■死の秘宝

04:八人のポッター


 耳をつんざくような轟音に、ハリーは慌てて立ち上がり、窓から裏庭を見た。一人、また一人と、目くらまし術を解いた人影が現れた。大きな人影はすぐにハグリッドだと分かった。ハリーは一階へ降り、キッチンの裏戸を開けて皆を出迎えた。一斉に声が上がり、まずハーマイオニーが抱きついた。ロンはハリーの背を叩き、シリウスは安心したようににっこり笑った。

「ハリエットはどう?」

 第一声はハーマイオニーだった。

「一度だけ、目を覚ましたんだ」

 朗報に、三人は目を輝かせた。

「でも、またすぐに眠りについた。今は二階でマルフォイが見てるよ」

 マルフォイ、という名にロンは不機嫌そうに眉をしかめた。慌ててハーマイオニーと共に二階へ向かう。

「ハリー!」

 シリウスが側までやってきた。

「元気そうで良かった。ちゃんと食べてるな?」
「うん、もちろん」
「ハリエットの所に行ってくる。また後で話そう」

 軽くハグをした後、シリウスも二階へ向かった。

「さあ、感動の再会は安全な場所に入ってからだ」

 ムーディは魔法の目をぎょろつかせながら家の中に入ってきた。

「ミス・ポッターの様子はどうだ?」

 二階にいる者を除き、ムーディ、ルーピン、トンクス、アーサー、ビル、フレッド、ジョージ、セドリック、キングズリー、ハグリッド、マンダンガスがリビングに集まったところで、代表してムーディが訊ねた。

「一度だけ目を覚ましました。でもまたすぐに眠りにつきました。癒者が言うには、まだ油断はできないけど、一度でも目が覚めたのなら、回復の余地はあるって」
「良かった」

 セドリックがホッとしたように微笑んだ。

「目が覚めて、何か話したのか?」
「特には。ほんの僅かな時間だったんです。僕たちの名前を呼んで、それでまた眠りました」
「そうか」

 ムーディが口を閉ざし、場が静かになった。トントンと足音を立てて誰かが階段を降りてきた。

「なんてことだ、どうしてハリエットはあんなに小さい部屋で寝てるんだ?」

 シリウスはブツブツ言いながらリビングに入ってきた。

「他にも大きい部屋はあるのに!」

 三人でその部屋に寝泊まりしてる、ということはハリーは言わないでおいた。言ったらダーズリー一家の後を追いそうだし、その後はドラコに決闘を申し込みそうな予感がしたからだ。

 ムーディは部屋の中を見渡した。

「マルフォイはどこだ? あいつにも聞いてもらわねば」
「マルフォイはハリエットを見てますが」

 ハリーは不安そうに言った。

「マルフォイがここに来るなら、ハリエットを――」
「わたしが呼んでこよう。一人にするのは危険だし、ハリエットも連れてくる」

 シリウスはすぐさま立ち上がり、二階へ上がった。しばらくすると、ハリエットを腕に抱え、ドラコに威嚇をしながら降りてくるシリウスの姿があった。ソファにハリエットを横たえ、自分はその側に立つ。

 リビングに、総勢十七人が集まった。たった一ヶ月かそこら会わなかっただけだが、ハリーは眩しい思いで皆を見渡した。

「ハリー、これなーんだ?」

 重い空気を吹き飛ばすようにトンクスは左手を挙げた。ハリーはあっと声を上げる。

「結婚したの!?」

 ハリーはトンクスとルーピンとを交互に見た。

「本当は来てもらいたかったのだが。ひっそりした式だったんだよ」
「良かったね。本当に良かった。おめでとう!」
「なかなか面白い式だったぞ、ハリー。リーマスがデレてる所なんかなかなか見れない」
「犬になって結婚式に参加した君も見物だったけどね」
「さあさあ、積もる話は後にするんだ!」

 ムーディは大きな声を出した。

「以前話していた計画Aは中止せざるをえん。パイアス・シックネスが寝返った。これは我々にとって大問題となる。シックスめ、この家を煙突飛行ネットワークと結ぶことも、移動キーを置くことも、姿現しで出入りすることも禁じ、違反すれば監獄行きとなるようしてくれおった」

 ムーディはそう切り出した。

「じゃあ、どうするんですか?」
「残された数少ない輸送手段を使う。『臭い』が嗅ぎつけられない方法だ。何しろこれなら呪文を駆ける必要がないからな。箒、セストラル、ヒッポグリフ――」
「バックビークだ」

 ハグリッドは小さな声で訂正した。

「それとハグリッドのオートバイだ。例のあの人の目を欺くため、十二軒の家にできうる限りの保護呪文をかけた。お前はトンクスの両親の家に向かう。そこから隠れ穴に向かう移動キーを使う。何か質問は?」
「でも、十七人もトンクスのご両親の家に向かって飛んだら、大分目立つと……」
「ああ。肝心なことを言い忘れておった。今夜は七人のハリー・ポッターが空を移動する。それぞれに随行がつく。それぞれの組が、別々の安全な家に向かうのだ」
「駄目だ!」

 ハリーは素早く叫んだ。

「絶対駄目だ!」
「きっとそう言うだろうって、私、皆に言ったのよ」

 ハーマイオニーが困ったように微笑んだ。ハリーはぶんぶんと首を振る。

「今回は訳が違う。僕に変身するなんて――」
「そりゃ、俺たちだって好き好んでやるわけじゃないぜ」

 赤毛の双子が顔を見合わせて笑った。

「考えても見ろよ。失敗すりゃ俺たち、永久に眼鏡をかけたやせっぽちの、冴えない男のままだぜ。世界中の女の子が泣いちまう」

 ハリーは笑えなかった。

「僕が協力しなかったらできないよ。僕の髪の毛が必要なはずだ」
「そうだな、そこんところがこの計画の弱みだ」
「力ずくで君に適うわけないもんな」
「ハリーには俺たちが束になっても適わないぜ」
「駄目だ」

 ハリーは再度言った。

「本当に駄目だ」
「この場にいるのは、全員が成人に達した魔法使いだぞ、ポッター。そして全員が危険を覚悟している」

 唇を噛みしめ、ハリーは大人しくなった。自分でも覚悟していたことだった。だが、自分が死ぬかもしれないという覚悟と、自分のせいで誰かが死ぬかもしれないという覚悟は、全くの別物だった。

「それで、あー」

 珍しくムーディが言葉を濁した。

「我々は、お前の扱いを決めかねている」

 ムーディが見たのは、ドラコだった。

「意見が二つに分かれている。計画から外れてもらうという者と、お前を野放しにするわけにはいかないから計画に引き込めという者だ。後者は少数だ」

 誤魔化すようにムーディは咳払いをした。

「お前が参加してくれるのなら、偽ポッターが一人増えるから、その分成功の確率が高くなる。だが、そうなるとお前は保護呪文をかけた隠れ家に易々と入り込み、敵に情報を漏らせるようになる」

 そんなことするわけがない、と言ってくれる者はこの場にいなかった。ドラコは明らかに場違いだった。

 もしもドラコが騎士団の秘密を漏らそうとすれば、舌がもつれて話せなくなる呪いをかけられてはいるが、万一のことを考えると、早々に袂を分かつ方が最善の策なのは誰の目にも明らかだった。

「もし参加しないのなら――恨むなよ――計画が成功するまで、お前を一時的に他の場所に軟禁することになる」

 改めて、ムーディはドラコを見た。

「お前はどうしたい」
「……僕は」

 水を打ったように静かだった場に、ドラコだけの声が響いた。

「僕も参加したいです。彼女を守りたい」
「わたしはそいつが信用できない」

 すぐに声を張り上げたのはシリウスだ。

「マルフォイの息子だ。そして本人も死喰い人だ!」
「シリウス、一度話し合ったことを蒸し返すな」

 ムーディは杖でトンと地面を叩いた。

「わしは直接マルフォイの心を見た」

 文句がある奴は出てこいと、ムーディは皆を見回した。

「こいつのハリエットを思う心は本物だ。マルフォイ」

 ムーディはドラコを近くに呼び寄せた。

「マルフォイ。その勇気に感謝をしよう。ミス・ポッターを頼んだぞ」
「はい」

 ドラコは力強く頷いた。

 ハリーは彼にチラリと視線を向けた後、ムーディに声をかけた。

「ハリエットはどうするんですか?」
「ハグリッドのバイクで運ぶ。サイドカーに乗せるんだ。ハグリッドが運転し、護衛も一人つく」
「僕が護衛をしていいですか?」
「ポッター、自分が何を言ってるのか分かってるのか?」

 ムーディは怖い顔で近づいた。

「お前は守られる側だ。それを勘違いするな」
「じゃあ誰が……」
「わたしが――」
「いや、シリウス。それは駄目だ。ちゃんと話をしただろう?」

 シリウスが名乗りを上げようとしたが、ムーディがいち早く拒否の意を示した。そしてハリーの耳元に顔を寄せ、囁く。

「この中で、本物のハリーを守る可能性があるのは誰だと思う? 一番力のあるわしか、後見人のシリウスか。相手も同じことを考えるだろう」

 そして再びムーディは声を張り上げた。

「ミス・ポッターの護衛は偽のポッターが行う。ハグリッドのバイクは箒やセストラル以上に速度が出せるから、敵を振り切る計画ではある。だが、ハグリッドはもちろん運転に集中するので、偽ポッターを守ることはほとんどできない。護衛役のポッターには自分の身とハグリッド、そしてミス・ポッターを守るという難しい役をこなさねばならん」
「私が――」
「俺が――」

 次々に声が上がる中、凜とした声が一際目立った。

「僕が護衛をします」

 息をのんで皆がドラコを見た。そのほとんどが驚きを含む中、唯一シリウスはしゃしゃり出るなと睨んでいた。

「僕の方が戦闘に慣れています」

 声を上げた人物達をドラコは覚えていた。ロンやハーマイオニー、ジョージにフレッド……。大人に比べれば実力が劣る者たちばかりだ。ハリーを除き、彼らの中で戦えるのは自分だと思った。

「なぜそう言いきれる」

 ムーディは訊ねた。

「たくさん鍛えられました」

 ドラコはポツリと呟く。

「相手を攻撃する呪文を。……たくさん」

 水面に油が一滴落とされたようだった。どこで、とは問われなかった。皆が察していた。気分が悪かった。しかし、これほど説得力のある言葉はないだろう。

「セドリックは? セドリックだったら闇祓いだし、マルフォイよりも――」
「セドリックはシリウスと組んでもらう。シリウスと組む者には一番危険がつきまとう。セドリックが適任だ」

 ムーディの言葉に皆が納得しかけたところで、最後の砦、ハリーがドラコに近づいた。

「君は臆病だったじゃないか」

 その声は低い。

「禁じられた森でも、すぐさま逃げ出した。人に向かって攻撃できるのか?」
「あの頃とは違う」

 ドラコは正面からハリーを見つめた。

「僕はもう逃げない」
「…………」
「では、ミス・ポッターの護衛についてはこれで解決だな」

 シリウスなんかは、未だ視線だけで『護衛役を降りろ』と脅していた。だが、ドラコは負けじと睨み返した。

「話を続けよう」

 ムーディが咳払いでシリウスに圧力をかけた。

「次は組み分けを発表する」
「入学式のときを思い出すな」

 フレッドはジョージに笑いかけた。

「まず、マンダンガスはわしと共に移動だ。箒を使う」
「どうして俺がおめえと」
「お前が一番目が離せんからだ。アーサーはフレッドと箒で移動だ。シリウスはセドリックと箒。ビルはジョージとセストラルだ。トンクスとロンは箒。キングズリーはミス・グレンジャーとセストラル。そしてポッター、お前はリーマスとバックビークだ」
「セドリックで残念だったな、名付け親さん」

 ジョージはシリウスの肩に手を置いた。シリウスは犬のようにぶるんと肩を震わせてその手を払いのけた。

「さあ、ポッター、髪の毛をこの中に」

 ハリーは頷き、髪の毛を一握り引き抜いた。そしてムーディの差し出すフラスコの中に入れる。液体はぐつぐつ泡立ち、透明な金色に変化した。

「クラッブやゴイルのとは大違いね」

 ハーマイオニーは思わずといった様子で呟いた。

「よし、では偽ポッター達、ここに並んでくれ」

 ロン、ハーマイオニー、フレッド、ジョージ、セドリック、そしてドラコが並んだ。最後の一人マンダンガスは、ハグリッドに引きずられてやってきた。

「俺は護衛役の方が良かった」
「言っただろうが。死喰い人に出くわしても、ポッターを捕まえようとはするが殺しはせん。『例のあの人』は自らの手でポッターを始末したいのだとな。死喰い人は護衛を殺そうとするぞ」

 ムーディはグラスを七個取りだして手渡し、それぞれにポリジュース薬を少しずつ注いだ。

「では、一斉に」

 皆が同時にポリジュース薬に口をつけた。身長が伸びたり縮んだり、髪の毛が短くなったり縮れたり。変化は様々だ。ムーディは次にハリー用の服や眼鏡を取り出した。

「わお、俺たちそっくりだ!」

 ようやく変化が終わったらしい。黒髪の双子は嬉しそうに肩を組んだ。

「変身が終わったら服を着替えろ。眼鏡も着用するんだ」

 同じ顔をした七人が一斉に着替えを始めた。ハリーのプライバシーなどどこ吹く風で、皆が裸になった。ハリーは少し気が遠くなった。

「おい、ジョージ。ハリーのアイデンティティ忘れてるぜ」

 ハリーに扮したフレッドがジョージに近づいた。

「フレッド。なんで俺のことが分かったんだ?」
「そりゃ、この中で一番イカす顔をしてるからな」

 続いてフレッドはセドリックの肩に腕を回した。

「お前さんも随分ハンサムになったじゃないか。いつもより可愛げがあるぜ」
「俺はこっちの方がイケてると思うぜ」

 セドリックは赤毛の双子に絡まれ、苦笑を浮かべていた。

 ハリーはセドリックに目をとめる。
『この中で、本物のハリーを守る可能性があるのは誰だと思う? 一番力のあるわしか、名付け親のお前か。相手も同じことを考えるだろう』
 頭の中で、ムーディの言葉が響いた。

「セドリック……」

 ハリーは恐る恐るセドリックに近づいた。

「気をつけてね。本当に」
「え? うん、それはもちろん」

 ハリーはちょっと笑って、次にシリウスを見た。

「シリウス、絶対にセドリックを守ってね」
「何だ、ハリーは実はセドリックにご執心なのか?」

 ジョージはなおも茶々を入れる。セドリックは何となくハリーの心境が分かり、彼の耳元に顔を近づけた。

「心配しないで。危険だってことは百も承知さ」

 セドリックは悪戯っぽく笑った。彼はすぐにジョージに腕を引っ張られ、片割れの元へ連れて行かれた。ハリーが七人いても、ジョージはすぐにフレッドを見つけ出し、ちょっかいをかけていた。

「出発すべき時間まであと五分だ。最後の準備をしろ」

 ムーディの言葉を受けて、それぞれ思い思いの最後の時を過ごす。時間にすれば、ほんの僅かな別れではあるが、今生のものとなる可能性はもちろんある。皆が大切な相手の所へ行った。

 ハリーはハリエットの近くに行った。緊張で皆が顔を強ばらせている中、ハリエットだけは唯一、安らかな寝顔をしていた。彼女を見ていると心が落ち着いた。ハリーは長い赤毛をするりと撫でる。

「マルフォイ、マルフォイはどこだ」

 シリウスは今にも殴りたそうな顔をして、ドラコの元へ行った。ひょっとしたら、ハリーの顔でなかったら一発手が出ていたかもしれない。

「命をかけて守れよ」
「――はい」

 袋を漁っていたムーディは、目的のものを見つけた声を出した。

「ミス・グレンジャー、これでミス・ポッターの髪を隠してやれ」
「はい」

 ムーディは帽子を手渡した。ハーマイオニーは手早くハリエットの髪を結い、帽子の中にハリエットの赤毛を詰めた。

「マルフォイ、ミス・ポッターと一緒に来い」

 ムーディは外に出て行った。呼ばれたのはドラコだけなのに、自分こそがドラコだと言いたげにシリウスとハリーもついていった。

 ムーディは、ハグリッドのバイクの前にいた。

「ハグリッドの運転は荒い。念のため、ミス・ポッターとお前の身体をベルトで繋ぐ」

 ムーディは二人のハリーを交互に見た。どっちが本物だ、とその目は聞いていた。ドラコの方のハリーが進み出た。

「な、なんだと」

 シリウスはぶつぶつ唸っていた。

「嫁入り前なのに……」
「うるさいぞ、シリウス。両手は空けておくべきだ。……そろそろ出発するぞ!」

 ムーディが声を上げると、全員がぞろぞろと庭に出てきた。ハリーは玄関に置いてあった自分とハリエットの荷物を持ち出した。一つをサイドカーの中に、一つをバックビークの首に括り付けた。バックビークはすごく嫌そうだったが、首を撫でて宥めたら少し大人しくなった。

「懐かしいなあ」

 ハグリッドはハリーとハリエットを見てにっこり笑った。

「お前さんらがこーんなちっこい赤ん坊だった頃、これに乗せてダーズリーんとこまで送ってったんだ」
「ハグリッド……」
「死なせねえ、絶対に俺が守るからな」

 ハグリッドは、バイクに乗り込んだ。ハリエットを抱えたドラコも、サイドカーに乗り込む。キツキツの座席の横に、ハリエットを座らせる。ムーディから大きな毛布をもらって、彼女の上に被せた。

 他の皆は、既に準備を終えていた。ハリーも慌ててルーピンの後ろに乗った。

「ではいいな」

 ムーディは皆の前に立った。

「全員位置についてくれ。一斉に飛び立って欲しい。さもないと陽動作戦の意味がなくなるからな」

 箒組が箒に跨がった。

「武運を祈る」

 ムーディが叫んだ。

「約一時間後に、隠れ穴で会おう! 三つ数えたらだ。一……二……三!」

 爆音と共にオートバイが発進した以外は、至って静かな離陸だった。闇夜に遠くの街灯が瞬いていた。ハリーは最後にもう一度ハリエットの方を見ると、また前を向いた。