■死の秘宝

23:炎に囲まれて


 決行は翌日の午後だった。忍びの地図がないので、廊下に出るのは緊張したが、本来授業中の時間に外に出たので、生徒は誰一人としていなかった。夜だと吸魂鬼がうろつき、余計に面倒だと思ったからだ。

 二人とも外に出て、完全に扉が見えなくなったところで、二人して三度廊下を往復をした。

 ――捜し物をしてるの。隠しものがある場所が必要よ。

 何かの気配を感じてふっと目を開けると、上手く扉は出現していた。

「ドラコ!」
「ああ、行こう」

 ハリエットは、緊張の面持ちでぐいと扉を開け、部屋の中に入った。

 眼前に広がるのは、大聖堂ほどもある広い部屋だった。ホグワーツの住人が何世代にもわたって隠してきたものが、壁のように積み上げられてできた都市だった。壊れた家具や本が山積みになり、ぐらぐらしながら立っているその山の間が、かろうじて人が通り抜けられる通路になっていた。

「手分けして探そう」
「金のカップか、ティアラね」

 ハリエットとドラコは、隣り合わせの通路を進んだ。室内はしんとしていたので、足音だけが響く。しかしそれも、周りをキョロキョロしながら奥深く通路へ入り込むことで、いずれ聞こえなくなった。

 家具も本も悪戯グッズも、山ほどあった。中にはドラゴンの殻のようなものや、まがまがしい液体が入っている瓶、血染めの斧なんてのもある。

 少しでもそのガラクタの山に触れると、雪崩を引き起こしそうで、ハリエットは触れることができなかった。ひとまずは、表面を撫でるように確認し、奥まで行こうと思った。

 途中でふと思いついて、引き寄せ呪文もやってみたが、残念ながらカップもティアラも飛んでこなかった。

 通路は自由に曲がりくねっており、まるで迷路のようだった。こんなことなら、確認した通路は何か目印でもつけておいた方がよかったと思うくらいには、複雑に入り組んでいる。

 かなり奥まで進んだと思ったとき、年老いた醜い魔法戦士の胸像が視界に飛び込んできた。表面がボコボコになった大きな戸棚の上にある。なぜそれが目についたかというと――胸像の頭には、埃だらけの古いかつらと黒ずんだティアラがあったからだ。

 目立たせたかったのか、悪戯したかったのか、その真意は分からないが、全てが乱雑に置かれるこの部屋の中で、人為的に誰かにやられたのだろう胸像の出で立ちが目立っていた。

 ふとティアラに目をとめ、ハリエットは絵に視線を落とした。そしてハッとして、再びティアラを見る。絵と何度も見比べた。

 ――間違いなく、その古びたティアラは、レイブンクローの髪飾りだった。

 おそらく、胸像に目をとめなかったら気にも留めずに通り過ぎていただろう。それほど想像とは似ても似つかなかった。長らく手入れされなかったせいだろう。

 ハリエットは、何だか笑いが込み上げてきた。一体誰だろう、あろうことか、レイブンクローの歴史ある髪飾りにこんなことをしたのは。絶対にヴォルデモートでないことだけは確かだ。世界一偉大な魔法使いだと己を誇る彼が、自分の分霊箱に選んだ髪飾りを、こんな粗雑な扱いをするわけがない。

 おそらく、隠しものをした帰りに、醜い胸像を見て悪戯心が込み上げてきた生徒か、目印のために目立たせたかった生徒か。

 とにかく目的のものは見つかったと、ハリエットがティアラに手を伸ばしたところで、誰もいないと思っていた空間に声が響いた。

「止まれ、ポッター」

 ハリエットはドキッとして振り返った。クラッブとゴイルが、杖をハリエットに向け、肩を並べて立っていた。二人はニヤニヤ笑っている。

 ハリエットは平静を装いながら、ポケットの中の杖を握る。

「どうしてあなた達がここにいるの?」

 ――ドラコはどこだろう。

 焦る思いとは裏腹に、ハリエットは時間を稼がなくてはと冷静に話しかけた。

「お前を捕まえるために決まっているだろう」

 クラッブが答えた。ひょっとしたら初めて彼と直接話したかもしれないとハリエットは思った。

「お前達の事はウィーズリーの妹が話してるのを聞いた。あいつ、馬鹿だよな。俺たちが『目くろます術』ができるってこと知らなかった。監視を逃れたと思って、ペラペラお前のこと話してた」
「死喰い人には私達のこと言ったの?」

 冷や汗をかきながら、ハリエットはジリジリ後ずさりした。

「スネイプに話しても、全然取り合ってくれなかった。ホグワーツに侵入できるわけがないって。だからあいつを当てにするのは止めて、俺たちで捕まえようと思った。それで『あの人』に突き出すんだ。俺たちはご褒美をもらうんだ」

 後ろ手にティアラを掴む。その瞬間じわりと嫌な悪寒が背筋に走った。そのまま手首に通す。

「授業もサボって、ずっと二人で見張ってた。そしたらのこのこ部屋からお前達が出てきたから笑いそうになった」
「ハリエット?」

 ドラコの声が、ハリエットの右側の壁から響いてきた。

「誰かと話してるのか?」
「ディセンド! 落ちろ!」

 クラッブはすぐに動いた。右側のガラクタの山に杖を向けた途端、杖先から閃光がほとばしり、壁にぶち当たった。壁がぐらぐら揺れだして、ドラコがいるであろう隣の通路に崩れ落ちかかる。

「フィニート! 終われ!」

 ハリエットも同じくその壁に杖先を向けると、壁は安定し、なんとか持ち堪えた。

「クルーシオ! 苦しめ!」

 ホッと安堵したハリエットのすぐ横を、閃光が走った。閃光はすぐ後ろの石像に当たり、石像は宙を飛んだ。

 ハリエットは、蛇に睨まれた蛙のようにその場から動けなかった。

「大人しくしてろよ」

 ハリエットの耳に、クラッブの声は届いていなかった。記憶の奥底に眠る耳障りな女の声――ベラトリックスが、狂ったように磔の呪文を叫ぶ声が響いている。

「さもないと、また正気を失わせてやる。磔の呪文は俺たちの得意分野だ」

 動悸が激しくなる。冷や汗が止まらない。クラッブを見る焦点が合わないと思ったら、杖先を向ける右手が震えていた。

「え、エクスペリ――」
「エクスペリアームス!」

 ハリエットの杖が宙を飛んで、クラッブの手に収まった。ハリエットの目の前が絶望で真っ暗になる。クラッブ達は警戒しながら近づいてきた。

「そういえば、お前達は何を探してたんだ? カープとか、髪ぐさりとか言ってたな」

 肩で息をしながら、ハリエットはただクラッブを見つめた。――否、彼ではない。彼が持つ杖先だ。そこから飛び出す呪文が恐ろしい。

「答えろよ!」

 突然怒鳴られ、ハリエットは初めてクラッブと目を合わせた。彼の瞳は怒りで燃えていた。

「答えないならやってやる。クル――」
「エクスペリアームス!」

 二本の杖が宙を舞った。その先を辿れば、そこにはドラコがいた。ハリエットとクラッブ、二本の杖をキャッチし、彼は今度はゴイルに杖先を向けた。ゴイルも慌てて杖を構える。

「自分が何をしてるのか分かってるのか?」
「お前の方こそ闇の帝王を裏切って、一体何を考えてるんだ?」

 ゴイルが口を開いた。

「馬鹿だよなあ。お前もお前の親父ももうおしまいだ。お前の親父は、あの人に見限られた。今は惨めにホグズミードの見回りなんかしてる。そんな任務、死喰い人になりたての下っ端がやることだって親父が言ってた」
「ステューピファイ!」

 ドラコはゴイルめがけて失神呪文を撃ったが、ゴイルは呪文を避けるのによろけたくらいだった。混乱した彼は闇雲に落下呪文を放ち、ドラコのすぐ側のガラクタの壁がぐらついた。

 それが合図だと言わんばかり、クラッブはハリエットに飛びかかった。背中を地面に強かに打ち付け、ハリエットは一瞬息ができなくなった。クラッブはそのまま馬乗りになる。

「大人しくしろ! ドラコ! こいつが――」

 ハリエットは右手が何かを掴むのを感じた。祈るような思いで、渾身の力を振り絞ってそれをクラッブの側頭部にぶつけた。ガコンと嫌な音が響く。クラッブはそのまま目を回して横に崩れ落ちた。ハリエットの手には穴の開いた銅製の鍋があった。

「ハリエット!」
「大丈夫!」

 焦ったドラコの声に、ハリエットは大きく叫んで返す。

「ゴミどもめ、熱いのが好きか?」

 ゴイルの声だ。

 何がどうなっているか、と顔を上げたハリエットは驚愕した。異常な大きさの炎が、両側のガラクタの防壁を覆い尽くしていた。ゴイルの出した炎であることは明白だった。しかし彼は、自分でかけた術を制御できないのか、茫然と炎を見上げている。

「ハリエット、こっちに!」
「でも……クラッブが!」

 彼の大きな身体は、ハリエットが必死になって引っ張っても、少しずつしか動かなかった。ドラコは炎の下を掻い潜って走ってきた。

「モビリコーパス! 身体よ動け!」

 重力など関係ないかのように、ゆらりとクラッブの身体が宙に浮き上がった。

「アグアメンティ! 水よ!」

 自分の杖でクラッブを制御しながら、ドラコはハリエットの杖先から水を噴出させたが、儚くもその水は空中で蒸発した。明らかに尋常な炎ではなかった。ゴイルはハリエット達の全く知らない呪いを使ったのだ。炎は今や突然姿を変え、巨大な炎の怪獣の群れになっていた。大蛇、キメラ、ドラゴンと、不気味にめらめらと立ち上がる。

「逃げるぞ!」

 前を向いたが、もはやそこにゴイルの姿はなかった。自分たちが炎に取り囲まれたことだけが分かった。

 焦る思いでハリエットが周りを見回すと、一番手近なガラクタの山に、箒が突き刺さっているのを見た。

「これよ!」

 ハリエットは箒を二本引き抜き、一本をドラコに押しつけた。そして自分も箒に跨がる。反射的に鳥肌が立つ。――恐くないと言ったら、嘘だった。でも、焼き殺されるのと、空を飛ぶの、どちらが恐いかと言えば、考えずとも答えは決まっていた。

 ハリエットとドラコは強く床を蹴り、宙に舞い上がった。噛みつこうとする炎の猛禽のくちばしは、ほんの二、三十センチの所で獲物を逃がした。ドラコは片手で箒を操りながら、もう片方の手で、炎を避けるように器用にクラッブを操っていた。そんな状況ではないと分かっていても、ハリエットは彼の高等技術に見とれてしまった。

 一瞬呆けたハリエットの耳に、誰かの叫び声が飛び込んできた。助けを求める、哀れな弱々しい声だ。

 ドラコの箒の速度が遅くなった。彼も聞きつけたのだ。ハリエットは彼の横をぐんと箒で抜き、叫び声のした辺りに駆けつけた。

 ゴイルは、焦げた机の積み重なった、今にも崩れそうな塔の上に乗っていた。ハリエットが片手を伸ばして彼に近づくと、ゴイルもまた必死な形相で両腕を伸ばした。確かにハリエットはその腕を掴んだと確信したが、すぐに駄目だと分かった。ゴイルは重すぎた。それに、汗まみれの彼の腕はすぐに滑ってしまう。

 ハリエットの横から、ぬっと手が伸びた。ドラコだ。

「先に行け! 僕が助ける!」
「二人も無理よ!」

 横並びになった二本の箒を見て、ゴイルはドラコの箒を選んだ。彼の後ろに這い上がりかけた所で、巨大な炎のキメラがドラコ達を襲いかかった。二人はすぐに箒を急上昇させたが、バランスを崩してゴイルは箒から落ちかける。ハリエットは慌てて両腕を伸ばして彼を支えた。

「ドラコ! そのまま行って! ゴイル! 絶対にドラコの箒を放さないで!」

 ゴイルは血相を変えて箒にしがみつき、彼の落ちかけた片足はハリエットが掴んだ。

 先頭のドラコに引きずられるようにして、ハリエットも彼の速度に合わせてビュンビュン風を切って飛ぶ。炎が引火したのか、ハリエットの箒が暴れていた。もう長くはないと思った。

 前を向けば、視界は煙で一杯だった。目を細めて見れば、壁に長方形の切れ目があるのを見つけた。扉だろうかと考える間もなく、ドラコはそこへ突っ込んだ。

 次の瞬間、清浄な空気がハリエットの肺を満たし、気づけば廊下の反対側の壁に衝突していた。

 煙を吸い込んだのか、ゴイルはずっと咳き込み、ハリエットとドラコは酸素を取り込もうと激しくあえいだ。

 地面に両手をつき、ハリエットは下を向いたが、己の手首に、黒ずんだティアラが引っかかっているのを認めた。すっかり忘れていたが、今回のこの危険な一時は、全ては分霊箱のためだった。でもその分霊箱はハリエットの手にある。誰一人として命を落とさずに。

 ハリエットがパッと顔を上げると、ドラコと目が合った。腕を掲げて、ティアラを見せると、ドラコは言葉もなく微笑んだ。あんまりその微笑が優しかったので、ハリエットは込み上げる何かと共にドラコに抱きついた。

「やった……やったわ、見つけたのよ!」
「あ、ああ……」

 ドラコはくぐもった声で恐る恐るハリエットの背に手を回した。随分と冬も深まり、廊下は冷え切っていたが、灼熱の部屋を出たばかりの今は、丁度いいくらいだった。それに、お互いの身体はまだ熱かった。

 ハリエットが身体を離すと、ドラコの煤だらけの顔が映った。たぶん自分も同じような顔だろうと思っていたら、目が合う。ドラコはニヤリと笑った。

「また箒が嫌いになったか?」
「あら、箒は嫌いじゃないわ」

 勘違いしないで、とハリエットは頬を膨らませた。

 確かに、空を飛ぶのは恐い。でも、嫌いじゃない。

 何度恐怖症になっても、嫌味を言いながら根気強く練習に付き合ってくれる人がいるから。

 張り詰めていた緊張の糸が切れ、ハリエットは再びドラコに身体を預けた。ドラコは緊張に身体を強ばらせた。

「これから……どうする?」

 ドラコの声はうわずっていた。

「あんな大火事の後で、この部屋がまだ機能するとは思えない。ホッグズ・ヘッドに行くにしてもホグワーツから姿くらましはできないし……」
「だったら――」

 ハリエットが言いかけた時、姿現しのバシッという音が響いた。

「クリーチャーはご主人様の命令で参りました。クリーチャーはハリエット様の危機に駆けつけました」
「クリーチャー! ナイスタイミングだわ!」

 どこがだ、とドラコは突っ込みたくなった。クリーチャーの言う『ハリエット様の危機』が別の意味に聞こえたからである。だが、すんでのところで堪えた。クリーチャーが窺うように、何かを疑うようにドラコを見ていたからである。

「ハリエット様、お身体を綺麗にします。こちらへどうぞ」
「後でで大丈夫よ」

 そう言いながらも、ハリエットは立ち上がった。ドラコも一瞬遅れて後に続く。

「クラッブやゴイル達はどうする? このままだと――」

 視界の隅で、何かがむくりと起き上がり、駆け出した。ゴイルだった。完全に不意を突かれた。逃げ出すつもりでずっと機会を窺っていたのだろう。ドラコは咄嗟に杖を掴んだが、それよりも早く、バーンと大きな音がした。ゴイルは前に吹っ飛び、もんどり打って地面に転がった。

 クリーチャーが長い人差し指をゴイルに向けていた。

「ハリエット様はあの男に何かご用でしょうか?」
「おおありよ! クリーチャー、ありがとう!」

 ドラコが『インカーセラス』でゴイルを縛り上げた。話し合った結果、クラッブとゴイルは、ハリエット達の事に関しての記憶を消すという所で落ち着いた。野放しにしていたら、確実にスネイプに告げ口すること確実だからだ。

 忘却呪文はドラコがかけた。何でも、ブラック家の屋敷にいたときにハーマイオニーに本を借り、学んでいたという。ハリエットは感心してしまった。

 ついでに、クラッブとゴイルの杖もそれぞれ拝借した。ハリーの杖が折れたと言っていたし、授業で磔の呪文を練習するよりは、魔法界を救うために使われた方がよっぽど杖も嬉しく思うと思ったからだ。

 ハリエットとドラコは、クリーチャーの姿くらましでホッグズ・ヘッドの居間へ移動した。必要の部屋が使えない以上、一旦はそこへ向かうしかないと思ったのだ。