■死の秘宝

32:貝殻の家


 気がつくと、ハリエット達は固い地面を踏みしめていた。力尽きるように、ハリエットはその場にがっくりと膝をついた。

 潮の香りが鼻腔をくすぐった。『貝殻の家』――その名にふさわしい香りではないかと思った。

 ハリエットは誰かに強く抱き締められた。薄く目を開けると、視界の隅にプラチナブロンドが映った。ハリエットもその背中に腕を回す。

「皆――皆いる?」

 ハリーが息も絶え絶えに言った。

「ハーマイオニー? ハリエット? ドラ――」

 ハリーの声が途切れた。おそらく、ハリエット達が抱き合っているのを真っ正面から目撃したのだ。しかし何も言われなかった。現実逃避か、それとも見ない振りを決め込んだのか――。

 ハリーはグリップフックにも声をかけた。彼は未だ頭を抱えて縮こまったままで、鼻をヒンヒン鳴らすばかりだった。

「ハリエット様! ハリー様!」

 貝殻の家からクリーチャーが駆けてきた。

「お怪我は! お怪我はありませんか!」
「クリーチャー……」

 ハリエットは手招きしてクリーチャーを呼び寄せた。

「大丈夫よ。ディーンは?」
「他にも捕虜がいたので、クリーチャーは皆ここへ連れてきました!」
「ああ……本当にありがとう……」

 ハリエットは深々と安堵の息を吐き出し、クリーチャーを抱き締めた。クリーチャーは緊張と困惑で小さな身体を強ばらせる。

 少し遅れて、ビルとフラー、ディーン、ルーナが駆け寄ってきた。その時になって初めて、ハリエットは少し離れたところに小さな家が建っているのに気づいた。

「ルーナ! 君も地下牢に捕まってたんだね? 大丈夫かい?」
「大丈夫だよ。あたし達を助けてくれてありがとう」

 ハリーの声に、ルーナは微笑んだ。ビルは皆を見渡した。

「大丈夫か? 誰か、怪我している者は?」

 グリップフックとハリエットの名が挙げられた。ロンはハーマイオニーを窺うように見たが、ハーマイオニーは大丈夫だと頷いた。

「治療しよう。ひとまず中へ」

 ビルがグリップフックを支えながら家へ向かった。ハリエットはドラコと共にその後に続く。後ろからぞろぞろと、ハリー達がついてきた。

 ビルとフラーの新居は、可愛らしい家だった。居間は柔らかい色調で統一され、暖炉には流木を薪にした小さな炎が明るく燃えている。

 ロンはハーマイオニーを無理矢理ソファに寝かせた。グリップフックをビルが、ハリエットをフラーが治療してくれた。ハリエットのシャツは血で真っ赤に染まっていたが、しかし傷はそれほど深くないので、すぐに塞がった。

「君たちのチームワーク最高だったよ」

 ロンが泣き笑いのような顔で言った。ハーマイオニーの顔に垂れた前髪を優しく払う。

「僕……僕……それなのに、何もできなくて――」
「ウィーズリーの反応も良かった」

 ドラコがニヤリと笑った。

「本気で僕に裏切られたと思った顔だった」
「ああ……うん、まあね……」

 ロンが気まずそうに、気恥ずかしそうに微笑んだ。

「でも……ドラコのご両親が」

 ハリエットは彼の袖を引っ張った。

「ドラコが私達と一緒に行動してるってバレたわ。あの人に……例のあの人が……」
「いや……きっと大丈夫だ……」

 ドラコがハリエットの手をギュッと握った。

「きっと父上もベラトリックスもこのことは『例のあの人』に話さない。あの二人は失態を何よりも恐れる。ポッターを捕まえておきながら、みすみす逃がしたなんて言えるわけがない」

 自分に言い聞かせるようにドラコは続ける。

「それに、金を積めば人さらいも黙る。父は必ずそうする」

 ハリエットはドラコの手を握り返した。そこから元気を与えたかった。

「ジニーが休暇中で幸いだった」

 しばらくしてビルが話し出した。

「ホグワーツにいたら、我々が連絡する前にジニーは捕まっていたかもしれない。ジニーは今も安全だ。他の家族も、隠れ穴から連れ出してるんだ。ミュリエルの所に。死喰い人はもう、ハリーがロンと一緒だということを知っているだろうから、必ずその家族を狙う――謝らないでくれよ」

 ハリーの表情を読んだビルが一言付け加えた。

「どのみち、時間の問題だったんだ。僕たち家族は最大の血を裏切る者なんだから。……オリバンダーとグリップフックがある程度回復したら、二人ともミュリエルの所に移そう。ここじゃあまり場所がないけど、ミュリエルの所は充分――」
「オリバンダーさんがいらっしゃるんですか!」

 ハリエットが勢い込んで尋ねた。ビルは目を白黒させながら頷く。

「どこに? 私、オリバンダーさんと話がしたいです!」
「いけませーん」

 フラーが言った。

「もう少し待たないと駄目でーす。オリバンダー、疲れーていて――」
「あ……そ、そうですよね」

 ハリエットは椅子に座り直した。彼はヴォルデモートに捕まった後、拷問されたのだ。今はただ休むことが最優先だ。

「いえ、駄目です。待てません。今すぐ話す必要があるんです。秘密に――二人別々に。急を要することです」
「ハリー、一体何が起こったんだ?」

 ビルが聞いた。

「君は、半分気絶した小鬼を連れて現れたし、皆満身創痍のように見える。でも、ロンは何も話せないと言い張るばかりだ――」
「僕たちが何をしているかは話せません。ビル、あなたは騎士団のメンバーだから、ダンブルドアが僕たちにある任務を遺したことは知っているはずですね。でも、僕たち、その任務のことは誰にも話さないことになっているんです」

 フラーが苛立ったような声を漏らしたが、ビルはハリーをじっと見ていた。しばらくして、ビルがようやく言った。

「分かった。どちらと先に話したい?」
「グリップフック。彼と先に話をします。皆も一緒に来て」

 ハリーはハリエット達を見て言った。ロンとハーマイオニーが立ち上がり、ハリエットもドラコを連れて後を追う。

「ハーマイオニー、具合はどう?」

 ハリエットが尋ねると、ハーマイオニーは弱々しく微笑んだ。

「大丈夫、大丈夫よ……」

 ロンがハーマイオニーをギュッと抱き寄せた。

「ハリー、今度は何をするんだ?」
「今に分かるよ」

 小鬼を抱えながら、ビルは寝室に入った。そして彼をそっとベッドに下ろす。グリップフックはうめき声で礼を言い、ビルはドアを閉めて立ち去った。

「ベッドから動かしてごめんね。脚の具合はどう?」
「痛い。でも治りつつある」

 グリップフックは、グリフィンドールの剣を抱えていた。

「あなた達は、変わった魔法使いです」

 小鬼がぼんやりと言った。

「彼女は妖精を抱き締めた」

 グリップフックはハリエットを見た。

「そして彼女は私をここに連れてきた。私を救った」

 今度はハーマイオニーを見る。

「先ほどの男性は、私の脚を治療した。とても変な魔法使いです」
「そうかな」

 ハリーが言った。

「ところで、グリップフック、助けが必要なんだ。君にはそれができる。――僕は、グリンゴッツの金庫破りをする必要があるんだ」
「ハリー――」

 ハーマイオニーの声は、グリップフックによって遮られた。

「グリンゴッツの金庫破り? 不可能です」
「そんなことはないよ。前例がある。僕たちがホグワーツに入学した年、グリンゴッツは破られた」
「問題の金庫はその時空でした。最低限の防衛しかありませんでした」

 小鬼はピシャリと言った。

「うん、僕たちが入りたい金庫は空じゃない。相当強力に守られていると思うよ。レストレンジ家の金庫なんだ」

 ハリー以外の四人が、度肝を抜かれた顔をした。

「可能性はありません。『おのれのものに あらざる宝、わが床下に 求める者よ――』」
「『盗人よ 気をつけよ――』うん、分かっている。覚えているよ。でも僕は、宝を自分のものにしようとしてるんじゃない。自分の利益のために、何かを盗ろうとしてるんじゃないんだ。信じてもらえる?」
「個人的な利益を求めない人だと、私が認める魔法使いがいるとすれば――」

 グリップフックがようやく答えた。

「それはあなたたちでしょう。小鬼やしもべ妖精は今夜あなた達が示してくれたような保護や尊敬には慣れていません」

 そして彼は少し間を置いた。

「レストレンジ家の金庫で、何を求めたいのですか?」

 唐突にグリップフックが聞いた。

「中にある剣は偽物です。こちらが本物です。あなた達はもうそのことを知っているのですね。私に嘘をつくように頼みました」

 そう言って彼はハーマイオニーを見た。ハリーは食い下がる。

「でも、その金庫にあるのは偽の剣だけじゃないだろう? 僕たちにはどうしてもそれが必要なんだ。僕たちを助けてくれる? 小鬼の助けなしに押し入るなんて、とても望みがない。君だけが頼りなんだ」
「考えてみましょう……」

 小鬼はそう言った。五人はぞろぞろと寝室を後にした。

「ハリー、あなたの言っていることは、つまりこういうことかしら?」

 ハーマイオニーが踊り場で言った。

「つまり、レストレンジ家の金庫に分霊箱の一つがある。そういうことなの?」
「そうだ。ベラトリックスは、僕たちがそこに入ったと思って、逆上するほど怯えていた。僕たちが他に何かを取ったと思ったんだ。例のあの人に知られるんじゃないかと思って、ベラトリックスが正気を失うほど恐れたものだ」

 ハリーは傷跡を擦った。

「あいつは、ダイアゴン横丁に初めて行ったとき、グリンゴッツの金庫の鍵を持つ者を羨ましく思ったんじゃないかな。あの銀行が魔法界に属していることの真の象徴に見えたんだと思う。それに、あいつはベラトリックスを信用していた」

 話し終えると、ハリーは切り替えるように顔を上げた。

「さあ、次はオリバンダーだ」

 踊り場を横切り、ハリーは、ビルとフラーの寝室の向かい側のドアをノックした。返事はなかった。

「オリバンダーさん? 開けますよ?」

 ハリーは小さく問い、扉を開けた。

 杖作りのオリバンダーは、ツインベッドに横たわっていた。結婚式の時よりも随分痩せ衰え、黄ばんだ肌から顔の骨格がくっきりと浮き出ている。

「オリバンダーさん」

 ハリエットは、ベッドの傍らに膝をついた。しかし、声をかけても彼は窓の外をぼうっと眺めており、反応がない。

「オリバンダーさん?」

 ハリエットがオリバンダーの手を握ると、オリバンダーはようやくこちらを見た。ハリエットをその視界に映すと、彼は落ち窪んだ目からボロボロ涙をこぼした。そして静かに首を振る。

「大丈夫ですか?」

 オリバンダーは何も答えなかった。ポトリとハリエットの手の上に涙が零れる。

「僕たちを助けて欲しいんです」

 ハリーが囁いた。オリバンダーはまた首を振り、窓の外に目をやった。

「しばらくそっとしておいた方が良いわ」

 ハーマイオニーが優しい声で言った。

「いろんなことがショックだったのよ。下に行きましょう」

 固まって一階に降りると、ビル、フラー、ルーナ、ディーンが紅茶カップを前にテーブルに着いているのが見えた。ハリエットはルーナの側まで行った。

「オリバンダーさん、地下牢でどんな様子だったの?」
「オリバンダーさん?」

 ルーナが聞き返した。

「あの人、あたしが話しかけてもずっとぼうっとしてた。ずっと塞ぎ込んでた」
「でも気持ちは分かるな」

 ロンが肩をすくめた。

「ようやく脱出できたと思ったのに、また捕まるなんて、誰が思う?」

 ハリーは、視線で他の四人に外に来るよう促した。彼の後についていくと、ハリーはヴォルデモートがニワトコの杖を手にしたと語った。傷跡を通してその光景が見えたのだという。

 グレゴロビッチは、随分昔、ニワトコの杖を持っていたが、グリンデルバルドに杖を盗まれた。グリンデルバルドは、ニワトコの杖を使って強大になった。その力が最高潮に達したとき、ダンブルドアはそれを止めることができるのは自分一人だと知り、グリンデルバルドと決闘して打ち負かした。そしてニワトコの杖を手に入れたのだ。

 そうしてほんの少し前、額の傷を通して、ヴォルデモートがダンブルドアの墓を暴き、ニワトコの杖が彼の手に渡ったのだ。

「どうしても……オリバンダーに聞きたいことがあるんだ。明日になったら、また話しに行く」

 ハリーはそう宣言した。

 それから数日、ハリーは何度もオリバンダーの下を訪ねたが、彼はどんな質問にも答えようとはしなかった。ハリエットも足繁く通ったが、オリバンダーの心を解すことは適わなかった。

 グリップフックは、しばらくして、結論が出たとハリー達を呼び出した。グリップフックは、ハリー達を手伝うことを了承したが、対価としてグリフィンドールの剣を要求した。五人は散々話し合ったが、結局はハリーの意見が最適だと思えた。グリップフックに金庫に入る手助けをしてもらったら、その後で剣を渡すと伝えるが、しかし、いつ渡すかは正確には言わないようにするのだ。全ての分霊箱を壊し終わってから、その時に剣を渡すという計画だった。

 交渉が成立すると、六人はグリンゴッツに侵入する計画を立て始めた。グリップフックは地図を描き、経路を説明した。幸いなことに、ポリジュース薬も一人分残っていたし、ハリエットのセーターにベラトリックスの髪が絡まっていた。ドラコが武装解除した本人の杖もあったので、成り代わるのはそれほど難しいことではなかった。

 計画も固まってきたところで、ハリエットはおずおずとハリーに申し出た。

「ハリー、話があるんだけど」

 ハリエットの深刻そうな顔に、ハリーは困惑した。

「なに?」

 皆の前では言い出しにくくて、ハリエットはハリーを寝室まで引っ張っていった。そしてベッドに腰掛け、口火を切る。

「私、しばらくオリバンダーさんの側にいたいの」

 オリバンダーの身体の具合が良くなってきたので、そろそろミュリエルの所に移そうかという話が出ていた。だが、身体は良くなっても、未だ精神状態に回復は見られない。彼はまだ、一言も話していないのだ。

「オリバンダーさんが心配なの……。オリバンダーさんは、地下牢で私に元気をくれたわ。何とかして助けてあげたいの」
「……いいよ」

 ハリーは微笑んで答えた。

「何となくそう言うんじゃないかって分かってたし……。それに、グリンゴッツにベラトリックスがぞろぞろ引き連れてたら目を引くしね」
「ありがとう……」
「ドラコも一緒に行くの?」

 ハリエットは小さく頷いた。

「聞いたら、一緒に行ってくれるって」
「そっか……」

 ハリーはしばし目を瞑り、やがて決心したようにハリエットを見た。

「あの……さ。二人って付き合ってるの?」
「え?」
「ハリエットと……ドラコ」

 途端にハリエットは顔を赤くした。

 確かに、以前お互いに好きだと告白し合ったが、付き合うどうこうという話には至っていない。加えて、あの後すぐにハリー達と合流したので、一度もそういう雰囲気にはならなかった。

「あ……えっと……私は好きなの、ドラコのこと……」

 俯き、ギュッと手を握りしめながら、ハリエットはもごもご答えた。『そっか』とハリーは小さく返した。

「正直……あー……複雑ではあるけど、でも、ドラコは変わったし……ハリエットの意思を尊重するとなると……」

 ハリーはしばらくもごもご言っていたが、やがて唐突に立ち上がった。

「もう行こう。そろそろ夕食だと思うし」
「えっ? あ、ええ……」

 絶対に小言か何か言われると思っていたので、ハリーがそう言いだしたとき、ハリエットは拍子抜けしてしまった。結局ハリーが何を言いたかったのかは分からないままだ。ハリエットは疑問符を浮かべながらも大人しく彼の後について家の中に入った。

 そうして、四月に入った夕暮れ、ハリエットとドラコ、オリバンダーは、ビルの付き添い姿くらましでミュリエルの家に行った。