■死の秘宝

27:余韻


 今感じる熱さがどちらのものか、それすらも分からないくらいくっつき合っていたハリエットとドラコだが、階段を上ってくる足音を聞きつけて、またしても飛び上がった。二人は立ち上がり、意味もなくその場をおたおた動き回った。ハリエットは恥ずかしくなって自分の寝室へ逃げ込んだ。裏切られたと内心思ったドラコだが、いや、ここはむしろ男として迎え撃つべきだと思い直した。

 居間に現れたのは、もちろんアバーフォースだった。ダンブルドアそっくりの目で、まるで全てを見通すかのように顔の赤いドラコをじっと見つめた。

「夕食にしよう」

 ドラコは、声もなく頷くしかなかった。

 一方で、寝室に逃げ込んだハリエットは、もはや立っていられなくて、ベッドに倒れ込んだ。毛布をギュッと掴み、赤い顔に押しつける。

 あーとか、うーとか、よく分からない奇声を上げながら、ハリエットはベッドの上で転がった。

 ――両思い。ドラコと、両思い。

 ゆるゆると口角が緩み、こんなだらしない表情は自分でも見たくないと、ハリエットはますます顔に毛布を押しつける。

 ――キス。キスをした。すごく熱かった。

 思い返すだけで、また顔が熱を持つようだった。一層ハリエットの奇声がうるさくなる。

「あ……は、ハリエット?」

 躊躇いがちなその声に、ハリエットははっきりと固まった。恐る恐る顔を上げれば、入り口に気まずそうにドラコが立っていて……ハリエットは悲鳴を上げた。

「い、いや、ノックしたんだけど……」
「な……な……何か用?」

 ハリエットは己の奇行について、知らんぷりをすることに決めた。ふいと横を向いて、羞恥で赤く染まった顔を見られないようにする。

「あ……夕食、だって」
「そ、そう」

 たかがこれだけの会話なのに、非常にぎこちない。ハリエットは徐に立ち上がり、ドラコの後に続いて居間に入った。

 居間には、既にクリーチャーがいて、夕食の準備をしていた。ハリエットもその準備を手伝い、そして夕食が始まった。

 今までにないくらい、恐ろしいほどの沈黙が場を支配していた。

 アバーフォースが適当に会話を振っても、若い二人は上の空だった。いよいよアバーフォースは何かを察し、空気を読んだ。クリーチャーはその大きな瞳で、遠慮なくハリエットとドラコとをジロジロ観察していた。ドラコは内心ダラダラと冷や汗をかきながら、表面上は平静を装った。――きちんと装い切れていたかは自信がないが。

 味のよく分からない夕食を終えた後、アバーフォースはしばらくその後も食後のワインを嗜んでいた。ハリエットはちらりとドラコに目をやった。

「私の部屋に来てくれない……?」

 ドラコは盛大にビクついた。

「な、なんで……」
「話があるから……」
「い、いや……でも……本当に二人っきり……」
「駄目なの?」

 さっきも二人っきりだったじゃない、とハリエットの目は語っていた。だが、ドラコが言いたいのはそういうことではない。

 居間は、誰かが来るかもしれない二人っきりだ。しかし、ハリエットの寝室なら――クリーチャーという規格外はいるが――明らかに誰にも邪魔されない二人っきりだ。

 それが示す先の意味を、ドラコは想像してしまった。痺れを切らしたのか、ハリエットはドラコの手を取って歩き始めていた。繋いだ手からその邪な思いが伝わってしまうんじゃないかと、ドラコは訳もなく口をパクパクした。

 つい先ほども訪れたばかりだというのに、今はハリエットの寝室は全くの異空間に思えた。どこに座れば良いのかすらも分からない。ハリエットが何の気なしにベッドを指し示して、ドラコはもうどうにかなってしまいそうになった。

 ハリエットが、さっきまで寝転んでいたベッドに、ドラコはぎこちなく腰掛けた。そのすぐ後にハリエットも隣に腰掛け、ベッドが緩やかに沈む。ドラコは生唾を飲み込んだ。

「私ね……」

 ハリエットが、話し出した。

「ハリー達と合流したらって思うの」
「…………」

 ドラコはポカンと口を開けた。一瞬ハリエットの言葉の意味が分からなかった。

 ――ハリー……ハリー? 合流?

「ほら、分霊箱は一つ見つかったでしょう? 長くここに置いておく訳にはいかないし、早々に破壊しないといけない。ひとまずはハリー達の所に持って行こうと思って」
「あ、ああ、そうだな」

 明らかにドラコの声は上ずっていたし、落胆したような響きを含んでいた。ハリエットがこんなに真面目な話をしているのに、自分だけいつまでも締まりのないことを考えているのは駄目だとドラコは泣く泣く自分にむち打った。

「それで、その後はハリー達と一緒に行動するの。人手はどう?」
「うん、そうだな……」

 ドラコは頭を切り替え、考え込んだ。

 一番の安全策としては、騎士団の隠れ家にハリエットと共に居候させて貰うことだ。しかし、ドラコとしてはその気はない。父が追ってくるかもしれないし、自分のせいで誰かが傷つくのは嫌だ。しかし、かといってハリエットと二人だけで旅をするというのも命知らずな行為だ。ハリー達と一緒ならば、見張りも交代して充分できるし、ヴォルデモートを倒すために動いているという彼らを手助けもできる。もしかしたら、死喰い人としての知識が役立つときも来るかもしれない。

「僕もそれが良いと思う。ポッター達と合流しよう」

 ドラコがそう言うと、ハリエットは安心したように笑った。しかしすぐに不安そうな顔に戻る。

「でも、ハリーから連絡がない限り、合流のしようがないけど……」
「まだ応答はないのか?」
「ええ、あれからずっと」

 もう三、四日連絡がなかった。杖が折れてしまったことにそんなに気落ちしているのか、それとも二人に何かあったのか。

 応答さえあれば、杖というお土産もティアラという収穫も渡せるというのに。

「きっと大丈夫だ」

 ドラコがハリエットの頭を撫でた。

「ポッターは殺しても死ななそうな奴だ。連絡をサボってるだけだよ」
「何それ」

 ハリエットはクスクス笑った。一体ドラコの目にハリーはどういう風に見えているのだろうか。

 ハリエットは甘えるようにくりくりとドラコの胸に頭を押しつけた。ドラコの手が一瞬驚いたように跳ねる。しかしそれはすぐにハリエットの肩に着地した。

「ハリエット」

 小さく呼びかけると、その名の少女は、ドラコの腕の中でゆっくり顔を上げた。どうしてももっと触れたくて、ハリエットの頬に手を伸ばすと、彼女はくすぐったそうに笑った。邪気のない笑みだ。だからこそ、もっと踏み込みたいと思った。キスをする前の、あの色香を感じさせるほどの表情が見たいと思った――。

「ハリエット!」

 何度目か分からないが、ドラコとハリエットは飛び上がった。ハリーの声だった。

 ――規格外がもう一つあった!

 ハリエットがいそいそと巾着から鏡を取り出すのを見て、ドラコは今すぐ鏡を叩き割りたい衝動と戦った。

「ハリー? ハリーなのね?」
「うん、ずっと連絡しなくてごめん!」

 謝っている割には、ハリーの顔は晴れ晴れとしていた。

「嬉しい報告があるんだ」
「あら、そう。奇遇ね、私も嬉しい報告があるの」

 言葉とは裏腹に、ちっとも嬉しそうな顔をしていないので、ハリーは目をパチクリさせた。

「何か怒ってる?」
「あら、よくお気づきですこと」

 ハリエットはツンと澄ましていった。

「ずっと連絡を寄越さないで。私、すごく心配してたんだから! 『嬉しい報告』とやらで、私が単純にも喜ぶとお思いで?」
「ご……ごめん。本当に悪かったと思ってるよ」
「今どこにいるの?」
「え?」
「今どこにいるの!」
「ぐ、グロスター州のディーンの森だよ」
「分かった。今夜はそこから動かないで。いい? 私達、そっちへ行くから!」
「ちょっ――ハリエット――!」

 ハリエットは乱暴に鏡をしまった。そしてドラコにパッと顔を向ける。

「行きましょう!」
「そ、そんな急な……」
「私は今すぐ行きたいの! そんなに荷物もないでしょう? アブに挨拶をしましょう」

 ハリエットは寝室を飛び出し、アバーフォースの元へ行った。彼は未だ居間で食後の余韻を楽しんでいるところだった。

「アブ」

 ハリエットが声をかけると、アバーフォースはグラスをテーブルに置いた。

「私……私達、今夜ここを発ちます」

 いざそれを口にすると、ハリエットは寂しい気持ちが込み上げてきた。

「ドラコのお父様が、また来るかもしれないんです。もうあなたにこれ以上迷惑はかけられません。今まで……今まで、お世話になりました」
「行くのか」

 アバーフォースは前を向いたまま言った。

「俺は誰が来ようと気になんかしないけどな」
「私達が気にするんです」

 ドラコもやってきた。アバーフォースに深く頭を下げる。

「今まで本当にありがとうございました」
「もし何か危険なことがあったら、クリーチャーを呼んでください」
「気をつけろよ」

 ついぞハリエット達の方を見ることなく、アバーフォースは言った。ハリエットとドラコは、二人同時に頷いた。

 少ない荷物はすぐにまとまった。アバーフォースから食料は好きなだけ持って行けと言われたので、有り難くその言葉に甘えることにした。

 クリーチャーの手をそれぞれ握り、ハリエットとドラコは付き添い姿くらましした。

 ハリエットの両脚は、床を離れたと思ったら、次の瞬間には固い地面を打っていた。木の葉に覆われた凍結した地面のようだった。辺り一面の木々に雪が積もり、刺すような寒さだった。ハリエットはすぐに鏡を取りだした。

「ハリー、ディーンの森に着いたわ。今どこにいるの?」
「――っ、今迎えに行くからそこで待ってて!」

 怒ったような声を出した後、ハリーはすぐに姿を消した。やがて、ザクザクと音を立てて誰かがやってきた。姿は見えなかったが、透明マントを被っているのだと分かった。

「信じられない! 人さらいがいるのにこんな風にのこのこ現れて!」

 ハリーがブツブツ言いながらマントを広げ、ハリエットとドラコ、何とかクリーチャーまで引き入れた。

「ハリーがいけないのよ。何も連絡がなかったら心配するに決まってるでしょう?」
「それは――そうだけど!」

 寝るところだったのか、ハリーはパジャマを着ていた。それなのに、髪はしっとりと濡れている。ハリエットは不思議に思ったが、それ以上に怒りが頭を支配していたので、その疑問はどこかに追いやられた。

 四人はしばらく無言で歩いていたが、ある一線を越えると、急に今までなかったはずの場所に白いテントが現れた。ハーマイオニーが何か保護呪文をかけているのだと思った。

「連れて来たよ」

 テントの中は、薄暗かった。床に置かれたボウルに微かにリンドウ色の炎が揺らめいていた。その灯りが、ぼんやりとハーマイオニー、そしてロンを浮かび上がらせた。

「ろ……ロン?」
「うん、そうだよ」

 ロンは若干照れた様子で言った。

「本当にロン?」
「うん」

 ロンは決してハリエットと目を合わせようとしなかった。今までハリーに対して沸き起こっていた怒りの矛先が、なぜか急にロンに向かって放たれた。

「馬鹿!」

 弾丸のように飛び出し、ハリエットは彼の身体を叩いた。ロンが慌てて後ずさりをしたが、そんなので諦めるハリエットではなかった。

「馬鹿! 馬鹿! 心配させて! 本当に馬鹿!」
「ご、ごめんって……本当にごめん……」
「ハリーもハリーよ!」

 ロンの登場で怒りが変な方向へ行ったが、本来ハリエットはハリーに対して怒っていた。

「急に連絡が途絶えて、心配するに決まってるじゃない! なのに――なのに、ロンと仲良くして!」
「そ、それは別に良いじゃないか……」

 ハリーが口を挟むと、ハリエットはキッとハリエットを睨み付けた。ハリーはすぐさま口を閉じる。

「あー……ええっと、ハリエット……」

 ロンはもごもご言った。

「この前はひどいこと言ってごめん。あの時の僕、どうかしてた……」
「…………」

 ハリエットはまだ冷めやらぬ怒りに眉間に深く皺を刻んでいた。ハリーが堪らなくなって声をかけた。

「ロンはさっき、僕の命を救ってくれたんだ」

 ハリエットはピンと眉を跳ね上げた。

「長くなるから、こっち来て座って。マルフォイも」

 ハリエットは渋々動き出した。しかしハーマイオニーの隣を陣取り、隣にはドラコを座らせた。相対するのは、居住まいの悪そうなハリーとロンだ。

 長い夜が始まった。