■死の秘宝
12:誰もいない屋敷
ブラック邸の周りに、人影はなかった。これ幸いとばかり、五人は急いで敷居をまたぎ、扉の中に身を滑り込ませる。
扉を閉めると、薄暗い玄関ホール全体に旧式のガスランプが灯った。すぐ側にある黒く長いカーテンは、シリウスの母親の肖像画を隠していた。
「スネイプ除けの呪詛ってどこにあるんだ? あいつが現れたときだけ作動するんじゃないのか?」
ロンの言葉に、他の四人はたたらを踏んだ。足を踏み出せば、今にもどこからか呪いが飛んでくるのではないかと思ったのだ。しかしいつまでもうこうしてはいられないと、果敢にもハリーが一番に足を踏み出した。
「セブルス・スネイプか?」
暗闇からムーディの声が囁きかけた。
「マッドーアイ?」
「他の皆もいるの?」
ロンとハリエットが安心して話しかけると、直後冷たい風のような何かがシュッと五人の頭上を飛び、ひとりでに舌が丸まった。しばらくもごもごとその違和感と格闘していると、やがて舌がほどけて元通りになった。
「こ、こ、これはきっと『舌もつれの呪い』で……マッドーアイがスネイプに仕掛けたのよ」
ハーマイオニーがどもりながら説明した。ムーディの姿はもちろんそこにはなく、先ほどの声も仕掛けの一部だったのだと分かった。
続いて、亡きダンブルドアの亡霊のようなものも襲ってきたが、それもスネイプを脅すための姿だと分かった。五人はたった二つの仕掛けを乗り越えただけで、精根を使い果たした気分だった。
その後も屋敷に呪文をかけて調べたが、他に人はいないようだった。騎士団の本部を隠れ穴に移してからずっと誰も訪れていないのか、屋敷には随分埃が溜まっていた。
客間へ上がると、クリーチャーがいた。一応は頭を下げて五人を出迎える。
「奥様の古いお屋敷に戻ってきた。ご主人様の名付け子と純血のウィーズリーとマグル生まれとマルフォイ家の坊ちゃまが一緒にいる」
「どうしてハリー達よりもマルフォイの方が丁重な呼び方なんだよ」
ロンは不服そうだ。『血を裏切る者』や『穢れた血』と呼ばれていた頃よりはよっぽど良い待遇なのだが、かつてクリーチャーがどんな悪態をついていたかはすっかり忘れていた。
「ハリエット・ポッター……。もう歌は歌っていない。普通に立っている」
「ええ、そうよ。すっかり良くなったの」
ハリエットは屈んでクリーチャーと目線を合わせた。
「あの時、ドビーと一緒に私達のことを助けてくれたって聞いたわ。クリーチャー、あの時は本当にありがとう」
「あの歌は不快だったから元に戻って良かった。クリーチャーはあの歌は嫌いだ」
「おい、クリーチャー!」
「ロン、待って。クリーチャーは、心配してくれてたのよね? ありがとう」
「クリーチャーは心配などしていない……」
ブツブツ言いながら自分の巣へと戻っていった。ロンはすっかりふて腐れた。
「何だよ、あいつ。嫌な悪態ちっとも直ってないじゃないか」
「あれでもマシな方だよ」
ハリーは呟いたが、そのすぐ後、彼は痛みに呻いた。ハリーが額に手をやったので、ハリエット達は、またもヴォルデモートと繋がったのだと気づいた。
「何を見たんだ? 隠れ穴にあいつがいたのか?」
ロンは不安そうに声をかけた。
「違う。怒りを感じただけだ……後は分からない」
「ハリー、あなた、心を閉じなければ! ダンブルドア先生はあなたがその結びつきを使うことを望まなかったわ。あなたにそれを閉じて欲しかったのよ。ハリエットの時だってあなた――」
「ハーマイオニー」
ロンが慌てたが、もう遅かった。
「私? 私がどうしたの?」
「別に何でもないよ」
額をこすりながら、ハリーは早口で答えた。
「ハーマイオニー」
縋るようにハリエットがハーマイオニーを見ると、彼女は観念したように息を吐いた。
「ハリエットが磔の呪文にかけられるところを、ヴォルデモートから映像で送られたの。それをハリーはずっと見ていたのよ。ハリエットを助ける手がかりが何かあるかもしれないって」
「ハリー――」
「トイレに行ってくる」
ハリーは冷や汗を流しながら、足早に部屋を出た。ハリエットは彼を追いかけた。視界にちらりと映ったドラコの顔は、真っ青になって見えた。
ハリーがバスルームを締め切ろうとした寸前で追いつき、ハリエットもその中に入った。
「傷が痛むんでしょう?」
ハリーは声もなく床に倒れた。その表情は苦悶に歪んでいる。少しでも気が楽になれば、とハリエットは兄の頭を両腕で抱き締めた。
しばらくして、ようやくハリーのうめき声は止んだ。
「……大丈夫?」
「……うん」
ハリーはぼうっとしていた。目を閉じ、思い出すようにして話し始める。
「僕たちに逃げられたことをヴォルデモートが怒ってる。すぐ側にルシウス・マルフォイとオリバンダーがいた。ルシウス・マルフォイがオリバンダーを捕まえたんだ」
「オリバンダーさんが!?」
「ヴォルデモートは、オリバンダーに、どうやって僕とヴォルデモートの杖の結びつきを克服できるのか言わせようとしている。拷問してる」
「ああ、なんてこと……」
「オリバンダーさんは、別の杖のことを話した。殺人によって持ち主が変わる杖のことを……グレゴロビッチ……」
「グレゴロビッチ? それは誰?」
「分からない……断片だったんだ。誰かは分からない」
「私……私のせいだわ。オリバンダーさんを呼ぼうって言ったから……」
「ハリエットのせいじゃない。僕だってオリバンダーさんと話がしたかったんだ。誰のせいでも……」
話しながら二階の客間へ戻ると、銀色の何かが視界を横切った。客間の中央にそれは着地し、イタチの姿になった守護霊は、アーサーの声で話し出した。
「家族は無事。返事を寄越すな。我々は見張られている」
守護霊は霧散し、ロンは安堵でソファにへたり込んだ。
「皆無事なの。皆無事なのよ!」
ハーマイオニーが囁くと、ロンは口元を緩め、何度も頷いた。
少し間をおいて、また守護霊がやってきた。今度は大きな犬の姿を形取っている。
「わたしはルーピンのところにいる。無事か? 暇を見つけたら伝言を送って欲しい」
「シリウスだわ!」
ハリエットは駆け出して守護霊の側まで行った。犬はすぐに消えてしまったが、ハリエットは温かいものが胸の奥に染みこむのを感じた。
「エクスペクト パトローナム」
ハリエットもすぐに守護霊を出してシリウスの元へ送った。シリウスの守護霊を見た後に出すと、ハリエットの守護霊は本当にシリウスのそれとそっくりだと分かった。
そう思ったのはハリエットだけではなかったようで、ハリーは先ほどの苦痛も忘れ、穏やかに微笑んだ。
「ハリエットはシリウスが大好きなんだね」
「えっ」
突然の言葉に、ハリエットは動揺した。
「べ、別に、そういう訳じゃ……」
「トンクスも、ルーピンのことが好きだったから、守護霊が狼に変化したんだよ」
「トンクスの好きとは意味が違うじゃない……」
「似たようなものでしょ?」
「ハリーだってシリウスのこと大好きでしょ!」
恥ずかしくなってハリエットは大声で叫んだ。
「僕は……僕は普通だよ」
「なら私だって普通よ!」
「普通じゃないよ!」
くだらない口論をしていると、玄関の方からカチカチという金属音や、ガラガラという鎖の音が響いてきた。ハッとして二人は黙り込む。五人は固まって玄関へ向かった。
杖を取り出し、階段脇の暗がりに移動した。じっと待っていると、ドアが開き、隙間から街灯に照らされた小さな広場がチラリと見えた。マントを着た人影がわずかに開いたドアから半身になって玄関ホールに入り、ドアを閉めた。侵入者が一歩進むと、マッドーアイの声が響いた。
「セブルス・スネイプか?」
「ダンブルドア、あなたを殺したのはわたしではない」
落ち着いた声が言った。呪いは破れ、死人を形取っていた埃は爆発した。もうもうと立ち上る灰色の埃の中で侵入者を見分けるのは不可能だったが、その声は確実にシリウスだった。
駆け寄りかけたハリエットの前に腕を出し、ハリーは侵入者に杖を突きつけた。
「動くな! 誰だ?」
「わたしだ、シリウス・ブラック」
埃が徐々に引いていく。そこから現れたのは確かにシリウスだ。
「君たちの名付け親かつ後見人だ。パッドフットとも呼ばれている。ハリエット、君の守護霊は可愛いスナッフルだし、ハリー、君の守護霊はお父さんそっくりのイカした牡鹿だ」
「シリウス!」
双子はシリウスに飛びついた。
「ねえ、ハーマイオニー」
ロンはハーマイオニーに顔を近づけた。
「僕ら、シリウスが来るたびにあの光景見せられないといけないの?」
「……諦めて我慢しましょう」
「適切な対処だった。これからも誰かがここを訪ねるたびに今のようにするんだ」
「うん」
シリウスの言葉に、ハリーは力強く頷いた。
名付け親と双子が固く抱き合った後は、客間に戻って情報交換をした。
「わたし達は全員見張られている。もうじきここにも死喰い人が見張るようになるだろう。これから姿くらまし、現しをするときには、外階段の一番上で正確にする必要がある」
「皆は無事なの?」
ロンが勢い込んで尋ねた。
「ほとんどの者はあいつらが来る前に姿くらましした。だが、オリバンダーさんが誘拐された。オリバンダーさんがあそこにいることは予想外だったらしいが、見つけるとすぐに奴らは捕まえようと躍起になった。ヴォルデモートの狙いだったようだ」
それを聞いてハリエットはますます落ち込んだ。ようやくマルフォイ邸から助け出されたというのに、自分が余計なことを言ったせいで、またも彼を辛い境遇にさせることになってしまったのだ。
「わたしはもう行かなければ。オリバンダーさんの件も含め、騎士団で話し合いがあるんだ。アーサーは見張られている。動ける者が情報収集しなければ。何かあればすぐにわたしを呼ぶんだ。いいね?」
シリウスはハリエットをじっと見つめた。ハリエットは力強く頷く。
「ダンブルドアがハリーに託したという使命も、もう一度ゆっくり話し合いたい。また数日後に時間を作る。今は絶対にここで安静にしておくんだ。いいな、ハリー?」
次に、彼は恐いくらいの顔でハリーを見た。ハリーは生返事を返した。
「では、もう行くことにしよう。皆の顔が見れて良かった」
シリウスは僅かに微笑み、五人の顔を見回した。ドラコの顔は、他の人よりも長い間見つめていた。
「クリーチャー、ここに」
「ご主人様。何かご用でしょうか」
シリウスはクリーチャーを隅まで追い立て、何やら彼に耳打ちした。クリーチャーは頷いた。
「じゃあおやすみ。また数日後に来る」
クリーチャーに命令を伝え終えると、シリウスはなぜか上機嫌に去って行った。