■死の秘宝
14:レギュラス
クリーチャーはマンダンガス探しに苦戦しているようで、二日経っても戻らなかった。その一方で、シリウスの言う通り、マント姿の二人の男が十二番地の外の広場に現れ、見えないはずの屋敷の方向をじっと見たまま、夜になっても動かないという光景が見られた。
ゆっくりと時間が過ぎるブラック家の屋敷に動きがあったのは、三日後の夜だった。シリウスとルーピンがやってきたのだ。
もはやお決まりとなった『本人証明』を済ませた後、皆は客間に集合した。二人は新たに判明した情報を教えてくれた。
死喰い人は隠れ穴を探索したり尋問したりして、ハリーに関する情報を得ようとしたが、隠れ穴にハリーがいたという証拠は得られなかったこと、国中の騎士団に関係する家に侵入されたこと、死喰い人は日刊予言者新聞をも乗っ取り、ダンブルドアを殺害したのはハリーだとして指名手配していること、魔法大臣の後任のパイアス・シックネスは服従の呪文にかけられていること、『マグル生まれ登録』が始まり、本格的なマグル狩りが始まったこと――。
ルーピンとシリウスは、ダンブルドアがハリーに託した使命の内容を知りたがり、そして同行したいと申し出た。しかしハリーは決して受け入れなかった。
「トンクスはどうなるの?」
「トンクスがどうなるって?」
「二人は結婚してるじゃないか。ルーピンが僕たちと一緒に来たら、トンクスはどう思う?」
「トンクスは絶対に安全だ。実家に帰ることになるだろう」
ルーピンの言い方は素っ気なかった。シリウスはため息をついた。
「わたしもリーマスが同行するのは賛成できないね」
「シリウス」
裏切るなと言わんばかり、ルーピンはシリウスを睨み付けた。
「トンクスは妊娠している。身重の妻を置いて旅に出ようとする夫がどこにいる?」
「――っ、おめでとう!」
「まあ、素敵!」
「いいぞ!」
ハリー達は心から祝った。しかし、ルーピンの表情は強ばっている。身重のトンクスを置いても、ハリー達と行きたいと言うのだ。ハリーはますます強固な壁を築いた。ルーピンは熱弁した。
「私は――私は、トンクスと結婚するという、重大な過ちを犯した。自分の良識に逆らう結婚だった。それ以来ずっと後悔してきた」
「そうですか、じゃあトンクスも子供も捨てて僕たちと一緒に逃亡するというわけですね?」
身も蓋もない言い方に、ルーピンは顔を赤くした。
「君には分からない! 私の仲間は普通は子供を作らない! 私達と同じになるからだ。そうに違いない――それを知りながら、罪もない子供にこんな私の状態を受け継がせる危険を冒した自分が許せない! もしも奇跡が起こって子供が私のようにならないとしたら、その子には父親がいない方が良い。自分が恥に思うような父親はいない方が百倍も良い!」
「新しい体制がマグル生まれを悪だと考えるなら」
ハリーは冷静だった。
「あの連中は騎士団員の父親を持つ半狼人間をどうするでしょう? 他の誰でもない父親のあなたが、その子供を守るべきなんじゃないですか?」
「ルーピン先生」
まだ反論しようと口を開くルーピンに、ハリエットは声を上げた。
「私もハリーと同じ意見です。私達の父と母は亡くなりました。幼い頃はずっと親がいないことを悲しんでました。……そんな私達に、ルーピン先生に旅についてきて欲しいと頼むと思いますか? まだ生まれてもいない子供を棄てて、自分たちを助けて欲しいなんて言えると思いますか? ――もしそれができるとお考えなら、あまりにも酷です」
ルーピンは激しい目つきでハリーとハリエットとを見た。しかし二人は頑として引かなかった。ルーピンは音を立てて椅子を引き、荒々しく部屋を出て行った。
「リーマス!」
シリウスは叫んだが、ルーピンは答えなかった。間もなく玄関の扉がバタンと閉まる音が聞こえた。
「リーマスを許してやってくれ」
シリウスは疲れた顔で息を吐き出した。
「魔法省や死喰い人に見張られている中で、いろいろ侮蔑的な言葉も投げかけられていてね。精神的に参ってるんだ」
言われてみると、確かにルーピンはいつも以上にやつれているように見えた。
「リーマスが狼人間だと分かると、大抵の人間は口も利いてくれなかった。騎士団の中か、もしくはホグワーツでダンブルドアの庇護の下にあったリーマスを見ていた君たちには信じられないかもしれないが……トンクスの家族も、リーマスとの結婚には渋ったものだ」
シリウスは再びため息をついた。
「我々にはふわふわした問題でも、大抵の人間はそう捉えてくれない」
彼の台詞に、ハリエットはもしかしたら少し言い過ぎたかもしれないと思い始めた。ルーピンの申し出を拒否したことに後悔はないが、しかしそれでも、今のルーピンを追い詰めるような言葉は不適切だったかもしれない。
「ハリー、話を戻そう」
シリウスは両手を組んでハリーを見た。
「リーマスの同行は断った。これは誠実な決断だと思う。だが、わたしの同行はもちろん許してくれるね? わたしは君たちの後見人で、それに妻も子供もいない」
「シリウス、そのことなんだけど」
ハリーは席を立った。
「二人だけで話がしたい。いい?」
「わたしは別に構わないが……」
「じゃあシリウスの部屋で話しても?」
「もちろんだ」
ハリーとシリウスは、そのまま階段を上がっていった。急に二人きりになる理由はわからなかった。ハリエットだけでなく、ロンやハーマイオニーも困惑している。何か聞かれたくないことでもあるのだろうか。
しばらくして降りてきたシリウスの態度は一変していた。もう同行したいなどとは口にせず、ハリー達の帰りを待つのだという。
ハリエットはこれに違和感を禁じ得なかった。シリウスは今まで、この屋敷にずっと缶詰状態だった。ハリーのことをきっかけに、堂々と――追われる身であるので、顔をさらして人混みの中を歩くわけにはいかないが――外に出て行けるというのに、一体どうしたのだろう。
「子供達だけでは不安だから、今日からわたしもここへ泊まろう」
「僕たちはもう全員成人してるよ」
「わたしからすれば、皆まだまだ子供だ」
しかめっ面のハリーの頭を、シリウスはわしゃわしゃとかき回した。友達の前で子供扱いされて、ハリーは少しふて腐れていたが、それも気恥ずかしさからの照れ隠しだとハリエットはすぐに分かった。シリウスとは血は繋がってないが、もう家族だという認識なので、ハリエットも彼と同じ気持ちだった。
だからこそ、シリウスに誤解されたままのレギュラスのことが頭に浮かんだ。このままではいけないと思った。シリウスは、何が何でも真実を知らなければならない。
「シリウス、私からも話があるの。いい?」
「どうしたんだ?」
「レギュラスさんのことなの」
ハリエットが深刻そうな顔なので、自然シリウスも真面目な顔になる。
ハリエットは特に気にしていなかったが、ロン、ハーマイオニー、ドラコは、何となく雰囲気を察して、客間から出て行った。ハリーはその場に残った。
「どうして急にレギュラスのことを?」
「クリーチャーから聞いたの。レギュラスさんが亡くなった経緯」
ハリエットは、クリーチャーから聞いた話をそのままそっくりシリウスに話した。その間、シリウスは一言も話さなかった。
「クリーチャーと直接話した方が良いと思うわ」
ハリエットはそう締めた。
「今クリーチャーは私達のお願いを聞いて、ここにはいないけど――」
バシッとお馴染みの音が響いた。姿現しの音である。
「ハリエット様、クリーチャーは盗人のマンダンガス・フレッチャーを連れて戻りました」
あたふたと立ち上がったマンダンガスは杖を抜いたが、シリウスはそれよりも早かった。
「エクスペリアームス!」
飛んできた杖を、シリウスは無表情でつかみ取った。クリーチャーはシリウスがこの場にいることに驚いているようだったし、マンダンガスはそれ以上に恐れ慄いていた。
「し、シリウス……」
続いて、シリウスは『インカーセラス』でマンダンガスを拘束した。
「お、俺が何したって言うんだ? 屋敷しもべ野郎をけしかけやがってよう。放せ、放しやがれ、さもねえと――」
「脅しをかけられるような立場じゃないだろう」
騒がしい客間に、ロン達も階段を降りてきた。マンダンガスの姿を見ると、みな怖い顔になる。
「ハリエット様、ハリー様、クリーチャーは盗人を連れてくるのが遅れたことをお詫びいたします。フレッチャーは捕まらないようにする方法を知っていて、隠れ家や仲間をたくさん持っています。それでもクリーチャーはとうとう盗人を追い詰めました」
「よくやった」
ハリーやハリエットが言うよりも早く、シリウスはクリーチャーを褒めた。クリーチャーは驚いたように固まった。
「もともと、わたしはこの屋敷に何があろうと、それがどうなろうと、ほとんど気にしていなかった。だが、今は違う。お前は大切なものを盗んだ」
シリウスに激しく睨み付けられ、マンダンガスはヒッと喉を鳴らした。シリウスはそのまま彼の胸ぐらを掴む。
「ロケットを出せ。お前が盗んだんだろう。出せ!」
「も……持ってねえ……魔法省のババアにくれてやったんだ……」
「何だと?」
「お、俺はダイアゴン横丁で売ってたんだ。そしたらあの女が来てよう、魔法製品を売買する許可を持ってるか聞かれたんだ。罰金を寄越せと抜かしやがったが、ロケットを寄越せば、今度だけは見逃してやるから幸運と思え、と言われてよう」
「どんな女だ」
「小せえ女だ。頭のてっぺんにリボンだ。ガマガエルみてえな顔だったな」
「――ドローレス・アンブリッジだ」
ハリーが蒼白として呟いた。ハーマイオニーも額に手を当てる。
「どうしましょう。一番厄介な人の手に渡ったわ」
「ロケット返して欲しいって言って、あの女がおいそれと渡すわけないもんね」
「盗むしか……ない?」
「闇討ち?」
ハリー達三人が物騒なことを相談している傍らで、シリウスはクリーチャーに近づいた。ハリエットはじっと二人を見ていた。
「クリーチャー、マンダンガスを捕まえてくれてありがとう」
「……! め、滅相もございません……。クリーチャーめは、ハリエット様とハリー様のご命令を聞いただけでございます……」
「二人から、レギュラスのことを聞いた」
「――っ」
クリーチャーは動揺して視線を右往左往させた。
「クリーチャー、レギュラスが死んだ洞窟というのは、どこだ?」
「…………」
「連れて行ってくれるか?」
「……もちろんでございます」
シリウスは、すぐにはクリーチャーの手を取らなかった。ふいと振り向き、ハリエットを見る。
「ついてきてくれないか?」
「私も?」
「ああ。ハリーも一緒に」
ハリーはロン達と話すのを止めた。クリーチャーとシリウスが一緒にいるのを見て悟ったのだ。
ハリーとハリエットもクリーチャーに掴まり、付き添い姿くらましをした。
バシッと音が鳴り響き、次に目を開けたとき、四人は巨大な黒い湖の畔に立っていた。向こう岸が見えないほどの広い湖だった。
「こっちに小舟があるんだ」
言いながら、ハリーは空中にあちこち手をつきだした。しばらくしてハリーの手は何かを掴み、もう片方の手で杖を上げ、握りこぶしを杖先で叩いた。
途端に赤みを帯びた緑色の太い鎖がどこからともなく現れた。ハリーが鎖を叩くと、鎖は独りでに岩の上にとぐろを巻き、水面の上に小舟を引っ張り出した。
「こんな仕掛けがあったとは……どうして知ってたんだ?」
「ダンブルドアと一度ここに来てるんだ」
「ダンブルドアに託された使命、か」
「うん」
ハリーはシリウスを振り返った。
「この先は、シリウスとクリーチャーだけが行って。舟には一度に一人の魔法使いしか乗れないんだ。僕らはもう成人してるから、シリウスと一緒には乗れない」
シリウスが無言で舟に乗ると、クリーチャーもその後に続いた。二人が乗った瞬間、舟はひとりでに動き出した。ゆっくりゆっくり小島まで近づき、到着すると、二人は小島へ降り立った。
二人は、水面を見つめながら、ぐるりと小島を周り歩いた。ボソボソと二人は話しているようだった。
やがて、二人の足は止まった。レギュラスを見つけたのだとハリエットは悟った。
しばらく、シリウス達はそこから動かなかった。食い入るように水面を見つめている。ひょっとしたら、湖の中に飛び込んでしまうのではとすら思った。だが、シリウスは踵を返した。再び小舟に乗り、クリーチャーと共にハリエット達の元へ戻ってきた。
「レギュラスがいた」
シリウスはポツリと言った。
「あそこから遺体を引き上げるのは不可能だろう」
クリーチャーは肩を震わせた。下を向いたが、ポツポツと地面に染みを作っているのが分かった。
「本当に……馬鹿な奴だ」
片手で顔を覆い、シリウスも動かなくなった。ハリエットは恐る恐る近寄った。
「シリウス、これ……」
ハリエットはポケットからあるものを取り出した。
「レギュラスさんが取り替えたロケットよ」
シリウスは震える手で受け取った。
「ブラック家の家宝だ。レギュラスが成人した日に贈られていた」
シリウスはロケットを開き、中から羊皮紙をとりだした。その文面に目を通した後、しばしの間、彼は目を瞑った。
「クリーチャー」
次に目を開けたとき、シリウスはクリーチャーの前に屈んでいた。
「これをお前に」
シリウスは、クリーチャーにロケットを差しだしていた。クリーチャーは大きく目を見開き、信じられないといった顔で全く動かなかった。焦れたシリウスは、そのまま自らの手でクリーチャーの首にロケットをかけた。
「これは元々レギュラスのものだ。レギュラスはきっと、クリーチャーに受け取って欲しいと思う。わたしも同じ気持ちだ。……君がしたことへの、敬意と感謝を込めて――」
クリーチャーは大きな瞳を丸め、長い間じっとロケットを見つめた。戸惑いと感激に打ちのめされた様子だった。何度もシリウスとロケットを見比べる。
大きな瞳から涙をこぼし、クリーチャーは何度も何度もお礼を言った。シリウスはそんな彼をゆっくり抱き寄せた。