■謎のプリンス

22:戦いの爪痕


 ダンブルドアの亡骸は、一番高い塔の下の芝生に横たわっていた。側まで近寄ると、もう息をしていないのが一目で分かった。

 死んでいた。

 ハリーは今日の出来事を夢だと思いたかった。

 ダンブルドアは死んでない。ハリエットも談話室で僕の帰りを待ってる。早く戻らないと、また心配そうな顔で出迎えられる――。

「ハリー」

 一瞬、ダンブルドアが呼んだのだと思った。しかし期待に開けた目は、大の字になって倒れているダンブルドアを映すだけだった。

「ハリー、事態を把握せねば」

 肩を揺さぶられる。今度はちゃんとシリウスの声だと頭が認識した。

「ハリエットを救うんだ」

 頭にガツンと衝撃があった。ハリーはようやく我に返った。唇を真一文字に結び、立ち上がる。

「俺がダンブルドアを見ておく。ハリー、行ってくれ……」

 ハグリッドがうめき声と共にそう漏らした。ハリーはシリウスに支えられながら歩き出した。

「どこへ……」
「医務室だ。皆がそこに集まっているようだ」

 シリウスに連れられてハリーがその場から離れようとしたとき、足が何かを蹴ったのに気づいた。――ロケットだった。もう何時間も前にダンブルドアと二人でやっと手に入れたロケットが、ダンブルドアのポケットから落ちていた。

 ハリーはそれを拾い上げ、ポケットに押し込んだ。そしてシリウスに肩を抱かれながら、夢遊病者のように医務室へと向かう。

 医務室の扉を押し開くと、ネビルが扉近くのベッドに横になっていた。ロン、ハーマイオニー、ルーナ、ジニー、トンクス、ルーピン、セドリック、マクゴナガルが病棟の一番奥にあるもう一つのベッドを囲んでいた。そのベッドには、傷だらけのビルが横たわっており、マダム・ポンフリーが緑色の軟膏を傷口に塗りつけていた。

「ハリエットは?」

 ハーマイオニーが足をもつれさせながら近づいてきた。

「ねえ、ハリエットは?」

 開いた口からは、何も言葉が出てこなかった。声を詰まらせるハリーと同様、シリウスは顔を歪ませた。

「連れ去られた」
「……えっ?」
「グレイバックに連れ去られた」
「そんな――」

 よろめいたハーマイオニーを、ロンが支えた。

「ダンブルドアはどこだい?」

 引きつった声で、ロンは誰とはなしに尋ねた。

「ダンブルドアと一緒にハリエットを救い出す方法を――」
「ダンブルドアは死んだ」

 ハリーが力なく言った。

「スネイプが殺した。僕はその場にいた。スネイプがやったんだ――」
「まさか!」

 ハリーが否定してくれることを望むかのように、ルーピンの目がハリーとシリウスを行ったり来たりした。しかし、そのどちらも否定しないことが分かると、すぐ脇の椅子にがっくりと座り込み、両手で顔を覆った。マダム・ポンフリーもわっと泣き出した。誰も慰めることができなかった。

 暗闇のどこかで、不死鳥が鳴いていた。恐ろしいまでに美しい、打ちひしがれた嘆きの歌だった。

 その歌に心を揺すぶられ、不意にハリーの瞳から涙が零れた。力の限り杖を握りしめる。

「スネイプめ! やっぱりあいつは裏切り者だったんだ! 改心なんかしてなかった! グレイバックと一緒になってハリエットを誘拐して、あいつ――あいつ!」
「ハリー……」

 躊躇いがちに、ハーマイオニーが声を上げた。

「ハリエットを誘拐したのはグレイバックじゃないの。グレイバックは……マルフォイに操られていたのよ」
「どういうことだ?」

 ルーピンがすぐに聞き返した。ロンとハーマイオニーは顔を見合わせた。

「ハーマイオニーがグレイバックに襲われそうになったとき、マルフォイが奴に服従の呪文をかけたんだ。グレイバックはハーマイオニーを離したから、一瞬僕らを助けてくれたのかと思ったけど――そのすぐ後、グレイバックはハリエットを失神させた」
「そしてそのまま連れ去ったのよ。マルフォイがやったの」
「あいつ――!」
「だからあんな奴信じるなって言ったんだ!」

 シリウスとハリーが同時に叫んだ。

「何度も言ったのに……あいつは危険だって……なんで……ハリエット……」

 崩れ落ちたハリーの背中に手を当て、シリウスは一緒に肩を震わせた。そんな二人を見ながら、ロンは躊躇いがちに続けた。

「スネイプは、自分を見張ってたハリエットとハーマイオニーを縛って拘束してた。きっと、ハリエットの誘拐は計画の一部だったんだ」
「スネイプ!」

 マクゴナガルが悔恨に満ちた声で叫んだ。

「私達全員が怪しんでいました……しかし、ダンブルドアは信じていた……スネイプが……信じられません」
「スネイプは熟達した閉心術士だ。そのことはずっと分かっていた」

 ルーピンが力なく言った。マクゴナガルは一層脱力した。

「スネイプを信用するに足る鉄壁の理由があると、ダンブルドアは常々そう仄めかしていました」
「ダンブルドアを信用させるのに、スネイプが何を話したのか知りたいものだわ」
「僕は知ってる」

 トンクスの呟きに、ハリーが声を上げた。全員が振り返ってハリーを見た。

「スネイプがヴォルデモートに流した情報のおかげで、ヴォルデモートは父さんと母さんを追い詰めたんだ。そしてスネイプはダンブルドアに、自分は何をしたのか分かっていなかった、自分がやったことを心から後悔している、二人が死んだことを申し訳なく思っているって、そう言ったんだ」
「それを……ダンブルドアは信じたのか?」

 シリウスが信じられないという声で言った。

「ダンブルドアは、スネイプがジェームズの死をすまなく思っているというのを信じた? スネイプはジェームズを憎んでいたのに……!」
「それに、スネイプは母さんのことをこれっぽっちも価値があるなんて思っちゃいなかった。だって母さんはマグル生まれだ……穢れた血って、スネイプは母さんのことをそう呼んだ……」

 ハリーがどうしてそんなことを知っているのか、誰も何も聞かなかった。全員が恐ろしい衝撃を受け、茫然としていた。

 そんな中、慌ただしい様子でモリーとアーサーが到着した。二人は足早にビルのベッドに駆け寄り、マダム・ポンフリーから説明を受ける。

「……騎士団員を集めましょう」

 しばらくしてマクゴナガルが言った。

「ミス・ポッターの行方を調べるんです。彼女の拉致が計画の一部なのだとしたら、死喰い人がその行方を知っているかもしれません」
「校内に死喰い人はもういない。全員逃げ出したか死んだかのどちらかだ……」

 ルーピンの低い声に、シリウスは両手で顔を覆った。

「ですが、死喰い人を捕まえれば、何か分かるかもしれません。ダンブルドア亡き今、きっと死喰い人の動きは活発化するでしょう。これからを話し合うのです」

 すすり泣くモリーの傍らでこれ以上話をするのが憚られ、マクゴナガルは団員に自分の部屋に来るよう促した。ルーピンやトンクス、セドリックはすぐに動いたが、シリウスはなかなか腰を上げない。

「シリウス、しっかりなさい!」

 そんな彼を叱咤したのはマクゴナガルだった。

「あなたがそうしていても、事態はよくなりません! 今はがむしゃらに動くときなのです! 少しでもミス・ポッターの手がかりを掴むんです!」

 ようやくよろよろとシリウスが動き出した。ハリーもロンもハーマイオニーも、その後に続いた。マクゴナガルは何も言わなかった。