬く。
一切の油断も許されない決闘だったが、やがてバタバタと騒がしい足音に気を削がれる。二人の背後から更に現れたのは、カロー兄妹だった。
「ちっ!」
咄嗟にシリウスは壁を背後に、カロー兄妹に向けて赤い閃光を放った。そのすぐ後スネイプに杖を向けたが、その時にはもう彼は玄関に向けて走り出した後だった。
呪文を避けた兄妹は、バラバラになって左右からシリウスを挟んだ。シリウスは駆け回り呪文が飛び交う中を走り抜けたが、防戦だけで手一杯だった。
しかし、兄妹は、この場にまだ動ける者がいることを知らなかった。気づいたときには、アミカスの杖は宙を飛び、その身体は壁に激突していた。息も絶え絶えなハーマイオニーが、アミカスの不意を突いたのだ。
一対一になってからは早かった。シリウスはすぐにアレクトを戦闘不能にさせ、ハーマイオニーに近寄った。
「ハーマイオニー! 助かった。怪我は――」
「行って!」
ハーマイオニーは髪を振り乱しながら叫んだ。
「ハリエットが連れ去られたの! 早く行って!」
「――っ」
シリウスは目の色を変えて走り出した。すぐにもどかしくなり、犬に変化して駆けた。
シリウスは玄関ホールを飛ぶように横切り、暗い校庭に出た。五つの影が散り散りになって校門に向かっていた。一番先頭は、奇妙な形をしていた。その大きさからいって、おそらくハリエットが抱えられている――。
シリウスはその健脚を使ってぐんぐん近づいた。スネイプを追い越し、ブロンドの死喰い人と戦っているハリーを追い越し、ついにはグレイバックを視界に捕らえた。シリウスはそのままグレイバックの足に食らいつこうとしたが、それは適わなかった。シリウスの存在に気づいたドラコが、呪文を飛ばしてきたからだ。グレイバックしか見えていなかったシリウスはその閃光にまともに直撃し、その衝撃で吹っ飛んだ。
「止めろ!」
闇夜にスネイプの声が轟いた。
「命令を忘れたのか? ポッターは闇の帝王のものだ――手出しをするな! 行け! 行くんだ!」
ハリーと戦っていたブロンドの死喰いが校門めがけて駆け出した。
シリウスはすぐにアニメーガスを解いた。クラクラする頭を抑えながらよろよろ走り出す。
ドラコとグレイバックは、もう校門の外に出ていた。くるりと身を翻し、怖いくらいの無表情でシリウス達を眺めている。
あまりにも離れすぎていた。それでもシリウスは呪文を放ったが、やはりドラコとグレイバック、二本の呪文に妨害される。更にはブロンドの死喰い人がシリウスの前に立ちはだかった。
「ああ……良い匂いじゃねえか」
グレイバックが恍惚とした表情でハリエットの首元に顔を埋めた。
「噛んだらさぞ良い味がするんだろうなあ」
「お前!」
激昂してシリウスは赤い閃光を放ったが、死喰い人に容易に阻まれる。
「止めろ」
静かな声でドラコが言った。
「闇の帝王は無傷の人質をお望みだ」
グレイバックに杖を向けたのはシリウスだけではなかった。自分を攻撃を仕掛けてくるハリーを数多の呪文で制したスネイプは、彼にとどめを刺すことなくグレイバックにその杖先を向けていた。
――ハリエットも殺すつもりだ――ハリーは咄嗟にそう思った。ダンブルドアだけでなく、こいつはハリエットまでも――。気づけば、ハリーの口が呪文を紡いでいた。
「セクタム センプラ!」
見えない刃が、たちまちスネイプの全身を切り刻んだ。彼の顔が苦痛に歪む。彼の杖先から呪文が放たれることはなく、グレイバックは、ドラコと共に姿くらましをした。あっという間の出来事だった。シリウスは茫然としてその場に崩れ落ち、スネイプは血だらけの顔で、己の杖先をハリーに向けた。
バーンというけたたましい音鳴り響く。その音がシリウスを現実に引き戻した。振り返ると、ハリーがのけぞって吹っ飛び、地面に叩き付けられているところだった。
「我輩の呪文を本人に対してかけるとは、ポッター、どういう神経だ? そういう呪文の数々を考え出したのは、この我輩だ――我輩こそ『半純血のプリンス』だ――!」
スネイプのすぐ側を呪文が掠めた。スネイプが杖を構えて振り返ると、猛然とシリウスが駆けてくるところだった。
スネイプは身を翻し、校門に駆け出した。シリウスは目を血走らせてスネイプに立て続けに呪文を放つが、すでに校門に到着したもう一人の死喰い人に阻まれる。
「臆病者! 逃げるな!」
スネイプも校門の外に出た。振り返った彼は無表情だった。力の限り放った呪文は、姿くらましの魔法に追いつかなかった。ただ闇夜を真っ直ぐ飛んでいく。
「ああ……ああっ!」
シリウスはがっくりとその場に崩れ落ちた。ゼイゼイと息を吐くハリーの呼吸がやけに大きく聞こえた。シリウスは地面を力一杯殴りつけた。やり場のない怒りがシリウスの中を巡り巡ってどうにかなってしまいそうだった。
ハリエットが――ハリエットが、連れ去られてしまったのだ。