■謎のプリンス

27:単身


 ドラコは、明朝、ホグワーツの校庭を歩いていた。

 ハリー・ポッターと接触するため、ホグワーツへ侵入する経路に悩みはしなかった。三年生の頃の出来事をドラコは覚えていたのだ。アニメーガスのシリウス・ブラックに暴れ柳の根元に引き込まれ、そこから叫びの屋敷に連れ去られたあの出来事を。

 ホグズミードは騎士団によって警備され、死喰い人を手引きするにはその経路は向かなかったが、ドラコ単体だと容易に通り抜けることができた。消灯時間は過ぎているのか、城は静かだった。時折ピーブズの声がしたが、幸い見つかることはなかった。

 苦労したのは、グリフィンドール塔の入り口を見つけることだった。塔の上の方にあること、肖像画が入り口だということは分かっていた。これも三年生の頃、シリウスが引き起こした事件によって判明したのだ。

 なんとかそれらしい太った女性の肖像画を見つけた。彼女はぐっすり眠り込んでいた。ドラコは杖を掲げ、花火を打ち上げた。肖像画の女性はすぐに飛び起きた。

「一体何なの! こんな時間に起こして!」

 女性はジロジロドラコを見た。

「合言葉は?」

 ドラコは問いかけを無視した。もとよりグリフィンドール塔へ入るのが目的ではない。

 派手な騒ぎにより、フィルチがやって来た。すぐ近くを見回りしていたのだろう。

「こんな時間に騒ぎを起こして、罰則対象だぞ!」

 口調は怒りながらも、しかし顔は嬉しそうだった。生徒を罰することができるのがよっぽど嬉しいのだ。しかし、その表情は次第に歪んでいく。

「ひっ――」

 フィルチは口元を引きつらせた。

「死喰い人だ!」

 フィルチは一声そう叫び、慌てて踵を返して走り出した。

 仮面はつけていなかったが、ドラコは黒いローブを羽織っていた。きっとホグワーツでもドラコ・マルフォイが死喰い人となり、敵の手引きをしたというのは噂になっているはずだ。

 ドラコは構わず再び花火を上げた。肖像画は耳を塞いで叫ぶ。

「止めて! そんなことしたって通さないから! 早く誰か止めさせて!」

 やがて、肖像画がバタンと開いた。奥から誰かが顔を出していた。この騒ぎに否応なしに起こされたのだろう。ドラコは彼の目が合う。その男子生徒は恐怖に顔を歪めた。

「ドラコ・マルフォイだ!」
「――ハリー・ポッターを呼べ!」

 咄嗟にドラコが呼びかけたが、聞こえていたかどうか分からない。ドラコは今度己の喉に杖を当て、声を拡大した。
『ドラコ・マルフォイだ! グリフィンドール塔の入り口にいる。ハリー・ポッターをここで待つ!」

 その声はホグワーツ城に轟いたはずだ。

 ドラコは待った。夜のホグワーツは静かだった。女性の肖像画を食い入るように見つめたが、なかなかそこは開かない。

「ドラコ・マルフォイ……」

 後ろから声がかかった。振り返ると、マクゴナガルが立っていた。杖をドラコに向け、表情を強ばらせている。

「一体何の用でここへ……」
「ハリー・ポッターに会いに来ました」
「ヴォルデモートの遣いですか」

 ドラコは少し迷ったが、やがて頷いた。マクゴナガルの杖を握る力が強くなった。

「ポッターに会わせるわけにはいきません。今あなたと会わせたらどうなるか……私の部屋までついてきなさい」

 そうしてマクゴナガルが武装解除をかけようとしたとき、それよりも早く紅の閃光がドラコの背中を打った。もんどり打ってドラコは壁に激突した。視界がチカチカとちらつく。

「ハリエットをどこへやった!」

 ハリー・ポッターの声が辺りに響き渡った。ドラコは癖で杖を拾おうとしたが、武装解除されたのだと気づき、正面を向いた。

 血走った目でハリーがドラコを睨み付けていた。今にも走り出しそうな彼を、ロンとハーマイオニーが必死になって押さえている。

「お前の仕業だって分かってるんだ! お前がグレイバックに呪文をかけ、ハリエットを連れ去ったっていうのは分かってる! この卑怯者め!」

 ハリーは拘束を解こうと暴れ、もがいた。ネビルが慌ててハーマイオニーの加勢に入る。

「裏切り者! 死食い人だと!? ハリエットはずっとお前のことを信じてたのに! お前はその信頼を裏切った! お前は自分の身恋しさに、ハリエットをヴォルデモートに売ったんだ! お前も痛みを知れ! クルーシ――」
「ハリー!!」

 ジニーがハリーの杖先に飛びついた。ジニーは泣いていた。その時になってようやくハリーは我に返った。フリットウィックとスラグホーンもいつの間にかこの場にいた。マクゴナガルは相変わらずドラコに杖先を向けていたが、フリットウィックとスラグホーンはハリーに杖を向けていた。

「ポッター」

 ドラコを見ながらマクゴナガルは口を開いた。

「落ち着きなさい……冷静になるのです。でないとあなたを失神させることになります」

 ハリーは唇をわなわな震わせたが、やがて杖を下ろした。しかしその瞳は猛々しくドラコを睨みつけたままだ。

「マルフォイ、ヴォルデモートの遣いだと言いましたね。ミス・ハリエット・ポッターに関することですか?」
「……はい」
「では、ポッター、ウィーズリー、ミス・グレンジャー、先生方。私の部屋へ。騎士団員を集めて話を聞きましょう」
「騎士団が到着するまで時間がかかるでしょう」

 ハリーが割って入った。

「僕たちが先に話します」
「ポッター、ですが……」
「話がしたいんです」

 マクゴナガルはしばし迷ったが、結局は首を縦に振った。

「分かりました。では私の部屋を使いなさい。団員もそこに集めます」
「ありがとうございます。……来い」

 ハリーはドラコの襟首を掴み上げ、無理矢理立たせた。

 マクゴナガルの部屋まで行く途中、誰も一言も話さなかった。

 目的地に到着すると、マクゴナガルは部屋を整理し、邪魔なものは全て消し去った。部屋にはいくつかの椅子とテーブルのみになる。

「私は団員に連絡を取ります。それまでここを使いなさい。ミス・グレンジャー、ウィーズリー……くれぐれもポッターを頼みますよ」
「はい」

 マクゴナガルの言葉にロン達は何度も頷いた。

 マクゴナガルが出て行った後も、しばらく誰も話さなかった。ハリーは次から次へと込み上げてくる怒りをなんとかして押さえようと拳を握り、ロンはそんな彼を気遣わしげな目で見つめ、ハーマイオニーは、悲しそうな顔でドラコを見下ろしていた。

 ドラコは、やがてゆっくりとした動作で床に膝をついた。

「ハリエットを……助けてくれ。何でもする……。僕が悪いんだ」

 懺悔をするかのように、ドラコは深く頭を垂れる。

「あの人の命でダンブルドアを殺すつもりだった……その計画を建てた。死喰い人をホグワーツに引き入れたのは僕だ。でも、彼女は……ハリエットは」
「お前がハリエットの名前を口にするな!」

 ハリーが身体を震わせて叫んだ。ドラコは口をつぐみ、また顔を下に向ける。

「……あの人の開心術で、彼女のことに気づかれたんだ。僕は……僕は、彼女のことが好きだった」

 ハリーは杖を握りしめ、ロンは目を見開き、ハーマイオニーは口に手を当てた。

「そのことを知られてしまった。あの人は……僕に服従の呪文をかけて、彼女を連れてくるよう命令した」
「――はっ」

 ハリーは鼻で笑った。厚顔無恥も甚だしい嘘に、ハリーは頭が真っ白になった。どうにかして目の前の青年を傷つけたくて仕方がなくなった。

「黙れ! 何が……何が服従の呪文だ! 自分の罪を魔法に押しつけるな! お前はやっぱり卑怯だ! 卑怯者だ!」
「ハリーの言うとおりだ!」

 ロンも大きく頷いた。

「全くもって信じられないな! 第一次魔法戦争でも、お前達は卑怯にも服従の呪文にかけられた何だと言って罪を逃れた。都合の良い言い訳だよな。そう言えば許されるとでも思ってるのか?」
「ハリエットはお前のこと助けようとしていたのに! お前が死喰い人だと知っても救おうとしていたのに……お前は、お前はこの期に及んでそんな嘘を――!」
「ハリー、今はハリエットのことが先決よ」

 ハーマイオニーの静かな声が、ハリーの頭を冷やした。ハリーが押し黙ったので、ハーマイオニーはドラコの前に立った。

「ヴォルデモートの遣いって言ってたわね? ハリエットを返してもらえるの? 条件はなに?」
「――三日以内に、あの人の下にポッターを連れて行くこと」
「ハリーを引き渡せというの!?」
「そんなこと、できるわけがない! 殺されるに決まってる!」

 ハーマイオニーやロンはいきり立ったが、それとは対照的に、ハリーは冷静だった。

「僕は……僕は、それでも構わない。もともと、僕のせいでハリエットは捕まったんだ。このままじゃ、ハリエットが殺される……」
「ポッター」

 ドラコは顔を上げた。その頬は濡れていた。

「僕は……お前の身柄と引き換えにするつもりはない。僕は、お前達に協力するためにここに来た。彼女は僕の家に囚われてる。屋敷の地理も、死喰い人がどれだけいるのかも分かってる。協力は惜しまない」

 あまりに虫の良すぎる話に、皆は押し黙った。喜ぶよりも先に、警戒心が何よりも勝った。

「あなた、自分が何言っているのか分かってるの?」

 ハーマイオニーが一番にドラコに食ってかかった。しかし、彼女の心配は、ハリー達のそれと同じではなかった。

「あなたは、ヴォルデモートを裏切ると言ってるの。そんなことをすれば、あなたの両親もどうなるか分かってるでしょう?」

 ハーマイオニーがこんなことを言い出す心理が分からず、ハリーとロンは彼女を見つめた。ドラコが本気でこんなことを言い出していると信じているのだろうか? どう見ても罠としか思えないのに。

「……分かっている……」

 ドラコは声を絞り出した。

「全部、覚悟の上だ」
「本当に? あなたが裏切り者だと知られれば、間違いなく父親と母親は殺されるわ。それでもいいの?」
「…………」

 ドラコは、長い間動かず、返事もしなかった。

 ハリーははなから期待していなかった。全く別のことを考えていた。拷問でも何でもして、マルフォイ邸の場所を吐かせて、シリウス達とハリエットを救い出す計画を建てて――万が一の時は、自分が犠牲になろうと思っていた。ヴォルデモートの犠牲になるのは、僕だけでいい――。

 視界の隅で、ドラコの頭が動いた。上下に振れていた。確かに、ドラコは頷いていた。

「分かったわ」

 一番にこの行動の意味を理解したのはハーマイオニーだった。

「シリウス達が来たら、本格的に話し合いましょう。ハリエットを救い出す方法を」
「ちょ、ちょっと待てよ!」

 ロンは慌ててハーマイオニーを引き留めた。

「こいつの言うことを信じるのか? 頷くだけだったら誰にだってできる! こいつは、僕たちに嘘を教えることだってできるんだ! そもそも、ここに来た理由すら本当かどうか怪しい!」
「開心術にかければいいわ。マッドーアイならできるでしょう」
「こいつは閉心術を学んでる。スネイプの開心術を破ったんだ」
「閉心術はしない。心は明け渡す。それで信じてもらえるのなら」

 丁度その時、部屋がノックされた。団員が到着したのだ。


*****


 マクゴナガルの部屋には、ハリー達の他に、シリウス、ルーピン、ムーディ、トンクス、アーサー、モリー、キングズリー、セドリックが集まった。

 扉が閉まり、部屋の中は静かになった。知らず知らず皆は表情を引き締める。

「あなた達はどこまで話したんですか?」

 マクゴナガルの声に、ハーマイオニーが進み出た。

「ヴォルデモートの要求は、三日後にハリーを連れてくること。そうすればハリエットは返してくれるそうです」
「あいつの考えそうなことだ」

 アーサーは忌々しげに顔を歪めた。

「でも、マルフォイは私達に協力してくれるそうです。ハリエットはマルフォイの屋敷に囚われているので、地理も死喰い人の数も、情報を全て教えてくれると」
「そんな話信じられるか」

 シリウスは同意を求めるようにルーピンを見た。ルーピンもまた、苦々しく頷く。

「開心術の許可ももらいました」

 ハーマイオニーはムーディを見た。ムーディはすぐに進み出た。

「わしが引き受けよう。マクゴナガル、隣の部屋を借りても良いか?」
「ええ……」

 ムーディは、ドラコを引き連れて別室へ移った。二人がいなくなると、団員達はドラコがホグワーツに来たときのことを聞きたがった。

「私達を欺こうとする気配は感じられなかったわ」

 ハーマイオニーはキッパリ言い放った。

「どうだかな。あいつらはそういうところは狡猾だ」
「どちらにせよ、マッドーアイの開心術が終われば明らかになることだ」

 ルーピンの声で、再び場は静まりかえった。やがてしばらくして、ムーディとドラコが戻ってきた。

「簡単にしか見てないが、わしはこいつに二心はないと見た。ヴォルデモートと敵対する覚悟はできている。わしはこいつにも協力してもらうべきだと考える」
「こいつと――協力するなんて!」

 シリウスは歯をむき出しにして怒った。

「じゃあ、お前は他に何か良い案でもあるのか、シリウス?」

 シリウスは押し黙った。トンクスが身を乗り出した。

「マッドーアイ、どうしてそう思ったの? ハリエットを誘拐した子を、どうしてそんな風に言えるの?」
「まず、ミス・ポッターについてだが」

 ムーディは一旦そう前置きした。

「ヴォルデモートに服従の呪文をかけられた形跡がある。誘拐はこいつの意志ではない」
「だが、死喰い人を手引きした! ダンブルドアを殺そうとした!」
「両親の命を盾にとられたんだ。ルシウス・マルフォイは神秘部での任務に失敗した。その尻拭いとして、ヴォルデモートは半ば見せしめのようにダンブルドアの殺害を命じたのだ」

 何も知らない者は、ドラコへ向ける視線に憐憫が混じるようになった。と同時に、ドラコと敵対していた者や、その父ルシウスに苦い思い出を持つ者たちは、相も変わらずドラコを警戒した目で見ていた。

「他に誰か何か言いたいことは?」

 ムーディの言葉に、シリウスは激しくドラコを睨み付けていた。ムーディは長く息を吐き出した。

「こやつに協力を仰ぐしか、今は方法がない。もちろん、無理矢理情報を引き出すということもできる。だが、シリウス、お前はヴォルデモートと同じところまで落ちるつもりか?」
「…………」

 シリウスはようやく視線を外した。

 ここでようやくムーディは皆に向き直った。

「問題は、どうやって侵入するかだ。マルフォイ、屋敷の見取り図は描けるか?」
「はい」

 羊皮紙と羽根ペンで見取り図を描き、指さした。

「ベラトリックスは、いつもミス・ポッターを側に置いています。客間のこの辺りに。夜はベラトリックスはこの部屋で眠り、ミス・ポッターは地下牢に閉じ込められます」
「…………」
「屋敷は姿現しができないようになっています。中に入るには、門のすぐ側に姿現しするか……。ですが、必ず門が用件を尋ねるようになっているので、それを欺くのは難しいかと……」
「無理矢理押し入るしかないということか」
「それか、ポリジュース薬……。ううん、髪の毛を手に入れるのが難しいわ」

 自分で言って、トンクスは自分で撤回した。

「あの……ずっと気になってたことがあるんです」

 セドリックが躊躇いがちに声を出した。

「一年前の、神秘部の戦いの時……ハリエットは、ドビーと一緒に神秘部に姿現しをしたって言ってたよね?」
「うん、でも、それがどうかした?」
「魔法省に務め始めて僕も知ったんだけど、魔法省は――特に地下は――姿現しができないようになってるんだ。それなのに、どうしてドビーはできたのかと思って。もし、魔法使いは姿現しができなくても、屋敷しもべ妖精はできるのであれば――」
「それだ!」

 ルーピンが急に大きな声を上げた。

「屋敷しもべ妖精は、杖を使わない独自の魔法を使う。本来ならホグワーツでは姿くらましはできないが、しもべ妖精ならできるんだ。それを使えば、マルフォイ邸に直接姿現しすることだってできる」
「さすが期待の新人ね!」

 トンクスはセドリックの頭をぐしゃぐしゃかき回した。

「トンクスもうかうかしてられんな」
「あっ、マッドーアイ! それどういう意味?」

 トンクスが頬を膨らませれば、少し緊張が緩んだ。

「ドビーに頼めば、きっと手伝ってくれる!」

 ハリーも、この時ようやく柔らかい表情を見せた。

「クリーチャーも呼ぼう!」

 シリウスも生き生きとしだした。

「あいつめ、ようやく役に立つときが来たぞ!」
「シリウス」

 ルーピンが窘めるような声色を出した。途端にシリウスはばつの悪そうな顔になる。

「分かってる。わたしだって最近は奴に優しくしてる」

 シリウスはコホンと咳払いをした。

「クリーチャー、ここへ!」
「ドビーもここに来てくれる?」

 ハリーとシリウスは同時にしもべ妖精を呼んだ。すぐさまバチン、という音が二回続けて鳴る。

「ご主人様はお呼びになりましたか?」

 クリーチャーはしわがれ声で訝しんで尋ねた。普段シリウスが命令を下すことなどほとんどないからだろう。

「ああ、お前にやってもらいたいことがあってな」
「ハリー・ポッター! ドビーめもお呼びでございますか? ハリー・ポッターの声が聞こえたとき、ドビーめは嬉しくて嬉しくて――」
「うん、こちらこそありがとう。僕たちを助けて欲しくてドビーを呼んだんだ」
「もちろんでございますとも! ドビーめはいつでもハリー・ポッターの味方です!」

 ハリーとシリウス、ドビーとクリーチャー。

 親友の子と名付け親、自由なしもべ妖精とただのしもべ妖精。

 立場は似ているのに、主人に対する妖精の尊敬ぶりと、妖精に対する主人の扱い方は天と地ほどの差があった。

 それから、詳しく作戦が立てられた。会議は昼過ぎまで続き、それが終わると一旦休憩を挟みんだ。徹夜になってしまったので、一眠りして体力を回復するためだ。決行は、その日の深夜と決まった。