■謎のプリンス
30:フォークス
ダンブルドアの葬儀の日、ハリーは早起きをし、荷造りをしていた。ハリーは、普段は医務室で寝泊まりをしており、ここ最近はほとんど寝室に足を踏み入れていなかった。シリウスもまた、会議以外はハリエットの側から離れなかった。
シリウスは、一応これでも逃亡中の身であるため、会議以外は、スナッフルの姿で医務室をウロウロしていた。いつも同じ調子で歌を歌っているハリエットだが、ヒトの姿よりもスナッフルの時の方が嬉しそうなので、シリウスは複雑そうだった。
ハリエットは、スナッフルかウィルビー、ヘドウィグ、クルックシャンクス、ピッグウィジョンのいずれかと戯れていることが多かった。ハリー達が話しかけても反応はしないのに、動物たちには反応するらしく、いつも嬉しそうに身体を撫でていた。
時には、フィルチの飼い猫、ミセス・ノリスまでハリエットのお見舞いに来るので、ハリーは仰天してしまった。ミセス・ノリスがいるときは、ハリーもロンも、心なしか行儀良くなった。
スナッフルは、自分が撫でられるんだといつもその大きい身体で一番良い場所を陣取るので、ウィルビー達から時々非難の鳴き声を上げられていた。
*****
大広間で朝食を食べ終えると、寮監の指示に従って、生徒全員が外の湖に向かった。そこには、何百という椅子が何列にもなって並んでおり、中央に一本の通路が走っていた。正面に大理石の台がしつらえてあり、椅子は全部その台に向かっておかれていた。
椅子の半分ほどには、すでに大勢の追悼者が座っていた。ほとんどがハリーの知らない人たちばかりだったが、騎士団のメンバーや、フレッド、ジョージ、マダム・マクシーム、漏れ鍋店主のトム、フィッグ、マダム・マルキンなどもいた。他にも、歓迎はしたくないが、リータ・スキーターやドローレス・アンブリッジ、コーネリウス・ファッジ、スクリムジョールなどもいた。
水中人達の合唱が終わると、ハグリッドがダンブルドアの亡骸を抱え、中央の道を歩いてきた。彼は声を出さずに泣き、正面の台の上にそっと亡骸を横たえた。
喪服の小柄な魔法使いの長い弔辞が終わると、突然ダンブルドアの亡骸とそれを載せた台の周りに、目映い白い炎が燃え上がった。炎はだんだん高く上がり、白い煙が渦を巻いて立ち上り、不思議な形を描いた。
皆が空を見上げたとき、不死鳥の姿が映った。不死鳥は、ダンブルドアが亡くなった時と同じように『嘆きの歌』を歌っていた。空高く舞いながら、不死鳥はダンブルドアを弔っていた。
炎が消えると、その後にはダンブルドアの亡骸と、亡骸を載せた台とを葬った、白い大理石の墓が残されていた。
葬儀が終わった後、ハリーはジニーに別れを告げた。短い交際期間だった。ハリーはハリエットのことを口にはしなかったが、ジニーにはハリーの想いが分かっていた。
ヴォルデモートは、敵の親しい者を利用する。ハリエットがどんな目に遭ったのか、これからどうなるのか、ハリーは考えるだけでも胸が張り裂けそうだった。全ての咎は自分にあった。ジニーにまで同じ目に遭わせるわけにはいかない。
「ハリー」
ジニーと別れ、城の方へ歩き出していると、スクリムジョールが声をかけてきた。
「君と一言話がしたかった……少し一緒に歩いてもいいかね?」
「今から医務室へ向かうので、その道中まででしたら」
「ハリエット・ポッターの見舞いかね? 私も顔を見せに行ってもいいかね? 前回初めて顔を合わせたときはろくに離しもできなかったからね」
ハリーは口ごもった。
「ハリエットは……今人と話せる状態ではないので、お見舞いは遠慮していただけませんか?」
「面会謝絶というわけではないんだろう? 噂は本当かね? 気が狂ったというのは――」
ハリーに睨み付けられ、スクリムジョールはようやく失言だと気づいた。
「いや、失礼。しかし痛ましい事件だった。拷問を受けたのだろう? まだ若いのに――」
「ハリエットについて聞くのがあなたの用件ですか?」
ハリーの直球に、スクリムジョールは少しまごついた。
「いや、そうではない。此度の一連の出来事について知らせを受け、私がどんなに愕然としたか。ダンブルドアは偉大な魔法使いだった。君も知っているように、私達には意見の相違もあったが、しかし、私ほどよく知るものは他に――」
「何の用ですか?」
「……君は、当然だが、ひどいショックを受けている」
スクリムジョールは優しい声を取り繕った。
「君がダンブルドアと非常に近しかったことは知っている。おそらく君はダンブルドアの一番のお気に入りだっただろう。その上、妹さんもあんな目に――」
「何の用ですか?」
ハリーはまたも尋ねた。スクリムジョールの顔が強ばる。
「ダンブルドアが死んだ夜のことだが、君と一緒に学校を抜けだしたと言う者がいてね」
「それが何か? 僕がダンブルドアとどこに行こうと、僕にしか関わりのないことです。ダンブルドアは他の誰にも知られたくなかった」
「それほどまでの忠誠心はもちろん賞賛すべきだ。しかしハリー、ダンブルドアはいなくなった。もういないのだ」
スクリムジョールの声を裏付けるかのように、不死鳥フォークスの嘆きの歌は止んだ。それほど大きな歌ではなかったのに、辺り一帯は静まりかえった。
それと入れ替わるように、どこからか季節外れのクリスマス・ソングが聞こえてきた。見上げると、丁度医務室に当たる場所の窓が開いていた。カーテンが風に揺らぎ、それとともにハリエットの歌声が漏れ出していた。誰かが『ハリエット・ポッターよ』と囁くのが聞こえた。
スクリムジョールはハリーに視線を戻した。
「よく考えたまえ。魔法省としては、いいかね、ハリー。君たちにあらゆる保護を提供できるのだよ。あんな状態の妹が心配じゃないのかね? 私の闇祓いを二人、喜んで君たちのために配備しよう――」
「ヴォルデモートは自分自身で僕を手にかけたいんだ。闇祓いがいたって、それが変わるわけじゃない。お申し出はお断りします」
ハリーがキッパリ言い切ると、スクリムジョールは無表情になり、そのまま踵を返して去って行った。ハリーも振り返らなかった。
城の中に入り、医務室へ向かっていると、ロンとハーマイオニーが追いついた。
「聞いた? ホグワーツが閉鎖されるかもしれないって」
「でも、家にいるよりはここの方が安全だろう。この中の方が、護衛してる魔法使いがたくさんいる。ハリー、どう思う?」
「学校が再開されても、僕は戻らない」
ハリーの言葉に、ロンはポカンとした。ハーマイオニーは悲しそうに言った。
「そう言うと思ったわ。でも、それじゃあなたはどうするつもりなの?」
「ダーズリーのところに帰って、一七歳になったら、残りの分霊箱を探し出そうと思う。僕がそうすることをダンブルドアは望んでいた。だからダンブルドアは僕に分霊箱の全てを教えてくれたんだ」
医務室から漏れるハリエットの歌声が大きくなってきた。医務室はもう近い。
「僕たちも行くよ、ハリー」
「駄目だ――」
思わずハリーは足を止め、二人の親友を見つめた。
「絶対に駄目だ。君たちには、ハリエットの側にいて欲しい。ハリエットが目を覚ましても寂しくないように」
「……ハリエットを出すのはずるいわ、ハリー」
ハーマイオニーは悲しそうに言った。だが、ロンは違う。ハリーの目を真っ直ぐ見つめ返した。
「ハリエットは、僕たちが君の側にいることを望んでると思う。君一人危険な旅に送り出すわけにはいかない」
「ロン……君だってずるい」
ハリーは泣きそうな笑みを浮かべた。三人は再び歩き出した。ハリエットの歌声が、勇気づけるように背中を押した。
医務室の扉を開けて、ハリー達三人はすぐに違和感を覚えた。ハリエットの白いベッドの上に、目を見張るような真紅の何かがあった。白鳥ほどの大きさで、羽を大きく広げているそれは、紛れもなく不死鳥だった。
ハリエットは幸せそうにクリスマス・ソングを歌い、フォークスもまたその旋律に合わせて歌っていた。不可思議なメロディーだった。心の奥まで澄み渡るような、綺麗な旋律――。
歌が終わった。
あり得ないことだった。ハリエットは、いつも歌が終わると、すぐにまた息継ぎもなしに同じ歌を歌うのだから。
寝るときか食事をするとき以外にハリエットが静かになるのは初めてだ。ハリエットとフォークスは見つめ合っていた。仰向けになったまま、ハリエットは不死鳥に向かって腕を伸ばす。
「燃えてるみたい……」
初めて、ハリエットが話した。
「綺麗……」
ハリエットはフォークスの真紅の羽根と、金色の尾羽を撫でた。
「泣いてるの?」
ハリエットの言葉に、ハリーは初めて気づいた。
フォークスが泣いていた。真っ黒な丸い目に真珠のような涙を浮かべ、ポロポロ泣いていた。その艶やかな羽毛を伝って、ハリエットの額に、頬に、口にと涙がしたたり落ちる。
「癒やしの力……」
ハリーはその場にへたり込んだ。視界が滲んだ。
「フォークス、フォークス……ありがとう……」
不死鳥はしばらく流れる涙をそのままにしていた。しかし、やがてその涙は止まり、一声鳴くと、開け放たれた窓から空へと飛び立った。
「また……また会いましょう……」
伸ばしたハリエットの腕は、パタリとベッドの上に落ちた。ハリエットは目を閉じていた。寝息がすやすやと漏れている。
ハリエットは、これを機に長い長い眠りについた。