■死の秘宝

13:R・A・B


 何かの気配を感じて、ハリエットは目を覚ました。窓から朝日が差し込んでいた。寝袋にくるまりながらゆっくり部屋の中を見渡すと、タペストリーの前にドラコが立っているのが見えた。ブラック家の家系図の広がりを金の刺繍糸で表したものだ。

 ハリエットが起き上がったのに気づくと、ドラコは慌ててタペストリーから視線を外した。ハリエットに背を向けながら、頬を拭うのが見えた。

「ドラコ……」
「ここはブラック家の屋敷だったんだな。随分古びてはいるが、広いし、格式張ってるから、どこかの由緒正しい家なんだとは思っていたが」
「…………」
「こんな形でブラック家にお邪魔することになるとは思っても――」
「ドラコ」

 ハリエットがまた名前を呼ぶと、今度こそドラコは口をつぐんだ。

「言おうかずっと迷ってたんだけど……。昨日、ハリーがヴォルデモートの映像を見たの。そこにルシウスさんがいたらしいわ」

 ドラコが息をのむ音がはっきり聞こえた。

「ナルシッサさんのことは分からないけど……でも、ルシウスさんは生きてるわ」

 こんなことでは、慰めにもならないだろうか。

 ハリエットがちらりとドラコを見ると、彼はまたタペストリーに顔を向けていた。彼の視線が、刺繍糸がかたどる両親の名を追っていることは明白だった。

 その時、荒々しく階段を駆け下りてくる音がした。反射的に杖に手を伸ばしたが、降りてきたのはハリーだった。

「R・A・Bを見つけたんだ!」

 ハリエットを見、開口一番ハリーが叫んだ。そのままの勢いで、寝袋に身を包むロンとハーマイオニーを叩き起こす。

「レギュラス・アークタルス・ブラック。死喰い人だったシリウスの弟だ」

 四人を引き連れ、ハリーは興奮しながら話した。

「シリウスが教えてくれた。弟はまだとても若いときに参加して、それから怖じ気づいて抜けようとした――それで連中に殺された」

 ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人はレギュラスの部屋に飛び込み、あちこち調べ始めた。突然家宅捜索が始まったので、ドラコは面食らっていた。

「何をしてるんだ?」
「ロケットよ。スリザリンのロケットを探してるの」

 あまりに興奮して、ハリー達はドラコの存在を忘れていた。ハリエットは一旦彼を部屋の外まで連れ出した。

「えっと……私も詳しくは分からないんだけど、ヴォルデモートを倒すのに必要なの」
「それは、僕に伝えてもいい情報なのか?」

 訝るような声に、ハリエットは一瞬言葉を失った。それから悲しそうに彼を見上げる。

「あなたが情報を漏らすなんて、誰も考えてないわ」
「でも――」
「皆……口には出さないけど、あなたのことを信用してる。信用してなかったら、ここまで一緒に来てないわ」

 ハリエットはもどかしい思いでドラコを見つめた。

「三人は、これからヴォルデモートを倒すために旅をするつもりよ。……私は足手まといになるから行けない。だから……もし、もし嫌じゃなかったら、私と一緒に、三人の帰りを待ってくれると嬉しいわ。一人じゃ寂しいから」

 ドラコは困惑したように視線を揺らがせた。

「僕には……行く宛がないから」

 ハリエットはハッとして声を詰まらせた。再び下を向く。

「そう……そうよね、私のせいでごめんなさい。ご両親のことも。あなた自身も、追われる身にしてしまったわ」
「僕が決めたことだ」

 ドラコがハリエットの腕を掴んだ。思わずハリエットも彼を見つめる。

 ドラコの瞳に見入っていたが、すぐ近くでバシッと音が鳴り、ハリエットは我に返った。二人の間に割って入るようにクリーチャーが立っていた。

「クリーチャーはご主人様の命令を果たしに参りました。クリーチャーめは――」

 突然クリーチャーが黙り込み、ハリエットとドラコは彼を見つめた。クリーチャーは、開け放たれたレギュラスの部屋を真っ直ぐ見ていた。

「名付け子が仲間とレギュラス様の部屋を漁っている。許可なき者は入れないレギュラス様の部屋を――」
「クリーチャー、君に質問がある」

 ハリーは部屋の入り口に立ちはだかった。クリーチャーは燃えるようにハリーを睨み付けている。

「ご主人様でない人がクリーチャーに話しかけている。レギュラス様の部屋を荒らし、堂々とクリーチャーに命令しようとしている」
「命令じゃないわ、質問よ」

 ハーマイオニーが優しく話しかけた。そんな彼女すら、クリーチャーは侮蔑の視線を投げる。

「穢れた血がクリーチャーに友達面して話しかけている。レギュラス様の部屋を荒らした分際で、のうのうと話しかけている!」
「クリーチャー……クリーチャー、ごめんなさい」

 ハリエットは膝をつき、クリーチャーの目線と合わせた。クリーチャーの瞳は激しい憎悪で燃えていた。

「あなたにとって、レギュラスさんはとても大切な人なのね。クリーチャー、レギュラスさんのお部屋を荒らしたことはごめんなさい。私達、どうしても必要なものがあったの。だから何も考えずに部屋に入ってしまった」

 きっとシリウスの部屋に入ったとしても、クリーチャーはここまで怒らないだろう。クリーチャーはレギュラスのことをとても尊敬しているのだとひしひし伝わってきた。

「クリーチャー、私達、あるものを探してるの。ひょっとしたらレギュラスさんが持ってるかもしれないと思って。……ハリー、ロケットを貸してくれない?」

 ハリーはポケットからハグリッドにもらった巾着を引っ張り出した。そして中から偽の分霊箱である、レギュラスのロケットを取り出し、ハリエットに手渡した。そのロケットを目にした途端、クリーチャーの大きな瞳が一層大きくなった。

「この中にね、レギュラスさんのメモがあったの。これ、読んでくれない?」

 ハリエットは羊皮紙を取り出し、クリーチャーに渡した。クリーチャーの羊皮紙を持つ手がぶるぶる震える。テニスボールほどの瞳から、ポロポロ涙が零れた。

「私達ね、レギュラスさんと同じ考えなの。このロケットじゃない、本物のロケットを探して、どうしても壊したいの。もうすでに壊されているのなら、それでいいんだけど、まだ壊せていないのなら――」
「なっ、なくなりました……」

 クリーチャーは声を絞り出した。

「ロケットは、マンダンガス・フレッチャーが盗んだんです。クリーチャーめは、過ちを犯しました! クリーチャーはご主人様の命令を果たせませんでした!」

 クリーチャーは目にもとまらない速さで動いた。だが、屋敷しもべ妖精の突飛な行動に慣れているハリーは、火かき棒に飛びつこうとするクリーチャーに飛びかかり、床に押さえつけた。

「クリーチャー、止めるんだ!」
「お願い、止めて!」

 クリーチャーはもがいたが、ハリーの力から逃れることはできなかった。クリーチャーはうつ伏せにボロボロ涙をこぼし、ハリーは彼の両手を押さえたままだった。

「クリーチャー、教えてくれない? ご主人様の命令ってどういうこと? レギュラスさんはあなたに何かお願いをしたの?」

 クリーチャーは泣きながらも、口を真一文字に結んでいる。だが、話すべきか否か、迷っているような光がその瞳にはあった。もうひと押しだとハリエットは熱を込める。

「私達は、必ずロケットを壊すわ。そうしないといけないから。だから……もし、あなたもレギュラスさんと同じ考えなら、私達に教えてくれない? ロケットのこと、レギュラスさんのこと」
「…………」

 クリーチャーの身体から力が抜けた。クリーチャーは起き上がり、その場に丸くなって座った。

「……レギュラス坊ちゃまは、シリウス様と違って、きちんとしたプライドをお持ちで、ブラック家の家名と純血の尊厳のために、なすべきことをご存じでした。そして一六歳におなりのとき、レギュラス坊ちゃまは闇の帝王のお仲間になりました。とてもご自慢でした。あのお方にお仕えすることをとても喜んで……」

 彼の話を聞くに、レギュラスは、クリーチャーのことをとても可愛がっていたようだ。しかしあるとき、ヴォルデモートがしもべ妖精を必要としていると知り、レギュラスはクリーチャーを差し出した。自分にとっても、クリーチャーにとっても名誉なことだと思ったからだ。

 クリーチャーとヴォルデモートは、海辺の洞穴に行き、小舟に乗って小島の水盤の下まで行った。そこでヴォルデモートはクリーチャーに、水盤を浸している毒薬を飲むように命令した。喉を焼け付かせるような毒薬でも、ヴォルデモートは無理矢理飲ませ、そして空になった水盤にロケットを落し、再び薬を満たした。

 クリーチャーはそこで死にかけたが、ちょうどその時レギュラスが戻って来るよう命令したので、彼の元へ姿くらましをした。

 クリーチャーからことのあらましを聞き、レギュラスはヴォルデモートのクリーチャーに対する扱いに怒った。レギュラスはクリーチャーと共に洞穴へ向かった。

 レギュラスは偽のロケットを取り出し、クリーチャーに命令した。水盤が空になったらロケットをすり替えろ、その後一人で帰れ、母にも家族にも誰にも自分のしたことは言うな、そして最初のロケットを破壊せよ、と。

 レギュラスは、水盤の毒薬を、自分で飲み干した。だが、島の周りの黒い湖から伸びる黒い手にレギュラスは引っ張られていった――。

「それで、君はロケットを家に持ち帰った。でも、破壊できなかったんだね?」

 さめざめと泣くクリーチャーに、ハリーは尋ねた。

「クリーチャーが何をしても、傷一つつけられませんでした。破壊するには開けるしかないと思いましたが、どうしても開きません……。クリーチャーは自分を罰しました。そして開けようとしてはまた罰し、罰してはまた開けようとしました。クリーチャーは命令に従うことができませんでした。そして、奥様はレギュラス坊ちゃまが消えてしまったので、狂わんばかりのお悲しみでした。それなのにクリーチャーは何があったかを奥様にお話しできませんでした。レギュラス坊ちゃまに禁じられたからです。か、家族の誰にも、ど、洞窟でのことは話すなと……」
「クリーチャー……」

 ハリエットはクリーチャーの肩を抱き寄せた。嫌がられるかと思ったが、クリーチャーは気づかないのか、されるがままだった。

「クリーチャー、私達、絶対にそのロケットを壊すわ。約束する。だから……だから、マンダンガス・フレッチャーを探し出すことはできる? 探し出して、ここに連れてきて欲しいの」

 ハリエットはクリーチャーを見た。クリーチャーはぶるぶる震えていた。震えながら、大きく頷いた。よたよたと後ずさり、いつものようにバシッと大きな音を立てて姿くらましをした。