■謎のプリンス

29:ドラコの記憶


 変身術の教室を様変わりさせ、一時的に騎士団の会議の場所とした。メンバーが集まるには、マクゴナガルの部屋だとどうしても狭いのだ。彼女は今はもう校長なので、ダンブルドアの校長室も使える権利はあるが、あそこもまた雑然としていて会議には向かない。結局たくさん椅子が集まる教室の方が準備にも手間取らず、利便性が良かった。

 教室には、ハリー、ロン、ハーマイオニー、ジニーの四人と、騎士団員のマクゴナガル、シリウス、ルーピン、ムーディ、トンクス、アーサー、モリー、キングズリー、セドリックが集まった。

 ドラコは隣室でドビーやネビル、ルーナといる。拘束はされないまでも、杖は取り上げられていた。害はないとは分かっていたが、まだ警戒すべきだと判断されたのだ。

「では、次はポッター達の夏休み中についての動きを話そう」

 メンバーの指揮はムーディがとった。

「ダンブルドアの葬儀の後、すぐにホグワーツ特急が出る。まずポッターはダーズリーの家に直行してもらう。ホグワーツはもはや安全ではないし、グリモールド・プレイスもまたそうだ。一七歳になるまでは、お前の親戚の家の方がよっぽど安全だ。しばらくあそこで生活してもらい、成人に達したら姿くらましでも煙突飛行ネットワークでも何でも、あそこから離れてもらう」
「はい」
「向かう先は隠れ穴だ。騎士団はグリモールド・プレイスの屋敷を放棄した。今度からは隠れ穴を集合場所として使わせてもらう。とはいえ、まだ不十分だ。夏休み中に保護魔法も強化しておかねば」
「ええ」

 アーサーとモリーは頷いた。

「問題は、ミス・ポッターについてだ。定期的に薬を煎じねばならん。だが、聖マンゴ病院からは、癒者を派遣することを拒否された」
「どうして?」

 思わず声を上げたトンクスに、キングズリーは苦々しい表情を浮かべた。

「マグル界で生活するのであれば、マグルの癒者に診せろと突っぱねられた。癒者の手を借りたいのなら、魔法界ににいろと」
「……全く、頭の固い奴らだ。魔法界にいられん者のことはちっとも考えようとはせん」

 ハリエットは、今は医務室に入院していた。外傷はなく、意識もあるが――精神状態に異常があった。寝るとき以外はいつも上機嫌に歌を歌い、会話すらままならない状態だった。食事をさせるため、歌を止めさせようとすると、ハリエットはぐずって嫌がった。マダム・ポンフリー曰く、幸せの記憶の最中にあったクリスマス・ソングを歌うことで、自らを守っているのでは、と話していた。正気を手放し、記憶の中に溺れることで、せめて現実の苦痛から逃れようとしているのだ。

「聖マンゴ病院に入院はしないの? あそこなら、ちゃんとした治療を……」
「あそこももはや安全だとは言い切れないよ。それに、今のハリエットには、治療ではなく時間が必要なんだ」

 モリーの問いに、ルーピンが優しく返した。

「ああ、そうだ。だが、煎じ薬は必要だ。プリベット通りでも一日に二回薬を煎じなければ。かなり難しい調合になる。ミス・グレンジャーに聞いたが、ポッター、お前は……そんなに魔法薬が得意でないと」

 ハリーはジトッと栗毛の親友を見た。彼女は素知らぬ顔で視線を合わせなかった。

「この件については、後ほど話そうと思う。わしに考えがあるんだ」

 ムーディは急に話題を変えたが、皆はそれほど気にとめなかった。ムーディのこうした気まぐれな性格は日常茶飯事だったからだ。

「次の議題は、ドラコ・マルフォイについてだ」

 その場の皆が顔を引き締めた。誰もが気になっていることだろう。

「先日のマルフォイ邸侵入作戦で、我々はミス・ポッターの救出に成功した。その作戦において、我々は、万一のことを考え、建前としては、マルフォイを人質にミス・ポッターを救出しに行った、という形にした。ただ、それを全部が全部向こうが信じたかどうかは分からん。マルフォイが裏切ったと判断し、もしくは人質に取られたことに怒り狂い、ヴォルデモートがマルフォイの両親を拷問、もしくは殺してしまったのかもしれん。そこは正直にマルフォイにも伝えた」

 数名がチラリと隣室に目を向けた。そこにいるはずの彼は今、一体どんな心境だろう。

「我々がやるべきこととしては、マルフォイを安全な場所に匿うことだ。そして同時に、マルフォイを我々が匿っていると気づかれてもいかん。もしそれが露呈してしまえば、今度はマルフォイの両親の命を盾にとられるかもしれんからな」

 理性のある大人達は頷いた。今までドラコがしてきたことがどうであれ、ハリエット救出のために協力してくれたことは疑いようのない事実だった。

「そこで――そこで、一つわしは考えた。ポッターの家にマルフォイを行かせてはどうか、と」

 一瞬静まりかえった。ハリーとロンはパクパク口を開け、シリウスは椅子を後ろに倒す勢いで立ち上がった。

「ムーディ、正気か!」
「シリウス、有り難いことにわしは正気だ。先ほど、ミス・ポッターのために薬を煎じる必要があると言ったな? スラグホーンに聞いたが、マルフォイの魔法薬の成績はなかなからしい。煎じ薬にも充分な技量だ」
「成績はハーマイオニーの方が上です。ハーマイオニーの方が上手にやれる!」

 ハリーもシリウスを援護した。ドラコが家に来るなんて、とんでもない話だと思った。夏休み、ダーズリーの家に缶詰になるというだけでも気が重いのに、そこにドラコがプラスされるのだ。どんな罰ゲームだと思った。

「ハリー、ごめんなさい。私、この夏休みにやることがあるの。どうしてもあなたの家には行けないのよ」

 ハーマイオニーの申し訳なさそうな顔に、ハリーはそれ以上言えなかった。代わりに。

「ロンと……ロンと力を合わせれば、何とか――」
「ポッター、ゼロとゼロを足しても一にはならん」
「僕たちがゼロだって!? いくらなんでもそれは!」

 ロンは顔を真っ赤にして席を立った。

「ものの例えだ、ウィーズリー」

 ムーディの冷静な返しに、ロンは座り直すしかなかった。ハーマイオニーは気の毒そうな視線を送った。

「トンクスや……セドリックは。セドリックは、成績も優秀でした」
「一日に二回薬を煎じる必要がある。魔法省に務めながら、かつマグル界にも行くのは厳しい。公的に闇祓いが護衛、という目的で行くのも難しい。スクリムジョールの提案を断ってしまったからには」

 クリスマス休暇の時のことを思い出し、ハリーは苦虫を噛み潰したような顔になった。あのとき提案を受け入れていれば、と一瞬思ってしまった。

「だが、あいつは信用ならん」

 シリウスは端的に言い放った。その言葉が全てを如実に表していた。それはムーディにも心当たりがあった。

「ああ、そうだな。わしもまだ信用ができずにいた。だから先ほど長い時間をかけて、マルフォイに開心術をさせてもらった。先日とは違って、今度は隅々まで見た。マルフォイの記憶については、ここで話しても構わんと言っていた」

 ムーディは机の上で両手を組んだ。

「さて、何が聞きたい。マルフォイの記憶について、考えていることについて。知りたいことがあれば全部聞け。マルフォイにミス・ポッターの煎じ薬を作らせるくらいには、あいつのことを信用してもらわねばならん」

 シリウスがすぐに声を上げた。ずっと気にかかっていた疑問だ。

「どうしてあいつはハリエットのことを助けようとしたんだ? ハリーとあいつは仲が良くないんだろ? 憎らしい相手の妹なのに、どうして」

 いきなりの質問に、ムーディは珍しく目を見開いた。動揺しながらハリーに顔を向ける。

「おい、シリウスには話してなかったのか?」
「僕たち三人しか知りません」

 ハリーは気まずそうに言った。ムーディは頭を抱えた。

「わしの口から話すのか……いや、まあ……」

 そして意を決し、ムーディは咳払いした。心なしか、頬が赤い。

「マルフォイは、ミス・ポッターのことを好いているそうだ」
「…………」

 シン、と静まりかえった。誰も彼も、身動きすらとらない。遠くから生徒の笑う声が聞こえてくるくらいには、静かだった。

「……えっ?」

 ようやく意味を理解した面々は、様々な反応を見せた。女性陣は頬を赤らめ、シリウスはわなわなと震えだし、ルーピン、キングズリー、アーサーは気まずそうに咳払いをし、セドリックは困惑し。

「いや……いやいや、ちょっと待て」

 シリウスは頭を抱えた。意味が分からなかった。

「あいつが……ハリエットを?」
「らしいな」
「待て、待て待て! ハリエットの方はどうなんだ!? まさか、ハリエットも好きなんてことは――」
「わしに聞かれてもしらん。わしはマルフォイの記憶しか覗いてないからな」

 シリウスは血走った目でハリーを見た。ハリーはぶんぶん勢いよく首を振った。

「たぶん、付き合ってない! 好きかどうかは……いや、そんなことあり得ない! 二人にそんな素振りはなかった!」
「どうかしら」

 何となく意地悪を言いたい気分になって、ハーマイオニーは笑った。

「クリスマス・ダンスパーティーの時、ハリエットはマルフォイに誘われたそうよ? パートナーになってくれないかって」
「はあ!?」

 今度はハリーとロンが大声を上げた。

「そんなの聞いてない!」
「そもそも、ハリエットはジャスティンと――」
「ちょっと待て、ジャスティンって誰だ!」

 名付け親のせいで余計事態はややこしくなった。

 ダンスパーティーの件は後でハリーに詰問すると決め、シリウスは一番気になったことについてムーディに詰め寄った。

「あいつ……あいつ、ハリエットに何かいかがわしいことをしてたりは――」
「ちょっと、シリウス、いくらなんでも」

 ルーピンは慌てて制した。いくらドラコでも、プライバシーというものがある。そしてそれは、ムーディも同じ気持ちだった。

「シリウス、わしは何でも話すと言ったが、マルフォイの信用という意味で関係ないことは話さん。後見人としてのお前の不安を解消するためだけにこの場を設けたわけではない。そもそも、そういうことは本人と直接話し合ったらどうだ」

 あまりに正論を並べ立てられ、シリウスはぶすっとした顔で黙り込んだ。

「では、他に何か聞きたい者は」

 そう言われても、先ほどの台詞の衝撃が尾を引き、真面目に考えることなどできなかった。

 ――知りたい、知りたい。ドラコとハリエットがどう出会ったのか。

 ――知りたい、知りたい。憎き敵の妹なのに、ドラコがなぜハリエットを好きになったのか。

 ――知りたい、知りたい。二人の間にどんな出来事があったのか。

 団員達の好奇心はむくむくと頭をもたげた。だが、それを口にしたが最後、ムーディに正論で怒られる。それはシリウスで証明済みだ。

「とにかく」

 ムーディはゴホンと咳払いをした。

「マルフォイがそれなりに信用できるというのは分かってもらえたか? ヴォルデモート本人に開心術をかけられたとき、マルフォイは何とかしてミス・ポッターとのことに気づかれないように抵抗していた――まあ、結局は無駄になったが――その事実からも明らかだろう。ミス・ポッターのことが知られれば、ヴォルデモートに良いようにされると分かっていたから抵抗したのだ」

 ――なんか……ちょっとロマンティックじゃない?

 頬をポッと赤らめ、トンクスとモリーは視線だけでそう会話した。離れた場所からその視線の意味を頭脳明晰名付け親が解読し、射殺さんばかりに睨み付け、相殺した。

 団員達の気がそぞろになっていたことに気づき、なんとか方向を修正しようとムーディはまとめてはみたが、余計に火に油を注ぐ結果となってしまった。

「ポッター」

 もう今回の会議はこれでしまいにしようと、ムーディは急に真面目な顔でハリーに向き直った。

「はい」
「マルフォイの記憶で見たが、お前とマルフォイは随分仲が悪かったようだな?」
「そりゃそうさ。あいつ、ことあるごとに僕らに突っかかったり、喧嘩をふっかけてきたんだ。性格が腐ってる奴さ」

 ロンの言葉に、ハリーも迷いなく頷いた。

「記憶で見たのなら分かるでしょう? あいつが今まで僕たちにどんなことをしてきたか。ハリエットに言われても信じられないくらいです。あいつとハリエットに少しでも接点があったなんて」
「そうか……いや、そうだな。確かにあいつは胸くそ悪い言葉も吐いていた」

 ハリー達三人は『穢れた血』という言葉を思い出していた。

「だが、あいつは、お前に自分の記憶を見せてもいいと言っていた」

 その言葉の意味が分からず、ハリーは眉根を寄せた。

「相当の覚悟がいることだぞ。想像してみろ。大切にしたい思い出も、秘密にしたい出来事も、屈辱的な記憶も、その全てを見られる、知られる、暴かれる。嫉妬、怒り、悲しみ、幸福、恥辱、絶望――その全てを見ても良いと言ったのだ。互いに憎しみ合っていたお前に」
「…………」

 ハリーは、考えるように下を向いた。ムーディも何か返事を期待していたわけではなかった。

 会議の最後には、念には念を入れて、ドラコには『舌もつれの呪い』をかけるということで満場一致した。騎士団の秘密を漏らそうとすると、舌がもつれて何も話せなくなるという呪いだ。

「今回の会議は一旦これで終了しよう。どうやら、頭を冷やさねばならない者たちが複数いるようだ。夕食後、話し合えなかった騎士団の今後の活動についても話す。以上、解散!」

 団員達はそれぞれ立ちあがった。モリーとトンクスは、息ピッタリに部屋を出て行った。どこへ向かったのかは明白だった。ドシドシと足音を踏みならし、シリウスも二人の後を追った。杖を片手に何やら不穏なことを口走っていたのはきっと気のせいだろう。

 部屋を出る前、ムーディは最後にハリーに声をかけた。

「先ほどの話は本当だぞ。現に、マルフォイは隣室で待機している。いつでも記憶を見せられるように。どうする?」
「いや、いいです」

 ハリーはすぐに首を振った。

「あいつの記憶なんか、興味ないです」

 ムーディは小さく頷いた。返ってきた返事は、予想通りのものだった。