■死の秘宝

18:パブでの暮らし


 ホッグズ・ヘッドに来てから数週間が経った。あれから欠かさずハリー達と両面鏡で情報交換を行っているし、シリウスや他の騎士団員とも顔を合わせていた。

 皆は自分にできることをやっているというのに、安全なところで自分は何をしてるんだろう、と思うことは多々あった。だが、面が割れている以上、下手な行動はできないので、現状維持を余儀なくされた。

 ただ、おかげで体力はもう随分と回復した。ホッグズ・ヘッドに引きこもっているので、身体的な体力としては相変わらずだろうが、たとえ一眠りしたとしても、深く眠り込むなんてことはないし、精神的にも落ち着いてきた。あまりにもやることがなくて暇なので、アバーフォースから、普段締め切っている地下室の掃除を勝ち取ったくらいだ。

「ルーモス」

 地下室は日の差さないジメジメとした場所だった。長い間完全に閉ざされていたのだろうそこは、年季の入った厚い埃が積もっている。

「俺は買い出しと用事を済ませてくる。昼過ぎに帰ってくるからな」

 そう言い残し、アバーフォースは外に出て行った。ハリエットは腕まくりをしてやる気満々だった。しかし、それ以上にクリーチャーは手慣れたもので、ホイホイッと指を動かしただけで、あっという間にものを動かしたり、埃を拭き取ったりした。

「クリーチャー待って! そんなにやられたら、私達のやることなくなっちゃうわ!」

 ハリエットは声をかけずにはいられなかった。

「ドラコ、掃除に使える魔法何か知らない?」

 ドラコは力なく首を振った。彼もまた、マグル方式で掃除をするとばかり考えていたのだ。

「うーん……」

 とにかく、クリーチャーに仕事を奪われないように、自分たちも早く行動を開始せねば、とハリエットは埃だらけの地下室に足を踏み入れた。

「ハリエット!」

 ――と、急に後ろから鬼気迫った声がかかり、ハリエットはぴしりと固まった。

「な、なに……?」
「そこに蜘蛛がいる」
「――っ」

 ハリエットは飛び退いて地面に目を凝らした。蛙チョコレートほどの大きさの蜘蛛が、地面にへばりついていた。

「あ、ありがとう……」

 ハリエットは力の抜けた顔でへにゃっと笑った。

「なんか、蜘蛛よりもドラコに名前呼ばれたことに驚いちゃった」
「……何だそれは」
「だって、滅多に名前呼んでくれないから、珍しいなって」

 前約束したのに、とボソッと呟けば、ドラコは途端にばつの悪そうな顔になった。

「それは……君の兄とか名付け親がうるさいから……」
「前も聞いたわ」

 ハリエットは拗ねたように言った。

「ここなら二人ともいないし、気にする必要はないと思うけど」
「クリーチャーがいる……」
「クリーチャーは告げ口なんてしないわ」

 するだろ、と言いたくなるのをドラコは堪えた。今だって、掃除をしている風に見せかけながら、その大きな耳はピンと張り詰められている。

「――ハリエット」

 ドラコは観念してその名を口にした。

「僕は床を掃除するから、君は棚を……」

 その頬は、心なしか赤く染まっていて。

「分かったわ。クリーチャーに負けないよう頑張りましょう」

 自分で言っておきながら、ハリエットは少しくすぐったくなって笑ってしまった。


*****


 地下室の掃除が終わると、今度は昼食作りに取りかかることになった。ハリエットとクリーチャーが協力して作ってる間は、ドラコは引き続き居間の掃除をすることになった。

 ハリエットが今できる精一杯のことは、旅をしているハリー達三人に食料を届けることだった。ハリーから食料難だというSOSを受け取っていたので、ハリエットはクリーチャーと共に料理を作ったり、日持ちのするものを買い込んで三人に届けていた。ウィルビーの怪我も治ったので、ウィルビー経由でだ。クリーチャーの姿くらましの方が圧倒的に届けるスピードは速いだろうが、三人がいる人里離れた場所にしもべ妖精がいては、最近横行している人さらいに不審に思われ、後をつけられる可能性があるので、ふくろう便を余儀なくされた。

 心配なのが、分霊箱であるスリザリンのロケットの存在だ。身につけていると、嫌な感情が溢れ、つい人に当たり散らしてしまうようだ。盗難や紛失を防ぐため、ハリーたちは十二時間の交代制でロケットを身につけることになったが、そのせいで、いつもギスギスしているという。特にロンは、家族や不死鳥の騎士団のメンバーの安否を知りたがっているという。アーサーやモリーは見張られていて接触を図ることはできないし、ジニーはホグワーツで、こちらもコンタクトは取れない。折角両面鏡を持っているのに、ハリエットはもどかしい思いだ。何とかしてホグワーツに忍び込む方法があれば良いのだが、死喰い人が巡回する中、それは難しいだろう。

 あれやこれやと思考を巡らせる中、ハリエットとクリーチャーは、ピリ辛に味付けした鳥の足とスープ、パンを用意した。スープ、パンは四人分と、鳥の足は五人分用意した。

「クリーチャー、そろそろシリウスに報告にいく時間でしょう?」
「はい。ハリエット様」

 クリーチャーは、『報告』と称して、定期的にシリウスの所に姿くらましする。ハリエット達がどう暮らしているか、何か危険なことをしていないかの報告らしい。子供じゃあるまいし、そこまでしなくても良いと思うのだが、しかし後見人としての役目を果たそうと、彼は変な方向に力を入れているようだ。監視されているようであまりいい気はしなかったが、離れているシリウスに心置きなくやりたいことをさせるには仕方がないかと諦めてもいた。

「じゃあこれ、一緒にこのチキンも持って行って。新作だって」
「承知いたしました、ハリエット様」

 鳥の足を皿ごとバスケットに入れ、ハリエットは差しだした。クリーチャーは深くお辞儀をし、これを受け取る。

 レギュラスの一件から、クリーチャーは悪口は一切なくなり、礼儀正しくなった。シリウスとの関係も良好らしく、ハリエットは嬉しかった。

 クリーチャーがいなくなった後、ハリエットはお皿とグラス、盆の用意をした。厨房は少し狭いので、四人が食べるとなると、やはり居間で食べた方が開放感がある。

 ギイッと厨房の扉が開く音に、ハリエットはなんとはなしに振り返った。ドラコかアバーフォースだろうと思ったのだ。

 しかし、その視線の先にいたのは三人の男だった。

「おい、店はやってねえのか?」

 三人とも、一様に黒いローブを羽織っていた。死喰い人だ。ハリエットは固まる。

「き、今日は休みです」
「休み? 休みなんてあるのか?」
「はい……。明日ならやってます」
「何だよ。折角来たのに」

 男達はなかなか厨房から出て行かない。それどころか、物珍しげにズカズカと中まで入り込んだ。

「おい、姉ちゃんは誰だ? アブとどういう関係だ?」
「私は……孫です。孫――」
「孫だあ?」

 一人の男がぐいと近づく。ハリエットは顔を見られないように俯きながら、後ろ手に杖に触れた。念のため髪の毛は黒髪にしておいたが、死喰い人ならば、ハリエットが拉致されたあの日、顔を覚えられていたかもしれない。

「全然似てねえけど」
「アブに孫がいるなんて聞いてねえぞ」
「そもそも未婚じゃなかったか?」

 立て続けに己の声を否定され、ハリエットはまごついあ。まさかアバーフォースと死喰い人が世間話をする仲だとは思いもよらなかった。完全に下手を打ったと思った。しかし、逃げ出すにしても、向こうは三人――。

「エクスペリアームス!」

 先手を打ったのは死喰い人の方だった。ハリエットの杖が宙を飛び、男の手に収まる。ハリエットは唖然とした。

「何するんですか!」
「最近いるんだよなあ。マグル生まれが出頭もせず逃げ回る輩が」
「――っ」
「そもそも見た目からして、十六、七くらいだろう? 学校はどうした? 学齢児童は学校に行かなければならないと義務づけされただろう?」
「大方、出頭を恐れて学校にも行かず、生き倒れていたところをアブに拾われたって所か」
「私は半純血です!」
「名前は何だ?」
「ぺ、ペネロピー・クリアウォーター」
「誰かリストを持ってないのか?」

 一人の男が仲間を見回したが、皆首を振った。

「間違えたら間違えたでいい。だが、穢れた血だったら儲けもんだ。魔法省に連れて行こう」

 ハリエットの全身の毛が逆立った。

「クリーチャ――」
「シレンシオ! 黙れ!」

 助けを呼ぼうとしたが、ハリエットの口が動かなくなってしまった。咄嗟に向けられた杖をもぎ取ろうとしたが、簡単に振り払われる。

「ステューピファイ!」

 ハリエットは床に尻餅をついたが、その上に男がぐらりと崩れ落ちてきた。すんでの所でそれを避け、転がった杖を拾う。

「何だお前は!」

 失神呪文を放ったのはドラコだった。男達は一斉に彼に向かって杖を振るった。ハリエットは、無言呪文で何とか『フィニート』をかけると、続いて小麦粉が山積みになった棚に杖を向けた。

「エクスパルソ! 爆破!」

 袋一杯の小麦粉が三袋爆破し、辺り一面真っ白になって何も見えなくなる。まだハリエットには地の利があった。男達の間を駆け抜け、厨房の入り口を目指す。

「ハリエット!」

 誰かに強く腕を掴まれ、ハリエットはひやりとしたが、すぐにドラコの声だと安堵した。

 厨房を出ると、パブの入り口の所でアバーフォースとかち合った。状況を説明する暇も無く、二人は姿くらましをしようとしたが――できない。何かに阻まれているような感覚がある。

 男達の怒号に、アバーフォースは無言で真っ直ぐ二階を指さした。二階へ駆け上ると、アバーフォースが厨房へ向かうのが分かった。

「一体何の騒ぎだ!」

 アバーフォースの轟くような叫び声が響いた。

「アブ! てめえ、マグル生まれのガキを匿ってただろう! 俺たちゃ見たぜ!」
「ああ、匿ってるさ、それの何が悪い!? 告げ口したけりゃすればいいさ! だがな、俺のパブが閉鎖になりゃ、お前達の薬や毒薬の取引はどこでする気だ? お前達の小遣い稼ぎはどうなるかねえ?」
「俺たちを脅すつもりか?」
「脅してるのはどっちだ」

 アバーフォースはふてぶてしく鼻で笑う。しかし死喰い人は一歩も譲らなかった。

「俺は確かに見たぜ。もう一人の男――あいつは確かにドラコ・マルフォイだった」

 階下の声はよく響いた。階段の方を窺い見ながら、ハリエットは息をのむ。無意識にドラコを握る手に力が入った。

「何の話だ? 俺は女一人しか匿ってねえ。言いがかりをつけるにしても、もっとマシなものは用意できなかったのか?」

 男達とアバーフォースはそれからしばらく口論していた。だが、死喰い人達にも強く出られない訳があるようで、渋々退散していった。

「まずいことになった」

 そのすぐ後に、アバーフォースは苦い顔で二階へ上がってきた。

「お前達はしばらく身を隠してろ。直に奴らが仲間を引き連れて来かもしれん」
「私……私、ごめんなさい。私のせいで――」
「気にすんな。あいつらは躾がなってねえ。――アリアナ」

 アバーフォースは、居間にある肖像画に呼びかけた。そこに佇むブロンドの少女は微笑み、少し後ろに下がった。それほど間をおかず、肖像画はひとりでにパッと前に開いた。まるで扉のようだった。肖像画があった場所には、暗く長いトンネルが続いている。

「どこかの部屋に繋がってる。俺も詳しくは知らねえが……まあ、一時的に身を隠すには充分だろう。姿くらまし防止呪文がかかってるようだから、ここからは逃げ出せない。しばらく向こうの部屋に留まっていろ。安全だと思ったら伝言を送る。いいな?」

 ハリエットとドラコは頷いた。そうして、二人はマントルピースによじ登り、アリアナの肖像画の後ろの穴に入った。絵の裏側には滑らかな石の階段があり、真鍮のランプが壁に掛かっていた。

 長い長いトンネルを抜けた先は、薄暗い小部屋だった。小さなソファ一つとベッドがあるだけの、随分とこじんまりした部屋だ。ハリエット達が来た扉とは別に、もう一つ扉があったが、そこを探る勇気はなく、ドラコが『コロポータス』を唱えて閉じた。

 二人はすぐにソファに座ったが、ハリエットは落ち着かず、しょっちゅう自分たちが来た扉の方ばかりを見ていた。

「一旦休んだ方が良い。僕が見張りをするから」
「ありがとう。でもそんな気分にはなれなくて……。ドラコの方こそ休んだら?」
「僕は大丈夫だ」

 結局、どちらが休むと決まらないまま、二人はソファに座っていた。何も話さず、ただ時が早く過ぎるのを祈っていた。