■死の秘宝

24:久方ぶりの


 一人居間で早めの夕食を食していたアバーフォースは、突然目の前に全身煤だらけになって現れたハリエットとドラコに呆れた視線を向けた。

「一体どういう冒険をしてきたんだ?」
「これには色々訳があって……実は、アリアナの肖像画の先にある部屋が使えなくなってしまったんです」

 大層申し訳なさそうな顔でハリエットは言った。分霊箱を見つけ出せたのは嬉しいが、アバーフォースが折角提供してくれた隠れ場所を駄目にしてしまったのは後ろめたかった。

「お前達が煤だらけであることに関係があるのか?」
「悪霊の火で機能しなくなったんです」

 ハリエットは驚いてドラコを見た。聞き慣れない言葉だったし、ゴイルが出したあの炎の正体をドラコが知っていることにも驚いた。

「お前が出したのか?」

 アバーフォースは疑り深い顔でドラコを見た。ドラコは冷静に首を振る。

「ホグワーツの生徒です。僕たちの姿を見られて、例のあの人に突き出すんだと悪霊の火を使いました」
「愚かな。あれは高度な闇の魔術だ。生徒なんかに扱えるようなものじゃない」

 アバーフォースは呆れたように首を振った。

「その生徒はどうなったんだ?」
「忘却呪文をかけました」
「妥当だな。命があっただけでも儲けものだ」

 アバーフォースは短く答えた。

「死喰い人の警戒も随分緩くなったし、外にさえ出なけりゃまたここに住んでもいいだろう。いざというときの逃げ道が使えなくなったのは惜しいが、お前達にはしもべ妖精もいる。異変を感じたらすぐに姿くらましをしろ」
「はい。……あの、すみません。またお世話になります」
「ひとまずその格好を何とかしろ。食事中だ」
「はい」

 しずしずとその場を退室し、ハリエットとドラコは着替えた。そして戻ってくると、アバーフォースと、何週間ぶりかの食事を一緒に取った。


*****


 それからまた、ホッグズ・ヘッドでの毎日が始まった。

 何度か鏡を使ってハリーに呼びかけてはいるものの、ハリーからの応答はなかった。早く分霊箱や杖のことを報告し、二人に届けたいのに、コンタクトが取れなければそれもできない。よほど杖が折れてしまったことがショックなのだろう。

 ただ、その一方で嬉しい出来事もあった。久しぶりにシリウスに会えたのだ。ホッグズ・ヘッドでの会合は、ハリエット達が死喰い人に見つかってからというもの、安全を考えてぱったりと取りやめになってはいたものの、ハリエットがホッグズ・ヘッドにいるという情報をクリーチャーから聞き出したシリウスが、久しぶりに会いに来てくれたのだ。

 何ヶ月ぶりに会ったシリウスは、正直に言うと、まるでアズカバン脱獄の頃を彷彿とさせる格好だった。四年生の時の、ホグズミードの山に隠れ住むようになったあの時の姿とも酷似している。

 髭は伸び放題で、服は土や泥で塗れ、まるで何日もお風呂に入ってないかのようだ。すれ違っただけでは、おそらくすぐにはシリウスだと気づかないかもしれない。

 しかし、明らかに違っている部分とすれば、その瞳は生き生きと輝いていることだろう。以前までの比ではない。騎士団の一員として、仕事ができることを心から嬉しく思っている顔だった。格好なんて二の次なのだろう。ハリエットはそんな彼を誇らしく思った。

 ホッグズ・ヘッドに降り立った彼は、ハリエットを目にしてすぐにいつものようにハグをしようと両手を広げたが、己の今の格好を思い出し、誤魔化すように笑った。ハリエットも彼に笑みを返し、シリウスに抱きついた。これには彼も驚いたようで、珍しく勢いに押されるまま数歩後ずさった。

「いや……ハリエット、わたしは今汚いから」
「気にしないわ! シリウスが無事で良かった! 怪我はない?」
「大丈夫だ。わたしも君の元気そうな顔が見れて良かった」

 シリウスはハリエットを抱き締め返した。ハリエットはシリウスの胸に顔を埋める。いつものような匂いはなく、代わりに土っぽい匂いがした。

「シリウス、その格好はなんだ。床が汚れるだろう。風呂を貸してやるから、さっさとシャワーを浴びてこい」

 さすがのアバーフォースもこれには苦い顔だ。シリウスは苦笑いを返した。

「そうさせてもらうよ」

 そしてハリエットから離れたシリウスだが、彼はすぐにハリエットの前に屈んだ。ハリエットの顔に泥がついていた。

「ああ、すまない。わたしの汚れがついてしまったな」

 そう言ってシリウスは裾で汚れを落とそうとした。しかし残念、その裾にも泥がついていて、余計汚れは広がった。

「ああ――」
「下らんことをしてないで、さっさと入ってこい!」

 アバーフォースの雷が落ち、シリウスはしょげ返ってシャワーに向かった。

「折角シリウスが来てくれたんだから、張り切って料理しなくちゃ」

 ハリエットは腕まくりをした。にっこりドラコに笑いかければ、彼は戸惑ったような声を上げた。

「泥がついてる」
「泥? ああ、そっか」

 シリウスも言ってたわね、とハリエットは顔を軽く擦った。

「いや、違う。そこじゃなくて――」
「どこ?」
「右だ。右頬の――」
「ハリエット! お前もさっさと顔を洗ってこい!」

 アバーフォースの二度目の雷が落ちた。ハリエットは反射的にピシッと背筋を伸ばし、慌てて手荒い台へ向かった。『全く手間のかかる奴らだ』とブツブツ言う声が後ろから聞こえてきた。

 シャワーを浴び、ついでに服も取り替えたシリウスはすっかり見違え、その上ハリエットとクリーチャーの手作り料理をお腹に収めた彼は、しごく幸せ一杯だった。

「一生ここで暮らしたい気分だよ」
「そんなこと言って。一週間で飽きるに決まってるわ」

 ハリエットもシリウスと暮らしたいのは山々だが、彼は他の誰より外が似合う人だった。ハリエットの我が儘で彼を縛り付けておくことはできない。

「何か困ってることはないな?」

 シリウスは優しくハリエットに尋ねた。

「ええ、大丈夫よ」
「嫌なこととか……悲しいこととか……無理強いされたりとか……脅されたりとかもないな?」
「え? ええ……」

 何となく不穏な言葉が聞こえてきたが、シリウスの心配性は今に始まったことではないので、ハリエットは特に聞き返しもせず頷いておいた。そしてすぐに我に返る。

「もう! 私のことは良いのよ! それよりもシリウスのことを話して!」
「あ、ああ」

 面食らったように頷き、シリウスはすぐに話し始めた。

「わたしは今は死喰い人の襲撃に遭った人たちの保護と現場検証をしている。……大体は手遅れなことの方が多いが」

 シリウスは渋い顔をした。ハリエットも暗い顔で押し黙る。日刊予言者新聞では、そういった被害はほとんど取り上げられていない。しかし、確実に死喰い人による被害は上がっており、騎士団が駆けつけなければ、更に被害拡大していただろう。

「そういえば、人さらいが横行している話は聞いてるか?」
「ええ、何となくは」

 アバーフォースからちょくちょく話を聞いているのだ。ハリエットは頷いた。

「最近『例のあの人』の名前に追跡の呪いがかけられた。あいつの名前を口にすると、保護呪文が破れ、それで人さらいやら死喰い人達が追ってくるずる賢い手法だ。キングズリーもそれで危うく捕まる所だった――」
「大丈夫だったの!?」
「ああ。死喰い人の一団に追い詰められはしたが、キングズリーは戦って逃げた。今もあちこちを逃亡中だ」

 そこまで聞いて、ようやくハリエットは安心できた。しかし、状況がどんどん悪い方に向かっていることは確かだ。

 ハリエットが暗い顔をするので、シリウスは話題を変えた。

「ハリー達はどうなんだ? 連絡は取ってるんだろう?」
「それが、最近連絡がないの。数日前から……。無事だとは思うんだけど、どうしても心配で」

 詳しいことは何も言えないのがもどかしかった。シリウスも心配そうにしかめっ面をしていたが、やがて無理矢理笑みを浮かべた。

「そうだ。遅くなってしまったが、実はクリスマスプレゼントを持ってきたんだ」

 そう言って、シリウスは小さな箱を差しだした。ハリエットはパッと笑みを浮かべた。

「わあ、いいの? 私、でも、何も用意してなくて……」
「いいんだ。このご時世だ、わたしもクリスマスを思い出したのはつい最近で……。ハリーにはまたの機会にしよう」

 ハリエットが箱を空けると、中から百合の花のブローチが出てきた。ダイヤモンドがおしべを模していて、時折照明に反射してキラキラ輝いた。

「可愛い……。シリウス、ありがとう!」
「喜んでもらえて何よりだ。ただ、実はそれには少し仕掛けをしていて」
「仕掛け?」
「ああ。このご時世、何があるか分からないだろう? 信頼していた奴に、突然裏切られる事態だってあるかもしれない」

 シリウスはハリエットを真っ直ぐ見つめて言った。だが、ドラコには、彼が自分のことを指して言っているのだろうことはすぐ分かった。ハリエットを敵に売るだとか、そんな風ではなく、おそらく――いや確実に――ハリエットがドラコに襲われないかと心配しているのだ。

 そんなこととはつゆ知らず、ハリエットは真面目な顔で頷いた。完全にピーター・ペティグリューのことを指しているのだと思った。

「そんなときに、百合のこの部分を押すと、すぐさまわたしに連絡が行くようになっている。ハリエットがどんな場所にいても、文字通り飛んでいくから、何かあったらすぐにこれを押して――」

 そこまで言って、シリウスははたと固まった。そしてすぐに頭を抱える。

「わたしは馬鹿かっ! 二人っきりの時に言うべきだった! これじゃ意味がない!」

 ――この発言により、ドラコの先ほどの推察が事実だったことが確定した。この過保護な後見人は、確実に自分を危険視している。

 それ以降、ずっと気落ちするシリウスを、ハリエットは何とか宥め賺した。その場で胸元にブローチをつけてみせると、少しだけシリウスの機嫌も浮上した。そして今度はビルとフラーの『貝殻の家』に行かなければと残し、彼は姿くらましした。


*****


 シリウスが帰って行った後は、やることもなくなったので、ドラコの守護霊の呪文の練習をすることにした。ホッグズ・ヘッドの部屋は狭いので戦闘呪文の練習には向かなかったが、守護霊は壁をすり抜けるだけなので、練習場所に事欠かなかった。

 いよいよ、ドラコは自分の中で最高に幸せな記憶を見つけ出したのか、彼の守護霊はついにきちんと形となって現れた。それを目にした時、ハリエットとドラコはそれぞれの反応をした。

「可愛い!」

 ハリエットは目をキラキラさせ。

「ほら見ろ!」

 ドラコは絶望の表情を浮かべ。

 互いが互いの反応が信じられないといった顔で向かい合った。二人の間には、素早く優雅に動くケナガイタチの守護霊がいた。

「君がイタチイタチ言うからイタチになったんじゃないか!」
「わ、私のせい……?」

 ハリエットは途端におどおどした。

「で、でも、可愛いじゃない」
「嫌な予感がしたんだ……」

 ハリエットの声はドラコの耳には届いていないようだった。放心したようにソファに座り込む。

「絶対にイタチになるような予感がしてた……」
「そんな風に言ったら守護霊が可哀想だわ。ねえ!?」

 ハリエットが怒ったようにイタチを見れば、どことなくイタチも悲しそうにふよふよとドラコの周りを漂った。先ほどの優美な姿が今は欠片も見当たらない。

「ほら、可愛いって言ってあげて」
「可愛い可愛い……」

 やけになってドラコが言えば、イタチは途端に元気を取り戻したように、ピョンピョンドラコの前を跳ねた。ドラコは思わず口元を緩める。

「ね? この子で良かったでしょう?」
「ああ……」

 仕方なしにドラコはそう言った。内心、少し可愛いかもと思い始めていた。絶対に口が裂けても言えないし、もう守護霊はハリエット以外の誰の前でも出せないと思った。そう決心した。

「僕の守護霊がイタチだって、絶対に誰にも言わないでくれ」
「え? どうして?」
「からかわれるに決まってるからだろう!」

 ハリエットはしゅんとした。彼女とシンクロするかのようにイタチもしゅんとして、ドラコは目眩を起こしかけた。可愛いが、取扱注意の生き物がここに二人いる。

「とにかく、お願いだ……僕の沽券に関わる」
「分かってる。言わないわ。私達だけの秘密ね」

 ハリエットは嬉しそうに言った。これにドラコは少し機嫌を直した。