■死の秘宝
19:肖像画の先
――いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
目を覚ましたとき、ハリエットは一番にそう思った。ソファの上で、ドラコと身を寄せ合ったまま眠りこけていたのだ。隣に顔を向ければ、無防備な寝顔のドラコがそこにはいて、ハリエットは面食らってしまった。
深く考えもせず、ハリエットはドラコの顔にかかっていた前髪を払った。何となくくすぐったそうに見えたのだ。しかしそれが余計だったのか、ドラコは瞼を震わせて目を開けた。
「あ……ごめんなさい。起こしちゃった?」
「いや……」
ドラコは慌てて寄りかかっていた身体を元に戻した。そして部屋の中を見回す。
「どうなったんだ? あれから」
「分からないわ。まだ連絡がないの。大丈夫かしら……」
シリウスからもらった腕時計に目を落とすと、朝の六時を指していた。アバーフォースからあまりにも連絡が遅いので、様子を見に行きたいが、しかしもし死喰い人がうようよしている中にひょっこり顔を出すことになったら、それこそ笑えない。
ソファに座ったまま悩んでいると、バシッと姿現しの音が響いた。屋敷しもべ妖精がハリエット達のすぐ前に立っていた。
「クリーチャーが参りました。クリーチャーはハリエット様が寝ているのをお邪魔することができず、見ない振りをいたしました」
「クリーチャー?」
ハリエットは目を瞬かせ、すぐに笑顔になった。
「良かった、来てくれてありがとう。ねえ、こっそりホッグズ・ヘッドの様子を見てきてくれない? 私達、あそこに行けないの」
「かしこまりました。しかしその前に、クリーチャーは申し上げます。そろそろお立ちになって身体を動かされた方が良いかもしれません。身体が強ばってしまいます」
「……? ええ、そうね、そうするわ」
じいっとクリーチャーはハリエットを見た。もしかしたら、ハリエットが忠告を聞き届けるまで動かないのかもしれないと、ハリエットはソファから立ち上がった。にっこり笑って伸びをすれば、クリーチャーはようやく頭を下げて姿くらましをした。
「クリーチャー、少しおかしくなかった?」
「ああ……そうだな」
ドラコは顔を逸らしていた。何となく歯切れが悪い。しかしハリエットはいつものことかと気にしなかった。
「それよりも、この部屋は一体どこにあるのかしら」
ハリエットは再度部屋をぐるりと見回した。なんてことのない、小さな部屋だ。窓はないが、いくつか肖像画が飾られ、窮屈な印象はない。後はソファとベッド、テーブルがあるだけだ。
「アロホモーラ」
ハリエットは、もう一つの扉に杖を震った。カチャリと小気味よい音がする。
「ハリエット!」
「少し顔を覗かせるだけよ」
だが、それでもハリエットはドラコが駆け寄ってくるのを待った。二人で杖を構えながら、そうっと扉を押し開く。
眼前には、どこか見慣れた長い廊下が続いていた。扉の真向かいには、バカのバーナバスがトロールに棍棒で打たれている壁掛けもある。ハリエットとドラコは顔を見合わせた。二人はこの場所をよく知っていた。
「ここ……必要の部屋だったのよ!」
思っていた以上に廊下に声が響いて、ハリエットは慌てて扉を閉めた。朝方のようで、まだ窓の外は薄暗い。
「こんなこともあるのね。まさかアリアナの肖像画と必要の部屋が繋がっていたなんて」
興奮して部屋の中を歩き回っていると、銀色の靄が現れた。一瞬ハリーの守護霊かと思ったが、よく見れば違う。山羊を形取っていた。
「一応奴らは出て行った。話したいことがあるから、一度こっちへ戻ってきてくれ」
伝言を伝えると、山羊は霧散した。ハリエット達は昨日通ってきた扉から、再び暗いトンネルをくぐった。
行き止まりの扉を恐る恐る押し開くと、ギイッと音が響いて、ハリエットはビクリとする。
ホッグズ・ヘッドの居間には、アバーフォースとクリーチャーがいた。その他には死喰い人の姿もなく、ハリエットはホッと胸をなで下ろす。
「あの――」
「あれから、死喰い人が何人かやってきた。ルシウス・マルフォイの姿もあった」
ドラコは目を見開いてアバーフォースを見た。喜びと、困惑と、恐怖。その三つがない交ぜになった表情だった。
「匿っていたは女もう出て行ったし、ドラコ、お前のことは全く知らんとしらを切った。全部が全部信じ切っていたようではないが、ここは姿くらまし防止術をかけられていたし、家宅捜査はされたが、お前達の姿は見つけられずじまいだ。幻覚でも見たんじゃねえかとからかったら随分お冠だったな」
ハリエットはひやっとした。今のご時世死喰い人にそんな風にもの申せる人はそういない。アバーフォースが無事で良かったと心から思った。
「思う存分家の中を検分したら、今度は外を探すと。死喰い人が徘徊しているんだから、見つかるのならもうとっくに見つかってるだろうにな」
またしてもニヤッとアバーフォースが言うので、ハリエットは気が気でない。だが、すぐに彼はまた真面目な顔に戻った。
「奴らはまた来るかもしれん。しばらくは向こうの部屋で身を隠していた方が良いな。安全な時に守護霊を送るから、その時に食料を取りに来い」
「アブ……本当に迷惑をかけてしまって……」
「気にすんな。ガキにも後ろ暗い奴にも迷惑かけられるのは慣れてる。ここは特にそういう輩が集まってくる場所だ。ほら、分かったらさっさと食料を持って向こうへ戻れ」
アバーフォースはすっかり冷え切った鳥の足やパン、スープを二人に押しつけた。『クリーチャーが持ちます』とクリーチャーが慌ててぶんどった。
「荷物をまとめてくるわ」
ハリエットも慌てて客間へ戻った。大して荷物などなかったが、それでもアバーフォースが時々替えの服を買ってきてくれていたので、それなりの量になった。
ハリエットの視界に、両面鏡が映った。ハリエットは反射的に鏡を覗き込む。
「ハリー、ハリー?」
何度か呼びかけて、ハリエットはハリーが応答するのを待った。
「何……? こんな朝早く」
やがて、ハリーは目を擦りながら、寝起きの顔で現れた。
「ごめんなさい。今あなた達どの辺りにいるの?」
「今は……どこだったかな。崖の近くにいる」
「今からあなた達に食料を送るから、受け取って欲しいの。その後で、ウィルビーの足に忍びの地図を括り付けてくれない? 持ってるでしょ?」
「……いいけど、何に使うの?」
「とっても良いことよ!」
ハリエットは胸を反らしていった。ハリーはジトッとした目で妹を見る。
「危ないことじゃないよね?」
「安心して。本当に良いことだから」
「分かった分かった」
ハリーは観念して頷いた。こういうときは妹に甘い兄である。
それから詳しい場所を聞いて、ハリエットはウィルビーをこっそり解き放った。彼女を見送ってから、ハリエットはまた居間に戻る。
「遅かったな。ほら、もう行け」
アバーフォースに押されるようにして、ハリエットはドラコと共にアリアナの肖像画の穴をくぐった。
*****
必要の部屋での暮らしは、ホッグズ・ヘッド以上に退屈なものだった。ホッグズ・ヘッドはせめて掃除というやるべきことがあったのに、必要の部屋はいつも綺麗なので、掃除をする必要なんてないのだ。
一度、誰もいないのを見計らって外に出、必要の部屋を『敵が誰も入り込めない快適な部屋』というものに作り替えた。そうすると、ちゃんとベッドは三つ、ソファは二つ、テーブルは一つ、グリフィンドールやスリザリンのタペストリーもある、それなりに快適な空間になった。
ウィルビーが戻ってきたのは、それから数日後だった。料理を取りに行くついでに、アバーフォースに言われ、ウィルビーを迎えた。忍びの地図もちゃんと足に括り付けられていた。
ハリエットはウィルビーをねぎらいながら、すぐに必要の部屋に戻ってきた。ハリエットが笑みを堪えきれない様子で怪しい羊皮紙を覗き込むので、ドラコも興味をそそられている様子だった。ハリエットの方も、まるで宝物を見せびらかすように、自慢げにドラコに言う。
「見ててね」
ハリエットは杖の先で羊皮紙に軽く触れた。
「われ、ここに誓う。われ、よからぬことを企む者なり」
ドラコは一瞬胡散臭い者を見る目でハリエットを見たが、しかし地図がみるみるうちに変化していくので、その表情は驚きへと変わる。
古びた羊皮紙は、いつの間にかホグワーツ城と学校の敷地全体の詳しい地図へと変貌していた。
「これね、忍びの地図って言うの。見て、誰がどこを歩いているのか一目で分かるでしょう?」
「これは……確かにすごいな。先生の名前もある」
「そうなの。だから夜こっそり抜け出したりするのに便利でね――」
「抜け出していたのか?」
「わ、私はそんなにしてないわ! 主にハリーよ、ハリー!」
ハリエットは慌てて否定した。こう見えてもハリエットは優等生のつもりだった。
「これね、お父さん達が作った地図なのよ。お父さんとシリウス、ルーピン先生、そしてピーター・ペティグリュー」
「そういえば、前にそんな話をしていたな。叫びの屋敷で」
「そう、その時に話に出てた地図がこれよ」
「じゃあ、もしかして、二年前君達がこっそりやっていたDAとやらの会合は、この地図を使って……?」
「もちろんよ!」
ハリエットは清々しい笑顔で言い切った。対するドラコは苦々しい顔つきだ。
「どうりで全然捕まらないわけだ」
「あなた達の行動は全部私達に筒抜けだったっていうことよ。ああ、でもセドリックといたときに見つかったのはドキッとしたわ。あの時は地図を持ってなかったし、もしかしたらアンブリッジに告げ口されるんじゃないかって……」
「あれもDAの帰り道か?」
「そうよ」
ハリエットが頷くと、ドラコはどこかホッとしたように『そうか』と呟いた。
「で、今度はそれを使って何をするつもりだ? まさか、退屈だからって校内を徘徊するスリルを味わうわけじゃないよな?」
「違うわよ」
少しだけ昔のドラコが戻ってきたような気がして、ハリエットはクスクス笑った。
「頑張ってる三人に、ちょっとした贈り物がしたくて」
そう言ったきり、ハリエットは穴が開くほど地図を見、黙り込んだ。
話しかけても生返事しか返さないので、ドラコが先に食事をしていると、突然ハリエットは杖を振るった。
「エクスペクト パトローナム」
生み出された守護霊スナッフルは、軽快に宙を駆け、部屋の外に飛び出した。その行動に面食らい、ドラコはハリエットを見る。
「一体何をするつもりだ?」
「まあ見てて。『いたずら完了!』」
地図をしまい、ハリエットは待った。今は夕食前のちょっとした空き時間だ。夕食後に『その時』が来るかもしれない。
食事をして待っていると、唐突に扉がパッと開き、『その時』が来た。ハリエットは喜々として立ち上がる。
「ジニー!」
「ハリエット! 会いたかったわ!」
ハリエットは自分よりも少しだけ小さいジニーをぎゅっと抱き締めた。その肩越しに、懐かしい友達が二人見えた。
「ネビルとルーナも来てくれたのね!」
「ハリエット……」
ネビルはよたよたとハリエットに近づいた。ジニーはハリエットから離れる。ハリエットは、彼の顔を見て目を丸くした。
「ネビル、その顔――」
「本当に良かった!」
息ができなくなるほどきつく抱き締められ、ハリエットは一瞬何もかも忘れてしまった。
「良かった……ジニーから良くなったって聞いてたけど、でも、ちゃんと自分の目で見るまでは信じられなくて……。本当に、本当に良かった」
「ありがとう、ネビル。心配かけてごめんなさい」
「ううん、そんなこといいんだ。元気になってくれるだけで充分……」
目に涙の膜を張り、ネビルは微笑んだ。ハリエットも少し泣いてしまった。懐かしい友達――仲間と再会できて。
「ハリエットが良くなって良かった」
ネビルが離れると、ルーナがポンポンとハリエットの背中を叩いた。
「病室にいたときのあなたは、まるで動物と話してるみたいだったけど、今の方があたし達と話せるもン」
「マルフォイも……元気そうで良かった」
ネビルはドラコと握手した。そこにはやはりどこかぎこちなさがあったが、敵対心は欠片もない。ネビルとルーナは、ジニーからことのあらましを聞いていたのだ。
「ところで、どうして二人が必要の部屋に?」
ネビルは涙を引っ込め、真面目な顔をした。
「今、校内は死喰い人が巡回中で、ホグズミードだって警戒されてるって聞いた。どうやってここまで来たの?」
「私達、ずっとホッグズ・ヘッドにいたの。そこの肖像画と必要の部屋がなぜか繋がっていて、しばらくはここに隠れ住んでたのよ」
「ホッグズ・ヘッド? またどうしてそんなところが?」
「私も詳しいことは分からないわ。でも、バーテンダーが不死鳥の騎士団の団員の一人で、アバーフォース・ダンブルドア――ダンブルドア先生の弟さんだったの。その人が、この抜け道を教えてくれて」
ネビルはこの新情報に興味津々のようだ。だが、ジニーの方は、ジトッとした目をドラコに向けている。
「ここに住んでた? 二人だけで?」
「ええ。でも、正確にはクリーチャーもいるのよ。三人で寝泊まりして」
ジニーの視線は三つのベッドに向く。そしてまたドラコに戻った。
「ふうん……」
含みのある声色と視線に、ドラコは冷や汗を流していた。後ろ暗いことは何もしていないと言えるはずなのに、焦ってしまうのはなぜだろう。
「あ、そうだ。それでね、皆にお願いがあって」
ハリエットは興奮したまま両面鏡を取り出した。
「ハリー達が皆のことをすごく心配してるの。だから、この鏡で少し話をして欲しくて」
「ハリー? 鏡で会話できるの?」
「ロンやハーマイオニーもいるの?」
「もちろんよ。ちょっと待って。ハリー?」
ハリエットが呼びかけると、少し間をおいて、クマのある顔が浮かび上がった。胸元にはスリザリンのロケットがある。状況から察するに、今彼の機嫌は落ち込んでいるようだ。
「今大丈夫?」
「うん、テント張ったばかりだから……どうかした?」
「ええ、ちょっとした贈り物があって――」
ハリエットは鏡をジニーに手渡した。その後ろから、ネビル、ルーナも覗き込む。
「ハリー!!」
突然鏡に溢れた情報量に、ハリーは目を白黒させた。そしてゆっくりその口元は弧を描く。
「ジニー! ネビルにルーナも!」
「エッ、ジニー!?」
鏡の向こうでもちょっとした混乱が起きているようだ。我先にとロンやハーマイオニーが鏡を覗き込み、ちょっとした小競り合いが勃発している。
「どうして三人がハリエットと?」
「これには色々と訳があって――」
「ジニー! 怪我はないのか? 他の皆は?」
「もう、ロン、大丈夫ったら。鏡を独り占めしないでよ」
兄の過保護に、ジニーは顔を顰めている。ロンはしゅんとして鏡から離れ、ハリーやハーマイオニーも入るようにする。
「パパもママも無事よ。他の皆もね――」
それから、六人は息せきってたくさん話した。ハリエットとドラコは、そこから少し離れた場所で見守っていた。