■死の秘宝
10:結婚式
翌日の午後三時、ハリー、ロン、ドラコ、フレッド、ジョージの五人は、果樹園の巨大な白いテントの外に立ち、結婚式に出席する客の到着を待っていた。ハリーとドラコはポリジュース薬をたっぷり飲み、近所の赤毛のマグルになりすましていた。親戚の多いウィーズリー一族に紛れ込ませ、従兄弟として紹介するという計画だった。
式の一時間前にはウェイターやバンドマン達も続々到着したし、三十分前になると、招待客も集まり始めた。ようやくハリー達のお仕事開始である。フラーの親戚のヴィーラや、アーサーの魔法省の同僚、年寄りの夫婦など、大勢の人が訪れた。
ハリーやロンは、慣れないエスコートに四苦八苦していたが、こういった場は、ドラコの方がお手の物だった。紳士的にエスコートとしていたので、招待客から褒めそやされていた。
「こういうところは両家のお坊ちゃんだねえ」
ドラコの前を通りがかった時にロンは嫌みったらしく声をかけた。
「負け犬の遠吠えか?」
ふっと鼻で笑われ、ロンは顔を真っ赤にした。
招待客は、ハグリッド、ルーピンやトンクス、ロンの大叔母ミュリエル、オリバンダー、ルーナやその父ゼノフィリウス・ラブグッドも来た。
あらかた招待客を捌いた後、準備を終えたハリエットとハーマイオニーがハリー達の元にやってきた。
開口一番ロンが褒めた。
「すっごく綺麗だ」
「お世辞をどうもありがとう」
そう言いながらも、ハーマイオニーは嬉しそうに笑った。ハーマイオニーは、ライラック色のふわっとした薄布のドレスに、同じ色のハイヒールを履いていた。もちろん、長い髪はまっすぐで艶やかだ。
「ハリエットも可愛いよ。黒髪も似合ってる」
「ありがとう」
ハリエットは兄の言葉にはにかんだ。
ハリエットは、まだポリジュース薬の強い刺激が身体に負担がかかるかもしれないと、魔法で髪を黒色に変えるだけの変装だった。その代わり、赤毛だとあまり映えないだろうレモンイエローのシフォンドレスをチョイスしていた。膝程まである長さで、熱い日差しの中ではピッタリだった。髪も後ろでシニョンにまとめ、髪留めをつけていた。ハイヒールは履き慣れないので、少しよたよたしていた。
「折角ハリーとお揃いだと思ったのに。今度は逆にハリーが赤毛ね」
「双子なのに全然似てないって、もう聞き飽きたよね」
ほのぼのとした双子の会話を少し離れた場所から見っドラコの下に、ニヤニヤ笑うウィーズリー家の双子がやってきた。
「君もまだまだ青いよなあ」
やけに達観した瞳でフレッドがドラコの肩に手を回す。
「こういうときは一番に褒めに行かないと、何番煎じになっちまうか」
ドラコはうざったそうにフレッドの手を振り払おうとしたが、のらりくらり彼は躱し、ジョージに合図をした。
「ほら、俺たちをお手本に見てろよ」
フレッドとジョージはニヤリと視線を交わし、女の子二人組に近づいた。
「ハリエット、そのドレスすごくよく似合ってるぜ!」
「ハーマイオニーも素敵だぜ!」
「妖精が二人舞い降りたかと思った!」
声を揃えて言う赤毛の双子に、ハリエットとハーマイオニーはクスクス笑い声を上げた。
「ありがとう。フレッドとジョージも素敵よ」
「いつよりちゃんとして見えるわ」
ハーマイオニーは悪戯っぽく言った。
「そりゃないぜ。俺が結婚するときは」
フレッドは着ているローブの襟を引っ張った。
「こんな馬鹿げたことは一切やらないぞ。皆好きなものを着てくれ。俺は式が終わるまでお袋に全身金縛り術をかけてやる」
和やかな談笑を楽しんでいると、後ろから躊躇いがちにハリエットに声をかける者があった。
「ハリエットさん……ハリエット・ポッターさん」
「オリバンダーさん!」
ハリエットは杖作りの老人を視界に入れると、目を細めて喜んだ。マルフォイ邸から救出されて以降、ハリエットはオリバンダーと会っていなかった。いや、正確に言えば、オリバンダーも何度か医務室にお見舞いに来たそうだが、ハリエットにその時の記憶はなかったので、実質この時が久しぶりの再会だった。
「髪の色が違うので、もしやと思いましたが……良かった……本当に良かった。元気そうで、わしは本当に嬉しい……」
「これは――正体を隠すために、魔法で黒髪にしてて。でも、私もお会いできて嬉しいです。あの時のお礼を言ってなかったので……」
話しながら、ハリエットはハリー達の輪から離れた。
「オリバンダーさんのお話、とっても楽しく聞かせて頂きました。それに、私の話相手にもなってくださって……。夜にオリバンダーさんと話をするのが、心の支えだったんです」
「そんな……わしの方が救われたよ……。あなたの話は生き生きとしていて本当に面白かった。たった一瞬でも地獄を忘れさせてくれた」
ハリエットは曖昧に微笑んだ。ベラトリックスに拷問を受けていたときの記憶は、今のハリエットにはなかった。だが、オリバンダーは未だその時の記憶に苦しめられているのだ。彼を裏切っているような気がして、ハリエットは心苦しかった。
「それで……あなたの誕生日は昨日だったと聞いたんじゃが。一日遅れで申し訳ないが、貰ってくれんかの?」
オリバンダーは、包装紙で包まれた四角いものを差しだした。ハリエットはおずおず受け取った。
「でも、いいんですか?」
「大したものではないが……ぜひ」
包み紙を開くと、中から黒い滑らかな革のケースが出てきた。中央に銀文字で『杖磨きセット』と刻印されている。
「わあっ、これ、オリバンダーさん――!」
「わしの店のとっておきの杖磨きセットじゃ。約束したじゃろう?」
「ありがとう……ありがとうございます……」
ケースを胸に抱いて、ハリエットは微笑んだ。最高のプレゼントだと思った。
「あと、これも……」
しかし、驚くべきことに、オリバンダーは懐から更に四つの同じ包みを取り出した。
「実は、あと四つあるんじゃ」
「よ、四つ!?」
ハリエットが驚いて聞き返すと、オリバンダーは気外しそうに微笑んだ。
「ハリエットさんの、大切なお兄さんと友人達に。ハリーさん、ロンさん、ハーマイオニーさん、それにドラコさん」
「――いいんですか?」
「もちろんじゃ」
オリバンダーは再び頷いた。
「あなたの話を聞いているうちに、わしにとっても、思い入れのある四人になったんじゃ。どうか、もらって欲しい」
「ありがとうございます……」
ハリエットが四人を呼び、ことのあらましを説明すると、四人ともとても喜んでくれた。口々にオリバンダーにお礼を述べると、彼は照れたように謙遜しながら、席に腰を下ろした。
遅れてやってきた最後の招待客は、クラムだった。未だ仲の良い挨拶を交わすハーマイオニーとクラムに、ロンは嫉妬のあまり耳を真っ赤にさせていた。
彼が来たところで、ハリエット達も席に着いた。ハリエット達は、二列目の、フレッドとジョージの後ろの席に座った。
やがて、ウィーズリー夫妻が花道を歩き、一番前の席に着席した。その直後に、ビルとチャーリーがテントの正面に立った。二人ともドレスローブを着て、襟には大輪の白バラを挿している。金色の風船から聞こえてくるらしい音楽が高らかに響き、会場が静かになった。
「わあああっ!」
腰掛けたまま入り口を振り返り、ハーマイオニーは歓声を上げた。
ムッシュー・デラクールとフラーがバージンロードを歩き始めたのだ。すっきりとした白いドレスを着たフラーは、銀色の強い光を放っているように見えた。ジニーとガブリエールは、お揃いの金色のドレスを着てブライズメイドを勤めていた。
ビルがフラーの隣に立つと、髪の毛のフサフサした小さな魔法使いが、結婚式の宣誓を取り仕切った。モリーとマダム・デラクールが感極まってすすり泣く中、宣誓が終わった。魔法使いがビルとフラーの頭上に杖を高く掲げると、二人の上に銀の星が降り注ぎ、抱き合っている二人を螺旋を描きながら取り巻いた。フレッドとジョージの音頭で皆が一斉に拍手をする。
魔法使いの合図で、招待客が立ち上がると、その瞬間皆の椅子は宙に浮き、テントの壁の部分は消え、一同は金色の支柱に支えられた天蓋の下にいた。
宙に浮いていた椅子は、何脚かのテーブルと共にテントの端に寄せられた。バンドマンが舞台に上がり、飲み物や軽食を乗せた銀の盆を持ったウェイターも現れる。
お祝いに行かなきゃとハーマイオニーは意気込んだが、挨拶は後で行くことになった。ビルとフラーが祝い客にあっという間に取り囲まれてしまったからだ。
端の方に空いていたテーブルを何とか見つけ出し、ハリー達五人は椅子に腰掛けた。バタービールをそれぞれウェイターからもらったところで、バンド演奏が始まった。ビルとフラーが拍手に迎えられて最初にフロアに出た。しばらくして、次々に招待客もダンスに躍り出る。
身体を揺らしながら、ルーナはたった一人で回転していた。ジニーも楽しそうにルーナの側に躍り出る。
「あいつすごい奴だぜ」
ルーナを眺めながら、ロンは感心したように言った。
「いつでも希少価値だ」
だが、ロンの笑顔はたちまち消え去った。たった一つ空いていた席に、ビクトール・クラムが腰掛けたからだ。ハーマイオニーは嬉しそうに慌てふためいた。しかし、クラムは他に気になることがあるようだった。
「あの黄色い服の男は誰だ?」
クラムはしかめっ面で尋ねた。
「ゼノフィリウス・ラブグッド。僕らの友達の父さんだ」
ゼノフィリウスは笑いを誘う姿で陽気に踊っていた。しかしその姿を見てもロンの表情は晴れない。
「来いよ。踊ろう」
ロンは唐突にハーマイオニーを誘った。ハーマイオニーは驚いたようだったが、しかし嬉しそうに立ち上がり、二人はだんだん混み合ってきたダンスフロアの渦へと消えた。
「あの二人は付き合ってるのか?」
クラムはハリーに尋ねた。
「んー……そんなような」
「付き合ってるんじゃないかしら」
祈りも込めて、ハリエットも援護した。クラムに恨みはないが、ハリエットはロンとハーマイオニーの仲を応援していた。
「君は?」
初めて気づいたとばかり、クラムがハリエットを見た。
「リリー・ウィーズリーよ」
「ヴぉくはビクトール・クラムだ。ヴぉくと踊らないか?」
「えっ?」
あまりにも唐突な誘いにハリエットは困惑した。
「あ……えっと――」
しかし断る理由はない。ハリエットが口を開きかけたとき、それよりも早くドラコが椅子を引いて立ち上がった。
「彼女は僕と踊る約束をしてるんだ」
腕を引かれ、連れて行かれた先はダンスフロアだった。人混みの中をずんずん進み、ハリー達のテーブルからは全く見えないような奥まで入り込む。
「ドラコ?」
ようやく端まで来たとき、ドラコの足は止まった。ドラコは我に返ったように腕を離した。
「すまない。急に――こんなこと。でも、あいつは駄目だ。あいつはグレンジャーに気があるんだろう? なのに、グレンジャーが駄目だからって、急に君に切り替えて、そんな……手が早い」
「そんな理由?」
少しがっかりしてハリエットは尋ねた。焦ったように連れ出されたので、もしかしたらヤキモチなのかと僅かながら期待していたのに。
「完全なお節介だとは分かってる。もし君がクラムと踊りたいと言うのなら――」
「踊りたいなんて思ってないわ」
憤慨してハリエットは答えた。
「でも、ここまで連れ出した責任は取るべきじゃないかしら」
ハリエットは自分のつま先を眺めながら言った。
「クラムは私と踊りたいって言ってくれたけど、あなたはそうは思わないの?」
言葉にしてみて、何だか告白みたいだと思った。羞恥で顔が赤くなる。――まさか、ドラコがここまで鈍感だとは思わなかった。それとも、自分に魅力がないのか。もしくは、気づいていながらとぼけているのか――。
こんなことなら、まだストレートに言った方が潔かった。こんなに回りくどく言うつもりじゃなかったのに。
「君は……僕と踊りたいのか?」
意外そうに問い返され、ハリエットはカーッと熱が頬に集まるのを感じた。彼は――本当に――気づいていないのだ。そもそも、恋愛対象にすらなっていないのかもしれない。
「嫌なら良いわ」
ハリエットは早口で言った。踵を返そうとしたハリエットの腕を、ドラコは慌てて掴む。
「いや……まさか……だって」
「ダンスパーティーの時、一緒に踊れなかったから……」
それ以上言葉が続かないドラコに対し、ハリエットは悔し紛れにそんな言い訳を口にした。すると、ドラコも大義名分を得たとばかり、ハリエットをダンスフロアまで導く。ハリエットとしては、少し悲しくなるくらいの流れだったが、ダンスが始まるとそんな気持ちは吹き飛んだ。テンポの速い楽しい曲だったというのもあるし、ダンスを踊るのはかなりのご無沙汰だったはずなのに、ドラコのリードがとても上手なので、のびのびと踊れたからだ。
二曲踊り終えたところで、テーブルの合間から黒犬の姿が見えた。こちらをじっと眺め、嬉しそうに尻尾を振っている。
「スナッフルだわ」
ハリエットがにこにこ手を振ると、スナッフルは吠え返した。ドラコは喉元に杖でも突きつけられたかのように、ぴしりと固まった。
「どうしたの?」
「いや……終わったと思って」
「どうして?」
「後で殺される……」
「誰に?」
ハリエットは更に尋ねたが、ドラコは口を真一文字に結び、答えなかった。
だが、ドラコの予想に反して、スナッフルは自分たちの下には来なかった。楽しむんだぞ、とでも言うように吠えると、人混みの中に姿を消したのだ。一瞬呆気にとられたドラコだが、はたと気づいた。自分は今ポリジュース薬で赤毛の別人に扮していて――ハリー・ポッターもまた、赤毛の別人に扮していることを。
要は、あの後見人はドラコをハリーと見紛ったのだ。そうと分かって一瞬安心したドラコだが、すぐにまたその安心を自ら吹き飛ばす。あの後見人のことだ、いずれすぐに気づく。というより、すぐに嗅ぎつける。大切な名付け子のハリー・ポッターは別の場所にいて、じゃあもう一人の大切なハリエット・ポッターと踊っている赤毛は誰なのか、と。
そこまで考えたとき、ドラコはひどく脱力し、それ以上踊ることは不可能だと自分で悟った。同時に、ハリエットもまた体力の限界が近づいていたので、二人はまたテーブルの方へ戻ることにした。ハリエットはハリーのところに戻りたいと言ったが、ドラコは、すぐ側の空いている席でいいじゃないかと食い下がり、結果、そうすることになった。
「ドラコって踊るの上手なのね」
席について早々、ハリエットは興奮気味に言った。
「正直、足を踏むかもって緊張してたんだけど、全然そんなことなかった。すごく楽しかったわ」
「いや……そんなことは」
照れくさそうにドラコは首を振った。そして丁度近くを通りかかったウェイターから、バタービールを二本頼む。
「ありがとう」
ジョッキを傾けながら、ハリエットはフロアを見回した。ハリーはまだ誰かと熱心に話しているようだし、ロンとハーマイオニーは、ダンスフロアの中央近くで楽しそうに踊っていた。ジニーとルーナも息ピッタリに踊り、フレッドとジョージは、フラーの親戚のヴィーラ達に話しかけていた。
全体を見渡していると、丁度ビルとフラーの周りにいる人が少なくなっていることに気づいた。
お祝いの言葉をかけに行こう、とドラコを振り返ると、彼の顔は引きつっていた。何事か、とハリエットが後ろを見やると、猛然と人の間を縫ってスナッフルがやってくるところだった。
「スナッフル? どうしたの?」
ハリエットは優しく声をかけたが、スナッフルは不機嫌そうに鼻をぶるぶる鳴らし、ハリエットとドラコの間にぐでんと座った。先ほどとは打って変わって虫の居所が悪いようだ。
「お腹でも空いた?」
仮にも三十を過ぎた後見人にかける言葉ではないが、今のハリエットはそんな機微を全く気にもしていなかった。どうしてだか、スナッフルを前にしてしまうと、彼がシリウスであるということが頭から抜け落ちてしまうのだ。彼があまりに無邪気に犬特有の反応を示すからだろうか。
ウェイターにサンドイッチを三切れもらうと、スナッフルの前にトンとおいた。スナッフルは特に文句もなくそれを食べた。彼が食べている間、ハリエットは思う存分スナッフルの背中を撫でた。柔らかい毛並みはいつまででも撫でていたいくらいの肌触りだ。
お腹も膨れ、ハリエットの優しい手つきにうっとりとし、スナッフルもまた、自分が不機嫌だったということを忘れかけようとしていたが、突如とある女性の、怒鳴るのを精一杯押さえたような囁き声に、ぴしりと身体を固まらせた。
「スナッフル! どうしてこんな所にいるの! 家の中に残ってるよう言ってたでしょう!」
ハリエット達が振り返ると、そこには怒りに眉を吊り上げたモリーがいた。怒れるモリーには、さすがのスナッフルも楯突くことができない。素早い動きでテーブルの下を潜り、向こう側に逃げ出した。
「待ちなさい!」
嵐のように一人と一匹が去り、ドラコは深々とため息をついた。そして徐に立ち上がる。
「何だか喉が渇いた……。バタービールのおかわりを取ってくる。君はいるか?」
「私は大丈夫」
何歳も年を取ったような後ろ姿で、ドラコは人混みの中に姿を消した。一体どうしたんだろうとハリエットは思ったが、深く気にしないことにした。
ぼうっとテントの中を見回していたハリエットは、おそらく一番にその異変に気づいたのではないかと思った。銀色の靄のようなものが、テントの外からスーッと入り込んできたのだ。それはみるみるオオヤマネコの姿を形取った。そしてキングズリーの声で、オオヤマネコは言う。
「魔法省は陥落した。スクリムジョールは死んだ。連中がそっちに向かっている」